『リ・バース』第二部 第12話 Xenogenesis⑥
⑤ ヴォルノ・イェーガー
「莞根士、アルフォンス・デルヴァンクール。ソレスティア帝国第四代皇帝、シアリーズ・ド・ゲネラッテに代わり、先帝妃テレサ・スモレンスカが命じます」
帝城ペンタゴナ・パラス──天秤宮、玉座の間。
シアリーズ女王の隣に座すテレサ先帝妃から、声高に命令が下された。
「筆頭騎士団フォルトゥナの長として、隕命君主ライガ・アンバースの討伐に関する軍議を行いなさい」
本来であれば、元老院や摂政──現在の先帝妃のような──が決定した騎士団への任務の委託だったとしても、実際にその旨を告げる事だけは皇帝が行うという慣習になっている。しかし、やはりシアリーズ女王が直接口に出すには、この命令は厳しすぎたようだった。
ヴォルノは、莞根士の弟イザーク・デルヴァンクールと共に後ろに控えながら、いよいよ来るべきものが来た、と思い拳を握り締めた。
莞根士は微かに身を強張らせたようだったが、呼び出された時点で既にこの命令が下される事は予想がついており、覚悟は決められていた。彼は拝跪したまま騎士団式の敬礼をし、
「拝受仕りました」
淡々と応答を返した。
六月上旬──ヴァイエルストラスでの事件から三ヶ月後、魔群と共に帰らずの地に潜伏していたと思われるライガが再び姿を現した。
目撃情報があったのは、旧ジフト領、バチュレール地方クルバストロだった。街からHMEでユークリッドに連絡を入れてきたのは、近郊に駐屯していた帝連軍の新米兵士一人で、ライガが姿を現し、駐屯地を襲撃したという旨を報告した。曰く、部隊に所属していた全ての兵士が死霊化され、彼と共に姿を消したという。報告してきた兵士と共に最近現地に派遣された同期たちは生ける屍の手に掛かり、奇跡的にその者だけが逃げ延びたという事だった。
そこから最寄りの、別の駐屯地から部隊が派遣され、現場の検分と詳細な事情聴取を行う事となった。その結果、彼らの隊は前日、付近の集落に潜伏していたジフト軍残党のゲリラを叩き、その際ゲリラを匿っていた集落の住民を皆殺しにしていた事が判明した。
アンバース・ヴィラージュを襲ったファタリテの騎士ヒュバキオンの頃から、賛否が分かれていた残党狩りのやり方だった。旧ジフト軍に所属していた者たちだけでなく、彼らを匿った者、彼らの居場所を知りながら通報を怠った者、彼らの思想を正当化するような教育方針を採った者も、同罪と見做して粛清する。これは、戦後派のジフト信奉者を生まないようにする為の方策だった。
つまりは、見せしめという事だ。ヒュバキオンは確かにそれで成果を上げたが、同様の施策を行う進駐軍が増え、おまけにその中の一部の者たちが現地で略奪行為などを行った為、却って反体制的な感情を育む温床となってもいた。
武装していない者たちへのあまり過剰な取り締まりは、シアリーズ女王の即位以来禁止が明言されていた。が、如何せんユークリッドから遥かに離れた北方での軍の活動を全て監視し、統制する事には限界があった。
クルバストロからの報告を受け、テレサ先帝妃は重ねて現在民間人への武力行使を行っている部隊へ、それらを急遽中止するようにと訴えた。しかし、それから僅か三週間のうちに、バチュレール、レルミット、ランペルールの一部を中心に、ライガによって壊滅に追い込まれた進駐軍の駐屯地は十を超えた。
事態を重く見た元老院は、三ヶ月間こちらからの攻撃はしなかった彼に対して攻性の措置を採る事を天秤宮に提言。シアリーズ女王は拒否権を行使する事はせず、いよいよ騎士団は本格的にライガ討伐に乗り出す事となった。
当然の人事とはいえ、その最高指揮権を委任されたのは、やはり筆頭騎士長である莞根士だった。
惨い措置であるとは言わざるを得なかった。彼は、ライガがヴァイエルストラスで引き起こした惨劇の現場に立ち会った訳ではない。ライガは帰らずの地でマロン=エキュレットを殺害し、ウィーズルらに囚われた後、ずっとゲイロッド城の地下牢に勾留されており、彼とは裁判の席で一度顔を合わせただけで二人きりの会話をする機会もなかった。恐らくライガの方では、彼に合わせる顔がない、と考えていたのかもしれないが、アルフォンスからすればまだ一切の出来事について、自らの感情の上で信じきれていないという事なのかもしれない。
