『リ・バース』第二部 第16話 Mother's Lullaby②
② リクト・レボルンス
「事情はよく分かりました」
リクトは言い、照明石の灯りがぼんやりと泥む床に視線を落とした。
その灯りを受けて、地下牢の煉瓦の壁には自分を含めて六人分の影が映り、微かに揺らめいている。ライガを除いた”同志”たちが全員、自分の収監されている独房の中に集まっていた。
感謝祭に於ける収穫物献上の為に城に集う地方の農民たちに偽装し、襲撃を掛けて来た「蠍」が撃退されてから一夜が明けていた。
より正確に言うのなら、それは”特攻”のようだった。帝連軍への被害は、現在確認されている死者だけで八百人は下らないという事で、昨日の午後からはひたすらに状況の確認と近衛宮同士の連絡、怪我人のトリアージと処置に終始した、とジブリ公は告げた。
その事をリクトが知ったのは、つい先程だ。昨日は、襲撃が開始されて間もなく彼が牢に現れ、手枷と足枷を外して武器を──愛剣トゥールビヨンと戦楽器ヤーラルホーンを手渡してきた。
自分と同時に収監されたライガの独房とは異なり、怨霊や死霊化者の出入りを遮断する三途結界は無論の事、魔素や霊魂も房内からは取り除かれておらず、その気になれば文法も降霊術も使い放題だった。それは、リクトが牢を破って脱走する事はないと誰もが分かっており、ライガのようにドーデムらに対する”体裁”の上でも必要ないと判断されたからだった。
ジブリ公はその際、絶霊喰鬼キルヒム・アサップ率いる「蠍」の狙いはこの地下牢に同じく収監されているイスラフェリオやイブン・ソニアの奪還に在り、万が一の事があればここに敵が現れるだろうと言った。現在ここに居るリクトは、帝国最強の聖光士という事と二重の意味で、敵の進撃を止める為の最後の守りの要だ、という事だった。
だが結論からいえば、キルヒムたちはこの地下牢まで到達する事はなかった。敵は襲撃から二時間程で撤退を開始し、再び現れたジブリ公はその事を伝えた上で、こちらに渡していた武器を回収して行った。事の顛末については、目下の状況が片づいたら改めて告げると言われた。
そして、その「蠍」撃退に於ける最大の功労者が、騎士見習いのエロイス・ネイサン、ニース・バーディガルだったという。
「彼らの奮闘によって絶霊喰鬼が負傷し、敵は撤退を余儀なくされたのです」
天秤宮への敵の侵入を許した際、警備に当たっていた騎士たちはすぐさま彼らを追った。主力が分散した為、直ちに全員を取り押さえる事は叶わなかったが、その中でキルヒムが騎士見習いたちの集まっている合同訓練場に向かったという事が明らかになり、すぐに対応が採られた。
しかし、騎士たちが現場に駆けつけると同時に、「蠍」の若者二人──恐らくはフー・ダ・ニット、アノニム・アノニマスだろう──が負傷したキルヒムを運びながら引き揚げる現場に遭遇した。騎士たちは二手に分かれ、一方が彼らを追い、もう片方が騎士見習いたちの状況を確認した。
騎士見習いたちは全員がほぼ無傷という状態で、口々にエロイスとニースの活躍によって絶霊喰鬼が撃退されたのだ、と証言した。
因みに「蠍」たちを追撃した騎士たちだが、彼らからキルヒムの負傷を告げられて同じく撤退を開始した敵の一部が反転、尚も自爆攻撃を仕掛けて来た為、深追いは難しくなり、最終的に彼らを取り逃がしてしまったという事だった。ユークリッドの街中に逃れた彼らの行方は、諸々の事後処理が一段落した昨晩から各騎士団が捜索を開始したものの、未だに掴めておらず、重傷を負ったキルヒムのその後の生死も不明だという。
だが、ともあれ──。
「お手柄だった、エロイス、ニース」
地下牢に”同志”たちが集まると、リクトはまず彼らを労った。
