『リ・バース』第二部 第14話 Hǫfuð④
④ リクト・レボルンス
──落ち着け。動揺するな。
封鎖された地下へと続く階段の踊り場で、円柱の陰に隠れたリクトは自らの逸る胸を宥めていた。
シアリーズから正式な命令を出して貰い、午前中から捜索を行っていた獅子宮ではない。昨夜、ドーデムとフォースタス・ハントによって侵入を受けた宝瓶宮だ。事件現場の二ヶ所のうち、現在リクトの居るのはドーデムが物色を行っていた地下の宝物庫だった。
獅子宮の捜索は、名目上はフォースタスがフェートの騎士たちを負傷させて奪還した「右手」を発見する事が目的となっていたが、自分たちの本当の意図は、フォースタスが宝瓶宮の証拠品保管室を襲っている間にドーデムがしていた事の真相を確かめるという事にあった。
マークは結局、自分の飛ばしていた眼状霊魂に気付かれた為に尻切れに終わらざるを得なかった。肝腎の、ドーデムが宝物庫で何をしたのか──何かオルフェの弱みとなるものを発見しようとしたのか、或いは何かを盗み出そうとしたのか──という点について分からないまま終わり、放置してはならない懸念材料を残してしまう事になったのだ。
そして──捜索の結果、発見されたものは、先入観は持たないようにと言いつつも事前に予想していた事柄を遥かに超えていくものだった。
* * *
伝統を重んじるファタリテの性格がよく分かるような、古書や帝国建国以前に書かれたと思しき黄変した巻き物、鎧や一見して名剣と分かる武器の数々、宝石や貴金属の詰まった箱、絵画や彫刻などの芸術作品──といった品々が唸る程に収められた獅子宮の宝物庫の中で、その長櫃は奥の方にひっそりと、場違い感から却って目立つように置かれていた。
それ自体に金銀による精緻な細工の施された宝石箱が犇めく中、それは急遽用意されたかのような樫材の木箱で、防腐用の塗料だけが控えめに塗られて微かな反射を見せていた。
腕状霊魂を用いて慎重に開くと、その中から現れたのは、大小の人骨を捻じり合わせて作られた歪な杖だった。
「オムグロンデュ……!?」
あまりの事に、ライガは気が動転し、咄嗟に厳密には違う事に気付かなかった。リクトもそうなりかけたが、すぐに冷静さを取り戻して言った。
「そのコピーだね。ウカノフが、イオニアに作らせた十五本──一本壊れたから今では十四本か、そのうちの一本だろう」
「それが、何でこんな所にあるんだよ?」
ライガは疑問を口に出していたが、考えられる可能性は幾つかあった。
まずは、ナサニエル・ヤーツが本当に「影」と繋がっていた、という事。その場合、この事は、息子のドーデムもまた彼と立場を同じくして「影」に通じていたという事になるが、それでは様々な事に辻褄が合わなくなる。
或いは、ドーデムが昨夜、物色した宝瓶宮の宝物庫からこれを発見し、持ち出して来たという事。
こちらの方が、直感的に信憑性が高いような気がした。
しかし、そうだとすると……
「そうだとすると、由々しき事態だ」
ドーデムも、同じ事を思ったのだろう。しかし、では何故夜が明けてすぐに──いや、これ程の異常事態なのだから夜のうちでも構わない、訴え出なかったのか。事が宝瓶宮で起こったものだから、平時に通報すべきフェートでは信用ならないと思ったのだとしても、天秤宮にも夜勤をしている者は居た。
潜入捜査が非合法的なものだったから、自身にペナルティが課される事を恐れたのか。しかし、この事でテレサ先帝妃らがオルフェを──そこまで絞れずともフェート内部の者を疑い始めれば、自分や父親の身の潔白を証明出来るメリットの方が勝ったのではないか。
それとも、ドーデムはやはり私怨から、父親を失脚させたオルフェへの復讐を目論んでいるのだろうか。昨夜、こちらがマークを中止して以降彼は姿を見せないが、それは何らかの準備をしている為なのか。
そして、もう一つの可能性──ドーデムが、まだ己の管轄宮の宝物庫に、魔杖オムグロンデュのコピーがある事に気付いていない、というもの。
ナサニエルと同じように彼をも陥れる為、「影」が彼の”汚職”の物証となるようなものを仕込んだという可能性──。
「……一旦、これはこのままにしておこう」
