『リ・バース』第二部 第13話 Political Enemy⑦
⑦ ラナ・ピックルス
「……そうか。ようやく……」
ベッドに仰向けになった父アンタークは、腹式呼吸の息を長々と吐き出した。
その顔には感無量といった表情が湛えられていたが、ラナには何処か寂しそうにも見えた。
「ようやく、彼は帰って来たか……」
きっと彼は、状況が一つの区切りを迎えた事で、改めて自らの気持ちを解放する事が出来るようになったのだろう、と思う。ラナとしては、引退した父には自分たちの現在直面している問題の事で過剰に神経を磨り減らしたりする事なく、穏やかな心境でいて欲しかった。しかし、彼は娘が懸命に目下の局面を乗り越える為に東奔西走している事を知っているので、自分だけ知らん顔でのんびりと日常を過ごしていていいのだろうか、とも思っているようだった。
体力が衰えているのだから、幾ら彼が「したい」と望んだ事であっても、出来ないものは出来ない。だから、その事について彼が忸怩たる思いを抱く必要はないし、こちらに申し訳ないなどと思わなくてもいい。
本当に心配を掛けたくないのなら、ラナも彼に、バルドバロア王廟で件の「ホヴズ」が──あの回転儀型の魔導具が発見された時から、その事を報告したりなどせずノレムとの間だけで秘密を共有していれば良かったのだろう。しかし、自分は今まで、娘を想う父の気持ちに甘えてきた。
「これで真に、弔う事が出来るな」
「ええ、お父様」
ラナは肯き、弦楽器リラの腕をぎゅっと握り締めた。
今まで自分一人で行っていた捜索を、スポットを絞った上でカルマ騎士団を挙げての人海戦術に切り替えてから、聖体の最後の部位である「右手」を除いた十個は一ヶ月足らずで回収された。そして二日前、「右手」は何故か、元老長ナサニエル・ヤーツの自宅から押収された。
──いや、「何故か」ではない。何となく、何があったのかについては予想がついている。
まだその事を知らなかった四日前、聖光士は、まだ未発見の聖体があるという事を報告したラナに対して「一旦カルマの方々には休息を摂って欲しい」という旨を伝えた。恐らく、あの時点で彼は、既に「右手」は捜索の過程で発見した十個のように各地に仕込まれている訳ではないという事を知っていたのではないだろうか。リーマンで、何か情報を掴んだのかもしれない。
ともかく、これで聖体は、全ての部位がユークリッドに集まった。
「聖光士らは、切り離された聖体を一つに集め、生ける屍の肉体を復活させるつもりのようでした」
ラナは言葉を続ける。
「その上で、ガウスで捕縛したラオコーン・シュバーンの『回顧録』で記憶を見る事が出来れば──」
「あの男が黒であるという事は、ほぼ確定する」
アンタークは先を引き取って言い、枕の上で首を振った。
「おかしなものだな。私も、この期に及んで尚、まだあの男を信じたいという思いがある」
「それは私もですよ、お父様」
ラナは言い、リラの弦を数本爪弾いた。
「お父様の活力維持の為に奏でるこの楽曲に、偽りがないように……ノレム兄様もまだ、その事には感謝しているのです。本当は誰の事だって、疑いたくなんてないんですよ」
彼は、優しい人だから。
胸中でそう付け加え、ラナは気付かれない程度に微笑した。
「しかし、やはり状況は今の時点でも大分不穏です」
ヤーツ邸から発見された「右手」は、フェート騎士団が押収して宝瓶宮に持って行ってしまった。聖光士らが考えている通り、聖体の全ての部位が揃わなければラオコーンの「回顧録」が有効でないという事になると、蛍虹伯に頼み、引き渡して貰わねばならない。
フェートがヤーツ邸の捜索を行った理由は、ナサニエル・ヤーツが「影」と密かに繋がり、聖体を私物化して彼らに横流ししようとしているという旨の匿名の密告があった為だという。
では、その密告者はどのようにして、聖体がヤーツ邸にあるという事を突き止めたのか?
