『リ・バース』第二部 第15話 Comrades③
③ イスラフェリオ・イスラフェリー
独房の扉が開き、姿を現したのはジブリ公だった。
彼の顔は、一度だけ見た事があった。自分がまだ二十代の半ばの頃だ。ジフト公国の前身となった「北極同盟」の盟主国ランペルールが肢国となり、帝連の傘下に加わって間もなく、二代前の皇帝フレデリック一世が彼を伴ってヴァイエルストラスを訪れたのだ。その頃から彼は宰相として皇帝に仕え続けていたが、当時の彼は四十代だった。
帝国に無数に居る要人のうち一人、というだけの認識だ。当時も特に言葉を交わした訳でもないし、このような形で再会する事になったからといって何かしらの感慨が生じる事はなかった。
「てっきり、聖光士が尋問に来るものだと思っていたが?」
言うと、ジブリ公は首を振った。
「彼は現在、のっぴきならない事情で自由に動く事が出来ない。故に、尋問はこのシャルル=ジュリーが行う」
「なるほど」
イスラフェリオは唸る。彼が、直接独房の中に入って来る事について、不用心だとは思わなかった。この部屋から魔素や霊魂も完全に取り除かれている事は、失神術によって気絶した状態のまま運び込まれ、覚醒した時から分かっていた。もし降霊術を使う事が出来たなら、纏鎧術で即座に壁を壊し、逃げていただろう。
この部屋では、自分はジブリ公を攻撃する事は出来ない。魔術的な媒体も、武器も使用しない体技であれば使えない事もないが、そちらに関しては四肢を縛りつけるという初歩的な方法で封じられていた。
ジブリ公は部屋の隅に置かれた椅子に腰を下ろし、持参した照明石のカンテラを床に置いた。やがて、ゆっくりと言葉を発する。
「破戒僧正や『影』であれば、『地下』を通してこの独房に侵入する事も可能だろう。貴様や、同じくここに囚われている浮遊霊姫が逃亡する手助けをする事は容易だったはずだ」
「イブンが? ……そうか、彼女も捕まったのか」
イスラフェリオは、あくまで冷静な態度に徹しようとした。
「我々も、如何なる結界を使用しようとも、奴への対処には限界がある事を承知していた。しかし、破戒僧正はそれをしなかった」
「私の具体的な居場所について、知れなかったのでは?」
「奴には『影』という絶対的な諜報員が居る。密かにこの城の内偵を行う事も十分に可能だったはずだが」
「何が言いたい?」
「赤峨王、ウカノフは貴様を見捨てたのだ。リーマンで聖光士も言ったのだろう、奴が貴様に秘密を作り、独自に動いていると」
「やたらと、私と彼を分断させようとしてきたな。そしてジブリ公、貴公もまた同じ事をしようとしている」
イスラフェリオは言い、口角を上げた。
「私が聖光士に語った事は、貴公や女王にも伝わっている事だろう。私は、あの戦いで彼を仕留めるつもりだった。だからこそ、あれらの真実を伝える事を躊躇わなかったのだ」
「それをもう一度語ってみよ、赤峨王。『影』の正体、そして『死に至る灰』の効能について」
ジブリ公は、表情を変えずに言ってくる。聖光士を仕留め損ない、既に秘密は彼らに知れ渡っているはずなので、イスラフェリオに躊躇いは生じなかった。
「『影』は、降霊術『影の部屋』は、異空間を通して集団が意思を共有する技。ウカノフが、選出者を端末とし、彼らを自身の命令に絶対服従させる為の技だ。そして後者、『灰』の効能は、特殊な生ける屍を作り出すもの。かつて隕命君主が怨霊から魂の記憶を抽出し、生前の人格を模倣させ自我を取り戻させる術を編み出したというが、それを施された屍から内面を──心を削除したものを作り出す物質、とでもいおうか」
「違うな」
ジブリ公は、やはりそうか、というような顔で頭を振った。それから、やや逡巡するように唇を噛み、やがて再び開口した。
「ライガ・アンバースが、先月の戦いの折にプログラムから”啓示”を受け取ったのだ。それにより、『影』と『地下』の真実が明らかになった。『影』は死霊化術によって命を落とし、砕け散った魂を再利用したもの。そして『地下』は、それを行う為の空間。この錬金術めいたシステムは、死霊化術が真に有限の魂を無に帰しめる事のないよう、プログラムが新たに生み出した理だった」
「何?」
イスラフェリオは眉を潜める。
「『影』は死霊化術でない要因によって命を落とすと、再び魂を境界に還す事が出来る。従来の輪廻に立ち返るのだ。……乖離した魂の材質が、再び『地下』で練成されるまでに要する時間が一年。そして『灰』は、死をも殺す事により、その間隔をなくす為の物質だった」