リクトは言い、発見した杖に「所有術」を施しておくようライガに頼んだ。確保した聖体にそうしているように、誰かに持ち出されようとした時にすぐ察知出来るようにする為だ。
「ここからは僕たちも、公的でない捜査に切り替えなきゃ」
「どうするんだ?」
「二手に分かれる。ライガ、君は引き続き、ここ獅子宮の捜索を頼む。ハントの奪還した『右手』がまだ見つかっていないからね。……ドーデムがここまで、何も妨害をしてこないのが怪しい。一応リィズの書状を見せれば何処でも捜索可能だけど、その姿で他のフォルトゥナの者の前に出るのはマズい」
「だけど、ここじゃボムにも化けられないぜ」
「一旦、部下たちに警戒態勢を解くように僕が命じておく。丁度もうお昼だ、彼らを引き揚げさせてから、君にドーデムの執務室を探って貰う」
「おいおい、俺はお昼抜きかよ?」
ライガは──恐らく精一杯──冗談めかして言ってから、
「けど、そうすると」
懸念を口にした。
「俺が探っている間、さっきみたいに執務室にファタリテの奴らが近づくのを防ぐ事は出来なくなる」
「ああ、だから少しでも不穏な気配があったら、どんなに途中でも捜索を中止して引き揚げるんだ。君の正体を知られる訳には行かないからね」
「了解だ。で、お前はどうする?」
「宝瓶宮を調べる」
* * *
地下の宝物庫へと続く階段を下りながら、リクトは今し方跨ぎ越して来た規制線を振り返った。
名目上、現場の保存という事になっているのだろう。しかし、あのオムグロンデュのコピーが本当にここで発見されたものだとしたら、オルフェにとっては部下であるフェートの騎士たちがここに立ち入る事は都合が悪いはずだ。
彼を訪ねようとしている風を装いながら、リクトは宝瓶宮に入った。当然ながら途中でフェートの者たちとも擦れ違ったが、彼らは聖光士が自分たちの管轄宮を歩いている事に疑問を覚えた様子はなかった。
現場周辺で、騎士たちが警備を行っている様子などはなかった。それは、オルフェがわざと人払いを行った為なのか、それとも証拠品保管室の一件に人員が割かれ、こちらの捜査は後回しにされているだけか──。
(オルフェは、宝物庫を荒らしたのがドーデムだと気付いているんだろうか? フォースタスの件で、誰であろうとヤーツ邸から押収した『右手』を盗む為に入った訳ではないとは分かっているはずだけど)
リクトは考える。
(本当にあの杖がここで見つかったものだとして、オルフェはここにそんなものがあった事を知っていたのか? 知っていて、それが持ち出された事が分かったんだとしたら?)
ライガと二手に分かれ、非公式な捜査に切り替えてから、その旨はシアリーズとテレサ先帝妃を含めた”同志”たちと、ノレムだけに伝えていた。前者には、発見した杖の事も全てを告げ、後者には「有力な証拠が見つかった」という事、「諸都合の為にこれから宝瓶宮の捜索を行うが、その事は決してラナ副騎士長以外の者には口外しないで欲しい」という事をメッセージに含めた。
ノレムからの返事は、簡単明瞭だった。
『了解しました。くれぐれも気を付けて。 Nolem Pickles』
何かを隠している、と勘繰られるのを承知の上でノレムにも報告したのは、彼に対してオルフェに疑いが浮上した事を暗に示す為だった。
カルマ騎士団は、聖体の大部分を回収する事に大きな貢献をした。特に副騎士長のラナは頭の切れる女性だ。ウカノフは目的を持って世界各地に聖体を仕込んでいたので、その法則性から計画の全貌が推理されるという可能性も十分に有り得ると敵は考えるだろう。
ライガがリーマンで掴んだ、世界の秘密に関する事柄は、思考実験だけで容易く辿り着けるようなものではなかった。が、こちらが掴んでいるそれらの情報は紛れもなく”真実”だ。こちらが聖体捜索に於いて連携したラナやノレムを”同志”に加えるという蓋然性は、敵にとっては否定しきれない。
もしもオルフェが黒だったら、彼らが何の警戒もしていないという状況は良くないのではないか、とリクトは思った。
自分の意図を、ノレムがメッセージの行間を読んで理解してくれるかは正直に言って怪しい。だが、彼がラナにこの文面を見せるのであれば、彼女の方は読み取ってくれるだろうと思った。
──現在、ペンタゴナ・パラスには疑心暗鬼が蔓延している。