(相手の方でも、私やノレム兄様が警戒している事には気付いているはず……今まではもしかして、わざと私たちを泳がせて様子を見ようとしていたのかもしれない。だけど、目に見えるような干渉を行う訳には行かなかったから)
きっと、これ程早く聖体全てが回収されるとは、相手も思わなかったはずだ、とラナは考えた。
自分たちによる各地の一斉捜索が始まり、それが的外れなものではなかったと分かった時、敵は焦っただろう。しかし、立場上大々的にこちらに手を出す事は出来なかったのだ。
それに加え、本当に「影」と繋がっていたのかはさておき、ファタリテが──というよりもヤーツ親子が──独自の思惑で動いているのも確かだ。フォースタス・ハントがフワーリズミーでこちらを襲った事も、恐らく彼らの動きに関連した出来事なのだろう。その事が、現在敵にとってはプラスに働いているのか、それともマイナスに働いているのか──。
「……聖光士らにも、私たちと同じ疑いを抱いて貰わなきゃ」
呟くと、アンタークが「その事に関係するのだが」と言った。
「『ホヴズ』の事はどのようにして、彼らに明かすつもりだ? ノレムは、やはり自然に聖光士らが敵に辿り着く事を望んでいるのだろう?」
「ノレム兄様は──」
言いかけ、言葉を切った。
少し考えてから、ラナは慎重に言う。
「『ホヴズ』は現在、私たちの確保している唯一にして最大の物証です。使いどころを誤れば、私たちの方が不利な立場に追い込まれ、最悪の場合自滅する事にもなりかねない」
「敵も、お前たちがそれをどのように使うのか、同じくらい慎重に見極めようとしているはずだ」
アンタークは肯き、数瞬の緘黙を挟んだ後で続けた。
「打つべき一手を、お前たちがここぞと見極めたタイミングで、お前たちに先んじて打ってくるぞ。何事も断言は出来ないが、ここまでカルマの身内だけで事を進めた以上、今から全てを正直に聖光士らに打ち明け、物証を見せる事は得策とは言えないだろう」
「ええ……」
「聖光士らがお前たちの方を疑う、という意味ではない。敵の方で、それに先んじてお前やノレムを陥れようとするかもしれん。ナサニエル・ヤーツに対してそうしたようにな」
「やっぱり、お父様も──」
ヤーツ元老長は、自分たちで敵に対して不都合な動きに出ようとし、先手を打たれたのだ。
彼らが、自分たち程真実に肉薄していたとは思わない。むしろ彼らは、彼ら自身の利と、ややもすれば聖光士個人への私怨の為に動いていたのかもしれない。だが、その事が意図せず別方向からの不幸を招いた。
ラナたちは、聖光士らがネイピアの村で初の「影」との戦闘を繰り広げた末、現在一つ目のものとして扱われている「左手」を持ち帰る以前から、その後聖体と呼ばれるようになった例のものが世界に存在する事を知っていた。だから、後に情報解禁によって彼らと協力するようにはなったものの、あくまでこれは自分たちの戦いであるのだと思っている。
敵が戦っている相手は、間違いなくラナたちだ。
「……これから数日のうちに、聖光士らは『右手』の引き渡しを求めるべく宝瓶宮に赴くでしょう」
ラナは、声を低めてそう言った。
「好機はその時です」
「………」
アンタークはぐっと押し黙り、こちらの顔を見つめる。皆まで言わずとも、ラナが何を考えたのか分かった、というような顔だった。そして恐らく、ノレムも同じように考えるだろう、と。
その瞳に、ラナは父が先代騎士長、紅潔伯キューカンバーの片腕として現役だった頃の鋭さが蘇ったように感じた。
──もっと、父と共に戦いたかった。このように、自分一人では覚束ないような大きな問題に直面している時、傍で一緒に戦って欲しかった。
(だけど──)
