『リ・バース』第二部 第14話 Hǫfuð⑤
⑤ ライガ・アンバース
マスターキーはリクトが宝瓶宮に持って行ったが、昔から悪童だったライガには鍵穴を針金やヘアピンでこじ開ける事など朝飯前だった。
ドーデムの執務室に入ると、ライガは扉を閉め、室内を見回した。
犬猿の仲だった彼の私室を見る機会など、生前からあった例がないが、予想していた以上に”普通”な感じのする部屋だった為、少々拍子抜けした。偏見の掛かっていたという事もあるが、もっとごてごてと飾り立てられた嫌味なレイアウトを想像していた。
──あのペネロープという気の強そうな秘書に、あまり散らかすと怒られるのかもしれない。
と、思ってから、いや、と考え直した。
事によると、これこそが最も彼らしいという事なのではないだろうか。
五大近衛宮の騎士長執務室に共通した、事務机と来客用の長椅子、棚が二つというインテリアは同じで、あとは観賞用の多肉植物の鉢があり、派手な色といえば絨毯の金色だけだ。だが、それもファタリテの象徴色であり、そこまでミスマッチという訳ではない。
もしかしたらそれは、先代騎士長であった匍匐獅子──ロディ・エルヴァーグの頃から変わっていないのかもしれない。彼は高慢で狡猾、名誉欲の塊であり身内贔屓も激しい男だったが、貴族であり英雄の末裔であるという矜持は本物だった。故に、私生活では常に節度が保たれていたという。
そしてドーデムも、父のパートナーでありライバルでもあったロディの事を尊敬していた。だからこそ彼は騎士長を継ぎ、エルヴァーグの名を名乗るようになったのだろう。
ドーデムは、尊敬する彼の守ってきた伝統を壊したくはないと思っていたのではないだろうか。或いは、自らも貴族としての誇りを持ち、節度のある生活態度を心掛けようとしていたのでは。元々、父のナサニエルという男は子供の躾に関しては厳しかったらしい──。
(……って、俺は何であいつを理解しようとしているんだ?)
ライガははっとし、慌てて首を振った。
だとしても、やはり自分は彼を見直す気にはなれない。人格の根本が捻じ曲がっていると感じるのは、昔も今も変わらなかった。
彼は、犯罪に手を染めていた。死霊化者である自分にそれを非難する資格はないのかもしれないが、自分が死んでいる間に、彼が亡きマロン=エキュレットの代わりにアウロラ姫の婚約者となっていたという事を聞いた時から、ずっと憤りは禁じ得なかった。そして今では、彼女の結婚相手は犯罪者なのか、という思いが胸奥で暗く渦巻いている。
だが、シアリーズは言っていた。
──私は──彼の事も、信じてみたいと思います。
(本当に大丈夫なのか? あいつは、憎んでいる死霊化者の魔導具を発見していながら、隠していたかもしれないんだぞ)
ライガは胸中で呟きながら、まずは壁際の棚を下段から開け始める。フェートの騎士たちがヤーツ邸から押収した時、「右手」は最初にライガたちがネイピアの村で回収した「左手」のように円盤様の魔導具の中に収められていたというので、フォースタス・ハントが昨夜奪還した時のままの形で獅子宮に持って来られて保管されたのだとしたら事務机の抽斗にはまず収まらない。
といっても、一応は全て手を抜かずに調べるつもりだった。円盤の中から出されて包み直され、何処かにしまい込まれている可能性。或いは、「右手」ではない他の物証がこの部屋から見つかる可能性もある。
そして、この部屋から何も出なかったとしても、獅子宮全体での捜索は続けられるのだ。その途方もない作業を思えばげんなりしそうになるが、不満を口にしても仕方がない。
(証拠がないと裁けない……そりゃそうなんだけどさ)
ライガ自身も、その原則によって生かされているのだから文句は言えない。
自分はモルガンでのイスラフェリオとの戦いにて、ドーデムの目の前で死霊化術を使用した。
ドーデムは、こちらの事を個人的に憎んでいる。それは少年時代から仲が悪かったという事以上に、自分が生前に行った所業によるものが大きい。
帰らずの地で騎士団によって討伐されるまでの、自分が帝連を離反してからの「失われた一年間」の記憶。その空白の期間に入る直前、旧公国首都ヴァイエルストラスで引き起こした惨劇。その際、自分は彼の友人であったゼムン・タッドポールを殺害している。
