『リ・バース』第一部 第7話 Coupé en Deux⑤
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案の定、彼らはすぐに見つかった。
岩場だった。夜になると瘴気でも湧くのか、その周囲には草一本生えておらず、痩せて葉を失った枯木が岩壁から数本突き出している。辺りには魔物のものと思われる骨が無数に散乱していた。
硫黄のような悪臭を、香水でごまかすかの如く蜂蜜溜まりの甘ったるい香りが漂っている。普段はあまり魔物も足を運ばないのであろうそこにはアックスビークの死骸が数羽分落下しており、ドーデムはその近くで得意げに流金色の愛剣を振って血払いをしていた。
「ふふん、他愛もないな」
「ちょっと、何なんですか……? 邪魔はやめて下さいよ」
岩場の下から、おずおずと彼らに声を掛けている者が居る。覗き込むと、そこに居たのはオルフェだった。
彼もこんな奥まで来ていたのか、と思ったが、彼が高位者であり魔術の腕がかなりいい方である事は、この間のアモールでの戦いで判明している。彼もまた自分たちのように、早いうちに競争相手の少ない森の奥まで入り、着実に順位を伸ばそうと考えていたようだ。
「今のは、僕が相手をしていた魔物ですよ」
「けど、君の所有物ではないよね。え、アッシュ?」
彼の事をファミリーネームで呼ぶドーデムの声は、そこだけ何らかの悪意があるかのように大きく発音された。
「このアックスビーク君は途中で気が変わって、君を放り出して僕の方に飛んで来たんだ。僕はそれを相手にしただけで、君が最初に戦っていたって事も今知った。別に横取りでも何でもないよね。……いや、そもそも本当にさっきまで君が戦っていたという証拠も何処にもない」
「あいつ、何が楽しくてあんなに人に意地悪するんだろう?」
ノレムが、全く理解不能だ、というように囁いてきた。ライガは「さあな」と言うと、軽蔑するように鼻を鳴らした。
「去年まで学問所にも来なかったんだ。自分の事を秀才だと思っていて、騎士団に入って上には上が居るって事を思い知らされたけど、認めたくないんだろう。だから家臣の子だとかいうゼムンやエッガとばかりつるんでいる。要するに、お山の大将をやっていたいだけなんだよ」
自分の方から他人を見下していれば他人から見下されないと思っているんだ、とライガは吐き捨てた。
それからリクトたちが何かを言う暇もなく、「おいドーデム!」と叫びながらずんずんと彼らの方に進み出す。
「お? やあ、ライガ」
しゃあしゃあと声を掛けてくる彼に、ライガは手を突き出す。
「返せよ、俺のガルドラボーク」
「魔導書?」
ドーデムはきょとんとした顔で言い、彼の魔術ノートを取り出すと、初めてその表紙に書かれている題名に気付いたらしい、ぷっと噴き出した。
「あははははっ! 何だよ、『ガルドラボーク』って……あー、可笑しい」
「笑うな」
ライガはいきり立ち、彼の方に手を伸ばす。ドーデムは「おっと」と大袈裟に躱すと、「エッガ、パス!」横ざまにそれを投げた。
エッガはそれを反射的にキャッチしたが、すぐにそれでライガの攻撃の矛先が自分に向くと思ったのか、汚いものでも触るかのように指先で摘まんでゼムンへと投げ渡す。ゼムンは咄嗟にそれを叩き落とし、帳面は岩に角をぶつけて再びドーデムの足元へと転がった。
「畜生め……!」
「ライガ、君やっぱり調子に乗りすぎ」
ドーデムは、拾おうとした彼の目の前で帳面を踏みつけた。