数日前、”同志”たちで話し合いを行い、「影」の正体に関する情報を共有した時から、城内の者たちが互いを信じられなくなるという状況の危険性については検討していた。経緯は異なっているとはいえ、現在は懸念されたその状況に近しい空気感が城内に漂っている。
自分たちだけは流されてはならない、と思っていたリクトだったが、否応なく流されざるを得ない状況に陥っていた。
やむを得ないのであれば、軽挙妄動に走る前に、分からない事柄を一つずつ明らかにし、晴らせる疑いは晴らしていく。それしかない。
宝物庫の入口の扉には、やはり鍵が掛けられていた。が、それは即席で取り付けられた錠前であり、ドーデムが昨夜侵入する為に破壊した本来の鍵は壊れたままになっていた。
獅子宮の捜索の為、天秤宮から借りていたマスターキーはまだ持ったままだが、それで予備の錠前も開けられるだろうか、と一瞬不安が萌したものの、その心配は無用だった。
恐る恐る差し込んだ鍵で解錠は難なく済み、リクトは宝物庫の中に忍び込んだ。
獅子宮が絢爛豪華だったのに対して、ここは落ち着いていた。
というよりも、業務上盗み出されたら困るようなものを保管した金庫という性格が強い。几帳面に壁際だけに並べられた棚には、現金を収める為の箱ばかりがずらりと並んでおり、時折それらとは異なる箱があると思うと、中身は大量の書類らしく重い紙の音が鳴った。
皇家の宝物や建国当初の伝統ある品々は、五大騎士団の初代騎士長である五人の英雄の遺産を含めて殆どが天秤宮に保管されていた。自分たちの管轄宮で管理しているのはファタリテくらいだ。その上オルフェは几帳面で注意深い性格なので、大きくてかさばったりするものでない限りは、本当に重要なものは騎士長の執務室に保管し常に目の届く場所に置いている。
と、そこまで考えてから、では自分の目下行っている捜索も的外れなものではないだろうか、という不安が脳裏を掠めた。
──いや、これで構わないのだ。ドーデムが昨夜、ここを物色したのは事実なのだから。
そして、獅子宮には紛れもなくオムグロンデュのコピーがあった。
(それにしても……)
リクトは胸中で独りごちた。
(荒らされた割には、そこまで散らかってもいないな……オルフェが、午前中に片づけたんだろうか?)
となると、彼が黒だった場合、昨夜誰かが入った事で警戒し、自らに不利となる物証を始末してしまったという事も考えられる。ドーデムが持っている情報はリクトたちに比べると大分僅少なので、一見して「オルフェに不都合な物証」とそれ以外の区別がつかなかったという事もあるはずだ(オムグロンデュのコピーは誰の目にも判別出来るであろうものだ)。彼が手をつけなかったからといって、油断していいという事にはならない。
だからこそ、こうして今自分も捜索に来ている訳だが──。
(ここで駄目となると、彼の執務室も調べなきゃな。それはさすがに、非公式でやるのは無理があるか……)
このままでは自分までも、ドーデムと同じように疑いの目で見られかねないな、と思いながら、リクトは慎重に調査を続けていく。自分もライガに比べれば几帳面ではあるが、やはりフェートの者たちには敵わないと思う。
彼らは事件が起こった時、これと同じような捜査を関係各所全てで行うのだ。忍耐力も相当に試される。
ふと、一つの棚の前でリクトは足を止めた。
そこに、他のように箱ではない、亜麻布に包まれた物体が置かれていた。他の箱に比べるとサイズも大分大きく、あたかも骨壺を包んだ時のように縦に長く微かに丸みを帯びている。
オルフェが時折掃除を行っているのか、この宝物庫に納められた品々はいずれもそこまで酷く埃を被ってはいなかった。しかし、その亜麻布に包まれた物体の様子だけは明らかに異なっていた。
そこまで酷く、ではない。全く埃を被っていない。
あたかもごく最近、ここに置かれたかの如く。
「………」
ごくり、と、リクトは無意識に喉を鳴らした。入口の方を見、誰も入って来ない事を確認してから──外付けの錠前なので中から施錠は出来ない──、恐る恐るその物体へと手を伸ばす。
棚に置いたままの状態で、上部で結ばれている麻紐を解く。
包みを開いた瞬間、心臓が大きく跳ねた。
(これは……!?)