「お前なら大丈夫だ、ラナ」
アンタークは、いつものようにこちらを励ましてくれた。
「ここまでやってこられたのは、他でもない、お前の実力なのだから」
「私だけの、という訳じゃありませんよ」
先程の続きを、ラナは胸中で呟いた。
──だけど、一人では覚束ないような問題かもしれないけれど、自分は一人でここまでやってきた訳ではない。ノレムや他の騎士たち、聖光士、多くの者たちに助けられたお陰だ。
それも、いよいよ大詰めとなるのだ。
ノレムはいつも、自分は自分一人で騎士長なのではない、と言う。自分は非力だから、ラナたちの支えも含めて、騎士長としての自分の実力と呼ぶのだ、と。
それは、こちらにとっても同じ事だ、とラナは思った。
* * *
「──了解しました。くれぐれも気を付けて」
翌々日、ノレムからの出頭命令を受け、双児宮の彼の執務室を訪れた時、彼はHMEにメッセージを吹き込んでいた。入室と同時に送信を完了したらしく、彼はすぐに端末をしまってこちらを見た。
「お疲れ様、ラナちゃん」
「ノレム兄様。聖光士からのご連絡ですか?」
尋ねると、彼はこくりと首肯した。
「進展があったって」
今朝から聖光士らは、獅子宮の捜索を行っていた。
蛍虹伯は何をしているのか、ヤーツ邸から「右手」が押収されてから四日目だというのに、未だにドーデム・ヤーツは逮捕されていなかった。そのドーデムが、どうやら昨晩宝瓶宮の宝物庫を荒らしたらしいという話が、今朝聖光士からノレムに伝えられた。
ナサニエル・ヤーツが家宅捜索を受け、逮捕される前日、聖光士はやはりリーマンで情報を得ていたらしく、先のカヴァリエリ攻略作戦に於いてドーデムと共に指揮を執ったデスタンのネクアタッド騎士長に、作戦の際に新生ジフト軍から「右手」が鹵獲されなかったか、と話を聴きに行ったそうだ。その結果、果たしてネクアタッド騎士長はその時点で「右手」の存在については知っており、ドーデムに「女王への報告は総指揮官の自分がする」と言われ、既にそれが行われたものだと思い込んでいたらしい事が発覚した。
ナサニエルが口を割ったという話は、未だに聞かされていない。しかし、聖光士はこのネクアタッド騎士長の証言をシアリーズ女王とテレサ先帝妃に伝え、ドーデムは天秤宮への出頭を命じられた。
それが、一昨日の事だ。証言を得てから間に二日間の空白があったのは、直後に起こったナサニエルの逮捕という事件によってそれどころではなくなり、後回しにされたかららしい。
そして、ドーデムはどのように釈明を行ったのか、未だにフェートによって強制連行されてはいなかった。
その釈明の場には聖光士は立ち会っていなかったというので、詳細は彼にも分からないという事だった。しかし、無論それで、彼らがドーデムに対する疑いを晴らした訳ではない。一昨日から昨日にかけて、女王は聖光士に、彼をマークするように命じていた。
「具体的に獅子宮で何が見つかったのかは、リクトは言っていなかった。オルフェたちが持って行っちゃった『右手』があったとかいう話なら、そう言ってくれればいいのに……」
ノレムはやれやれというように両手を上げてから、不意に
「ラナちゃん、ちょっと」
こちらに手招きしてきた。
ラナが彼の事務机に歩み寄って身を乗り出すと、彼は声を潜めて囁いてくる。当然ながら執務室には自分たちの他に誰も居らず、怪訝に思ったラナだったが、彼からの言葉を聴くに連れ、無意識に体が強張った。
「……宝瓶宮に?」
「午後から、リクトが」
ノレムは顎を引き、一層声を小さくした。
「午前中のうちに、あれの用意を。チャンスは今しかない」