「楽しいか、そういう風に自分の才能を見せびらかして? そりゃ楽しいよね、付き合う奴ら皆、自分より劣っているって安心出来るしさ。だけど少しは、周りが自分の事をどう思っているのか考えた方がいい」
「知らねえよ、そんな事。その言葉、そっくりお前に返すぜ」
ライガは言い、彼の足首を掴もうとする。
「さあ、それを返すんだ」
「そういう所がムカつくんだよ、ライガ・アンバース!」
ドーデムは不意に笑いを収めると、彼の顎を蹴りつけた。不意を突かれ、ライガは岩の上で仰向けに倒れる。リクトは咄嗟に「ライガ!」と叫んだが、彼は何も言わずに立ち上がった。先程までよりも静かな、しかし明らかに先程までよりも度合いの高い怒り──喩えるのであれば高温の青い炎のような怒りを湛え、脅すような低い声で彼に言った。
「……返せって言ってんだよ。分からないのか?」
その殺意すら滲んだ声に、ドーデムは一瞬怯えたように足を引きかけたが、そこで背後に居たゼムンの胸板に背中をぶつけた。
そこで我に返ったように目をぱちくりとさせ、すぐに慌てて元の蔑んだような表情に顔を戻した。
「そんなに返して欲しいなら、返してやるよ。……ほら!」
彼は爪先で魔術ノートを蹴り上げると、すかさず詩文を詠唱した。
「大地が叫びよ、その口より奈落の軍団を顕しめよ! アースクエイク!」
あっ、と、ノレムが声を発した。
岩の上に魔方陣が出現する。宙に舞った帳面の真下だ。
最も近い場所に居たライガも、手を出す事は叶わなかった。地面から震動と共に巨大な巌が突き出し、その尖った先端が丈夫な革表紙をいとも容易く穿つ。真ん中に開けられた穴は錐状の岩に突き通されて広がり、やがて背の糸がぷちぷちと微かな音を立てて断裂した。
魔術ノートは、一瞬にして紙切れと化して散った。
ライガは反射的にドーデムの繰り出した地属性魔術から距離を取るべく跳び退ったが、やや離れた場所に居たオルフェが咄嗟に取った行動は異なるものだった。
彼は空いている左手を突き出すと、
「日月の灼け落ちし極夜に彷徨うもの……ポーラーナイト!」
闇属性魔術を放った。光属性の照射線を漆黒のエネルギーに置換したような、一直線の闇の奔流だ。
ドーデムの放った地震の大岩が、効力を発揮し終えて消える前に粉々に粉砕された。ゼムンとエッガが動揺したように身を引きつつも剣を構え、ドーデムはひっと喉を鳴らして後退る。
オルフェはすかさず、次の詠唱を開始しようとしていた。
「闇に包まれし──」
「お、おい待てよ、オルフェ」
ライガが慌てたように彼を止めようとした時、
「クペアンドゥ!」
ゼムンの陰からドーデムが手を突き出し、降霊術を放った。
オルフェの詠唱が中断された。その胸の辺りが薄手の胸甲諸共裂け、血液が細い筋となって噴き出す。一瞬それを見ている誰もが、彼に何が起こったのかを理解する事が出来なかった。
オルフェの口から、笛のような音が零れた。彼は胸を押さえるようにし、ゆっくりと仰向けに倒れ込んでいく。
「う……嘘だろ、こんなの……」
技を放ったドーデム本人が、怯えに飽和した声を発した。
「僕は、こんな事をするつもりじゃ……」
「馬鹿野郎!」
ライガが、我に返って叫んだ。傾倒するオルフェの背を素早く支え、岩の上に仰向けに横たえる。
リクトはドーデムの放った降霊術が何なのか咄嗟に判断出来なかったが、すぐに思い至った。ライガの魔術ノート、その末尾に記されていた彼オリジナルの降霊術。彼はそれを「開発中」「相当物騒なものになる予定」と言っていた──。
(これが、ライガの作った降霊術……?)
