『リ・バース』第二部 第15話 Comrades⑦
⑦ ニース・バーディガル
「……明らかに、騎士団の方が押されているな」
フェートの騎士見習いの一人が、訓練場の入口で耳を澄ませながら呟いた。
ニースがエロイスと共に戻るのとほぼ同時に、HMEに着信があった。自分たちがネクアタッドに頼まれた通りの事を皆に移牒するまでもなく、そこには目下城に対して行われている襲撃について詳細が記述されていた。
どうやらあの後、先に農民たちに化けて天秤宮に程近い場所まで侵入して来たキルヒムらが「信号術」を打ち上げたらしかった。それを合図に、外に居た「蠍」たちが一斉に各近衛宮から城内への侵入を開始した。
戦力差から、行えば絶対に失敗すると思われていた”正面突破”だった。外に控えていた九百数十人の「蠍」たちは分散し、私服姿のままゲリラの如く突入して来たが、これらに対して帝連軍は初期対応が遅れた。というのは、天秤宮を内側から攻められる事を最優先で防ぐ為、主力である近衛騎士団のほぼ全ての戦力を城内の警備に当たらせた為だった。
何よりも、敵の戦術が狂気じみていた。
「敵は赤峨王たちを解き放ってから、彼らの力を主としてこちらに反撃を開始するものだと思っていた……」
一斉送信されたメッセージに記載されていた内容を読むと、騎士見習いたちは騒めき、その後恐怖した。そのような事があってもいいのか、という思いは、ニースにもエロイスにも存在した。
外から侵入して来た「蠍」が採った攻撃方法とは、騎士たちを標的とした自爆だった。
内と外からの挟撃だ。キルヒム・アサップに率いられた数十人が、皇族の居住空間やイスラフェリオらの囚われている地下牢のある天秤宮に突入すると見せかけ、騎士たちを引きつけ──ここまでであれば、襲撃があると想定した場合に自分たちがあらかじめ考えていた対応で、十分にカバー出来るものだった。
そこに、背後から、手薄になった五大近衛宮を可能な限り戦闘を回避しながら突破して来た外からの敵が突っ込んだ。彼らは皆、フェイルノートの爆発する鏃のような、紅玉に似た魔石を手の中に抱えていた。
これでは、侵入を防ぐも何もあったものではない。敵には、そもそも密かに天秤宮に入り込むつもりなどなく、自分たちを止めようと騎士たちが数で包囲して来ればそれらを自らの命ごと吹き飛ばした。
刺し違えてでも、一人が十人、二十人の騎士を確実に葬る。
それで十分にこちらの数を減らしてから、囚われているイスラフェリオらを脱出させる。
──「蠍」は本来、正面切っての戦闘よりも、諜報や工作に適性を有した者たちだ。カヴァリエリとリーマンを奪還された事で拠点を失い、聖体の全てが城に集められた今、必要とされる力ではない。それらを切り捨てたとしても、純粋な兵力を取り戻した方が今後の為にはなる。
理性的な取捨選択だった。だが、それでも。
(彼らは自分たちの命が失われる事を、恐れていないのか?)
