『リ・バース』第二部 第16話 Mother's Lullaby③
③ フー・ダ・ニット
「説明して頂きたいですね、破戒僧正」
色鮮やかな宝石の捕獲岩があちこちに点在する黒曜石の床の上に、両の瞼を閉じて横たわっている絶霊喰鬼キルヒム・アサップの傍らで、フーは自分たちをここに連れて来た男に低く尋ねた。
アノニムもまた、厳しい表情を浮かべて彼の方を見ている。
「助けて下さった事には、お礼を申し上げます。しかし、その降霊術は以前、我々を殺しかけた」
──ここは、ユークリッドなのだろうか?
フーは、眼前に立つ男、破戒僧正ことリムゲイ・ウカノフを見つめる。
この謎めいた空間に引き入れられた時、確かに自分たちが居たのはユークリッドだった。
城に襲撃を掛け、キルヒムの負傷により撤退を余儀なくされた際、フーはアノニムと共に、彼を運び出して仲間の「蠍」一人が首都での活動の為に拠点として確保していた宿に運び込んだ。城から脱出する前に、エロイス、ニースから斬られたキルヒムの傷に対しては応急処置を施していたが、彼の出血は最初の勢いこそ弱まって尚も完全に止まる事はなかった。
ともかく城から離れねばという一念に支配されていたので、運び方が乱暴で、それによって簡易的に閉じていた傷が再び開いてしまったのかもしれない。キルヒムはやはり、昨夜から目を覚ましてはいなかった。
思いつく限りの処置を施し、霊薬を服用させたりなども試してみたが、効果はあまり芳しくなく、万事休すかと思われた時、
「思い切った事をしたな、『蠍』たちよ」
そう言いながら、ウカノフが現れた。
自分たちと、元々ここを使っていた「蠍」のメンバーしか知らない部屋に入って来た事も驚きだったが、何よりもフーとアノニムを唖然とさせたのは、彼の現れた際の様子だった。
ウカノフは照明を消してカーテンを閉めた薄暗い部屋の、壁際の隅に蟠っている影の中から浮かび上がるようにして現れたのだ。
その様を、フーたちは見た事があった。
「『影の部屋』……」
アノニムが呟き、ぐっと奥歯から轢音を発した。
自分たちはイブンの手でリーマンを脱出させられたが、彼女自身やイスラフェリオ皇子は死力を尽くして戦い、囚われたはずだ。にも拘わらず、彼らと共に戦っていたこの男は、今まで何をしていたのか。
そのような糾弾を浴びせ掛けたい気持ちはあったが、それよりも先にフーと、恐らくはアノニムも感じていたのであろう事は、
「何で、あなたがその術を──」
アノニムが先に口に出した、その事だった。
ネイピアの村で、自分たちを殺そうとした黒服の死霊化者。聖体を奪おうとした謎の第三勢力。その者が使用した術を、何故この男が持っているのか。彼の固有降霊術は、毒化術ではなかったのか。
「説明は、これから行う。しかしそれよりも、まずは絶霊喰鬼の状態を安定させる事が先決なのではないか?」
ウカノフはそう言い、フーたちが返事をするのも待たずに場に居る皆をこの空間に引き込んだ。
「あまり大きな声を出せば、他の宿泊客に勘づかれる可能性が高い。それに、騎士団がすぐ外をパトロールしているという可能性も否めぬしな。『地下』にて、詳しい話をしよう」
引き込まれた時、咄嗟に「結界術ではない」という事だけを感じた。
魔素や霊力によって顕現させられた仮想物質ではなく──風景を投影する類のものだったとしても結界自体は質量のある物体で、現実世界の一部にスペースを設けて展開される為「区切り」と呼ばれる──、何処か別の空間に転移させられたのだ、という事を直感的に察した。しかも、恐らくは外部と地続きではない。
(確かにあの黒服も、自身の影の中に姿を消していた……)
ウカノフはその”異空間”に入るや、キルヒムの胴に刻まれた傷口に掌を翳しながら歌うような詠唱を行った。
「アーベーエール、ア……セーアーデー、ア……ベーエール、ア……ルリエ・ブレスール……」