思ってから、はっと気付く。今は、そのような事を考えている場合ではない。
リクトはオルフェの傍らに屈み込むと、傷口に手を翳しながら回復魔術を詠唱しようとした。だが、その前にライガが「駄目だ」と止めた。
「何でだよ、ライガ?」
「クペアンドゥは風切り羽とかとは全く違う魔術だ。傷は空間断裂の類だから、普通の薬や回復魔術じゃ治せないんだ」
彼は早口で言うと、自らの手をオルフェの傷に添え、撫ぜるように動かした。その手と傷の間から、粉塵のような紫煙色の霊力が溢れ出す。
「アーベーエール、ア……セーアーデー、ア……ベーエール、ア……ルリエ・ブレスール……」
ライガの詠唱は、声楽器型の戦楽器使いが歌う呪歌のようだった。どうやら、クペアンドゥと対になる特殊な回復系の降霊術らしい。リクトもそれ程隅々まであのノートを熟読した訳ではなかったが、「ルリエ・ブレスール」なる術は思い出す限り記されていなかった。恐らくライガは、クペアンドゥが完成形になってから改めて書き加えるつもりだったのではないだろうか。
彼が手を動かす度、オルフェの傷口は癒合され、噴き出す血の勢いも徐々に弱まっていった。しかし、岩の下に流れ出した血液の量からして、既に相当量が彼の体外に排出されてしまった事は明らかだ。
「リクト、流れたオルフェの血を採って、岩の窪みに溜めてくれ。それからここに居る奴ら全員、小指を小さく切って少し血を出しておけ。リクトの溜めた血にそれを混ぜて、固まらないのを探すんだ」
ライガは詠唱の合間に、きびきびとこちらに指示を出してきた。リクトは一切質問する事なく肯き、ファタリテの三人とノレムに「だってさ!」と叫ぶ。
「皆、血を用意するように!」
言いながらリクトは、既に自分の小指に傷をつけている。
ライガに言われた通りオルフェの血を集め、浮かんだ血の玉をそこに垂らす。軽く混ぜ合わせながら様子を見ていると、それは次第にざらざらとして固まってきた。ライガはそれを見、「失敗か」と呟くと、今度は自らの血を混ぜる。彼のもまた、すぐに固まった。
「俺のも駄目だ。……おい、お前たち何をしている?」
「僕が……僕がオルフェを……」
譫言のように呟き続けるドーデムに、ライガは業を煮やしたように「おい!」と叫び、襟首を掴んで自らに引き寄せた。
そのままアルターエゴを僅かに鞘から出し、引っ掴んだ彼の指をシュッと切る。
「あっ、何をする!?」
「俺の言った通りにしろ! そうじゃなきゃお前、本物の人殺しになるぞ!」
搾るようにオルフェのものと血を混ぜ合わせ、すぐに「駄目だ」と突き放す。
「リクト、回復してやれ。ゼムン、エッガ、お前たちのも試すぞ」
「ライガは一体、何をしているんだ……?」
ノレムが、あたかも出血しているのがオルフェではなく自分自身であるかのように顔から血の気を退かせながら呟く。ライガは突っ立ったままのファタリテの二人から採血しつつ、「オルフェに血を分け与える」と答えた。
「こんな治療方法、最先端の降霊術がじゃんじゃん編み出されている今じゃなかなかやらないけどさ。俺たちは医者じゃないんだ、それ専用の術が使えないなら、こうするしかないんだよ。先生たちを呼ぶとか、森の外まで運ぶとかしようにも……そこまで、オルフェは持たない」
「ライガ、何で君はそんな……そんな危険な降霊術を作った?」
ドーデムは、幾分か声の震えを収めながら問い詰めるように言った。
「斬撃を行う為の魔術なんか、幾らでもあるじゃないか。空気の剣も、水も、光も……こんな、実質治療不可能な傷を与える攻撃なんて……普通の剣士で喩えてみれば、剣にわざわざ手製の毒を塗ったみたいだ」
「……確かに、こんな術を作った俺も悪いんだろうけどさ」
ライガは舌打ちをし、再びドーデムを睨んだ。
「効果を知りもしないで、降霊術を同胞に向けて使ったお前はもっと無責任だ。俺はガルドラボークに、『ルリエ・ブレスール』の事は書いていなかった。俺がこの場に居なかったら、お前はオルフェを殺していた。いや、『輸血術』が上手く行くか分からない以上、その危険はまだ去った訳じゃないんだからな」




