『リ・バース』第二部 第15話 Comrades⑧
「避けてくれ、エロイス! 滄桑変!」
剣を手放しながら、横から飛び出した際の向きを維持しつつエロイスは自分の前を横切って行く。ニースはぎりぎり彼に衝突しないタイミングで前に出、震動の収まった地面を一度踏んで勢いをつけた上で二連突きを繰り出した。一発はキルヒムに攻撃する為、もう一発はそれを成功させるべく、補正効果で加速する為だ。
「呂号影裂斬!」
行く手で、キルヒムが背中に生えた翼を消滅させ──嚥魂術の効果の持続時間が切れたらしい──、今度は自身の感応を込めて闇属性剣技を発動していた。刀身に発生した光果は当然のように闇属性を表す黒紫色だが、サスカッチの魂の感応を反映した氷の結晶は依然残ったままだ。
結晶から、あたかも宝石の光沢の明暗を反転させたような黒い光──おかしな表現だが、そうとしか表白しようのないものが迸った。視界が閃滅し、咄嗟にこのままでは視力を奪われると思ったニースは、
「マティプネウマ!」
未だかつて成功した事のない降霊術を発動しようとした。
自らの繰り出していた剣技を中断させない為の措置だったが、それは行ってはならない博打だった。
果たして、眼状霊魂は招聘されずに終わった。太陽を誤って直視してしまったかの如き光が、ニースの網膜を塗り潰す。が、眼状霊魂の招聘に成功したか、失敗したかが判断出来る一瞬前の時点で、こちらの繰り出していた剣技の二撃目はキルヒムへと達していた。
刀身がぶつかり合い、黒い光を放っていた氷の結晶が砕け散った。その欠片が至近距離から顔に当たり、頰や額を鋭く切り裂く。眼状霊魂が発動せず、黒い光を直視する事になった時には脊髄反射的に瞼を閉じていたので、その欠片が眼球を傷つける事だけは辛うじて防げた。
しかし、次の瞬間、
「アイスクラッシュ!」
サスカッチの肉体を再現したキルヒムの猿臂が、空気を唸らせてこちらに肉薄して来た。恐らく魔物専用体技だ、拳頭に、先程氷の結晶から放たれていたような白濁した冷気が纏わっている。
ニースの採った対処方法は、
「我碧羅を求めん……フライト!」
飛行術で自らを垂直に浮上させる事だった。
しかし、それが失敗だった。
「おいおい、いいのかよ、そんな事して?」
先程のキルヒムの剣技の光果によって発生した「眩暈」から、徐々に元の広さを取り戻していく視界の奥で、回避しなければ自分に命中して止まるはずだった魔物の拳がホールのより内側の方まで向かって行くのが見えた。
拳は下降軌道を描いて床に叩きつけられ、命中した箇所からミルククラウンにも似た円陣状に氷筍が生じる。そこから、ブレスの軌道が通過したかのように前方に向かって凍結箇所が拡大し、床に氷が張っていく。あたかも、スケートリンクが局所的に出現したかのような様相だった。
そして、凍結箇所の広がる先には──。
「てめえが避けたら、お仲間に当たっちまうだろうがよおっ!!」
キルヒムの叫んだ通り、先程転倒した魔物の下敷きになる事を避けて分散した騎士見習いたちの一団が棒立ちになっていた。
「駄目だ! マニフェスタテイル! 蒼穹飛麟衝!」
丸腰になっていたエロイスが、生成魔術で仮想物質の剣を顕現させ、それで剣技を繰り出す。狙いはキルヒムではなく、彼の体技が二次的な波及効果をもたらしている床だ。
掬い上げるような、上向きの軌道を描く技。エロイスはそれを、姿勢を可能な限り前傾させる事で、殆ど床すれすれの位置から開始させた。
もう少し姿勢を崩していたら、その動作はプログラムに認識されずに失敗に終わっていただろう。だが、辛うじて彼は技を成功させた。
床が断裂し、直線状に凍結の拡大していた箇所が、それと交差するような横方向からの斬撃によって、騎士見習いたちの居る辺りまで到達する前に遮られた。土煙が壁の如く立ち昇り、それによってキルヒムからは見えなくなった位置で騎士見習いたちが「何が起こったのだ」というような顔をしているのが、空中に浮かんでいるニースからははっきりと見えた。
