『リ・バース』第二部 第16話 Mother's Lullaby①
○登場人物
・メルセデス・デルヴァンクール…ライガの養母。アルフォンスの未亡人。
・ヴィーグヴレーヴ…アルフォンスの愛馬。
・アリフ・ジーク・バルドバロア…旧バルドバロア王朝の死霊化者。ウカノフの過去世。
① ライガ・アンバース
何故、自分はそのような気を起こしたのだろう?
門前に立ち、ライガは自問する。門柱に埋め込まれた表札には「Delvincourt」という家名が記されていた。
昨日、城が「蠍」による襲撃を受けている最中、ジブリ公の手によって天秤宮の地下牢から逃がされたライガは、半ば混沌状態となっていた地上に出るや、擦れ違う敵味方の姿に変身を繰り返しながら脱出し、城から離れる事に成功した。昨夜はそのまま、例によってボム・ディメンの姿で過ごし、街中の水飲み場の水を飲んだだけで公園のベンチで夜を明かした。
そして、食べ物を購う為のお金も持たず、裸一貫で──厳密にはジブリ公から託されたヴォルノのHMEは持っていたが──市内を歩く事になり、今日からどうやって食い繋いで行こうか、と悩んだ。身分証がなく、永遠に変身を続けていられる訳でもない為、アルバイトを探すのもリスクが大きすぎる。
迷いながら彷徨っているうちに、昨日の昼から──丁度城の労働者や軍人たちが昼休憩に入る直前に襲撃があった為だ──何も食べていない事による空腹と、いつ何処で正体が知られるか分からない事による不安により、ライガのメンタルは徐々に摩耗していった。
六年という期間を隔てた事で少なからぬ街並みの変化はあるとはいえ、少年時代を過ごした、見慣れたはずの街が、酷く恐ろしく感じられた。これ程人の多い街で孤独感を感じる事になるとは、それまで思いもしなかった。
夕方まで彷徨い歩き、立ち止まったのがこの屋敷の前だった。
今年四月にネイピアの村で覚醒し、リクトによってユークリッドに連れ帰られてから、既に半年が経過していた。
にも拘わらず、ライガはそれから一度も、我が家であったこのデルヴァンクール邸に帰る事はなかった。
──帰れるはずがない。自分はもう、死んだ人間なのだから。
無論、隕命君主の復活を誰にでも明かせる訳ではない、という理由もある。それが風聞となり、生前の自分を強く憎む者たちに襲われる危険が高くなる事が第一の憂患だが、それだけではない。リクトやシアリーズ、テレサ先帝妃は、ライガの育ての母メルセデスが、真実を知ったからといって無責任にその事を言いふらすなどとは考えていない。だが、知る事によって、彼女の身に何らかの副次的な危険が迫る可能性を憂えていた。
そしてもう一つの理由は、ライガ自身の気持ちの問題だ。
彼女に合わせる顔がなかった。自分が死霊化術を修め、ジフト戦役終結後も半年に渡って家に帰らなかったというのに、彼女やアルフォンスは怒らず、それどころか城を襲おうとした挙句疫病で倒れてしまった自分を介抱さえしてくれた。その後は二年間、自分たちの立場が悪くなる事を承知の上で、禁術の使用と騎士の殺害により詮議されている自分を庇ってくれ、軍籍を剝奪されて穀潰し同然の状態だった自分を家に置いてくれた。
そんなデルヴァンクール夫婦の恩に、自分は反噬した。
記憶のない一年間、自分が人を殺したという事を風の便りに聞く度に、メルセデスは心を痛めた事だろう。挙句に帰らずの地での戦いで、アルフォンスは魔群による死の呪いを受け、間もなく命を落とした。
帰る資格などない。自分が討たれた後、自分の養母であるという事の為に、メルセデスはどれだけ誹謗中傷を受けた事だろう。
どれだけ温厚な彼女であっても、無償の愛を注いで育てた相手にここまでの仕打ちをされれば、自分の事を憎んでいたとしても何ら不思議ではない。あのアウロラ姫でさえ、今はそうなのだから。
そこまで理解した上で、何故自分は。
(結局、甘えているんだろうな、俺は……)
ライガは、自虐的にそう思った。
(最後にはこうやって、おばさんを頼りにしてしまう)
リクトには、ちゃんと生きると言った。ジブリ公も、今後の事を鑑みて自分を逃がしてくれた。だから、このような事を考えるのはそれこそ彼らに対する裏切りに当たるのかもしれない。が、それでも、
(もしおばさんが俺の事を通報するなら、それでも構わない)
ライガはそう考えた。
ドーデムを始め、ファタリテの騎士の多くに自分の正体は知られた。テレサ先帝妃が逸早く牽制したとはいえ、彼はその事を公表し、復讐を果たす機会を虎視眈々と窺っている。遅かれ早かれ、自分は全ての事件を解決して、けじめをつけねばならないのだ。
門を潜り、表の通りからは見咎められない位置まで移動してから、変身術を掛け直して少年時代の自分の姿になった。それから玄関へと歩み寄り、呼び鈴を鳴らそうとしたが、そこでライガは指を引っ込めた。
