『リ・バース』第二部 第12話 Xenogenesis⑤
④ シアリーズ・ド・ゲネラッテ
フレデリックの葬儀から自らの戴冠式、近衛騎士団訓練課程第八十八期生たちの入団式、リクトたち第八十五期生の正騎士叙勲式という儀式が連続し、その合間に新政権──元老長はナサニエル・ヤーツのままだが、シアリーズの即位に伴い官僚たちの担当部署に若干の変動があった──への職務の引き継ぎなどがあった為、三月後半から四月前半にかけては瞬く間に過ぎ去った。
怱忙に一段落がつき、幾分か落ち着く事が出来たのは、リクトたちの正騎士叙勲が済んで三日後の事だった。この間、シアリーズが発した言葉は、プライベートなものよりも公的な業務に関わるものの方が多かった。
母テレサとのやり取りも、殆どが政務に関わる打ち合わせだった。それにしたところで、シアリーズに政治を動かす能力はほぼない──権利という意味ではなく、技能の面で──ので、テレサやジブリ公、ナサニエルが相談を行い、自分は「宜しいですね?」と確認をされて「はい」と肯くだけだ。
リクトやアウロラと話をする時間も、真面に確保出来ていなかった。だが、時間があったところで、どのような話をすればいいのだろう。いや、話す内容については決まり切っているが故に、却って気が重くなる。
シアリーズが気分転換に庭園に彷徨い出、天秤宮と白羊宮の間に立っている樫の古木の所まで足を運んだのは、半ば無意識だった。小さい頃、ライガとリクトと共に自分たちの秘密基地としていた場所。成長してからも、入る事の出来なくなった木の洞に連絡事項を書いたメモを入れ、密かにやり取りしていた。
無意識に木の所まで足を運び、はっとしてから、最後にその方法で連絡を取ったのはいつだったか、とシアリーズは考えた。ジフト戦役の前年、ライガやリクトが騎士団に入団した年の春ではなかったか。内容は確か、いつもの「お茶会」の連絡だったはず。それ以降も三人で集まる機会はあったが、その殆どが直接顔を合わせてのやり取りだった。
学問所を卒業してから、ライガ、リクトと自分は、平日に顔を合わせる事が殆ど出来なくなる、と思っていた。しかし、確かに機会は減ったものの、恐れていた程シアリーズが二人と会えなくなる訳ではなかった。同じ城の中に居るのだから、当たり前といえば当たり前だ。
アウロラの専属メイドのカレンデュラから、リクトがこの三日間、何度か天秤宮のシアリーズたちの居住空間にやって来て自分と話したがっているようだった、という事を聞いた。しかし、どうもお互いに体が空く時間は重ならず、なかなか機会は訪れなかった。テレサたちとの打ち合わせは夜遅くまで掛かる事があるし、余程遅くなると彼女から「あなたは早く寝なさい」と言われてしまう。当然その頃には、リクトはとうに下城してしまっている。
シアリーズが、リクトからの伝言がこの木の洞に入っているのではないか、と考えたのは、ほぼ直感に近しい思いつきで、もしかしたらという程度の気持ちに過ぎなかった。軍外の者にはHMEは与えられておらず、どうしても自分たちが連絡を取れない場合、最終手段はここに置き手紙をする事しかないような気がしたのだ。だが、彼もシアリーズが、ここにやって来る可能性についてどれ程本気で考えていたのかは分からない。
だが、まさかと思いながら洞に手を差し込んだ時、指先に折り畳まれた紙の角が当たる感触があり、シアリーズは驚いた。
その紙を取り出して広げ、谷折りにされた文面に目を通す。細く端麗な彼の字で記された日付は、二日前のものになっていた。
『昼休みに見に来ます。時間があったら、ここに書いておいて下さい。 Licht』
シアリーズは思わず、紙を握る指先を震わせた。鉛筆を取り出し、紙を木の幹に押し当てて「今日」と記そうとした時、白羊宮に続く外廊下の方からブーツの足音が聞こえてきた。
「リィズ」
声を掛けられ、振り返ると、リクトが日陰から出て来るところだった。
* * *
リクトが木陰に白い手巾を広げて敷いてくれたので、シアリーズは「メルシー」と言い、ドレスのスカートの裾を押さえながらその上に腰を下ろした。リクトは直接木の根に座るが、鎧の一部である腰当を装着しており、辛い姿勢ではないのか、という事が気に掛かった。
庭園には、麗らかな仲春の日光が差していた。芝生は前回の剪草から少々時間が経っているのでやや伸び、春色という言葉に相応しい若草色に光っている。霞石の粉末を散りばめたかのようだ。
シアリーズもリクトも窈然と黄昏れるようにやや暫し沈黙を保っていたが、やがてシアリーズは自分の方から「ねえ」とそれを破った。
「私、これからどうすれば宜しいのでしょう?」
「どうすればって、何が?」
「色々です。女王としての責務とか……ライガの事とか。アウロラに、どう接したらいいのか、とかも」