エロイスの生成した魔素製の剣は、その渾身の一撃によって元々そこまで優れていない耐久値を全損したらしく砕け散った。エロイスはすかさず、先程自分が手放した本来の剣の方へと手を伸ばしつつ、
「皆、早く逃げろ!」
と叫んだ。
そのまま物体操作術を発動し、剣を手元に引き寄せる。キルヒムから──正確には彼の取り込んだサスカッチの魂から──注がれていた感応が途絶した事でその凍結は止まっており、霜も融解に向かい始めているようだ。
「絶霊喰鬼は離れた、今のうちに壁の崩れた所から外に!」
しかし、騎士見習いたちは、エロイスが叫んでも尚立ち尽くしていた。焦れたように彼が「おい!」と叫ぶと、中の一人が「何で……」と呟いた。
「何でお前たち、そいつと戦えるんだよ……?」
「戦えねえんだよ、本当は俺たちだって!」
エロイスは声を荒げた。ニースは空中に浮かんだまま、キルヒムが彼の方に魔物の左腕を突き出しているのを目捉する。
「だけど、俺たちがやるしかねえんだよ! 俺たちだけは逃げちゃ駄目なんだ……ここで逃げたりしたら、俺も、ニースも、何の為に聖光士に見込んで貰ったのか分からなくなっちまうだろう!」
「生憎様だがよ、エロイス、ニース──」
キルヒムは、正確にニースたちの名前を呼んだ。
「てめえらが生きていると、フーやアノニムに悪い影響が出んだ。あいつら、変にてめえらにライバル意識だか何だか燃やしちまってなあ、てめえらが居なくなってくんねえと、焦って真面に動いてくんねえんだよなあっ!」
彼の左掌に、黄土色の魔方陣が展開する。魔物が本来適性を持っていた地属性の魔術の予兆だ。
「ナーストレンド!」
しかもそれは、古代魔術だった。
激しく軋みを上げて唸る巨大な蛇骨が、騎士見習いたちに向かって声を放っているエロイスへと射出される。ニースはその瞬間、空中から、それを繰り出したキルヒムの左腕に向かって魔術を飛ばした。
「滔々と侵し来れるもの、厳き波濤の頂に坐すもの……彼が咎を御手に委ねん!」
水属性文法、最高技。その詩文が耳に届いたらしく、キルヒムはこちらを見上げて獰猛に嗤う。
「忘れてねえから安心しろよ! リトリビューション!」
「パニッシュメント!」
キルヒムは、ニースの魔術が発動するのとほぼ同時に、変形した剣を持ったままの右手を振り上げ、彼本来の適性属性である闇の文法を放ってきた。こちらと同じ最高技だ。
まだ、エロイスに向かって繰り出していた「死者の岸」は完了されていない。魔術から剣というコンボであれば技後硬直の制限は突破可能だが、キルヒムの行ったのは魔術から魔術へという接続だ。どうやら、嚥魂術で取り込んだ魂に刻まれていた技とであれば、自分の同カテゴリの技との接続も可能らしい。
地と闇の二属性の魔術が、絶霊喰鬼の左右の手から同時に放たれている。前者は今し方自分の放った「誅罰」を上方から受け、エロイスに到達する前に防ぐ事に成功したが、ニース自身に向けて返された後者はこのままでは防げない。速度からしてもう剣で防ぐのは無理だし、一瞬前に「誅罰」を使った事で魔術は冷却中だ。回避を選ぶにしても、ニースは自身に飛行術を施しても未だに浮かぶので精一杯であり、自由飛行は行えない。状態を解除して落下の速度で回避すれば、自分が今居る高度は約五メートルだ、即死か、運が良くても着地の際に確実に骨折する。
打つ手なしか、と思いかけた時、
「メルシー、ニース!」
こちらが放った魔術によって危機を回避したエロイスが、そう叫んだ。
「今度は俺の番だぜ! ……裁きの槌は天帝の御名に依りて、執行の斧は我が手に依りて……罪業の軛を打ち砕かん!」
彼は、「死者の岸」と「誅罰」のぶつかり合い、立ち込める白煙の陰から空中に向かって手を伸ばしていた。
「エグゼキューション!」
空属性文法の最高技だった。その空色のエネルギーの球体は、キルヒムの放ったばかりの闇の球体に横からぶつかり、包み込んだ後に拡散する。
ニースは一瞬、命中は不可避と考えていた攻撃が自らに到達しなかった事できょとんとしてしまった。が、すぐに我に返り、小声でエロイスに「メルシー」と礼を述べた。技後硬直が終わって再び魔術が使用可能になるや、空中滑走術に切り替え、爆心を迂回して彼の方へ急降下する。
