『リ・バース』第二部 第14話 Hǫfuð②
② PHASE〈2〉
宝瓶宮二階、証拠品保管室。
夜警のフェートの騎士二人が、両開きの扉の前で見張りをしていた。夜勤の騎士たちは、日没から交替で城内の警邏、この部屋の番、当直室での仮眠を繰り返す事になっており、彼らはそろそろ交替の時間帯だった。
別の騎士二人がやって来たら、彼らは仮眠を取りに行く。彼らは騎士長オルフェの同年代である中堅騎士で、夜勤の経験もこれまで幾度もあったが、今夜は恐らく過去最高に眠気が強く、辛い勤務だった。
三十路になると急に十代後半から二十代前半にかけての体力が落ちる、とはしばしば言われるが、日頃から訓練に励み、体力の維持に努めている彼らにそれは当て嵌まらない。この異常な眠気の原因は、あまりに立て続けに重大事件が起こり、ここ数日間が怱々たるものだった事だ。
ファタリテの騎士フォースタス・ハントが、味方の騎士に対する殺害未遂で拘束された事。更にその二日後にあった、元老長ナサニエル・ヤーツの家宅捜索と逮捕。彼が、現在城を騒がせている「影」と通じていた疑い。
彼らは二人とも、逮捕されてから沈黙を貫き通していた。
被疑者の取り調べは、尋問に掛けられる側のみならず、行う側も相当に神経を磨り減らす。現在ここで見張りをしている二人も無論、他の者たちと共に彼らの聴取には参加していた。
オルフェ騎士長はこの上で、次期元老長選挙に於けるシックマン候補の推薦人として、対立候補の逮捕という事態により各方面との話し合いにも追われているのだ。忙しさは、一般の騎士である自分たちの比ではないだろう。そう考え、この二人は自分たちを叱咤激励していた。部下の自分たちの方が、この程度でへばっていてどうするのだ、と。
暗い廊下の向こうから、照明石のカンテラを提げた人影が歩いて来るのを見、彼らは「やっと交替だ」と安堵した。何とか、居眠りせずに済んだ──そう思い、互いに顔を見合わせて息を吐いた。
「ご苦労! HMEを送っていないから分かっていると思うが、特に異常なしだ。このまま──」
片方の騎士が、やって来る人影に向かって呼び掛ける。しかし、その言葉が途中で不自然にフェードアウトした。
二人一組でのローテーションのはずだが、最初に見えた人影の後から、二つ目のカンテラの灯は現れなかった。接近するに連れ、その人物は確かに騎士団の制服こそ身に着けているものの、フェートの騎士である事を示す箔糸入りの蛍光色のマントを羽織っていない事に気付いた。
もう片方の騎士が目を凝らし、訝しげに声を出す。
「……おい、お前、ボードウィンでもモンテスキューでもないな?」
窓から差す微かな月光の射線上に入り、下からベールを捲るように顔が見えるようになる。先程までは、手にしたカンテラの灯りだけでは、手元と胴の半ば程までしか見えなかった。
現れた人物は、城の何処かから拝借して来たものだろう、仮面舞踏会で着けるような、顔の上部だけを覆うマスクを装着していた。それを見て、怪しい者でないなどと判断するはずがない。
「何者だ──いや、止まれ!」
見張りの騎士たちの眠気は、既に雲散霧消していた。
不審な人物は足を止めず、ゆっくりと、しかし一歩ずつ着実に近づいて来る。そして、照明石の光だけで十分に全身が見える距離まで近づくと、いきなり彼らに向かって右手を突き出した。
「真空に我在り、廻風往く道途に敵在り……摂理の名の下、我汝を誅せん!」
「おい、待て──」
「プロヴィデンス!」
突如として、風属性文法最高技が彼らに叩きつけられた。二人は咄嗟に抜剣し、顔の前で防御の構えを取る。障壁因子による防御は、発動するまでの時間が掛かるので行えなかった。
無論、剣での防御は、叩きつける風の塊を散らし、威力を分散させこそするものの完全にそれを殺すものとはなり得なかった。
騎士二人は左右に吹き飛ばされ、壁に強かに体を打ちつける。鍵の掛かっていた背後の扉は砕け散り、絢爛豪華な装飾の施された石材が証拠品保管室の内外に雨霰と降り注ぐ。
襲撃者は俄かに加速し、室内へと駆け込んだ。
吹き飛ばされた騎士二人は立ち上がろうとするが、不意を突かれた事によりダメージも大きく、やや時間が掛かった。
「畜生……!」
先に身を起こした片方が、保管室に入った曲者に向かって文法を放とうとしたらしく、掌を突き出して白金色の魔方陣をそこに展開した。が、相方が「馬鹿っ!」と叫び、逸早く彼の手首を掴んだ。
「室内にそんなものをぶち込んでみろ、証拠品が吹き飛んじまうぞ!」
「だからって──」
「直接確保するしかない! 夜空刃!」
剣技を発動し、そちらの騎士が室内に飛び込む。先に魔術を使おうとした騎士はチッと舌打ちし、同じく剣を振るって続いた。
室内に入り込んだ曲者は、古い順に証拠品が並べられた棚の最も新しい辺りを物色し、目的のものを見つけたらしくそれを手に取っていた。小型の円盾のような、円盤様の魔導具。それは開閉可能で、中に何が入っているのかはフェートの誰もが知っていた。
聖体──「右手」。ヤーツ邸からは、この形のまま回収された。
