『リ・バース』第一部 第7話 Coupé en Deux⑥
ライガはゼムンとエッガの血も「駄目だ」と判断し、最後に残されたノレムの方を見た。
指を切って血を搾られるところを何度も見せられたノレムは一瞬、怯えを浮かべながら自分の手を庇うようにしたが、ライガの真剣な眼差しに押されたようにおずおずと手を出した。
ライガは彼の血も採り、例の如く混ぜた。
数秒の後、彼は「よし!」と小さく拳を握り込んだ。
「固まらない! ノレムの血が使えるぞ!」
「ぼ、僕……?」
ノレムは、止血の為に指を咥えながら嫌そうな表情を浮かべる。「そんなに血、採るの?」
「ある意味、お前で良かったのかもしれないぞ」
ライガは彼の肩に手を置くと、噛んで含めるように言った。
「確かに、最速でお前からそんなに大量に血を採るなら──俺たちの技術じゃ、動脈を掻っ捌く事くらいしか出来そうにない。けど、それじゃ今度は血を提供してくれる奴の命が危なくなる。その点、ピックルスの血を引いているお前には安全に自分の血を抜く技術についてセンスがある」
「……吸血霊術の事?」
ノレムは言ってから、やや俯いて「無理だよ」と泣きそうな声を出した。
「僕は父上やアンターク殿のように、吸血霊を上手く扱えない」
「その血で武器を強化しろって言っている訳じゃないんだ。出すだけでいい、オルフェに流し込むのは、俺とリクトでやれる」
「それなら……出来るかもしれない。けど──」
「けど?」
ライガは、根気強く静かな口調を維持している。リクトも段々とノレムの煮え切らなさに焦れを感じてきたが、ここで彼を叱咤して強引に血を流させるのは良くないという事は分かっていた。
「……本当に、大丈夫だよね? 今度は僕が危なくなるくらいには、抜いたりしないよね?」
「大丈夫だ」ライガはきっぱりと言い切った。「俺を信じろ」
ノレムは素早く彼とオルフェの間で視線を往復させ、やがて覚悟を決めたように口を引き結んで肯いた。
制服の左腕の袖を捲り、右手の人差し指と中指を揃えて据える。
「吸血霊術──無傷出血」
目を瞑り、直視しないようにしながらも彼は降霊術を発動した。真紅の魔方陣が生じ──火属性術を使用した時に出現するそれよりも、やや黒ずんでいて静脈血の色に近い──、それが皮膚に浸透するように吸い込まれて行った数秒後、その肌の上にじわじわと血液が滲み出し始めた。
「ライガ、リクト、お願い!」
「ドゥクスアニムス」
ライガが、指先を手繰るように動かす。見えない糸で引かれているかの如く、ノレムの腕から──傷口もないのに──溢れ出した血液が細く螺旋状に束ねられ、オルフェの塞ぎきらない傷へと移動し始めた。
リクトは、同じく物体操作術を発動しながらノレムの血をオルフェへ送る作業に加わった。精度は向上し、空中で無駄に波打っていた血の筋が一直線になる。ノレムは目を瞑ったままで、ドーデム、ゼムン、エッガは固唾を呑んでこちらの作業の様子を見つめている。
上手く血は分け与えられている。このまま、一時的に気を失ったオルフェが目を覚ませば「輸血」は成功だ。
「……ライガ」
ずっと黙っているのも息苦しく、リクトはライガに声を掛けた。
ライガはノレムとオルフェの間で忙しなく視線を往復させながらも、「何だ?」と応える。
「ガルドラボークの事なんだけど」
言うべきかどうか一瞬迷ったが、意を決して聞いてみる事にした。
「ああ、気にするな」彼は、こちらの意図を勘違いしたらしい。「中に書いてあった魔術自体は、全部俺の頭の中に入っているからな。またノートさえ買えば、すぐに書き起こせるさ」
「そうじゃなくて」
リクトは、ドーデムの方をちらりと見た。
「クペアンドゥの事。ドーデムのした事の肩を持つ訳じゃないけど、僕も気になったんだ。どうしてライガは、あんな恐ろしい降霊術を作ったの? 君の降霊術は汎用化が大きな目標みたいだけど、あれは誰もが使えるようになったら──」
「マズいか?」
末尾を濁したリクトの言葉に、ライガ本人が言った。
「確かにあれが争いで普通に使用されるようになったら、戦はもっと悲惨なものになるかもしれないな。……悪かったよ。俺も別に、こんな事は望んじゃいなかった。でも、俺が作らなくても誰かが作ったと思う」
彼は、言い訳をしなかった。
「それこそ、本当に殺す為だけの戦いを求めている者とかは。俺は、自分がそうじゃないとは言わない。魂の循環に於いて役割を担うっていっても、それって結局、敵と戦って殺す事には違いないじゃないか」
言ってから、彼は「ごめんな」と付け加えた。「こういうの、リクトに言うべき事じゃないよな」
