『リ・バース』第二部 第13話 Political Enemy④
④ フー・ダ・ニット
大陸南方、リンペラトリーチェ王国リウヴィル。
レトワール首長国との国境沿いに脈々と続く突兀とした岩山。その一つの中腹、天然の風食洞窟を利用した隠れ家の中で、フー・ダ・ニットとアノニム・アノニマスは人を待っていた。
レトワール、フワーリズミーのジージュ石窟にて、聖体の捜索を行う件のカルマの女騎士、更に彼女に同行していたフォルトゥナの騎士見習い──例によって聖光士の”同志”の二人、エロイス・ネイサンとニース・バーディガルだった──に奇襲を掛け、思いがけないイレギュラーにより撤退を強いられたのが、丁度二週間前の事だった。
十日前、浮遊霊姫に貸与された権限で現地の「蠍」たちを指揮し、共に関所を迂回する形で国境を越えた。それからはこちらの国内に居た仲間たちと接触をつけ、とうにリーマンを脱出しているはずの双頭たちと連絡を取ろうとしたのだが、その時丁度「蠍」のネットワークを通じて、彼らの方から自分たちに対する伝言が伝わってきた。
こちらがレトワールに出向いて作戦に当たっていた事は、双頭たちにも伝わっていたようだった。その上で、現地協力者である暗殺者ギルド──殊更にジフト派ではないが、金さえ払えばどのような者にも協力する──の本拠地であるリウヴィルで落ち合おう、という旨が告げられた。
その”合流”の日時が、今日の午後七時だった。
「二週間だぞ? 二週間も掛けたというのに、何の成果も得られなかったとはどういう事だ? 百歩譲って更なる聖体が得られなかったのはいいとしよう、だが邪魔者たる例の騎士見習いたちをも仕留め損なうとは……」
「落ち着け、フー。見苦しいぞ」
いらいらと呟きながら隠れ家の中を歩き回っていると、火の番をしていたアノニムがいつもの調子で声を掛けてきた。
「出来なかったものは仕方がないだろう」
その無感動な口調が、今は無性に気に障った。
「お前は少し残念がれ!」
フーは、苛立ちに任せて怒鳴った。
「俺たちはまた、イブン様のご期待に沿えなかった。アノニム、あの石窟から脱出する時、お前が言ったんだぞ。一箇所にかかずらい、他の『蠍』を死なせるような事があってはならないと。結果はどうだ? あれから俺たちは、一つも聖体を確保出来なかった。イスラフェリオ殿下は聖体が全部で十五個あるとお考えになっていたようだったが、中継役は言っていたな、俺たちがフワーリズミーを出た時点で、既に五つのものがカルマに回収されていたと」
「ああ。これで所在不明のものは、残り三つだけになった。……フー、ここまで回収されたからには、あとはもう同じ事だとは思わないか?」
「むざむざ全てを奪われても構わないと? アノニム、お前は自棄を起こしたんじゃないだろうな?」
「違う、頼むから話を聴いてくれ。……分かるか? こうなったら、俺たちに出来る事はもう一つしかない。ペンタゴナ・パラスを襲い、奪われた部位全てを一括で回収する」
相方の言葉に、フーは絶句した。それこそ本当に自棄を起こしたような考え方ではないか、と思った。
が、冷静に考えれば確かに最早それしかないのかもしれない、という思いが胸裏に萌した事も否めなかった。
聖体が全て揃った時、何が起こるのかは分からなかった。しかし、正体不明のものを放置しておく事は危険が大きい。赤峨王はイブンらに、聖体の製法は不明であり、何故商工組合がそれを作れたのか、何故「影」がその使い方を理解していたのかは分からない、と告げたそうだ。リーマンがカヴァリエリ脱出後の赤峨王らを受け入れた事で、商工組合が裏切っているかもしれないという疑いについてはほぼ晴れたといってもいいが、まだ謎は多かった。
「双頭は、そのような作戦をお許しになるのだろうか?」
「分からないけど、現状ではそれしかない。とにかく、その事についても話し合う為に、俺たちはこうして待っているんだろう?」
「………」
アノニムの言う事はもっともだった。しかし、あまりにも彼は冷静すぎる、とフーは腹立たしかった。失敗続きにも拘わらず、敬愛するイブンからは見放されず、それどころか更なる機会を与えられたというのに、また汚名を重ねてしまった。その事に対して、彼は忸怩たるものを感じないのだろうか。
苛立ちが抑えきれない自分にも、問題はあるかもしれない。しかし、アノニムには人の心というものがないのか。
(俺は、期待に応えたかっただけだ。お前もそうではないのか?)
