『リ・バース』第二部 第14話 Hǫfuð⑥
⑥ シアリーズ・ド・ゲネラッテ
「ドーデムが? ライガと、リクトを……?」
椅子から腰を浮かせ、シアリーズは声を上擦らせた。入室して来たジブリは、「はい」と肯きつつ、手にしたHMEの画面に表示されたメッセージをこちらに見えるようにしてくる。普段は冷静沈着な母テレサも、さすがに動揺して口元を両手で押さえていた。
天秤宮の玉座の間ではなく、例によって白羊宮のリクトの部屋だった。
騎士見習いの二人、エロイスとニースは昼休憩中であり、ここには居ない。これから、この出来事については改めて伝えねばならない。
──いや、事によると彼らはもう、噂を耳にしているだろうか?
司法手続きを踏まず、シアリーズの出した命令により特例措置で獅子宮の宝物庫を捜索していたライガ、リクトが、破戒僧正ウカノフがイオニア・キンメリッジに作成させた魔杖オムグロンデュのコピーと思しき一本を発見したのが、丁度騎士団や城のスタッフが昼休みに入る正午前の事だった。リクトはシアリーズたちにその旨を報告するや、すぐに宝瓶宮に向かった。発見したその杖が、ドーデムが昨夜そちらの宝物庫を荒らし、盗み出したものではないかと疑ったからだ。
こちらは獅子宮とは異なり、非公式な捜査だった。しかし、それはリクトが焦っていた為ではない。
宝瓶宮及びフェート騎士団は、被害を受けた側なのだ。
もしも本当に杖の出所が宝瓶宮だったとして、王命により特例で獅子宮を捜索していた聖光士がその直後、二度目の王命を受けてそちらも捜索する事になった、などという状況で、オルフェはどう思うだろうか。
自分たちが彼に疑いを抱いた、という事を証明しているようなものだ。捜索が始まる前に手を打たれたり、最悪の場合妨害の為にリクトが直接的な被害に遭うという事も考えられる。
ならば、見つかった時のリスクは上がるとはいえ、密かに潜入捜査をした方が有力な手掛かりを掴める確率も高まる。
そう考えての行動だったのだが──。
「リクトより先に、ライガがしくじるとはね……」
テレサはHMEの文面に目を通すと、幾分か平静を取り戻した声音で独りごつように言った。
「いえ、これはしくじったと言うのかしら?」
「しかも、それによってなし崩し的に状況が悪くなってしまいました。聖光士が忍び込んでいた事も、蛍虹伯には露見してしまった」
ジブリは顎を引き、淡々と言う。
ドーデムから送信されて来たメッセージには、彼の執務室を調べていたライガの拘束後、オルフェに連絡を入れ、リクトが独断で──シアリーズが命令を出していない以上そういう扱いになる──潜入捜査を行っているという事を告げた、とも書かれていた。
ドーデムは、リクトが発見した聖体の「頭部」を運び出すように騎士たちに命じたらしく、これからそれをシアリーズたちに提出する、と言った。ものがもので、発見された場所が場所であるだけに、事件の証拠としてもフェートの管理している証拠品保管室に置く訳にも行かないのだ。しかし、それについてはオルフェには問い質すような事をせず、運び出したという事に関しても素知らぬ顔をしたらしい。
オルフェも、ドーデムがリクトを拘束する為に現場に行く事を許し、大人しく彼の連行に協力した。そして、どさくさに紛れてファタリテの者たちが「頭部」を持ち去ろうとしている事にも何も言わなかった。
気付かなかった訳ではないし、ドーデムの側も、オルフェに気付かれないように持ち出そうと配慮した訳でもなかった。宝物庫に「頭部」をしまっておいたのがオルフェ本人だとしたら、その場で見咎められなかったとしても持ち去った事はじきに分かる事だ。
そしてそれ以前に、オルフェは、表面上は分からない事になっているものの、昨夜宝物庫を荒らしたのがドーデムである事には勘づいているだろうし、オムグロンデュのコピーがなくなったのだから、ドーデムが自分を黒と見ていながら黙っている事にも気付いている。
一種の心理戦であり、無言での恫喝の応酬だった。どちらも、犯罪に手を染めている事は目に見えていながら、表面上に見えているあらゆる証拠はいずれも状況的なものに過ぎず、限りなく黒に近い灰色の状態が保たれている。しかし、逮捕されて第三者による本格的な捜査が行われれば、それ以上の証拠が発見されてしまうのは火を見るよりも明らかだ。