自分がドーデムに捕縛される以前から、エロイスたちが何やら思い悩んでいるようだ、という事は分かっていた。それは、自分とライガがリーマン攻略作戦に赴いている間に彼らに命じていた、カルマのラナ副騎士長に同行しての世界各地での聖体の捜索の際により顕著になっていたらしく、
「あのお二人の事は、聖光士もちゃんとケアしてあげなければいけませんよ」
双児宮で報告を聴いた際、ラナからそう言われた。
本人たちの居ない所で聞かされた事だが、エロイスとニースは、自分から期待されて”同志”に加えられているにも拘わらず、ネイピアやパペス国での任務に於いて成果を挙げられていない事に忸怩たるものを感じていたらしく、特にニースの方はこちらからの期待を重くすら感じ始めていたという。
リクトは、部下を──後輩を指導すべき立場である騎士長として、自分が彼らに対してきちんと向き合いきれていない事を痛感した。ガウスの調査に赴いた時も、本当に危険な事はさせられないとして、彼らの同行を認めずライガと二人だけでの冒険となった。
しかしその一方で、精神的な事柄については後回しにする、という方針を崩す事は出来ず──否、出来ない、という事を言い訳にしていた。
だからこそ今回、キルヒムに対して、他の騎士見習いたちからの助太刀はあったとはいえ勝利を収めた彼らを、リクトはきちんと褒めた。それによって、完全にとはいえずとも自信を持って欲しいと思った。
「ひとまず、これで焦眉の急は去った訳だけれど」
一通りの状況の整理と騎士見習いたちへの労いを終えると、テレサ先帝妃が幾分か声の調子を変えた。
リクトを気軽に牢から出せば、ドーデムが天秤宮への不信を理由に、王命に背馳してガラル=ライガという事を事実だと公表するかもしれない。幾らドーデムでも、全近衛宮が未曽有の被害を受け、大勢の騎士たちが犠牲になった現状では、そのようにいたずらに事態の混乱を大きくするような行動は慎むよう弁えるのではないか、とリクトは思ったが、
「このような状況だからよ」
テレサ先帝妃の判断は冷静だった。
「新生ジフトの目的は、今年度の初めのネイピアの時点からライガを確保する事に在った。実際には、ウカノフがイスラフェリオをそそのかして彼を確保させようとしていた訳だけれどね。今は、奴らにライガの身柄が渡る事を阻止するという名目でドーデムが彼の早期処刑を主張するのに丁度いい時宜だわ」
ジブリ公もそれを見越したからこそ、混乱に際してライガを単独で牢から逃がしたのだと言った。
「フーとアノニムは、近いうちにまた来ると言ったんだな?」
リクトが聞くと、エロイスは「はい」と答えた。
「絶霊喰鬼が回復し次第、と。しかし、俺とニースが見た限りでは、奴は相当の深手を負っていました。命が助かるかどうかも覚束ないと思います」
「となると、裏を返せば奴らの再襲撃がいつになるかは分からないという事だ。一度手の内を晒したという事は、次はこちらの警戒の裏をかいてではなく、真正面からの特攻を仕掛けて来る可能性が高い」
「どれだけ警戒をしていても、自死を厭わず突っ込んで来る者たちに対しては意味を成さない」
ニースが、独りごつように言う。
「それまでは、私たちが処断を下さない限りドーデムが切り札として残し続ける主張の大義名分──『ライガが生きている事に伴うリスク』は、根本から取り除かれる事はないという訳ね」
「お母様、それは──」
シアリーズが、先帝妃の言葉に含まれたニュアンスを察したのか、やや咎めるような声を出す。しかし、
「私が言おうとしたのは、だからこそライガを、今の時点で城に戻って来させるのは危険って事よ」
先帝妃はすぐにそう付け加えた。
「少なくとも、まだユークリッド市内に居るはずの絶霊喰鬼たちの動向が分からないうちは、早まった行動は控えるべきね」