実の我が子同然に育てたライガを、自らの手に掛けろと命じられた訳ではない。だが、その代わりアルフォンスは、責任から逃れる事の出来ない立場として、ライガを憎む多くの者たちに彼を殺せと命令を下さねばならないのだ。直接自らが手を下す事とどちらがより苦しいのだろう、と考えると、ヴォルノは自らの事のようにやりきれなさを感じた。
* * *
「兄上。……大丈夫ですか?」
玉座の間を出、白羊宮に戻る為に外廊下を渡っている最中、ずっと黙っていたイザークが声を発した。
テレサ先帝妃からの命令に対して、拝受の返事をしてから、退出するまでアルフォンスは顔色一つ変えなかった。しかし、廊下を歩くうちにその顔色は徐々に蒼白となり、心なしか呼吸も速くなっているようだった。
心なしか、という程度に感じるのは、彼がそれを懸命に表すまいとし、おおむね成功してはいるものの、やはり感情を完全に表出させないようにするのは無理らしく微かに溢れ出している為だ。
弟からの声掛けに対して、彼は
「問題ない」
短く答えた。だが無論、それだけではイザークも納得出来るはずがない。
「問題ないという事はないでしょう。もし──」
「言うな」
アルフォンスは首を振った。
「本当にお辛いのは、命令を下されたシアリーズ陛下だ。彼女に代わって伝達されたテレサ様も、彼女のお気持ちを痛感されているはずだ」
それに、と彼は付け加える。
「最早ライガの罪は、私であっても許されるように計らう事は出来ない」
イザークもヴォルノも、沈黙せざるを得なかった。
「一切を死霊化術の代償のせいにする事は、出来ないのだよ。……死霊化術は、使用者を無条件に邪悪な方向に走らせる力ではない。ここ最近のライガによる北方の帝連軍襲撃、それに昨年正月のシュラ・イスラフェリーを伴っての王宮襲撃もそうだったが、彼は自身の正義感に従い、不正を矯めるのだという意識からこれらの行為を実行しているようだ。
無論、個人が個人の正義で動いたら秩序は崩壊する。時には、独善であると見做さざるを得ない結果に繋がる事もね。ライガもそれは分かっていて、どれだけ彼の価値観に吻合しない事であっても我慢してきた。だが、死霊化術の代償は、その感情に対する理性の箍を緩めてしまった」
「ライガには、元からそういった危うさがあったと?」
ヴォルノは尋ねながら、確かにそうかもしれない、と思った。
「私自身は、それは十分に美点にもなり得る彼の個性だと捉えていたのだが……イザーク、お前は心当たりがあるんじゃないか?」
「ええ、かなり」
教官としてライガを指導したイザークは、やはり思い当たる節があったらしくやや顔を俯けた。ヴォルノはそんな彼の様子を見ながら、戦前、ライガがアウロラ姫を侮辱するような言葉を吐いた婚約者のマロンに殴り掛かったのもその一環だったのだろうな、と考える。
「目下彼が行っている行為は、心神喪失状態で誰かに操られているが為のものではない。彼は自分自身の意思を遂行しようとし、その結果として虐殺という方法に走ったんだ。裁かれるべき罪が、ない訳ではない」
ヴォルノは、アルフォンスの横顔を見つめた。
やはり、彼もライガ討伐を推し進める事は忍びないと思っているのだ。だが、それ程に大切に想う、惜しむべき者であるからこそ、私情を排して罰さなければならない事もある。
これまでの彼は、それが出来ずにいたのだろう。だから、何とかライガを免罪させようと考え、彼の為に弁舌を振るい続けた。
今の彼は決して、その結果多くの人命が失われ、自らも謹慎処分を受ける事になった為という消極的な理由で──つまり引くに引けなくなって──命令を拝受した訳ではないだろう。彼の中で、自身が取るべき責任について覚悟が決まった、という事が現在の心境のはずだ。
それでも、逃げない覚悟が決まったからといって、何も感じなくなった訳ではないのだ。だからこれ程、青褪めながら自らの気持ちについてまだ整理をつけようとしている様子を見せている。
それがヴォルノにとっては、却って痛ましく感じられた。
(ライガ・アンバース……お前は自分の行動が今までどれだけ彼を不安にさせてきたか──そして今、どれだけ彼を苦しめているのか、考えられないのか?)