もしも、どちらかが今の状態でもう一方を陥れるような事をすれば、相手もおしまいになるのだぞ、という事を、暗黙のうちに主張し、牽制し合っているのだ。一見すると膠着状態に陥ったかのようにも思えるが、そうではない。
ドーデムは、宝瓶宮で発見した杖と「頭部」が、「影」によってオルフェの意思とは関係なく仕込まれたものではない事が証されれば、彼の犯罪を立証して捕らえる事が出来る。
またオルフェの方は、彼がそれを立証する前に、宝瓶宮にあった杖が獅子宮で発見されたという事以外の理由でドーデムの違法捜査を裏づける事が出来れば、彼を逮捕して動きを封じる事が可能だ。
そして、どちらも証明出来ないうちは、シアリーズたちも彼らに手を出せない。一応ドーデムの違法捜査が事実である事はリクトが証言出来るが、彼はそのドーデム本人に身柄を押さえられた。その上でドーデムが逮捕されて動けなくなれば、オルフェは怖いものなしになる。
そして依然、杖と「頭部」が空間転移を行える「影」の手で宝瓶宮に仕込まれたものであり、オルフェは白であるという可能性も──単に決定的な証拠がないという意味ではなく──残っているのだ。
「ドーデムは何故、回収した『頭部』を私たちに提出すると言ったのかしら?」
疑問を口にすると、母がすぐに答えてくれた。
「彼が、表面上は潔白という事になっているからよ。聖体を発見したら私たちに報告して提出する、というのは、情報を解禁すると同時に皆に出した命令だもの。それに『頭部』は杖と違って、宝瓶宮にあったと彼が声を大にして主張出来る貴重な状況証拠ですからね」
「更に、彼らは証拠品保管室襲撃の件をフォースタス・ハントの独断であるとして白を切っていますが、既に聖体の一つを所持しています」
ジブリが補足する。
「ヤーツが二つ目以降の聖体を持っている必要はありません」
「そっか……」
シアリーズは俯き、急転し続ける状況の中、何にどう取り合えばいいのだろうかと考える。
本当は、ライガとリクトの事について悩むのに時間を使いたかった。六年前に実行した帰らずの地攻略作戦でライガを討ち、英雄と呼ばれるようになったリクトが、復活したその張本人を匿っていた──それは、人々にとって筆頭騎士長の醜聞以外の何物にもなり得ない事柄だ。死霊化者の集団である「影」との癒着が国家反逆罪と見做されるのであれば、リクトのそれもまた、同じ罪として裁かれねばならないという事になるのだろう。
しかし、皇帝の持つ権限の中には罪人の特赦もある。シアリーズが一声、不問に付すと言いさえすれば、彼を──それどころか、ライガをも免罪する事は不可能ではないのだ。
問題は、それをした時、シアリーズとテレサは共に、世間的な信用を自ら失墜させるという事。ライガがまだ死霊化術を修めたばかりの頃であり、今では伝説となっている悲劇の数々を引き起こす以前の事、先代の筆頭騎士長アルフォンスが彼の死霊化術使用について「戦時中のやむを得ない状況だった」と具陳し、罪に問わないように求めていた際に、先帝フレデリック二世が──彼もライガに目を掛けていたにも拘わらず──皇帝としての権限を行使しなかったのも、それが大きな理由だ。
権限は、持っているからといってみだりに使ってはならないのだ。さもなくば暴君という誹りは免れなくなり、皆が一致団結せねばならない時に、それに楔を打ち込みかねない。立憲君主制の君主とは、まず第一に、人々の統合の”象徴”で在らねばならないのだ。
だからこそ、シアリーズは悩む。目下の状況に於いては、ライガとリクトが中心となって行っている”同志”としての活動が鍵となるのだから、単純な公私混同という訳でもない──。
(だけど……いいえ、だからこそ──)
が、ジブリ公は、シアリーズの思考の方向を義務的に定めようとするように言葉を続けてきた。
「我々が現在最優先でせねばならない事は、情報の統制です。ヤーツは表向きは潔白なので、王命には逆らいません。我々が聖光士たちを免罪する事は立場上厳しいですが、機密を定め、遵守させる事は可能かと。全ての情報を解禁すれば人々の中に混乱が生じるという事は彼も理解出来るでしょうし、宝瓶宮に疑いの目が向きすぎる事も都合が悪いはずだ」
「証拠が揃わないうちに不利な立場に立たされれば、オルフェが報復に出る可能性はドーデムにとって大いにあり得るものですものね。しかし、まず私たちで整理しようにも……」
テレサは、腕組みをしながら彼の台詞を受けた。
「キューカンバー・ピックルス……本当に、彼だったのかしら」