「襲撃を掛けて来た『蠍』の生き残りに関しては、目下騎士団が総力を挙げて捜索を行っています」
ジブリ公は、地上で行われているその様子を透視するかのように、視線を天井の方に向けた。
「筆頭騎士団フォルトゥナの騎士長、副騎士長が共に欠員状態ですので、現在捜索の総指揮を担っているのはフェート騎士団、蛍虹伯です。彼にも宝瓶宮に於ける『頭部』の発見によって容疑が掛かっていますが、彼もたとえウカノフらと何らかの協力関係に在ったとしても、揃った聖体一式が『蠍』に奪取されるという状況は理想的ではないはず。少なくとも、この捜索の最中におかしな行動に出る可能性は低いと見ていいでしょう」
「しかし、まだ一日目とはいえ、捜索は難航が見込まれるでしょう」
これはシアリーズの発言だ。
「元々『蠍』は、諜報と工作の為の部隊。昨日の時点で、リンペラトリーチェの農民たちに化けて城内に入って来たキルヒムたち以外に、千人近くが爆発物と共に市内で水面下の活動を行っていたという事です」
彼女は、「お母様」とテレサ先帝妃の方を向いた。
「ユークリッド全域に、戒厳令を出す必要があるでしょうか? 検問が意味を成さない以上、場合によっては都市封鎖も」
「いいえ、シアリーズ。その必要はないわ。市民を不安にさせるだけだし、街の何処かに居るライガを動きにくくする事にもなる。ライガの”脱獄”に関してはドーデムにも報せなきゃいけないけど、そしたら彼はファタリテの騎士たちに、『蠍』の捜索にかこつけてライガの事も探させるはず」
「じゃあ……」
「私たちが最優先すべきは、まず今まで通り『右手』を見つける事。そしたらドーデムを逮捕して、ライガを呼び戻す事が出来る。そして、キューカンバーの生ける屍を再生して記憶を見る事も。それさえ済ませれば、ヘルガクヴィーダを捕らえてウカノフたちの目的はまず潰せる」
テレサ先帝妃は、「それが難しいのだけれどね」と付け加えた。
「昨日までに、探せそうな場所はほぼ引っ繰り返した。だけど、獅子宮どころかファタリテの騎士たちの屋敷を捜索しても出なかった」
「捜索範囲は、拡大しようと思えば何処までも拡大出来てしまいますものね……」
「その事についてなのですが──」
シアリーズの呟きに対して、控えめながらも挙手をしたのはニースだった。皆の視線が彼に集まる。
「ジブリ公には既にお伝えした通りですが、騎士見習いの皆は、聖光士の下で私とエロイスが特別な活動を行っている事に気付いていました。ですから、ライガ殿の復活の事は伏せた上で、我々が”同志”である事はカミングアウトしました。……独断で申し訳ありません」
「そうだったのか。いや、機密さえ守ってくれれば構わないが」
リクトは、彼らが気に病まないように言う。
「考えてみれば、二人だけ公欠が続けば周囲に何も悟られないという方が無理のある話だったな」
「そこでなのですが、『右手』の捜索という事に限って、騎士見習いたちにも我々に加わって貰うのは如何でしょうか?」
ニースの提案に、一同は顔を見合わせた。やがて、
「確かに人手が増えれば、虱潰しという方法も決して無理と決まった訳ではなくなるわね」
最初に肯いたのは、テレサ先帝妃だった。
「他に有効な手段がない以上、やれる事をやるしかない。それに、フェートの逮捕したハントへの尋問も続いているし」
「この忙しい時に、不覚を取ってしまってごめんなさい」
詫びを口にしたリクトに、シアリーズが「いいえ」と頭を振った。
「あなたは友を守る為に、出来る限りの事をしているのです。こうしてあなたが牢に居る事で、私たちもドーデムに対して抑制を利かせられています。決して恥じる事などないのよ、リクト」