ジフトの再興を、自分たちの命以上に優先されるものとして考えているのか。彼らの殆どは戦後派であり、公皇ブラウバート・イスラフェリーと同時代を生きた者たちではないというのに──。
ニースは、その事に慄然とした。
「絶霊喰鬼ってさあ……」
誰かが、ぽつりと呟いた。
「殺したんだろう、あのイェーガー副騎士長を?」
ニースとエロイスは、同時に鋭く息を吸い込んだ。
「違う、止めを刺したのは浮遊霊姫だったんじゃないか?」
「その時にはもう、瀕死だったって話じゃないか。聖光士は何も仰っていなかったけど、あの時の彼の顔……俺、あんな聖光士の顔、初めて見たよ」
誰もが、恐怖が臨界に達しようとしていた。そわそわと落ち着きなく歩き回っている者、立ったり座ったりを繰り返す者、ホールの中央付近で密集する者。中には、外に飛び出そうとして仲間に押し留められている者も居た。外から迫って来ている敵に対して怯えている事からすれば一見矛盾する行動のようだが、それだけ皆が理性的な判断を行う余裕を失っているという事だ。
考えてみれば、ここに居る騎士見習いたちは皆、ニースやエロイスのように新生ジフトの魔剣士と交戦した経験を持っている訳ではないのだ。やむを得ず戦う事になれば、彼らにとっては絶霊喰鬼が初戦の相手になる可能性が高い。
双頭であり、死霊化者でもある男だ。ネイピアの村とパペス国の旧ヘロン遺跡で二度交戦している自分ですら、恐ろしいと感じている。その時も、聖光士やライガが傍に居たからこそ生き延びられたのだ。
(ジブリ公の仰った通りだ……)
──其方たちには”同志”として働いて貰っているが、それはあくまで聖光士が監督役として傍についている為だ。
先週、ジブリ公は自分たちにそう言った。
(聖光士からの期待を、いつしか重く感じていた……あの時から、僕は本当は分かっていたんだ。彼に比べたら僕やエロイスのセンスなんて、足元にも及ばない……彼の助けにはなれない)
胸中で、そう呟いた時だった。
「グオオオオオオッ!!」
腹の底に応えるような重低音の咆哮と共に、訓練場の窓という窓がびりびりと震動した。割れるのではないか、と思い、反射的にそちらを見た瞬間、そこから射し込む秋晴れの午後の日差しが俄かに翳った。
──建物の外に、何か巨大なものが立っている。
そう思うか、思わないかのうちだった。
凄まじい音と共に、窓枠諸共硝子が引き毟られた。真下に居た騎士見習いたちが狼狽の声を上げ、降り注ぐそれらの破片や煉瓦の欠片から逃れようと駆け出す。
壁を突き崩しながら現れたのは、二足歩行の雪男のような魔物だった。特殊な魔術でも施されているのか、信じられない程大きい。天井までの高さと比較して、六、七メートルはあるだろうか。
しかも、その様子がおかしかった。
「サスカッチか……けど、何だあれは?」
「危ない、離れろ!」
騎士見習いの誰かが呟いた時、エロイスが真っ先に気付いたらしく叫んだ。
「そいつはもう死んでいる! 生ける屍だ!」
ニースは僅かに遅れて、はっとそれに気付く。
魔物サスカッチは、動きを止める為にそうされたのか、或いは痛覚を喪失したが故に障害物を突っ切っての無茶な突進をして来たのか、木の幹の如く巨太な四肢はよく見るとあらぬ方向に捻じ曲がっていた。それに、その双眸も魔物特有の爛々とした眼光というより、燐光に近い輝きを放っている。
死霊化術を使われたのだ。しかし、魔物を死霊化するなどという行為はその危険度から禁忌中の禁忌とされている。いや、そもそも死霊化術自体が禁術ではあるのだが、ライガですら魔物には使用しなかった。
「いいんだよ、別に」
壁が崩れた際に発された轟音の残響を切り裂くように、聞き覚えのある粗野な声が飛んで来た。
土埃の中から、それを肩で突っ切るようにして男が姿を現す。農民の典型的な服装らしい、膝上までの丈の麻から作られた短衣と袴という出で立ちで、頭に三角巾を被っている。それまで目にしてきた彼の服装が如何にも反社会的といった感じだった為、落差があり、あたかも問題児が矯正されている途上のような印象すら感じさせるものだったが、今はそれを滑稽に思うような精神的なゆとりは自分にもエロイスにも存在しなかった。
「魔物招喚術を究めている余裕はねえ。イブンが捕まってさえいなけりゃ、吐魂術であいつに直接魔物を操って貰えんだろうけどよ、こちとらあいつを連れ戻す為に来てんだから本末転倒だあな。で、弥縫策よ」