「実物を提出すると言っている以上、嘘ではないでしょう。それに、この時点でも納得出来る事があります」
「何?」
「カルマ騎士団を代々領いてきたピックルス家は、珍しく死者の遺体を土葬という形で行います。一度棺の蓋を閉じれば、中身がどうなったのかについてはその後埋葬に関わった人間以外が知る事は叶いません。紅潔伯であれば、亡骸が肉を残した状態で掘り起こされていてもおかしくはない」
「確かに……アルフォンスやロディであれば、遺体が荼毘に付されるところを私たちもこの目ではっきり見たわ」
シアリーズは母たちに倣い、思考を一旦ライガとリクトの心配から切り替え、今最優先で考えねばならない事の方に移した。
では、ピックルス家の墓に埋められた棺は、聖体が作成された三年前からずっと空だったという事になるのか。三年前といえば、キューカンバーの死からすぐ直後の事ではないか。
そう考えてから、彼の墓に関してはもう一点疑問があった事に気付く。
「シュラ・イスラフェリー……」
無意識のうちに、その名前が口から零れ出していた。
死天使シュラ。ライガの遺品のうち、カルマの取り分となった生ける屍。しかし彼は、帰らずの地での戦いの中でライガとの主従関係を解除され、動かぬ死体となっていた。扱いとしては、フォルトゥナが最初に受け取った、使用の許されない魔杖オムグロンデュと同様”記念物”だった。
彼もまた、キューカンバーと共に副葬品として埋葬され、朽ち果てたと思われていた。それがライガの復活後、彼の招喚に応じて真っ先に駆けつけた。
墓暴き──怨霊とそれが宿る死体を操る死霊化者に対しての蔑称ではなく、字義通りの──が居るのか。それとも、最初からキューカンバーとシュラは埋葬されていなかったのか。
「……ノレムが、父親の遺体をウカノフに引き渡したとは思えないわね」
シアリーズと同じ、「最初から埋葬されていなかった」という可能性について考えたらしく、テレサがそう言った。
「彼は昔から劣等生だったけど、それが根拠ではないわ。能力を隠す事だったら、ないものをあるように見せるよりもずっと簡単だもの。もしも彼が敵側の人間だったなら、せっかく何かの計画の為に世界各地に仕込んでいた聖体を全部私たちが回収するような事は看過しなかったでしょう」
「だとしたら、ノレムはキューカンバーの遺体が埋葬後に消えている事について、気付いていなかったのかしら?」
シアリーズは疑問を口にする。
「気付いていたら、普通言うわよね。……この事については、ノレムには直接聞いてみましょう」
母は言うと、「ジブリ」と宰相を呼ばった。
「ドーデムを口止めするにせよ何にせよ、この事はまずノレムには個人的に連絡しておく必要があると思うけれど、どうかしら? デメリットについて、考えられる事はある?」
「……強いて申せば、身内にとってはあまりにショッキングな出来事である、という事でしょう。そのような事を行わせた元凶を、血眼になって見つけ出そうとするやもしれません」
それはそうだ、とシアリーズは内心で肯いた。父親の墓を暴かれて死体を辱められた挙句、それをばらばらに解体されて魔導具に改造されたのだ。幾ら温厚なノレムでも、怒らない方がおかしい。
「しかも現在は蛍虹伯という、容疑者としての最有力候補が居ります。もしもノレム・ピックルスが、早まった行動に出れば」
──もしもオルフェが白だった場合、取り返しのつかない事になる。
──他方、もしも彼が黒だったとしたら、自らの行動で危ない目に遭うのはノレムの方だ。
しかし、それについては、
「……その事であれば、問題ないでしょう」
吟味するように暫し沈黙した後、尋ねたテレサ本人が言った。
「彼には、ラナがついているわ。きっと、そそっかしい再従兄が──いえ、将来の旦那が、かしら、彼がおかしな行動に走らないように、傍でブレーキを掛けてくれると思う」
「畏まりました。では」
ジブリは一礼し、HMEのアドレスを設定し始める。
その間に、テレサは「シアリーズ」とこちらを呼んだ。
「キューカンバーは、オルフェにとっても関わりの深い人物だった。現在ファタリテの騎士たちは宝瓶宮に『頭部』があったのを見ているし、またフェートの騎士たちはドーデムがオルフェを疑っている事を知っている。この事から、何が考えられると思う?」
「……証拠がなくても、多くの者たちが揣摩臆測でオルフェに疑いの目を向ける事になります」
少し考えて答えると、テレサは我が意を得たりというように肯いた。