そう思い、俄かに怒りが湧いた。
(その感情に対する理性の箍が緩んだ……それが本当なら、お前にとってデルヴァンクール殿の存在は、お前自身を縛める”箍”だったのか? 殊更に考えなければ大切に出来ないようなものだったのか?)
そうだとしたら──ふざけるな、という話だ。
ヴォルノは、アルフォンスに恩があった。ヴォルノは軍人の家庭に生まれた訳ではなく、それどころかソレスティア人ですらない。出身国はテンペランスで、先帝の父フレデリック一世の征服期の最中、国が帝連傘下の肢国となった際に十五の歳で戦災孤児となった。
両親や同居していた父方の祖父母、弟妹たちが命を落とし、奇跡的にヴォルノのみが生き残った。ヴォルノは当時征服者たる帝国を憎んだが、家族を喪った自分が食い繋ごうにも格別の技能がある訳でもなく、背に腹は代えられず帝国に渡り、帝連軍に入隊した。征服期政策の行われていた時分だったので兵士の需要は高く、比較的容易に軍籍を得る事は可能で、一度入隊すれば兵舎に入り、日に三度の食事にありつく事も出来た。
その代わり、やはり帝国への悪感情は消しきれず、同期の者たちや上官とはしばしば衝突した。やがて、ヴォルノは組織の中で孤立するようになり、遂には当時のフォルトゥナ騎士長から除隊を宣告された。
そんな自分を見放さず、軍に置いていてくれるようにと上官に打診してくれたのが学問所出身のアルフォンスだった。
彼は当時、学問所と訓練課程を首席で修了した秀才で、若手でありながらフォルトゥナの次期騎士長として最有力候補だった。当時は皇太子でオーギュストと呼ばれていた先帝フレデリック二世からも覚えが良く、その後彼の片腕となる事の兆しもその頃からあった。
アルフォンスは、問題児であったヴォルノを自らが”先輩”として教え、導く事でそのセンスを開花させた。
それが、ヴォルノが丁度二十歳になった時の事だ。ヴォルノはその頃、彼の事を自分よりもずっと年上なのだと思っていたが、個人的に話す機会が増え、初めて彼が二十五であった事を知った。
つまりヴォルノが騎士団に入団した時、彼はまだ二十代に入ったばかりであり、正騎士叙勲から一年足らずだったのだ。
間もなくオーギュスト皇子はフレデリック二世として皇位を継承し、先代の後を継いで五年の征服期政策を実施した後にシャリオ王女テレサを娶り、シアリーズ姫の出産を境に政策方針を第二間征期に転換した。これが、アルフォンスの三十一歳の時の事だ。
アルフォンスは、征服期最後の年に先代のフォルトゥナ騎士長、副騎士長がジュスティス国との戦で戦死した為、騎士長となった。ヴォルノはその際、彼から直々に副官に指名され、光栄にこそ思ったものの、最初は迷いがあった。辞退しようかとすら思い、アルフォンスに相談した。
「何故だい? 君は優秀な魔剣士だ、私の片腕として申し分ない」
彼は、心底不思議そうに理由を尋ねてきた。しかし、それはきちんとこちらの言い分を聴いてから判断を下そう、というように慎重だった。意に副わぬ人事によってこちらが手に余る重圧を背負ったり、騎士団に居る事を苦痛に感じるような思いをしないように、という配慮のようで、ヴォルノはその時、彼はきちんと自分たちを見てくれているのだ、という事を改めて実感した。
「私はまだまだ青二才です。今まで、問題も度々起こし、莞根士や皆様に迷惑をお掛けしてきました。私には、人の上に立って皆を牽引して行く資格は、ないように思われます」
「資格、か」
アルフォンスは、こちらがそう言うであろう事は分かっていた、というように肯いた。それから、「大切なのは未来だ」と言った。
「過去は消えない。が、それだけに拘泥し、今確かにある可能性を未来に紡ぐ事を妨げるのは、私の望むところではない。それに、過去に英雄と呼ばれてきた者たちの多くも、かつての君のように少なからず反骨精神を宿し、既存の在り方と自らの理想を止揚し皆をより高次へと導く事の出来る者たちだった」