彼の横に降り立った時、自分たちは自然にハイタッチを交わしていた。
「助かった、エロイス」「俺こそだよ、ニース」
刹那、
「てめえら……」
キルヒムが、奥歯をぎりぎりと軋ませてこちらを睨んできた。
「ほんっとに神経を逆撫でしてくれるよなあ!」
「………」
ニースは、素早くエロイスと視線を交わし合う。
聖光士やライガの助けを借りず、ここまでキルヒムと渡り合えているのは奇跡に近かった。しかし、それはぎりぎりの攻防の末、自分たちが彼から与えられようとするダメージを紙一重で全回避しているからに過ぎず、言葉を返せばそれで手一杯という状態だった。こちらも、まだ彼にダメージを与えられてはいない。
本来、まだ自分たちが対等に渡り合えるような相手ではないのだ。このまま同じ事が続けば、体力を削られて自分たちの方が不利になる。現在に限ってアドバンテージを挙げるならば、こちらは二人という事だが──。
「最初に、俺が変に動いたのも悪かったよ」
エロイスが、絶霊喰鬼の方に顔を向けたまま小声で言ってきた。
ニースは「いや」と首を振る。
「それは僕が出遅れたから、庇おうとして」
「そうじゃない。俺が言いたいのは、さっきまでの問題は、いきなり戦闘が始まったせいで連携攻撃が出来ていなかったっていう事さ」
「……同感だ」
ニースは肯き、愛剣を敵に向けて構え直した。
「凍結の範囲攻撃がネックだね。サスカッチと戦った事はないけど、これまで見てきた限り、凍結能力を使うには対象があの腕と連続した状態に在る事が条件じゃないかと思う」
空属性の「吹雪」のように、遠隔で冷気を放つ事は出来ないのだ、とニースは睨んでいた。
キルヒムは最初、ニースを庇おうと横から飛び出したエロイスの剣を凍結させようとした。その直後にサスカッチの亡骸が倒れ、震動が発生し、キルヒムはそれに足を取られないように回避した。
その際、彼はエロイスの剣の凍結を続行する為に、自身が跳び退った後も、彼の刀身に自身の剣から生えた氷の結晶を触れさせ続けていた。そして、その後エロイスが剣を手放し、キルヒムの剣から引き離すと、その後床の上に転がった剣の凍結は停止していた。
また、次にキルヒムが体技「砕氷」を使用した時もそうだ。サスカッチのものに変じた彼の拳が触れた床から凍結箇所は拡大しかけたが、エロイスが床を断裂させるとそれは止まった。
「……なるほどな」
エロイスは、同じ事を考えたらしく顎を引いた。
「となると、床に触れられるのがいちばん厄介だな。近距離に接近すれば、凍結攻撃はダイレクトに俺たちを狙ったものだけになるはずだ、勿論それを喰らう危険性は上がる訳だが──」
「前後で絶霊喰鬼を挟もう。で、片方が攻撃を引き受けつつ、もう一方が死角からの攻撃でダメージを与える。多分、服の下も魔物の体に変じているだろうから一撃で致命傷を与えるのは無理だろう、手数で攻める。一発入れる度に交替して、凍結の負担が一人に集中しすぎないようにする」
ニースが提案すると、エロイスは即座に「ダコールだ」と肯いた。
「なら、最初は俺が前で──」
「作戦会議かよ、おい?」
キルヒムが、そのような余裕は与えない、と言わんばかりに声を放ってきた。
右手の剣に触れ直す。ランダムに生えていた結晶が研磨され、鍔から切っ先に向かって方向を均一化される。切り出された玉髄の原石の如く、それは内側に本来の彼の紫黄の刀身を秘めた氷の幅広剣へと変じた。
「センスが違いすぎなんだよ、俺とてめえらじゃな。てめえらだって、俺が倒しさえすりゃ、ああやってフーもアノニムも変な意地を持ったりしねえはずだったんだ。てめえらだって、本当は分かってんだろ? 忘れてんなら言ってやるけど、俺はこの間イェーガーだって殺した。あの野郎に勝てなかったんだから、所詮は半人前の騎士見習いなんか……」
キルヒムの言いかけた、その時だった。
「エクソシズム!」
声が上がった。無論それはニースの上げたものでも、エロイスの上げたものでもなかった。




