『リ・バース』第二部 第15話 Comrades⑥
⑥ ライガ・アンバース
速足の跫音が近づいて来た、と思った矢先、閂の外れる音がした。
扉が開いた瞬間、ライガは目を疑う。そこには、カンテラを手にしたジブリ公が立っていた。
彼の傍らに、羊皮紙色のローブを纏った結界師の男が、とろりとした表情で立っている。どうやら、催眠術が施されているらしい。ライガが目を円くしていると、ジブリ公が彼の耳元で何事かを囁き掛けた。
結界師が掌印を組むと、自分の収監されている独房に重ねるような形で展開されていた不可視の結界が一瞬半透明の淡虹色に浮かび上がり、帳が上がるように消滅していった。ジブリ公はそれを見届けるや、「すまなかった」と短く言い、結界師の後頭部に左手を翳して詩文を唱える。
「黒甜郷に遊べ……ソムニア」
睡眠魔術を施された結界師は、その場でばたりと「眠り」に陥った。
「ジブリ公?」
「三途結界を解除させた。ライガ・アンバース、もう出られるぞ」
現在ライガは、魔術の使えないようにされた空間内に居る為本来の肉体であるガラルの姿だった。六歳の子供が手枷や足枷を嵌められて薄暗い独房に閉じ込められている光景はやはり気持ちのいいものではないらしく、ジブリ公は
「よく耐えていたな」
と、こちらを気遣うような台詞を口にした。
「釈放ですか? どうして?」
ライガは、突如として告げられた事の内容に戸惑う。ジブリ公は「いや」と首を振り、こちらに身を屈めつつ声を潜めて言ってきた。「公的な処分ではない、テレサ様のご判断だ」
「って事は──脱獄させられるんですか、俺?」
「そうだ。詳しく話している余裕はないが、城に絶霊喰鬼らが現れた。この地下牢を目指し、赤峨王や浮遊霊姫らを逃がすつもりらしい。ライガ、その状況で其方が奴らに確保されたら一巻の終わりだ」
「そんな……!」
「黙って聴くのだ、ライガ」
ジブリ公は、珍しく早口で言った。
「出たら変身術を使い、何処にでもいいから逃げろ。城からはなるべく離れてな」
「何処でもいいって言われたって……」
ライガはやや唇を噛んでから、「そうだ」と思い出した。
「リクトは? リクトの事は、俺と一緒に逃がしてやらないんですか?」
「駄目だ。露見すればドーデム・ヤーツに口実を与えてしまう事になる。それに、彼は変身術を使えないので、どさくさに紛れて逃がす事は難しい。現在は陛下やテレサ様も、ぎりぎりの綱渡りをされているのだ」
「けど──」
「それに最悪の場合、ここに『蠍』が侵入した場合だが、赤峨王が解き放たれたら数の利などほぼ意味を成さなくなる。奴が纏鎧術を発動した状態では、聖光士による派生技での攻撃しかダメージが通らなくなる。その事は、他でもない其方らが報告したのだぞ」
なるほど、と思った。
地下牢に居るリクトは、ここまで「蠍」が到達した時の最後の切り札なのだ。しかし、という事は──そのような事態を想定せねばならない程、状況は深刻だという事なのか。騎士団は、警戒していたはずではないのか。
というこちらの考えを読んだのだろう、ジブリ公は「あくまで最悪の事態を想定しての事だ」と付け加えた。
「城から脱出したら、一切振り返るな。HMEを託しておく、今後の見通しが立ったらこちらから連絡をつけるので、其方の方からは決してメッセージを送って来ないように」
彼から、端末を手の中に握り込まされる。
HMEは高価な魔導具であり、民間に普及出来る程増産はされておらず、毎年新規入隊者の分しか製造されていない。これまでライガが使用していたものは”同志”としての活動の為にリクトが私費で用意させたものだが、それはドーデムに捕縛された際取り上げられてしまった。
これは何処から出たものだ、と思っていると、それを尋ねるよりも早く、ジブリ公が「ヴォルノ・イェーガーのものだ」と囁いてきた。
「聖光士にとっても大切な遺品だ。くれぐれも紛失せぬよう」
「イェーガーさんの……」
ライガは呟く。端末をぎゅっと握り締めた瞬間、脳裏にリーマンで彼が壮絶な最期を遂げていた現場の光景が蘇り、その途端、心の中で徐々に決意が固まっていくのが分かった。
彼は命を賭け、未来を繋いだ。それを無駄には出来ない。
「……分かりました、ジブリ公」
ライガは立ち上がり、独房の外に出る。
魔素と霊魂の出入りを遮断する結界からも抜けたらしく、直感的に自分が再び魔術を使えるようになっているのが分かった。ライガは変身術を発動し、獅子宮の捜索に際して化けていた、戦死したフォルトゥナの騎士の姿に変じた。
「ありがとうございます。リィズやテレサ様にも、そうお伝え下さい。……俺、負けませんから」
「頼んだぞ、ライガ・アンバース」
何を、とは、ジブリ公は言わなかった。
しかし、ライガには十分だった。
身を翻し、地上を目指して駆け出す。走りながら、両の瞳の上に「閃光」を薄く発動し、眼光を血石の如く赤々と輝かせた。
脱出して何処に行こうか、という事については、まだ具体的な事は考えついていなかった。が、それでも不思議と何とかなるような気がした。