呼び鈴は、取り外されていた。
訪問客はもう受け入れない、という意思表示だろうか。メルセデスも、精神的にゆとりがなくなっているのかもしれない。
そこで諦めて立ち去る、という選択肢もあったが、ライガはそうしなかった。
これでどうにもならなかったら最後にしよう、と思い、屋敷を迂回して庭の方へと回る。家事に対しては人一倍こだわりのある養母だったが、もう一つの趣味として小規模ながら園芸を行っていた。
季節の終わりに近づき、瑪瑙にも似た紅色の花も大分散った百日紅の木が佇む角を曲がると、晩秋に差し掛かりつつある彩葩の色が、懐かしさを伴ってライガの目に飛び込んで来た。
地植えされた鶏頭の火色。赤と青紫の補色関係の美しい緋衣草。白く塗られた低い木柵に囲まれた花壇には秋桜が満開で、その向こうに金木犀の木が塀に沿って並んでいる。その、星型をした淡黄橙の細かな花が風に吹かれて吹雪の如く舞い、庭の空気は馥郁とした香りを漂わせると共に、夕日を浴びて金粉を撒いたかのように光っていた。
そして、四阿の下のベンチに座り、膝の上で本を広げている女性の姿があった。袖丈の定まりきった、濃紺の秋物のワンピースの上から、手製のエプロンを掛けている。その姿を見た瞬間、ライガはいよいよ胸に迫った情動に、涙が込み上げそうになるのを堪えねばならなかった。
「メルチェおばさん……」
唇からそう零した時、俄かに風が吹いた。
星の砂のような金木犀の花の流れが、風向きを視覚化するように一層はっきりと表れる。その行く末を視線でなぞるように、膨らむ髪を押さえながら本から顔を上げた彼女の瞳が、庭の入口に立つこちらを捉えた。
目が合ってから数秒間、ライガとメルセデスは無言で見つめ合っていた。
やがて、
「ライガ……なの?」
栞も挟まずにページから手を離し、彼女は口元を押さえた。自分の見ているものが信じられない、というように、小刻みに首を震わせる。
ライガは、呼び掛けたきり声が出せなかった。
言いたい事は山程あった。許して貰えなかったとしても、今更と思われても、彼女に謝りたかった。そう出来たらどれ程良かった事だろう、と、今まで考え続けていた事を伝えたかった。
しかし、それを口に出そうとしても、言葉が喉に詰まってしまい出て来てくれなかった。あまりに言いたい事が沢山あるのに、それらを言葉にする事を許さない何かが胸奥に巣食っていた。
代わりに、ライガは息を吸い、
「……ただいま、メルチェおばさん」
拒絶されるかもしれないと思いながらもそれだけを口にした。
メルセデスはベンチに本を置き、立ち上がると、
「……お帰りなさい、ライガ」
そう言い、指先で素早く眦を拭った。
* * *
「もう会えないと思っていたのよ、ライガ」
食器を片づけると、メルセデスは籐椅子に腰を下ろし、息交じりの声で言った。
彼女は、最後に自分と顔を合わせてから七年間が経過するうちに、六十代に近づいていた。しかし、「老けた」という印象は受けず、立ち居振舞いも涼やかで、歳相応の上品な美しさが感じられた。
アルフォンスと彼女が偕老同穴を契ったのは、二十代の前半だった。
彼らは、愛し合って結ばれた。妻メルセデスの体に原因があって子供が出来ないと分かってからも、アルフォンスは決して彼女と離縁しようとはせず、自らの血筋の存続よりも愛情を選んだ。
もう少しだけ長く生きていれば、彼はメルセデスの事を、誇りを持って糟糠の妻と呼んでいただろう。
ライガは、食べ終わってからやっと落ち着いて彼女を見、彼女がそのように美しく年齢を重ねていた事に気付いた。
一日半に渡って食事を断っていた体に、懐かしいメルセデスの手料理の味は深々と沁み渡るように感じられた。スープを一匙口にした瞬間から、ライガは滂沱の涙を流してしまい、真面に彼女の顔を見られなくなった。
だから、「ご馳走様」を言い終えて初めて、彼女は先程の言葉を口にした。ライガはやっと落ち着き、「俺もだよ」とそれに応えてから、果たして正確にそうといえるだろうか、と考えた。
記憶のない「失われた一年間」に入る直前、ライガはヴァイエルストラスの悲劇の日までゲイロッド城の地下牢に入れられていた。ファタリテ騎士団のウィーズル前副騎士長らに帰らずの地で捕らえられてから、ヴァイエルストラスまでは直で運ばれたので、前年末に「『再誕』の実験を行う」と言って屋敷を出たのがメルセデスとの最後の別れになっていた。
帰らずの地でリクトに討たれた時、自分は彼女の事を思い出しただろうか。もう会えなくなるな、などと思い、寂しい思いを感じただろうか。自分が最後にリクトに浴びせたという言葉から考えて、恐らくそうは思わなかっただろう。きっと、養母の事は考えもしなかったに違いない。
そして無論、最後にデルヴァンクール邸を出た時、自分は「再誕」の実験が一段落したら当然のように帰るつもりでいたので、それがメルセデスとの今生の別れになるとは思わなかった。