彼の尊敬する匍匐獅子も、自分が原因で息子マロンの命が失われてしまい、酷く傷つけられた。しかし、その事で、自分はマロンの事を愛していたアウロラに謝りたいと思ってはいるものの、ロディに対しては罪悪感を抱きこそすれど一方的に謝る事には心理的な抵抗を禁じ得ない。
リクトから、自分が帰らずの地で討たれた後、ファタリテの取り分として遺体を与えられたロディはそれを晒し物にし、辱めたと言った。恐らくロディ自身が、漆黒剣アルターエゴや魔導書ガルドラボークなどの他の宝物を差し置いて所望した分け前だったのだろう。リクトはそれを「許せなかった」と言ったが、ライガ自身はそれを聞いて「無理もない」とコメントした。
ライガがロディに対し、一方的に謝る事について抵抗を感じるのは、決して自分自身の為などではない。
彼もまた、こちらの大切な人々を傷つけた。
そう思った時、思考は、ウカノフに契約を解かれて連れ去られたシュラへと流離いかけた。
慌てて散漫になる集中力を呼び戻し、ライガは捜索を続ける。
──ここにも「右手」はない。他にも、ドーデムの犯罪の裏づけになるようなものは見当たらない。
落ち着け、苛立つな、集中しろ……自己暗示を掛け続けた。焦っても、状況が好転する訳ではないのだ。
そして、いよいよ一つ目の棚の捜索が終わりに近づき、いちばん上の最後の一段を開けようと取っ手に指先を掛けた時だった。
廊下から、突如としてバタバタという大勢の靴音がこちらに近づいて来るのが聞こえてきた。途端にライガは、脳内に「しまった」という思いを過ぎらせる。だが、遅かった。
中から掛けていた鍵が、外から開けられたらしく──マスターキーではない本来の鍵で──ガチャリという音を立てる。
扉が開くと同時に、そこに金色のマントを羽織った大勢の騎士の姿が現れた。
「何をしているのだ、私の執務室で?」
先頭に立ったドーデムが、目をギラギラと輝かせながら言う。余程走って来たのだろう、息は荒く、顳顬には汗が迸っている。
リクトは夜更けから明け方にかけて三、四時間程眠ったが、彼の方は昨晩から一睡もしていないのだろう、両目の下にはアイシャドウを引いたかの如き黒々とした隈が浮かび、顔もやや浮腫んでいた。
が、その表情には抑え難い興奮が滲んでいた。その興奮の憑拠は、凄まじいまでの憤怒と歓喜だ。あたかも、幾星霜の辛苦の末、討つべき仇の居場所を突き止め、追い詰めたというような。
「ドーデム、お前……これまで何処で──」
思わず言いかけてから、はっとして首を振った。
腰に提げた円筒から、リクトに託されたシアリーズからの命令書を取り出し、突き付ける。
「私は女王陛下のご命令で、ここの捜索を行っているのだぞ!」
「白々しい演技はやめろ、ライガ・アンバース!」
ドーデムは一蹴し、手刀を切るように右手をさっと振った。
途端に、ライガは拘束術に両腕と胴を巻き締められた。両腕でバランスを取れなくなり、よろめきかけたものの、何とか踏み留まる。自らを縛める霊力の輪に指先を微かに触れさせ、除霊術による解除を試みたが、その瞬間エッガ・セルが素早く進み出て背後から床に押し倒してきた。
「動くな」
低く囁かれ、剣先を喉元に突き付けられる。ライガは歯噛みし、藻掻こうとした全身を止めた。
憎しみの深さから考えて、ドーデムはすぐにこちらが死ぬ事は望まないだろう。出来るだけ時間を掛け、苦しめながらじわじわと嬲り殺しにしようとするはずだ。しかし、やむを得ない場合は瞬殺も躊躇わないかもしれない。
彼は、死霊化者であるこちらが死ぬ事について、何の情も持ち合わせていないのだから──。
「セル、そのまま押さえていろよ」
ドーデムは、こちらの手から舞い落ちた命令書を拾い上げ、くしゃりと手の中で丸める。それを傍らに居るペネロープ・イタキの手に押しつけると、彼女は掌の上で火属性文法を発動し、無言で燃やし尽くした。
「君がぼろを出すのを、ずっと待っていたんだよ」
彼はこちらに歩み寄って来ると、屈み込み、恋人にそうするかの如く、ライガの頰になぞるように指先を這わせた。
そして、ガラルの肉体で復活した後に現れ、変身術を使っても消えない反逆者の烙印を隠す絆創膏を無造作に剝ぎ取った。