「貴様、まさか──」
先に闇属性剣技を繰り出しつつ曲者に肉薄していた騎士が、言いかけつつ横薙ぎで敵の体を捉えようとした。曲者はそれに対し、手にした魔導具を本物の盾の如く突き出し、ガードする。
闇属性の黒紫色の光果と、金属同士がぶつかり合って生じた火花が混ざり合って飛散し、暗闇に閉ざされた室内の空気を一瞬閃かせる。
剣技が終わり、短い技後硬直に陥っている騎士に向かって、曲者は円盤を脳天から叩きつけた。
反撃を喰らった騎士は、兜を被っていた為頭部を西瓜の如く叩き潰されるという事は起こらなかったが、脳震盪を起こしたのか足元を蹣跚とさせながら二、三歩後退した。二人目は仲間を下がらせつつ、曲者の顔の高さで突きを放つ。低い位置で攻撃しても、今し方のように魔導具で防御されると考えたのだ。
彼──最初に詩文を詠唱した声は、やや高いながらも確かに男のものだった──もやはり、スピードが重視される刺突技に対して重いものを頭部の方まで持ち上げての防御は困難だと判断したらしく、回避を選んだ。
それは成功したが、完全ではなかった。直前に、重力に引かれるのに任せ、勢いをつけてものを振り下ろしていただけに、即座に動けなかったらしい。側頭部を通過して項の上辺りで結ばれているマスクの紐が、微かに削がれた曲者の肉と共に断たれて舞う。
露わになった銅版画の如き顔に、攻撃を繰り出した騎士は歯噛みした。
「ハント、貴様……!」
声を聞いた時から、もしかしたらとは思ったが、確信は持てなかった。取り調べを行う間、彼は黙秘に徹し、殆ど何も喋らなかったからだ。
フォースタス・ハントは、微かに顔を顰めながら円盤を小脇に抱え、自由になった右手で得物である短細剣を抜いた。その花青色の刀身に、風属性を表す翡翠の光果が纏わる。
「捲竜旋!」
──何故、彼がここに居るのか。
自らに迫る剣技を目捉しながら、騎士は悠長にもそのような事を考えていた。
釈放されたのか。しかし、日中にそれが決まっていたのだとしたら、蛍虹伯から自分たちに連絡が来たはずだ。では、夜になってから釈放が決まり、手続きが受理されたのか。
そのイレギュラーともいえる程の早業も気になるが、それ以上に疑問を感じる事があった。
その場合、彼は拘置所から解放されたその足で、この宝瓶宮に攻撃を仕掛けて来たという事になるのではないか──。
「おい、何があった!?」
外から、二人分の靴音と共に叫び声が近づいて来た。
その瞬間、狙いをつけられていた兵士はフォースタス・ハントの剣に、金属防具に包まれた胸板を痛撃され、刹那に呼吸を奪われながら、真後ろに居た同僚諸共室外へと吹き飛ばされた。
床の上をごろごろと転がった自分たちに、叫び声の主たちがあっと叫んで駆け寄って来る。交替の二人だった。
「ボードウィン、モンテスキュー……」
「パトロール中のウォリックたちが気絶させられていたぞ。相当手練れの賊でも紛れ込んだのか?」
ボードウィンと呼ばれた方の騎士が、最初に殴られた方の騎士を助け起こしつつ保管室に視線をやり、そこに円盤を抱えながら立つファタリテの男の姿を捉えるや目を見開いた。
「何故、ハントがここに……!?」
「鷹嘴連!」
追い討ちとばかりに、フォースタス・ハントは更なる剣技を繰り出す。今度は短剣カテゴリの無属性技、垂直斬り三連撃だ。短細剣では、短剣、細剣カテゴリの技をどちらも繰り出す事が出来る。
しかし、当然ながら騎士たちはその間合いからは遥かに離れていた。斬撃を飛ばして攻撃しようとした訳でもないらしい。彼が狙ったのは、床から土埃を上げ、目晦ましを図る事だったようだ。
とはいえ──。
「……っ!」
何故それが成功するのか、という事を、騎士四人は皆一様に考えていた。
城内の廊下は、大理石で出来ているのだ。たかが剣技の一発や二発で破損し、粉塵を巻き上げるという事の方がおかしい。ましてや、相手の使ったのは片手直剣に比べて重量の劣る短細剣だ。どれだけ、使い手本人の腕力が込められた剣技だったというのか。
叩きつける衝撃から顔を伏せて庇いつつ、そのような事を考えていたフェートの騎士たちだったが、それが収まると、一人があっと我に返ったように叫んだ。
晴れゆく土煙の向こうで、フォースタス・ハントは窓を壊し、「右手」を収めた円盤を抱えたままその枠に攀じ登っていた。窓外に身を乗り出した彼の踵に、小さな風の渦が生じている。空中滑走術だ。
「マズい、逃げるぞ!」「させるかっ!」
後から駆けつけた無傷の二人が、それぞれの愛剣を抜き放ちながら我先にと彼へと向かって行く。
彼はちらりと振り返ると、
「トルネード」
室内に竜巻を発生させ、二人の行く手を塞いだ。
形状もサイズもまちまちの証拠品が、巻き上げられて保管室を乱舞する。相手へと飛び掛かった二人は歯噛みし、無念さを噛み締めながらも各々に繰り出しかけていた剣技を中断して室外へと退避した。
荒れ狂う「竜巻」の、珪孔雀石を巻き込んだかのような緑色の光を含みながら立ち昇る風の向こうに、フォースタス・ハントが深更の空へと翺翔して行く小さな影が微かに見えた。