やはり話をしようとすれば、この話題は避けては通れない。無理矢理それを回避しようとするのなら、それは問題からの弊目だ。何処かで、必ず辻褄を合わせるように始末をつけねばならない。その一方で、ここで話したからといって何かが解決する訳でもないし、結論も出はしないのだという気持ちもあった。
しかし、リクトは真摯に応じてくれた。或いは、それは彼も当事者として直面している問題でもあるから、という事もあるだろうが──。
「リィズは、そのままでいい。テレサ様だってお分かりになられている、精一杯君を助けて下さるはずだ。勿論、僕だって」
「そうでしょう。分かってはいるのです、あなたには、きっとこれから感謝してもしきれない程お世話になる……でも、そこで」
一瞬言葉を切り、意を決して言い切った。
「元老院から、ライガの討伐命令をあなた方騎士団に出すように意見が提出されたとして、私はそれをどう処理すれば宜しいのか分からないのです。勿論、私には拒否権という究極権限があります。私がライガの生存を望めば、彼を生かす事はきっと可能でしょう」
「ええ」
リクトは、最後まで聴いてくれようとしているようだった。
「あなたも叶うのであれば、彼とは戦いたくないのでしょう? しかし、お父様でもそれは出来ませんでした。アルフォンスやあなた以外の多くの者たちの手前、なあなあで判断を先送るしかなかった」
──そして問題は、彼本人の死を以ていよいよ膨れ上がったところで、自分へと投げ渡された。
そう思うと、シアリーズは亡くなった父の事を恨めしくも感じる。だが、彼の生前に何とかなっていて欲しかったと思う事も、ある意味ではライガの友人だった自分の責任からの韜晦だ。第一に、フレデリックがライガの死刑判決について待ったを掛けなかった事で、一つの結論は出ていたといえるのではないか。それでも自分は、ロディが彼を処刑しようとした時──彼が「反逆者」の烙印を刻まれた時、容喙してしまったではないか。
優柔不断だ、と思った。自分では何一つ決められない癖に、誰かが何かしらの結論を出そうとすれば、代替案もないまま不服を唱える。剰えそれを、リクトも同じ事を思っているのだから、などと言い訳する。
シアリーズは今、「どうすれば宜しいのでしょう?」とリクトに持ち掛けたが、彼からの答えを待っている訳ではなかった。整理のつかない気持ちを口に出し、彼に聴いて欲しかった。
そして、彼も同じ気持ちなのだという事を確かめたかった。
その場合、共有する事でお互いに思考が泥沼に嵌まる事など、目に見えているはずなのに。
「……僕は」
リクトは、絞り出すように言った。
「騎士団に命令が下れば、ライガと戦うよ。その結果、命の奪い合いをする事になるとしても。責任逃れみたいに聞こえるかもしれないけれど、僕は──騎士、軍人なんだから」
「そうでしょうね……あなたは、きっとそうでしょう」
「リィズも、承認していい。拒否権を使って彼を庇おうとして、それでこの先苦しい立場に立たされるくらいなら。君がそういう選択をしたとしても、それは君が彼の命を奪ったという事にはならない」
だけど、と彼は続ける。
「それでも君も僕も、納得出来る事はないんだろうな。きっと、全てが終わった後で自分たちが彼を殺めたんだって苦しむだろう。勿論、いちばん悪いのはライガ本人だって事なんだろうけど。選択から逃げたとしても、今度は向き合えなかったって自分を責める。……後悔のない選択なんて、多分ないんだろう。誰にどんな裁きを受けようと、僕たちは自分たちで、自分たち自身をきっと許せない」
「……ええ」
シアリーズは俯いた。本当にその通りだ、と思った。
「僕たちはその罪を──世間からはそうは思われないのかもしれないけど、罪を一生背負って生きる事になる。だけど、独りでじゃない。君がそうなら、騎士としてそれに従う僕もそうだ」
「それは、義務だからではなくって?」
「騎士団を抜ける事は、制度上認められていない訳じゃない。だけど僕は、自分から辞めようとは思わないからね。その時点で義務じゃない、他でもない僕自身の責任が伴う選択だ」
「だけど、そんなの……やっぱり、辛すぎます」
意地の悪い言い方をすれば、リクトの提示した未来は「傷の舐め合い」という事になるのではないか。
リクトも、言っているうちからその事は分かっていたらしく、微かに顎を引いて肯いて見せたが、やがて「聞かせて欲しいんだ」と言った。
「最初に言っておくけど、僕はリィズがどう言ったとしても、恨みはしないよ。だから──本当に辛い理由を教えて欲しい」
「リクト──」
シアリーズは、拳をぎゅっと胸に押し当てた。
「リィズ。君は本当は、ライガの事が好きだったんだろう?」
「………」
最初に断った通り、リクトはこちらを糾弾するような調子ではなかった。
恐らく、リクトには薄々勘づかれているだろうな、と思っていた事だった。リクトが気付いていないような振りをするので、自分も気付かれていないような振りをしていた。
「好きだった彼が、アウロラを傷つけて、陛下を──父君を殺した。だけど、まだ君は彼を憎みきる事が出来ない。……カレンデュラさんから聞いたんだ、アウロラもきっと、同じだろうって」