そのような事を考えていた時、隠れ家の入口を塞ぐように置いていた擬岩──簡易的な生成魔術で顕現させたもの──が、外に転がっている粗面岩の塊で叩かれる音が聞こえた。
アノニムが立ち上がり、喇叭のような形にした両手を擬岩に小さく開けた穴に押し当てて合言葉を言う。
「蠍の針は憎しみから来るものか?」
一、二秒の時差を経て、外から低く押し殺したような声が返ってくる。
「……いや、その本性から来るものだ」
絶霊喰鬼の声だった。自分たちにとって、その声を判別する事は造作もないが、この世界には変身術があるので油断は出来ない。
あらかじめ彼らからの伝言をこちらに伝えた中継役から教えられていた合言葉を聞いて初めて、アノニムは擬岩を消滅させた。
立っていたキルヒム・アサップは、目だけを出すように巻いた灰黄緑の外套を外しながら隠れ家の中に入って来た。どうやら、暗殺者ギルドを始め、この辺りの山岳の住民に紛れ込めるような変装をしていたらしい。彼が愛用し、何着も所持している黒い僧衣は、暗殺者たちの制服に似ていない事もないのでそのままだった。
「キルヒム様、ご無事で……」
「無事ねえ、まあ確かに俺は五体満足さな。けど、腹が減った」
彼は入って来ると、照明代わりの焚き火に掛けられた鍋に近づき、中の雑穀粥を柄杓で掬って直接口をつけた。粥は煮え滾っていたが、彼は熱さを感じないのかごく普通に嚥下する。
アノニムは擬岩を再生成すると、焚き火の傍らに戻って来た。
「他の皆さんは、何処に?」
「山の麓で待機中だよ。イブンは──」
キルヒムは言いかけたが、そこで突然くっと奥歯を軋ませ、柄杓の柄を握る手に力を込めた。その手の甲に血管が青っぽく浮かび上がり、フーは息を呑む。尋常でない程怒っているな、と思い、自分たちがこの後しなければならない報告の事を思うと胃が痛くなるような気がする。
しかしその前に、彼の態度に滲みかけた不吉な予感に、思わず握り拳を胸に押し当てた。鼓動が速まっており、宥めねばならなかった。
「イブン様は……?」
「あいつめ、フォルトゥナの連中にとっ捕まりやがった」
「ええっ!?」
フー、アノニムの声が重なる。自分より一瞬だけ早く立ち直ったアノニムが、閊えながら問いを重ねた。
「で、では、作戦は? イスラフェリオ殿下らは──」
「大失敗だよ。殿下は聖光士に俘虜にされた。ピルツも、他の奴らも大勢な。……待て、お前らも聞いてんだろ? 殿下は、ご自身の身に何があっても俺たちにゃ脱出しろって仰ったんだ。別に俺たちの身の安全の為じゃねえよ、そうじゃなきゃ新生ジフト自体終わっちまうからだ」
キルヒムは言う。口調は静かだったが、彼も自分たちと同様、怒りと焦燥で叫び出したい気持ちを懸命に押し留めているに違いない。彼からは、静かながらも凄まじい殺気が放たれていた。
それは、感情を爆発させて怒り狂う以上に恐ろしいものだった。
フーが頭に思い浮かべたのは、青い炎だった。赤々と燃え、揺らめいて火花を散らしているよりも見た目は静かでありながら、それよりも遥かに高温で、一度触れればたちまち焼き尽くされる。自分もアノニムも、双頭の事は尊敬していたが、キルヒムに対する感情は直属の上司であるイブンに対するそれよりも、憧憬以上に恐れの方が勝っていた。
「で、お前らの方は?」
絶霊喰鬼は、じろりと睨むようにこちらを見てくる。フーは背筋が竦むのを感じたが、意を決して言った。
