『リ・バース』第二部 第12話 Xenogenesis⑦
⑥ ライガ・アンバース
八月、旧ジフト領ランペルール地方、シルヴェスターの森。
カヴァリエリから東に四百キロ程進んだ針葉樹林だ。周囲に街や村はなく、広大なタルタリア平原が延々と続いた後に現れるこの森以東は未開の処女林がカリス諸国との国境の方まで続いている。
平原にぽつぽつと点在する小村を移動し、ここまでやって来る間に、旧ジフト領東部で無法を働いている帝連軍の駐在部隊は大方叩いていた。六月からこの活動を開始し、既に五十を超える場所で力を振るってきたが、最近ではそういった帝連軍も大分減少した。恐らくは自分の活動を受け、ペンタゴナ・パラスから各地の駐在部隊に警告が発されているのだろう。
神出鬼没の自分の活動については、既に北方では広く人口に膾炙していた。彷徨い歩く先々で、隕命君主の名が恐怖と共に語られるのを耳にした。
しかし、まだ完全ではない。
完全ではない、と言いながら、ライガは世界がどのような状態になれば、そう言えるようになるのかにはまだ答えを出せていなかった。
自分が結局、何をしているのかよく分かっていないのだ。自分は英雄を気取るつもりはないし、ましてやこれが、自分が今まで流してきた血を無駄にしない為の行為であるとは微塵も思わない。
惰性だ。本当にこれまでの事を悔いているのであれば、魔群を消滅させ、自らも命を絶つという選択肢がある。しかしライガは、気付けば自分が”粛清”を行う間、それに心の何処かで快楽を見出しているような己が居る気がして、得も言われぬ恐ろしさを感じていた。
自分は既に死刑判決を受け、死ぬべき人間だ。しかし、死を恐れ、避けようとするのは、決して現在のように理性の働きが弱まっている時でなくても最大の本能ともいえる事だ。一度”粛清”対象と相対してしまうと、ライガは抑え難い感情によって麻酔を掛けられたような状態となり、気が付けば相手を殲滅する事しか考えられなくなってしまう。
「……シュラ。話し相手になってくれないか?」
倒木に腰を下ろし、道中で購った保存食を口に運びながら、ライガは招喚魔術で彼を呼び出した。
食糧やその他必要なものを調達する為に街や村に入る時、ライガは変身術で姿を変えていた。自分が変身術を使用出来る事は広く知れ渡っている為、行く先々で人々は自分たちのすぐ近くに隕命君主が居るかもしれない、という事に怯えていた。却って自らが人々に疑心暗鬼をもたらしている事を知り、やはり自分は義賊や英雄にはなれないな、と思った。
「ライガ」
シュラは現れると、瘴気を直接こちらに吹き掛けないよう、ライガと同じ方向を向いて座った。
「とうとうこんな所まで来ちゃいましたね、ライガ」
「ああ。だけど、いつまでもここに留まっているつもりはないよ。次は西の方、ディアブルとかモンドとかにも行く。あっちじゃまだ、俺が現れないって事で状況を甘く見て、依然ヒュバキオンがお前たちにやったような事を続けている輩も居る。許せないだろう?」
「……そうだね。僕の力が必要な時は、いつでも呼んで下さい」
「メルシー、シュラ。だけど」
──あまり、お前を道具として扱うような事もしたくない。
ライガは胸裏でそう続けたが、今更そのような事を口にする資格は自分にはないと思ったので黙っていた。
こちらが不自然に言葉を切ったので怪訝に思ったのか、
「どうかしましたか?」
シュラが尋ねてきた。ライガは首を振り、
「いや、何でもないよ」
と言った。
少し間を置いてから、ライガは話題を変えた。
「……リィズ、もう女王様だってさ。おじさん──デルヴァンクール騎士長に、俺を討つように言ったらしい」
それらもやはり、人々の交わし合う言葉の中から得た情報だった。先月にはもう自分の討伐命令は下されたらしく、進駐軍を中心に、自分が現れたという通報がある度に他の場所に駐箚している帝連軍は自分を討ちに駆けつけて来るらしい。
……「らしい」という言葉を使うのは、ライガが自分から仕掛けるのでなく、そういった討伐部隊から先制攻撃を喰らう事がこれまでなかった為だ。当然ながらライガは”粛清”を済ませるとすぐに立ち去るので、討伐部隊が現着する頃には既にその場所には居ない。
幾度も空振りが続き、一ヶ月にして彼らの怒りは煮詰まったようだった。時折、物資調達の為に立ち寄った街の裏通りや市場などで、異邦人と思しき者が巡邏の帝連軍兵士に身分の証明を求められている場面を目撃するようになった。本当に異邦人ならば旅行証や、冒険者だった場合には冒険許可証を持っているはずなので特に問題はないが、中には戦後、故郷を追われて仕事を探すべく身一つで都市部に出て来た者たちも居り、そういった者たちがとばっちりを喰らい連行される事もあるだろうと思うと気が重くなった。