何処かで聞いた覚えのあるような詠唱だな、と思ってから、それが隕命君主の生前に編み出した空間接続の降霊術であると気付いた。十八番の斬撃術と共に、万能の治癒術として名が伝えられていた。
キルヒムの傷は相当に深かったが故、通常の回復魔術で傷口を閉じても、少し動かせばすぐにまた開き、血が溢れ出していた。しかし、ウカノフの使用したその術はみるみるうちにその切創を閉じ、瞬く間に余程注意して見ないと分からない程の微かな白い線に変えた。ややもすれば、縫合したよりも綺麗だ。
何故、この男がこれを使用出来るのだろう、と思った。
「今まで以上の出血を止めただけだ。体外に排出されてしまった血液が戻る訳ではない。依然、予断を許さない状況である事には変わりはないぞ」
ウカノフはそう言った。
そこでアノニムが、最初の台詞を発した。
「破戒僧正、あなたはあの死霊化者たちについて、既に何らかの情報を得ていたのですか? それとも、あなたは元々あの死霊化者たちの仲間だったのでしょうか? もしも殿下のご存じない事であるならば──」
「赤峨王は認知されている事だ」
ウカノフは、彼の台詞が本格的に糾弾へと変じる一歩手前で遮った。
「『影』が新生ジフトの隠密行動部隊である事は、これまで殿下と私以外に知る者は居なかった。ここでカミングアウトするのは却って狐疑を招く事やもしれぬが、真実なのでそう言うしかない」
「では、ネイピアにてそれが我々を攻撃したのは?」
「殿下は、究極目標の遂行の為であれば如何なるものでも犠牲にされるお方だ。それが血を分けた妹君であっても、父君であっても。ヴァイエルストラス陥落を目前にして、彼が姿を晦ました事は其方らも知っているだろう」
「………」
フー、アノニムは共に唇を噛んだ。
確かに、赤峨王はそのようなお方だ。だが、何処まで信じていいものなのか。
「では、聖体は? 商工組合が作成したものではなかったのですか? それが世界各地で発見されたのは、如何なる理由によるものですか?」
アノニムは、慎重に見極めを行わねばならない、というように問いを重ねた。
「聖体を作成したのは、ある組織外の支持者だった。何故世界各地の、古代の信仰に縁のある場所で発見されたのかは私にも不明だ。”作成者”については、無論私や殿下も警戒心を捨てきってはいない」
「そのような状態で、聖体の実戦投入を行われたと?」
「今のところ、その他に類を見ない兵器系魔導具としての出力、従来不可能だった死霊化術の相殺という効果に偽りはない。これも、殿下のご判断によるものだ。多少の懸念があっても、利用出来る限りは利用する。その中でリスクの予兆が見られた場合、直ちに惜しむ事なく切り捨てる。其方らを含め、多くの戦後派に対してこれまで殿下が貫かれてきたスタンスだ」
「では……」
アノニムは、次に問い掛けるべき事柄を考えているらしく、やや沈黙する。彼に代わり、フーも質問する事にした。
「何故、あなたは殿下をお助けしないのですか?」
「お助けしない?」
「たとえ『影』に関する事実が、真にあなたと殿下の間だけで共有されていた事柄であったとしても、あなたがこの異空間の術を使用すれば彼一人を救出する事くらいは叶ったはず。纏鎧術を使用される殿下が、その後で我々が採った先のプランに於いて天秤宮への突入を御自ら担われていれば──」
イブンやその他の者たちを救出出来る可能性が、多少なりとも高まっていたのではないか。
フーは、そう続けようとした。しかしそこで、自分は結局、何の為に──どのような意図で──そのような事を口にしているのだろう、という事がちらりと脳裏に過ぎった。
リーマンで囚われたイブンたちが解放されれば、王宮を内部から攻略する事が出来る。それが無理でも、万単位の兵力を取り戻し、もう一度機会を窺う事が出来るようになるだろう。
それは、新生ジフトの今後の為──即ち、組織の為だ。
だが本当に、自分が考えているのはそれだけか。
(イブン様を助け出したい……そこが、俺の目標なのではないか?)