彼は、毟り取るように三角巾を外す。すると、やはり見慣れた、脱色され攻撃的に逆立った髪が露わになった。
「あいつが──」
「ああ」
怯えたように呟く同輩に、エロイスが短く応じた。「絶霊喰鬼だ」
「死霊化術の使役術で一時的に魔物を操る。で、目的地まで連れて来たら」
キルヒム・アサップは、左腕を伸ばしてサスカッチの脚に触れた。
「ボナペティ」
嚥魂術が発動されたのだろう、形質が模写されたかのように、彼の腕が肩の付け根の辺りから膨れ上がり、毿々と長い剛毛の生えた肉の塊が上衣の袖を内側から破裂させた。
魂を食われた魔物は、糸の切られた操り人形のように前傾を始める。午光を遮っていた影がこちらの頭上に差し、ニースは「いけない」と反射的に思った。
「倒れる! 皆、左右に分かれて!」
咄嗟に叫び、それによって自分自身の防衛が遅れた。
キルヒムは左腕にサスカッチの肉体情報を写し取るや、右手で紫黄の剣を抜きつつ床を蹴った。魔物のものに変じた左手の指先をその剣の腹に這わせると、刀身に透明でありながらやや白みがかった、ほんの僅かな罪業を検知した運命石のような結晶が生じる。
その結晶から、外気に向かってダイヤモンドダストの如き冷気が微かに放たれているのが──分かる距離まで近づかれた時、ニースは自身の体からすっと体温が引くのを感じた。
今し方キルヒムが魂を喰らった魔物は、「凍結」の状態異常を使いこなす。近づかれただけでこれなら、ヒットした時にはどうなるのか、想像するのはそう難しい事ではない。
視界の隅で、いよいよサスカッチの巨体が完全に床に倒れ伏そうとしていた。騎士見習いたちは懸命に足を動かし、それから距離を取ろうとする。
今震動が来れば、皆の動きが乱れる。次の瞬間に何が起こるのかが、全く予想出来ないものとなる。
キルヒムはその前に、まずニースを確実に葬ろうとしたようだった。
だが、ニースが「間に合わないか」と思いながらも可能な限り上体を後方へと反らし、彼の剣軌から逃れようとしながら自らの剣を抜いた瞬間、それが防御の構えを形成するよりも早く、
「ニース、危ねえっ!」
エロイスが横から飛び出し、いつになく目茶苦茶な姿勢でキルヒムの攻撃を中断させようとした。
彼は、剣を握るキルヒムの手を狙ったようだった。何故なら、
「仕方ねえこったな、こればっかりはよ」
呟くキルヒムの振るった、氷の結晶の生えた刀身に掠められた刹那、駱駝色をしたエロイスの刀身がたちまち真っ白に染まった。至近距離から見れば、それが霜に覆われた為であるという事ははっきりと視認出来た。
転瞬、地響きが轟いた。
遂に魔物が倒れきり、板張りの床が大きく陥没する。震動が足元を掬ったが、キルヒムは
「おっと!」
背中から蝙蝠に似た小さな翼を展開し、素早く空中に浮かび上がって再びこちらから距離を取った。
リーマンから帰還したリクトが、向こうでキルヒムと交戦したヴォルノの部隊に居た騎士から報告を受けたと語っていた、嚥魂術の新たな応用技だ。従来上書きする形でしか再現出来なかった取り込んだ魂の能力を、複数同時に再現可能にした技。確か名は「暴食」とかいったはずだ。
「城に入る前に食っておいた魂だ。そろそろリセットされちまう頃だと思っていたけど、ぎりぎり間に合ったな」
絶霊喰鬼は得意げに言う。だが、彼も決して余裕という訳ではないようだ。
ニースは、両足が接地状態に在ったので魔物の巨躯が倒れた際の震動をダイレクトに受ける事になった。体勢は崩れ、今は一切の剣技が使用出来ない。キルヒムが同様に体勢を崩す事を避け、一度こちらから距離を取ったのは、ごく短い間ながら自分に立て直しの猶予を与える事になった。
が、その剣から生じた氷の結晶は東方産の筍の如く成長し、エロイスの刀身を捉えたままだ。凍結は進み、霜はエロイス本人の手の方にまで及び始める。彼は舌打ちをし、柄からパッと手を離す。
凍結が自らにまで及べば、致命的な事になりかねない。この状況に於ける判断としては最適だったが、同時にそれは、彼が大きな攻撃手段を失ったという事をも意味していた。
「ニース、大丈夫か!?」
「大丈夫じゃないのは君の方だろう!」
エロイスは、こちらを庇う為に飛び出した。キルヒムの初撃は、あのままでは自分には捌けなかったものなので、彼が動いてくれなければ今頃自分は生きていなかっただろう。
しかし、その結果として、次の一瞬で彼が命を奪われては意味がない。犠牲者が自分から彼に替わっただけになる。