そこから現れたのは、半透明に透ける程薄い綿紗に更に包まれた、魔導具と思しきものだった。回転儀のようでありながら、軸に固定された物体があまりにも異様であったが故に、リクトは咄嗟に思考を停止せざるを得なかった。
それは、人間の頭部だった。
男のものだが、それはあたかも生ける屍のようだった。
皮膚は灰色に変じ、酷く肉が削がれて頰骨が露わになっている。頭髪は所々が抜け落ち、眼球は乾燥して落ち窪んでいるが、眼窩はかっと開かれて凄まじい形相のまま事切れた事がありありと伝わってくる。そのまま硬直したのだろう、葬った者は、この瞼を閉じる事が出来なかったのだ。
……そう、リクトには、彼が既に葬られた事を知っている。
生ける屍のよう、ではない。これは、ばらばらに解体された生ける屍そのものの頭部だ。
(あなただったのか……紅潔伯)
それは、先代カルマ騎士長──ノレムの亡き父親であるキューカンバー・ピックルスのものだった。
暫し、リクトはそのままそれと睨めっこを続けた。
十数秒後、はっと我に返り、慌ただしくポケットからHMEを取り出す。ライガに連絡を入れなければ、と思った。
「こちらリクト。宝瓶宮の宝物庫にて、聖体の最後の部位を発見した。所在不明だった聖体の『頭部』は、紅潔伯キューカンバー・ピックルスのものだった」
彼に持たせていた端末のアドレスを指定し、早口で音声を吹き込む。
「ライガ、そちらの捜索状況について、現状報告をお願いしたい。事が済み次第、待機しているエロイス、ニースと合流して白羊宮に戻り、僕の部屋で待機を。リィズたちに連絡をつけて、緊急会議を行う」
何箇所か噛んでしまったような気がしたが、構わず送信した。今は、意味さえ伝わればそれでいい。
端末をしまうと、リクトは「頭部」に向き直った。
これをどうすべきだろうか、と思った。
今手ぶらで引き揚げたら、再びここを訪れてこの「頭部」を回収する機会があるかどうかは分からない。オルフェに正直に話し、直接引き渡しを要求する事もこの状況では危険だ。だが、今から持ち出そうとするには、些かこの大きさの布包みは目立ちすぎる。
ライガであれば、腰に吊るすなどの”身に着けた状態”で変身術を使い、外見上見えなくして持ち出す事は可能だ。では追加でメッセージを送り、彼に宝瓶宮まで来て貰うか。……それもそれで危険だ。
それ以前に、これが「影」の策略によって仕込まれたなどという事でなかった場合、オルフェは何者かが持ち出した事に気付いた時点でより一層警戒を濃くするに違いない。昨夜ドーデムがここを調べ、持ち出さなかったのだとすると、これは状況が発覚した後でここに置かれたと考えるべきだろうが──。
と、考えを巡らせていた時だった。
しまったばかりのHMEが、着信音を響かせる。
ライガからの返信が来たようだ、と思い、リクトは再び端末をポケットから取り出した。
しかし、新着メッセージの文面に目を通した瞬間、体が雷に打たれたかの如く硬直してしまった。アドレスは確かにライガの端末だったが、送られて来たメッセージは彼のものではなかった。
『情報提供ありがとう、リクト・レボルンス。こちらはつい先程、私の執務室を物色していた隕命君主を拘束した。彼の右頰に貼っていた絆創膏を剝がしたところ、そこに反逆者の烙印が発見された為そのように判断した。何度か変身術を使わせ、変身後もそれが消えない事は確認済みだ。
あなたは彼の正体に気付きながら、その事を隠匿していた。立派に国家反逆罪が成立する。戻って来次第、あなたも拘束を行うので覚悟しておくように。また雲隠れを謀った場合、彼の命は保証しない。 Doodem Eruvarg Yeats』