ライガは、不自然な沈黙をごまかすように「いや」と言った。
「自分でもびっくりしているんだ。ジフトの奴らが、境界転生で俺の魂を呼び戻したらしくって……」
「アルが言っていたわ。あなたが──死んでしまってから一週間が経った頃、ジフトの皇太子が出した宣言の事。それで、人々がもしかしたらあなたは戻って来るかもしれないって考えていた事。確かに彼は、騎士団のリーダーとして作戦を主導した訳だけれど」
「おばさん──」
「それは、確かに大勢の人にとっては恐ろしい事だったに違いないわ。だけど私たちにとっては、それは希望でもあったのよ。もしかしたら、またあなたに会えるんじゃないか、って」
「おばさん、その」
ライガはやや躊躇ってから、やはりこれだけは彼女に聞いておかねばならないだろう、と思って口を開いた。
「俺の事……恨んでいないの? おじさんは、俺のせいで──」
「ライガ、それはね」
彼女は言い、ここだけはきっぱりと首を振った。
「アルは確かに、あなたの魔群に受けてしまった呪いで命を落としたわ。だけど、最後まで自分を責めていた。どうして、こうなる前に自分が救ってあげられなかったんだろうって」
「おじさんのせいじゃないよ、だって」
「違うの、最後まで聴いて。……あの人はね、私に『ライガを恨まないように』って言ったのよ。あの子は可哀想な子だ、って。小さい頃に本当の両親を亡くして、若いうちに死ぬような目に遭って、生きる為には禁術を使うしかなくて。だけど戦争が終わってからは、その力を自分の為じゃなく、誰かの為に使い続けて……それなのに皆から責められて、怖がられて……」
彼女はその事を思い出したらしく、また袖でそっと涙を拭った。
「プログラムに定められた罪業は、教会で”告解”をすれば消せる。だけど死霊化術は、一度魂に刻み込んでしまったら何度も繰り返し使うものでしょう? その度に罪業が重ねられるなら、事実上煉獄行きは免れないだろう、って。何で、そこまであなたが罰を受けなきゃいけないんだろう、って」
「だけど俺、可哀想なんかじゃないよ。幸せだったんだ、自分でも、本当にいいのかなって思うくらいに」
「それなら、私も嬉しいんだけど──」
メルセデスは、亡き夫を思い出すかのように遠い目をした。
「あなたがフリナガンの名字を──アンバースを名乗り続けていた事について、アルはそれがあなたにとって、一種の矜持のようなものなんだろうって言っていたわ。だけどそれでも、最後まであなたから、一度だけでもいいから『お父さん』って呼ばれたがっていた」
「そっか……そうだったんだ」
ネイピアの村で再会した時、アルフォンスの死を告げた際に、リクトも同じ事を言っていた。
やはり自分にとって、彼とメルセデスは「おじさん」と「おばさん」だ。それは変わらないが、自分が彼らの事を、実の両親のように大切に想っていた事に嘘偽りはなかった。
ここまで来て、ようやくライガは、
「……ごめん、おばさん」
謝罪の言葉を自然に口に出す事が出来た。そして、
「ありがとう。あんな事をした俺を、それでも大切にしてくれて」
「いいのよ」
メルセデスは微笑み、籐椅子から立ち上がると、小さな子供にそうするかのようにこちらの頭を優しく撫でた。
「私こそ……帰って来てくれてありがとう、ライガ」
本日より第十六話「Mother's Lullaby」の連載を開始します。サブタイトルは絵本『かあさんのうた』(文・大野允子、絵・山中冬児)が英語の教科書に記載された際の英題ですが、私は原文ではなくこちらから先に知りました。今回はライガとメルセデスが中心の話ですが、内容を考えた時に真っ先にこのサブタイトルが頭に浮かびました。「Lullaby」という語感は優しく、温かく、しかし底にほんの少しの寂しさを孕んでいるように思います。
それから今回で、サブタイに使用されている各単語の大文字のアルファベットが、二十六種類全て揃いました。最初は特に狙っていた訳ではありませんでしたが、第二部の執筆を始めた辺りから「もしかしたらコンプリート出来るのでは?」と思い意識し始めました。本当か、と思われた方は是非お確かめ下さい。
内容ですが、前回の最後の「後書き」でも述べた通りライガに最大の試練が課されます。今回は恐らくこれまでで最も優しく、その一方で現代編では今までになくハードなエピソードでもあります。『リ・バース』に限った話ではなく、私は自作品の人物に対しては基本的に厳しいですが、これは私自身が自他共に厳しい癖に打たれ弱いので、人物たちにはそれが再生や成長の可能性になって欲しいと──或いはせめてフィクションの中ではそう信じたいと──思っている為かもしれません。が、あまり意味深長な事を言いすぎると流れが分かってしまいそうなので切り上げます。