「おい、待て」
ジブリ公の言葉を遮り、イスラフェリオは言った。
「では、あの者たちの中には──ライガ・アンバースによって死霊化され、命を落としたルシウスやジェムシリカも居たという事か?」
「女王蜂に関しては、ライガが先の戦いで交戦したと言っていた。彼女はウカノフによって『影』の頭目とされ、プログラムに意思を乗っ取られた末にライガによって倒された。既に、過去世の存在となっただろう」
「………!」
咄嗟に、頭へ血液が逆流したような気がした。視界が赤変し、反射的にジブリ公へと掴み掛かりかける。が、腰を浮かせてからすぐに、手首を拘束している枷によって我に返った。
自らを宥める為、一度深呼吸する。
精神的な事かもしれないが、それで良かったのだ、と信じようとした。記憶をリセットされながら転生を繰り返す魂がその人間の本体なのか、「審判の七日間」によって削除される現世の記憶をそう見做すのかについてはイスラフェリオはどちらを正解とも捉えていなかったが、少なくとも妹に宿っていた魂が苦しみながら消滅したと考えるより、救いを得て未来世に至る事が出来たと考える事の方が幾分かは気が楽になるようだった。
しかし、では──。
「では、『灰』を摂取させたリーマンの住民たちはどうなった? 彼らは、私がそう聞かされていた特殊な生ける屍ではなかったのか?」
「彼らは、『影』となっていたのだ」
ジブリ公は、感情を交えない口調でそう告げた。
「彼らはウカノフの指示に基づき、貴様の命令に服従するようにという指示通りに振舞っていただけなのだ。そしてウカノフは、この事について理解し、計画に組み込んでいた」
「ウカノフ、彼は……」
「プログラムを、そのような形に変化させた要因こそが彼であった為だ。そう、ライガは語った。ウカノフは、彼が台頭する前に史上最悪と呼ばれた旧王朝時代の死霊化者、アリフ・ジーク・バルドバロアだった」
「……なるほど。そういう事か」
イスラフェリオはジブリ公の言葉を反芻し、嘘ではなさそうだな、と判断した。
ウカノフの能力には、確かに超俗したものがあった。「影の部屋」といい聖体の”作成者”との繋がりといい、いずれも文献では得られなかった知識だ。
死霊化術はそれまで禁術として扱われていたが故、元からそこまで記録が残されてはいなかった。だからイスラフェリオは、それを新生ジフトの主戦力たるべき力として研究を解禁したが、知識を仕入れる段階でそこまで浩瀚な書物に触れていた訳ではない。
しかし、ウカノフが旧王朝時代に於いて隕命君主に相当する立ち位置の死霊化者だったと考えるのであれば説明はつく。
「……思っていたよりも冷静に受け止めているようだな、赤峨王」
ジブリ公は、こちらが動揺すると思っていたらしい。イスラフェリオは実際に、内心では少なからず新事実の整理に手間取ってはいたものの、それを表に出す事はしなかった。
「当てが外れて残念だったな、ジブリ公。しかし、たとえ彼や聖体の”作成者”が私を操り、独自の思惑を持って隕命君主を復活させ、決起を促したのだとして、目下我々はその実害を被ってはいないぞ」
イスラフェリオは、努めて余裕を維持した。
「たとえあの男からの接触がなかったとしても、私は新生ジフトを興すつもりだったし、死霊化術の合法化については視野に入れていた」
ライガが討伐される前年、彼が帝連を離反してから数ヶ月が経過した頃、潜伏中のイスラフェリオは北方のシルヴェスターの森で彼に会っていた。そこで自分は、死霊化術の実用化について、世を滅ぼす禁術という従来の捉え方を交えた上でどう思うかと尋ねた。
ライガはそれに対して「ありだ」と答えた。それが、イスラフェリオの背中を押させる一つのきっかけとなった事は確かだ。
「水面下で、ウカノフは最後に貴様を裏切ろうとしているかもしれん」
「王道というものを理解していないのだな、宰相」
イスラフェリオは言う。
「君主とは常に、いつ切れるか分からぬ細い糸で、切っ先を下にして吊り下げられた剣の下に玉座を置いて臣下に命令を下すものだ。敵は常に周囲に潜み、身内がいつ反旗を翻すかも分からない。有能な者は、多くが潜在的に自らの能力を試みたいという願望を抱いている。明日は敵になるかもしれぬ能力者を、君主は上手く扱い、いざとなれば切り捨てねばならない」
それはウカノフに限った話ではなく、イブン・ソニアやキルヒム・アサップら多くの戦後派にも布衍して言える事だ。