──本心で話し合うには、自分のライガへの秘めたる想いを打ち明ける事は不可欠だった。
ある意味、裏切ったと思われてもおかしくない自分に、それでも尚想いを寄せてくれている彼に。どうすれば正解だったのだろう、と思いながら、シアリーズは言葉を紡ぎ出す。
「……事故だったって、思っているのです。ライガが、私たちの仇になってしまったのは」
言った時、視界が潤み出すのを感じた。
「だけど、もしもそうじゃなかったとしても……仮定の話に意味はないとしても、私は考えてしまいます。もしも、彼が明確な悪意を持ってマロンやお父様を殺めていたとしても、私はきっと彼を憎みきれなかったでしょう。私は──ええ、あなたの仰る通りですわ。彼の事を、好きになっていたのです」
「……ありがとう、言ってくれて」
リクトは優しく──しかし、やはり少し寂しそうに微笑み、手巾をもう一枚取り出して零れかけたシアリーズの涙を拭ってくれた。何処まで用意周到で、物腰の柔らかな男なのだろう、と思い、更に涙が出る。
ややアウトローなライガと、理想的な紳士であるリクト。皇家の女の婚約者としても、多くの同年代の女たちの恋の相手としても、軍配は圧倒的に後者に上がるに違いない。それでも自分は、本来選ぶ事を許されない立場に在りながら、ライガに惹かれてしまったのだ。
「特別な事じゃないんだよね、きっと」
リクトは続ける。
「僕やアウロラだって、今ライガには二つの気持ちを感じている。大切に思う気持ちと、許せないと思う気持ちをね。大切に思う理由が、僕やアウロラは友達だから、リィズは異性として好きだから。違うのは、その部分だけだ」
「リクト……」
「だから、隠さないで。許されない気持ちだなんて思わないで欲しい。自分を責めるのを、やめろだなんて言えないけどさ」
「リクト、あなたはどうして、そんなに優しくしてくれるのですか?」
シアリーズは、自分は何処までを彼に言わせるつもりなのだろう、と思いながらも尋ねずにはいられない。
「だって、君が自分を責めるのは、僕に──」
言いかけ、リクトはぴたりと口を噤んだ。
やがて、再びゆっくりと開かれた彼の口から出た言葉は「ごめん」だった。
「困らせるって分かってはいるんだけど、言わせて。……僕はやっぱり、リィズの事が好きで、どうしようもないみたいなんだ。こんな状況じゃなかったとして、もっと僕たちが自由に相手を選べる立場だったとして──君がライガと一緒なら、僕と一緒になるよりも幸せになれるんだって分かっていたとしても、僕は我儘を通したいって思ってしまう」
おかしいかな、と零した彼の声は、こちらに答えを求めるのではなく、自らの気持ちを口に出して整理しようとしているかのようだった。
「幸せになって欲しいと思う程好きな相手が、自分じゃない誰かとならそうなれるんだって言われた時、それを受け入れたくないって思ってしまう気持ちは矛盾しているのかな?」
「……いいえ」
無責任かもしれないが、シアリーズはそこだけは断言出来た。
「おかしい事じゃ、ないと思います」
──ならば、どうすればいいというのか。
当事者でありながら、それが出来ないから、シアリーズは自らを無責任だと思うのだった。
「……そっか」
それでも、リクトはやや安心したように微笑んだ。
そろそろ彼の昼休みも終わろうとしていた。リクトは思い出したように懐中時計を取り出し、時刻を見てから立ち上がってショースに付着した砂を払う。ややぎこちなく、それじゃあ、と手を振りかけた彼に、シアリーズは慌てて「待って下さい!」と声を掛けた。
「最後に一つだけ、聞いてもいいかしら? 私たちの……婚約について」
「ああ──」
リクトは言いかけ、やや言葉を探すような顔になる。それは、今し方の自分たちのやり取りとは関係なく、シアリーズが即位した時点でリクトが皇籍に入る必要がなくなったという事に由来する疑問だった。
やがて、
「テレサ様が何も仰らない限り、僕はなかった事にはしたくないかな」
出来れば、という風に希望を孕んだ声音で彼は言った。
「リィズの意思を歪めるような事はしたくない。けど、もしかしたら──何かの奇跡というか、間違いが起こって君の気持ちが変わるかもしれないから、まだ保留という事にしておきたい」
「……分かりました」
そのような事が起こるだろうか、と思ったが、リクトもそう思った上で言っているのだろうと考え、シアリーズは肯いた。
「私も──決して、嫌ではなかったのよ。リクト、あなたが夫になって下さったらどれだけ素敵なんだろうって、今でも思っているわ」
「ありがとう、リィズ」
リクトは言い、また微かに笑みを浮かべる。
「今は、その言葉で十分だよ」
そして、今度こそ白羊宮の方へと駆け去って行った。
一枚目の手巾を返しそびれた事に気付いたのは、自分も戻らなければ、と思って立ち上がった後になってからだった。