「そうね。だから、聖体の元となった人物がキューカンバーだったという事についても、既知の者たちには口外無用という事で行きましょう。必然的に、『頭部』が発見済みだという事も、それが宝瓶宮から見つかった事も」
「分かりました、お母様」
秘密が増えるな、と思ったが、今度は”同志”たちの間のみで共有していた事よりもそれを知っている者たち──口止めをせねばならない者たち──が多い。一応王命という扱いにはするが、規則上出来ない事と、物理的に出来ない事では大違いだ。畢竟は、個人の良心に頼る事になる。
知る者がうっかり口を滑らせでもした途端に、容易く破れるような秘密だ。後になって、その者を罰したところで取り返しはつかない。そして、人間の記憶を消去する魔術も、今のところ世界には存在しない。
しかし母も、その事については承知の上で覚悟を決めているようだった。
「それで最後に、ライガとリクトに関する事だけど」
母の声が、そこで俄かに険しさを増した。
シアリーズは、ぐっと息を呑み込んで続く言葉を待つ。
「当然、ライガが復活したという情報については絶対に秘密よ。皆が大混乱に陥るもの。ドーデムにも、厳重に口止めをする。それこそ、たとえ過失であっても口を滑らせたら即座に牢屋に入れる、くらいの勢いでね。
シアリーズ、あなたもきっと思っているでしょうけど、私たちの権限でライガやリクトに恩赦を与え、無罪放免にする事は可能よ。だけどそれは、今回に限っては絶対にしては駄目。ドーデムに身柄を引き渡して貰ったら、二人の事は私たちが責任を持って拘束を続ける」
「私たちは無関係であるような顔をするのですか?」
言ってしまってから、シアリーズはすぐに口を噤んだ。
そうするしかないのだ。リクトには、人々がこちらに向ける不信感を回避する為に一切の”罪”を背負って貰わねばならない。
「あとは先帝がやったように、公的な裁きを可能な限り引き延ばす。リクト自身は騎士長として動けなくなるけれど、今直面している問題が解決するまでは彼を失う訳には行かないから」
「だけど、ドーデムが痺れを切らす可能性も否めません」
「ええ。こっちが口止めの命令を出して、違反したら罰すると言ったとしても、その命令自体が不当だと人々が思えば何の効力も持たない。大勢から真実を開示するように求められたら、ノーコメントと言うだけでもそれは肯定の意味として受け取られる事になるわ」
「時間との勝負……ですね。それよりも早く、聖体の全ての部位を揃えてキューカンバーを再生しなきゃ」
そしてラオコーンに「回顧録」で記憶を見て貰い、オルフェとの間に何があったのかを知るのだ。
そこまで考えた時、シアリーズは、ああ、と気付いた。
「そっか、だからドーデムは、『右手』を……」
ラナたちが十個の聖体を回収して来てから、実際にリクトたちは、今までに回収していた三つ──「左手」、「右の前腕部」、「心臓」──と合わせてそれらを繋ぎ合わせ、ライガに動くかどうかを確かめて貰った。が、半ば予想していた通り、肉体に縛りつけられた魂の材質が一定以上欠けた状態では動かす事は出来ず、ラオコーンの「回顧録」も通じなかった。
自分たちには、やはり「右手」が必要だ。ドーデムはそれを理解した上で、わざと隠している。こちらの調査を進展させず、時の流れがライガとリクトを自然に破滅へと追い込むまで。
シアリーズたちが、彼らの死刑執行にゴーサインを出さざるを得ない状況が訪れるまで──。
「ドーデムに直接要求しても、白を切られるでしょうね。そして、私たちはそれを嘘だと断言して要求を押し通す事は出来ない。何とか、彼が『右手』を持っている事を証明しなきゃ」
テレサの言葉を聴きながら、シアリーズは再逮捕されたフォースタス・ハントが口を割らないだろうか、と考えていた。彼の口から、昨晩宝瓶宮の証拠品保管室を襲撃したのはドーデムの命令によるものだという事を聞き出せれば一発で全ては解決するのだ。
──ドーデムはそこまで、ライガたちに復讐がしたかったのか。
──「影」が何をするか分からず、純然たる悪意から使用された死霊化術による次の被害が出るかもしれないのに。
それを承知の上で、彼は過去の因縁の清算を優先するのか。
「……お母様」
シアリーズは、ぽつりと零していた。
「ライガはこんなに、憎まれていたんですね」
「分かっていた事でしょう」
母は言った。
「あなただったら、特に」