一つ聞いてもいいかな、と、彼は言った。
「君は今でも、帝国を憎んでいるかい? もしも、その象徴たる騎士団としてこれまで前線に立ち続けた事に思う事があるのなら──」
「とんでもございません」
ヴォルノは頭を振った。
「今やこの国は、私の第二の故郷です。莞根士、あなたのお陰で、私はそう言えるようになりました」
「そうだろう」
アルフォンスは、一つの大きな仕事をやり遂げたように満足げだった。
「私は君に、そう思って貰えるようになる事を目標に、これまで導いてきたつもりだった。それは、決して無駄ではなかったのだな。……イェーガー、君だからこそ可能だったのだ。城を攻める事なら、武器さえあれば誰でも出来る。しかし、既存の体制を否定し、新たなやり方に従わせる者たちには責任が伴う。新たな体制が、以前のやり方よりも人々を幸福にする事が出来ないならば、それを押しつける者たちは単なる破壊者でしかない。憎悪と復讐心を萌芽させ、新たな、より一層悲惨な戦の土壌を育むだけだ。
イェーガー、君の故郷を破壊し、大切な者たちの命を奪った戦には、私も参加していた。帝国を代表して君に謝罪しようなどと、傲慢な考えを起こすつもりはないけれど、その後自分から帝連軍に入って来た君を導く事が出来なければ、肢国となった国の人々が自分たちを帝連の民と心から思えるようになる事はないだろう。私は、これまでそう考えていた」
「……それだと、何となく私が復讐目的で組織入りしたように感じられますが」
「いや、すまない。そういう事ではないんだよ。だけど──イェーガー、君は新たな時代のフォルトゥナの騎士だ。
ジュスティスが加わり、帝連傘下の肢国群は百に達した。間征期政策も始まり、今後我々が征服者として戦場に立つ事は、どれ程あるか分からない。だからこそ、今後の我々は真に『調和者』たらねばならない。……私はね、イェーガー。筆頭騎士長として、平和の時代の象徴になりたいんだ」
アルフォンスはそう言い、やや恥ずかしそうに微笑んだ。
もしもそれが、公的な場で語られる政治的なパフォーマンスの為のレトリックであったら、自分は何も感じなかっただろう。
しかしヴォルノはこの時、自分は何があってもこの莞根士に着いて行こう、という決意が固まった。彼であれば、導いて貰って尚、未だに迷い続けている自分と、最後には共に迷子になってくれるのだと思った。
そして、誰も経験した事のない「新たな時代」に於いて、自分と共に何処かに辿り着いてくれるのだろう、と。
思えば、方向性は異なるとはいえ、ライガはかつてのヴォルノ自身と同じく問題児だ。しかしアルフォンスは、決して自分たちを見捨てない。一方的に否定するのでもなく、共に歩もうとしてくれる。
ライガは──その上で、せっかく彼から差し伸べて貰った手を振り払い、恩を仇で返したのだ。
莞根士、アルフォンス・デルヴァンクールは完璧ではない。
だからこそ苦しみ、迷う事もある。
(いざとなったら──)
ヴォルノは、悲痛を湛えた彼の顔を見ながら、胸中で決意する。
いざライガと相対した時、アルフォンスの情が桎梏となり、衝動的に彼を討つ事を躊躇わせたら──その時は自分が、ライガの息の根を止めよう。強大な隕命君主を相手に、本当に出来るかどうかは措いて。
王命に基づき、アルフォンスがつけねばならない始末だ。それを遂行したからといって、彼がヴォルノを表立って咎める事はないだろう。しかし胸中には、決して理屈では消しきれない蟠りが残るに違いない。
ヴォルノはそれを、甘んじて受けるつもりだった。
ライガを憎みきれず、彼を討てようが討てまいが後悔を抱え、自責の念に苛まれるようになる事に比べれば、自分の事を恨んでくれる方がアルフォンスにとってはずっといい。
(独り善がりかもしれません、デルヴァンクール騎士長)
心の中で、ヴォルノは彼に語り掛けた。
(しかし私は、未だに非力です。この程度の事しか、今のあなたの前では出来そうにない)