「フー・ダ・ニット及びアノニム・アノニマス、フワーリズミー、ジージュ石窟にて件のカルマの女騎士並びにフォルトゥナの騎士見習い二名の奇襲に成功、しかし連中との交戦中、イレギュラーの発生により撤退を余儀なくされました。ファタリテの騎士が突如現れ、我々と女騎士ら双方を攻撃したのです」
殆ど一息に言い切った。キルヒムの目が更に鋭く細められる。
「そいつは、そんなに強かったのか?」
「派生技をも使いこなす魔剣士でした。名は確か……ハントとか」
アノニムが言うのを聞きながら、フーは、絶霊喰鬼はその男がこちらのみならず味方であるはずの女騎士たちにまで攻撃を仕掛けたという事については興味を示さないのだろうか、とちらりと思った。
キルヒムは暫し無言で情報を整理していたようだったが、それから「で?」と再度口を開いた。
「他には? お前らの回ったのはフワーリズミーだけか?」
「恥ずかしながら……我々は最優先で、女騎士を討つ事を目指しましたので。我々がリーマンを出た後、あの女の行方を掴んでから赴いた場所が、その一箇所だけだったのでございます」
フーは言いながら、だから仕方がなかったのだ、と内心で付け加えた。
「他の連中は、その女騎士以外のカルマの奴らを追っていたはずだろうが?」
「はい。しかし如何せん、先月以来カルマによる各地の捜索の規模が幾倍にも膨れ上がっていますので。帝連全土の『蠍』を以てしても、その全てを把握しきる事には厳しいものがあります。たとえ足取りを掴めた場合でも、どうやらカルマの騎士たちの方が、自分たちの捜索を行う場所に本当に聖体があるのか半信半疑の感がある事は否めず──」
言葉を紡ぐうちに、段々とそれが言い訳めいたものに聞こえてきている事にフーは気付いた。キルヒムも容喙する事なく聴いてはいるものの、話せば話す程、その眉根が不愉快そうに寄っていく。
しかし、途中で中断する訳にも行かないので、フーは半ば破れかぶれな気持ちで報告を続けた。
「目下、我々以外の『蠍』から聖体の回収に成功したという旨の報告は入って来ておりません。しかし諜報の結果、ここリンペラトリーチェの中継役の元に寄せられた情報によりますと、最後の報告の時点で五つの聖体がカルマの騎士たちによって確保されたという事でした。ルジャンドル鍾乳洞、そして今回のフワーリズミーで女騎士が回収したものを含めまして、七つです。このままのペースでは、恐らく今頃は残り三つも」
「予断は要らねえ」
そこまででいい、と、キルヒムは遮った。
「っていうかお前、報告が下手だな。要するに、『何の成果も得られなかった』って事だろうが」
「それは……力及ばず、面目次第もございません」
キルヒムは感情的に喚き立てる事はしなかったが、チッと舌打ちをし、憮然とこちらから視線を外して焚き火を見つめた。
「役に立たねえ野郎どもだ。いや、相手が悪かったのかな」
「我々も、力の限りを尽くしました」
「でも、出来なかったか? ……あのなあ、殿下もイブンも、聖光士にゃ敵わなかったんだぜ? 失敗すんのは当たりめえの事なんだよ。けど、力の限りを尽くすのも当たりめえだ。そんな、努力はしたんだから勘弁してくれ、みてえな言い方すんじゃねえよ」
「はい……」
フーは項垂れる。アノニムも、同じように俯いていた。
──では、どうすれば良かったというのか。そもそも絶霊喰鬼も、殿下を守り切れなかったのではないか。
そのような反抗的な思いが萌しかけ、フーは慌ててそれを振り払う。
キルヒムは溜め息を一つ吐き、「それよりもだ」と言った。