しかし、その思考を掘り下げる前に、ウカノフが答えた。
「イスラフェリオ殿下ご本人が、『影』の秘密を口外してはならないと厳密に定められているからだ。考えてもみよ、殿下が虎の子の纏鎧術を使用出来ない空間に監禁されている事に疑念の余地がない状況で、彼が脱出して他の兵士たち皆を解き放ったら、その者たちがどのように思うか」
「『影の部屋』の使用が疑われると? 確かに、『影』が双頭の動員されている状況で我々を襲った事は、非常にセンセーショナルな事柄として軍内に伝播していますが……」
「それが、殿下と繋がりのある者たちという疑念が抱かれれば、皆は殿下ご本人をも疑いかねない。殿下は大いなる目的の為に犠牲を厭わぬ性格であらせられる、真の同志であれば、彼に死ねと命じられれば喜んでその命を捧げるだろうが、戦後派の者たちが皆そうであるとは限らない。いざとなれば自らが捨て駒にされるかもしれないという事を理解した上で、殿下に絶対の忠誠を誓える者が全員であると考えるのは、やはり些か人の好すぎる見方だとは思えぬか?」
「では何故、私たちには明かすのです? 私たちも、殿下が信頼を育まれる為の時間が未だ十分でない戦後派です」
「それは一概には言い切れぬし、軍に在籍した時間の長さだけが全てではない。かくいう私とて、戦後派だ」
ウカノフは続ける。
「其方らは今回の作戦に於いて、結果的にはそうせずに済んだとはいえ、いざとなれば自分たちも自爆する事すら辞さなかったのであろう? 新生ジフトの大義に殉じる覚悟はあり、殿下のやり方を理解した上でそれに服う事を是とする者たちだと私は判断した」
フーは腕を組み、唸った。なるほど、理屈は通っている。通ってはいるが、それでもやはり、何処かこじつけ感が否めない。
「私を信用出来ない、か?」
ウカノフは畳み掛けるように言うと、「良かろう」と一つ肯いた。それから徐ろに、身に纏っていた漆黒の僧衣の何処からか、コルク栓で封をされた小瓶を取り出してこちらに手渡してきた。
フーはそれを受け取ると、顔の前まで持ち上げて目を細める。瓶の硝子に、研究室の薬品の如く薄く鼈甲色が掛かっている為見づらいが、中には少量の粉末が入っているようだった。
「絶霊喰鬼の命を救い、更に彼の魂に、私を含めた『影』と同様の降霊術を刻み込む。左様、私の『影の部屋』は、『影』としての活動を行う為に後天的に刻まれたものなのだ」
「薬品を用いて刻み込むのですか?」
「おかしな話ではなかろう? 向精神作用によって、一時的に感応を増幅する霊薬もある。ドーピングの類だがな」
「やはり信じかねます。出所をお聞かせ願いたい」
そろそろウカノフも業を煮やすのではないか、と思えてきたが、彼は決して感情的になる事なく答えた。
「聖体と同じく”作成者”だ。最初に『影』となった者が身を以て確かめたが、現時点では中毒性も副作用もなく、告げられた通りの効能を示している。だからこそ私も服用したのだ」
確かに、ウカノフは今「影の部屋」を使用した。「影」の他の者たちも同じ術を使用するという事は、術式を後天的に刻む為の何らかの方法が存在する事は嘘ではないのだろう。しかしそれが、この薬品なのか。
危険物であれば、彼が自ら服用するという事はないはずだが──。
「……この物質の名前は?」
アノニムが尋ねる。ウカノフの答えは、今度は簡潔だった。
「ア・ラ・モートだ」