「その時宜を見極め、自らを利用しようとしている者をも利用する。それを成せなくなった時こそが、一人の君主の時代が終焉を迎える時だ。君主は、まず蒼氓と臣下にとって誰よりも奴隷に近しい存在でなければならない」
「……まず、自分の置かれている状況を見よ」
ジブリ公は、絞り出すようにそう言った。
「新生ジフトは──貴様の野望は潰えたのだ、赤峨王。カヴァリエリからそのまま移動させたリーマンの戦力は、貴様の軍隊全てであったのだろう? それは皆、我々によって虜囚の身となった」
「まだ『蠍』が残っている。聖体がこの城に集められている今、世界各地で活動を行っていた彼らは確実にユークリッドに集いつつあるだろう」
「絶霊喰鬼らか」
「彼らには、城を落とす事は叶わぬだろう。だが、私やイブンを解放し、聖体を回収する事くらいならば十分に可能だ」
「帝連全土には、現在どれだけの数の『蠍』が居る?」
ジブリ公は言い、上着のポケットに右手を入れた。中に入っている何かに触れたらしい。
「素直に答えると思っているのか?」
「赤峨王よ、戦が続いている以上、貴様の現状は戦犯ではなく捕虜だ。帝連の法の上では、捕虜に敵軍の機密について自白させる手段としての拷問は、最終手段として認められているのだぞ」
ジブリ公は脅迫するというより、スポーツの試合前にルールについて読み上げるかのような口調だった。
「本来ならば催眠術を用いるという方法もあるが、この独房で魔術は使えない。外に出せば、貴様は自身の降霊術を使って暴れ出すだろう」
「……どうせ、聴いたところで、聴かなかった場合に予測を立てて採る対応と大した変わりはないのだろう。まあいい、我が軍の数的、環境的不利は変わらないのだからな。千人だ、現在身を隠している『蠍』は約千人が存在する」
イスラフェリオは言い、自分で笑ってしまいそうになる。
この城に詰めている帝連軍は、百万以上。おまけに、彼らの方が地理を知悉している本拠地だ。本来なら、「不利」どころか勝敗の帰趨は目に見えている。
だが、
「連中の戦い方は、正面からの衝突ではない」
彼らには彼らの戦術というものがある。
「ジブリ公。我々は捕虜にはなったが、それによってこのペンタゴナ・パラスの中枢へと入り込む事が出来た。我々が目下第一級の脅威として見做されている以上、ここは恐らく天秤宮。『蠍』がここまで到り、全ての牢の扉を開け放ったらどうなるかは、想像がつくな?」
イスラフェリオは、マネキンの如き鉄面皮を崩さないジブリ公の顳顬を、冷や汗が一筋伝ったのを見逃さなかった。
「百万までとは行かずとも、何千、何万という我が軍の兵士が、内側から貴公らに対して牙を剝く事となる。皇族や貴族にも、少なからぬ犠牲者が出る事は間違いないだろうな」
畳み掛けるように言うと、帝国宰相は膝の上で、ポケットに入れていない左手をぐっと握り締めた。
イスラフェリオは、彼が何も言わないのを確かめてから先を続ける。
「イブン・ソニアが部下たちを放ち、キルヒム・アサップら生き残りがリーマンを脱出してから、もうじき一ヶ月が経過する。彼らが邂逅し、戦力を結集させるには十分な時間だ。いつ、ここに現れるだろうな?」
「……もし」
ジブリ公は、床に置いたカンテラを手に立ち上がった。
「ユークリッドに──いや、この城に彼らが現れたとしても、我々が警戒さえ続けていれば奇襲は奇襲たり得なくなる。赤峨王、貴様が思っている程、全てが上手く運ぶとは限らぬぞ」
それが、彼に言えた精一杯だったのだろう。
ジブリ公は独房から出ると、後ろ手に扉を閉めた。錆びた鉄板の軋む音が、耳障りに響く。
彼が去って行くと、ふっと息を吐き出した。恐らくは、圧倒的な戦力差のある自分たちと帝連軍という事を閲した上で、「蠍」が最も無難に採り得るだろうと判断した戦術を告げたが、自分が敵を動揺させるだけの目的でわざわざヒントを与えたなどとは、イスラフェリオは考えていない。
切り捨てるべき時には、潔く切り捨てる。先程ジブリ公に語った自身の”王道”については、心にもない事を述べたつもりはなかった。自分が双頭をネイピアに派遣した際、作戦に使用させた「左手」の回収の為に動員したドラウ・ボンに、やむを得ない場合は彼らをも始末する事は構わないと伝えたのはその為であり、それは自分が彼らを軽視しているという事では断じてない。
──彼らは恐らく、最も可能性の高い方法をわざと外してくる。
(今日は、負けなかった)
イスラフェリオはそう思い、まだ終わった訳ではないのだぞ、と、心の中で自らに暗示を掛けた。
* * *
そして、その日は一週間後に訪れた。