「こうなったからにゃ、作戦は次の段階に移さなきゃならねえな。俺たちは色々と大損害を被った訳だが、強いてポジティブに考えんなら」
「………」
アノニムが、ごくりと喉を鳴らした。フーも、キルヒムが言わんとしている事を察してはっとする。それは、彼が隠れ家に到着する前、アノニムが口にした事そのものだった。
「今、聖体の大部分と殿下、イブンは一箇所に──ユークリッドに集められているってこった。つまり、城に攻撃を仕掛けるのに十分な戦力さえ揃っていりゃあ、全部一括で取り戻せるかもしれねえ」
「キルヒム様、それは」
アノニムは先程自分で言い出したにも拘わらず、懸念を口にした。
「実質的に戦争ですよ。全騎士団を含め、百万単位の帝連軍を相手にする事になります。対して我々は、リーマンで全兵士が拘束された以上、世界中の『蠍』を集結させたとしても千人に満たないのでは……?」
「分かってらあ、そんな事は。けど、何も正面切ってやり合おうってんじゃねえんだぜ。俺たちは『蠍』だ、スマートなやり方で行こうや」
キルヒムは言い、そこで思い出したように「ああ」と手を叩いた。
「そういや前に、あの『影』とかいう黒服野郎どもも、奇襲を掛けたら白羊宮の衛兵隊を何十人かぶっ殺せたって話じゃねえか」
「えっ?」
そうなのか、と思ってから、すぐに思い直した。
そんな大事件があれば、当然城の外にも風聞は伝わる事だろう。そして、ユークリッドの街中にも「蠍」の仲間は潜んでいる。だから、こうして情報が自分たちにも伝わってくるのだ。
そういった者たちの中には、変身術を修得している者も居る。彼らであれば、城の関係者に化けて自分たちを手引きする事も不可能ではない。
奇襲という策は、大いに実現性がある──。
「別に、その一戦で城を落として女王を殺して、帝国をぶっ潰そうぜって話じゃねえんだ。最悪、イスラフェリオ殿下だけでも取り戻す事が出来りゃ、その後の事はどうとでもなるはずだ」
「では──」
アノニムは何かを言いかけたが、そこで「そういえば」と言葉を変えた。
「キルヒム様、破戒僧正は──ウカノフ殿は、今何処に? 殿下やイブン様と一緒に囚われているのですか?」
「さあな。最後に殿下が聖光士に捕まるとこを見たイブンは、一緒だったって言わなかった。あの野郎、戦いの最中何処に居たのか、ちっとも分からねえ。もしも一人でさっさととんずらして、殿下を裏切ったりしていたら、草の根分けてでも探し出して頸椎を捻じ切ってやる」
キルヒムは歯茎を剝き出すと、右拳を左の掌に打ちつけた。
元々、イブンやキルヒムはあの軍師の事を、何処か虫が好かないと思ってはいるようだった。しかし、この剣幕は異常だ。
ウカノフは、本当に何処に消えたのだろうか。いや、ややもするとキルヒムが知らないだけで、他の兵士たちと共にフォルトゥナ騎士団に身柄を確保されている可能性もある。
フーは意図的に考えるのをやめ、アノニムにも「もう何も言うな」というニュアンスを込めて視線を送った。アノニムは、こちらの伝えようとした事を理解したらしく微かに顎を引いて口を噤む。
「あいつを当てにするのはやめだ。俺たちは俺たちのやり方で、これからの作戦を立ててくぞ」
キルヒムは言い、改めて自分たちを交互に見た。
「最悪の場合って言ったけど、マジな事言っちゃ俺は妥協はしたくねえ。殿下もイブンも、捕まった他の連中も皆助けて、聖体も手に入れる。俺たちで、新生ジフトのこれからを全部守ってやるぞ」