「お、おい!」
エッガが声を上げたのは、その時だった。
彼はいつの間にか岩の上に立ち、丘からこちらへ下って来る途中の森を指差していた。
「何なんだ、あれは!?」
その視線の先を見、誰からともなく息を呑むような音が上がった。
森の中から岩場に顔を出した魔物の姿があった。それは、今まで戦ってきたアックスビークを始めとする怪鳥のようだったが、その大きさと全体の部位の均整は二足歩行の獣竜を思わせる。
獣竜系の魔物と、鳥の魔物の祖先は共通している、という魔物学の学術研究が発表された事があったが、現れたのはまさにその説を裏づけるような魔物だった。飛ぶのには特化していないであろう硬質な翼に、悪い足場をものともせずに踏みつけるがっしりとした後ろ脚。体からは羽毛が生えているが、所々に黒光りする金属防具の如き甲殻も見える。
魔物は先程までのこちらの騒ぎを聞きつけたのか、無言で様子を窺うようにじりじりと歩み寄って来る。
目を瞑っていたノレムがエッガの大声に釣られて目を開け、リクトたちと同様それを目にする事となった。彼は半ば反射的に悲鳴を上げかけたが、すぐにそれで魔物に本格的に”発見”されてしまう、という危惧に思考が至ったらしく、再び目をぎゅっと瞑ってそれを堪えた。
「ライガ、あれは──」
「シャンタクだ」
ライガは声を抑えて答えたが、彼自身も動揺しているようだった。
「けど、おかしいぞ……シャンタクは間違いなく強い部類に含まれる魔物だ。ルークさんが首都周辺に生息している魔物については教えてくれたけど、少なくともこの森には居ないって」
「それは……そうだろうね。この森が共同訓練の舞台に選ばれたのは、今の僕たちで手に負えないような魔物は出ないからだ」
リクトは肯き、そういえば、と思い至った。
この間のラプラス水道局の一件で自分たちが対峙した、魔物イピリア。如何に地下水脈が街の地下に接続されていたとはいえ、工事が始まってそう時間が経たないうちに、ペトスコスなどであればまだしも、あのようなボス格の魔物が簡単に流入するものだろうか。
このシャンタクも、そのケースに近いといえばそうとも言える。人間の暮らす場所から一定の距離を保って生息圏の定められていた強力な魔物たちが、少しずつ接近して来ているように思える──。
「うわっ!? こっちに来るよ!?」
ノレムが、無傷出血を継続したまま立ち上がろうとする。リクトとライガが操作していた血液の筋が大きく波打ち、周囲に赤い雫が飛散したが、ライガがすかさず「動くな!」と叫んで彼をその場に留めた。
「マズいな……あいつ、血の匂いを嗅ぎつけて来たようだ。これだけ大量に出血していたら、それも当たり前か」
彼は岩の下に広がる血溜まりをちらりと見る。
リクトは、瀕死のオルフェと魔物とを素早く見比べ、意を決して「ライガ」と彼を呼ばった。
「輸血は僕一人で続ける。ライガ、君にあのシャンタクを任せても大丈夫?」
「問題ない」
ライガは、余計な事を一切言わずに肯いた。
「オルフェが覚めるまでの間、ここにあいつを近づけさせなきゃいい訳だな。それから──俺も調子に乗って、自分の実力を見失ったりするつもりはない。どうせオルフェの負傷の件は報告しなきゃいけなかったんだ、おじさん──デルヴァンクール騎士長たちを呼ぼう」
おい、と、彼はドーデムたちの方を見る。彼らは今の話の流れから、自分たちがこれから何をすべきなのかをそれだけで察したようだった。
ドーデムは唇を噛んだ後、HMEを取り出して音声を吹き込み始めた。
ライガは物体操作術を解除すると、アルターエゴを抜いて立ち上がった。シャンタクは、自らの向かう先に居る相手が抗戦の構えを示したのを察したのかぴたりと足を止めると、頭を低く下げて威嚇するように羽毛を逆立てた。
鳥らしからぬ牙の生えた嘴が、ガチガチと鳴る。ライガは岩を降りると、迷路のようなその間を縫うようにして敵に接近を始めた。
「招喚魔術──魔物招喚。集え、魔界よりの眷属たち!」
シャンタクを真っ直ぐに睨み据えたまま、ライガは魔物招喚士としての使役術を発動する。アン、デュー、トロワ、カトル、サンク、シス、セプト、と、番号のようなものを呟いたが、それが白羊宮で飼育されている使役獣を表す名前だという事は、既に彼から聞いていた。
彼の周囲に魔方陣が七つ出現し、その中から黒くしなやかな獣の体が滲み出すように現れる。唸り声を上げながら現れた使役獣──アパデマクたちは今回の獲物となるシャンタクを目捉すると、口々に雄叫びを上げた。