実際のそういった現場には、まだ立ち会っていない。このような警戒の強化はやはり人々には歓迎されていないらしく、時には「人を見た目で判断して、不快感を示しただけで怪しいと見做し拘束するのか」といった声も聞かれた。本当にそのような現場に立ち会ったら、理性による抑制が利きにくくなっている現在の自分だ、後先を考えずに兵士たちに攻撃を仕掛けてしまい、居場所が露見する危険性もあった。これ以上帝連軍の警戒態勢が過剰になるようであれば、いずれ都市で物資調達を行う事も難しくなるだろう。
何より恐ろしいのは、街中で正体が露見した時、自分が衝動的に「死の結界」を使用し、民間人を巻き込む事だった。
「ライガは……帝連の人たちを、嫌いになったの?」
シュラに、恐る恐るといった風に尋ねられた。
「いや、そうじゃないんだ」ライガは答える。「時々、リクトやリィズやおじさんの事を考えて、自分は何をやっているんだろうって思う事がある。だけど、いざ帝連の連中に会うと──許せなくなっちまうんだ」
「それは、僕たちの為に?」
更に尋ねてくるシュラの声が、もしも自分たちが原因でこのような結果を招いているのであれば、と、申し訳なく感じているような響きを帯びているのを捉え、ライガは慌てて「違う」と言った。
──いや、本当は違くはない。アンバース・ヴィラージュの壊滅後に城を襲った事も、ファタリテ騎士団と交戦してマロンを死に追いやってしまった事も、ヴァイエルストラスでの悲劇の事も、皆、シュラたちから安寧を奪った者たち、彼らを苦しめようとする者たちへの怒りが根本にあった。
だが、それでシュラが申し訳なく思う理由などが何処にあるだろう。むしろ、最大の被害者は彼の方ではないか。
「……お前の事を、自分勝手に縛っているのは俺の方だよ」
ライガは息を吐き、自虐的に笑った。
烙印を押され、引き攣った頰膚は、まだ笑うと微かに痛む。
「『再誕』、完成形に出来なくてごめん」
「何で謝るんですか? 僕にとっては、これで十分ですよ!」
シュラは激しく首を振って言った。
「僕はこれまで、怨念を抑制出来なかった。生かしてくれたライガすら、手に掛けてしまっていたかもしれないんですよ。確かに今も、自分の中に、僕たちを苦しめた何もかもを壊してしまいたいって気持ちがあるのは否定出来ないけれど……」
そこで、彼は上手く言えない、というように頭を掻いた。死蝋化して脆くなった頭皮が剝がれ、乱れた髪が抜け落ちる。
「それでも……ライガを殺してしまうかもしれないより、よっぽどいい」
「良くないんだよ、シュラ」
「いや、いい。僕は……ライガ、あなたの魔群です」
友達という言葉よりも先に、術の制約上の主従関係について飛び出した事が、やはりライガを悲しくさせた。「再誕」はあくまで残留思念の抽出であり、畢竟は魔術としての範疇を出る事はないと分かっていたのだが──。
「駄目だ、シュラ。それじゃあもし、俺がお前に、俺を殺せ、なんて命令を出したりしたら従うのか?」
──シュラは「再誕」の使用前、こちらの術の支配下に在りながら自分を害そうとした。死霊化術に於ける使役者への安全性は、魔物や精霊と契約した場合程絶対的に保証されるものではない。
支配下に在る以上、その指示を通す事は不可能ではない。しかし、抗えないシュラは、殺されるライガ自身よりもずっと苦しむだろう。
「……意地悪だよ、そんなもしもの話」
シュラは、憮然とした調子で顔を背けた。ライガは「悪い」と謝る。
「もう言わないよ」
けれどやはり、納得出来ないものは仕方がない。
気まずい空気になり、互いに黙り込んでしまった時、不意に頭蓋の中で警音が鳴り響いた。自分を中心に十メートル四方に展開していた警告術の結界が、何者かの侵入を検知したらしい。
ライガは保存食の乾パンを口に押し込み、傍らのオムグロンデュを手に素早く立ち上がって索敵術を発動した。シュラもこちらに呼応し、腰を浮かして前傾姿勢を取る。反応は、背後に一つ人間のものが検出された。
このような人里離れた森の中に、ただの者が居るはずがない。
振り返った時、
「そう身構えるな。戦いが目的ではない」
聞き覚えのある声と共に、針葉樹の陰から男が現れた。
身の丈二メートルを超える、三、四十代程の巨漢。色褪せた襤褸を纏い、身形は浮浪者のようだが、それは意図的な変装なのだろう、頭髪や髭はきちんと手入れされており、肌にも汚れは見られない。
その右手には、錆色の刀身を持つ巨大な両手用大剣が握られていた。
ジフト公国第一皇子、赤峨王イスラフェリオ・イスラフェリー。