声を潜めているにも拘わらず、はっきりとしたものの名前を言わない──無論それでもラナには伝わる──のは、彼がいつになく警戒している為だ。普段の穏やかな彼らしからぬその様子は、違うとは分かっていても今の彼は別人なのではないか、などという気をこちらに起こさせる程だった。
白羊宮が「影」に襲われ、密室から聖体が盗まれかけたという前例はある。彼の警戒も、全く意味のないものではないのだが……
「本当に──」
ラナは、同じくらいに声量を落として言った。
「本当にいいんですね、ノレム兄様?」
確認しながら、汗ばんだ握り拳を胸元に押し当てる。心臓の鼓動が、戦闘の直前の如く速まっていた。
(お父様……)
「泥棒の真似事をする時間はありません。事実上、私たちから彼への宣戦布告という事になりますよ」
「分かっているさ」
ノレムは言い、机上で組んだ指にぎゅっと力を込めた。
「今までは、素知らぬ顔をし合うのが暗黙の了解みたいになっていたんだ。それを今日から、はっきり分かる形でやっていこうって事だよ。それに、リクトたちが完全に味方になってくれたら心強い」
言ってから、彼はこちらに距離を近づけすぎた事に気付いたらしい、我に返ったようにさっと身を引き、顔を赤らめながら咳払いを二、三回した。……こういうところは、どうにも変わらない。
彼はふっと息を吐き、「ラナちゃん」とこちらを呼ばった。
「ここまで、僕に付き合ってくれてありがとう」
「まだ早いですよ、ノレム兄様」
ラナは微笑み、そう返した。
これからする事を思えばまだ気を緩める訳には行かないのだが、それでも先程までの緊張が幾分かは和らぎ、動悸も収まった。
「最後まで、私はノレム兄様に付き合います」
第十三話「Political Enemy」はこれでおしまいです。ドーデムはやはり二面的なキャラですが、彼の名前「Doodem」はオジブワ族の言葉で「私の家族」「氏族(クラン)」を意味する語句であり、彫刻標柱である「トーテム」の語源です。名字「Yeats」は詩人イェーツに由来します。本作には他にもデルヴァンクール(作曲家)など芸術に関連する実在の人物からつけた姓の人物が居ます……と書いてから、他にはそれくらいしか居ない事に気付きました。
オルフェとドーデムはしばしば対立する事があり、少年時代にもオルフェはドーデムと諍いを起こして負傷しています(第一部第七話参照)。今回も、ドーデムが心の中で彼の事をかつて名乗っていた「アッシュ」の姓で呼んでいる場面がありますが、彼がイェスネットを名乗るようになってからもそう呼んでいるのは、先代アレイティーズの隠し子であり、イェスネット家の汚点であるという見方を今でも崩していない、という意思表示です。
ラナのパートでは、いつも重要な事がしれっと明かされます。ガウスでライガとリクトが遭遇したカルマの騎士たちの生ける屍がやけに古びていた理由などもそうですが、彼女やノレムも何やら独自の動きをしています。彼らに関しても、何処までを知っていて何処からが知らないのかが曖昧な書き方をしていますが、この先の動向にもご注目です。
細部のネタとしては、今回ドーデムのパートで「これ以上は、煉瓦の壁に話し掛けるようなものだ」という箇所がありますが、これは英語の慣用句で、日本語の「暖簾に腕押し」と似たような意味です。また、キルヒムがフーとアノニムの隠れ家を訪れる際の合言葉は「蠍の針は憎しみから来るものか?」「いや、その本性から来るものだ」でしたが、これはイソップ童話の「蠍と蛙」という寓話に由来します。『破天のディベルバイス』や『神器』にも似たような場面がありますが、私は合言葉ネタが好きです。
次回も急転の回になりますのでお見逃しなく。ここまでご精読ありがとうございました。




