『リ・バース』第二部 第12話 Xenogenesis④
③ ドーデム・ヤーツ
「匍匐獅子」
獅子宮、騎士長ロディの執務室の前までやって来ると、ドーデムはそう呼び掛けながら扉をノックした。
「少し、お話をしたくて参りました。入っても宜しいでしょうか?」
「………」
扉の向こうで、布が擦れ合うような音がした。微かに息遣いが聞こえ、ロディ騎士長がそこに居る事が察せられる。しかし返事はなく、居留守を使われているのだろうか、と不安になってきた時、ガチャリと蝶番の外れる音が鳴った。
扉が開き、部屋から出て来たのはロディ騎士長ではなかった。二十代に入ったか入っていないかという程の、少女の面影を色濃く残した女性──獅子宮でメイドを務めているペネロープ・イタキ。最近ではロディが個人的に取り立て、秘書のような身辺の雑務を任せている。服装も、メイドの制服ではなく、カスタムした女性用の軍服だった。
彼女は、扉のすぐ外に立っているこちらの顔を見、ぺこりと一礼した。
「急ぎのご用でしょうか? 只今匍匐獅子はご気分が優れないとの事です、差し支えなければ時を改めて……」
「イタキよ」
では何故君は彼の執務室に居たのだ、という事を問い質すよりも先に、室内からやや風邪をひいたかの如く掠れたロディの声が聞こえてきた。
「私であれば問題ない。ドーデム・ヤーツ、構わないから入って来い」
「御意、モンシュー。失礼します」
ドーデムは言い、足を踏み出す。ペネロープは微かに不安そうな色──何に対してかはよく分からない──を湛えてこちらを見ていたが、やがて「では私はこれで」と断り、もう一度礼をしてから去って行った。
入室すると、ロディは窓際に立ち、下ろした日除けの隙間から外を見ていた。その顔が振り向けられた時、ドーデムは思わず息を呑みかけた。
彼の両の眦から、短い紫髯を蓄えた尖った顎の方まで、細く擦ったような痕が微かに見て取れた。白目もやや充血しているようだ。涙を流していたのだろうか、と思い、ドーデムは無意識のうちに視線を逸らしていた。
だが、
「どうした? 話があるのではないのか?」
促してきた彼の声音は安定していて、特に泣いていた後のような湿り気を帯びてはいなかった。
ドーデムは「はっ」と応え、少し言葉を探してから言った。
「ボルヒエナ教官殿から、明日以降の正騎士部隊に於ける我々の配属先について、騎士長閣下から指示を仰ぐようにと仰せつかって参りました。訓練課程をファタリテでは首席で修了しました故、私が代表して伺うように、と」
「そうか……貴様たちももう、晴れて正騎士なのだな」
ロディは感慨深げに呟き、ふっと息を吐いた。
「タッドポールの息子やマロンも、何事もなければ今日、貴様たちと共に叙勲式に出ていたであろうに」
ドーデムはそれを聞き、ああ、と理解した。
ロディはそのような事を考えているうちに、ここ二ヶ月間堪えていた感情が溢れ出してしまったのだろう。だから、ペネロープに話し相手になって貰い、慰めを乞うていたのかもしれない。
妻子のある四十代後半──いわゆる「いい歳をした大人」──の身で、親子程も年齢の離れた少女に対して感傷的な情緒を吐露していたからといって、ドーデムは彼の事を「情けない」などと感じたりはしなかった。家族や部下たちの前では、彼は威厳を保ち、息子を喪った悲しみを押して、英雄匍匐獅子としての仮面を被り続けねばならないのだ。
「各部隊への配属については既に決まっている。後で、HMEにて一人一人に連絡を入れるとしよう」
「ありがとうございます。……時に、騎士長」
ドーデムはまた少し躊躇い、意を決して言った。
「まだ、何かあるのか?」
「僭越ながら、お願いがございます。エルヴァーグ騎士長、もしもまだ修正が利くという事でありましたら……私、ドーデム・ヤーツを、あなたの直属部隊にお加え頂きたいのです」
「………?」
逸らしていた顔を真っ直ぐに彼に向けると、彼もまた、ドーデムの方をまじまじと見つめてきた。最初は驚いたように、しかしやがて、何かを見極めようとしているかのように険しく表情が変化する。
やがて、
「理由を聞こうか」
真剣な面持ちで言い、引かれたままになっていた椅子に座り直した。
「理由は──エルヴァーグ騎士長、あなたが、隕命君主ライガ・アンバースを討つ事をお手伝い致したい為です」
「私が?」ロディは眉根を寄せる。「まだ、ライガ討伐の王命は下されていない。それに、もし下ったとしても、それが我らファタリテ騎士団へのものであるとは限らないのだぞ」
「いえ、あなたがお望みであれば、そうなります」
ドーデムは言い切った。
「何よりもあなたは、他の騎士団にその役割が任じられる事を良しとはされないはずだ。私は、そう愚考致します」
「無論だ」
机上に置かれたロディの拳が、静脈が浮かび上がる程強く握り締められた。
「マロンを喪っただけでも痛恨の極みだというのに、その上ウィーズルも、バルボロも……私の身に何かがあった場合、ファタリテの今後を託すべき者たちが皆、あの男に殺された。この恨み、我が手で晴らさずにいられようか!」
「私も、奴によって友を奪われました」
ドーデムは言う。ロディは唇を噛んだ後、「だが」と再度開口した。
「我らファタリテは、皆が遍く朋友だ。皆が、貴様と同じ悲憤を味わっている。幾らヤーツ侯から貴様の教育を任されているとはいえ、私もあまりに特別扱いをする訳には行かんな」
「その、ヤーツに関する事なのです」
ドーデムは、これを言う為に、自分はここにやって来たのだ、と、心の中で再確認した。
「ヤーツである私には、あなたの──エルヴァーグの血が流れています。英雄の長たる獅牙卿の血です。私はここで、本家とヤーツ、どちらが直系なのかという問題を取り沙汰するつもりはございません。しかし、次代のエルヴァーグは、決して喪失した訳ではない」
ロディの意気消沈している理由には、この事もあるだろうと思った。彼ももう、新たに子を成す事は、完全に無理とは言わないが厳しいものがある。それに、仮に今から男児が生まれたとしても、空席となったアウロラ姫の許婚の座をその子が得、皇家との結びつきを強化する事も難しい。
先帝の長女シアリーズは、女王として即位した。元からそこまで見込みはなかったとはいえ、これで何らかのイレギュラーによりアウロラ姫が即位、エルヴァーグ家の男である婿が皇配となるという将来の可能性は殆ど皆無に近くなったと言って良かった。
それに現在、ロディ自身も苦境に立たされている。
ヴァイエルストラスでの会合の際、逃亡したジフト第一皇子イスラフェリオ・イスラフェリーの打倒を宣言し、人々の士気を高めたまでは良かったが、その後必要なデモンストレーションだったとはいえライガを刺激するような魔群の処刑を行い──使役術の傘下にある怨霊は術者の死と共に消滅する為、魔群を滅ぼすだけであればライガを処刑する事のみで事足りた──、彼の暴走を招いた、という声は騎士団の中からも上がっていた。
思い出されるのは、ゼムンの言葉だった。
──こんな事になったのは、エルヴァーグの責任でもある。ドーデム、匍匐獅子と仲良しこよしのお前の親父ももう終わりだ。
あの時点で、ロディは同じ騎士団の将来の部下からすら、不信感を抱かれ見限られかけていた。確かにあの時は、ゼムンも平静を失っていたので、ついその言葉が飛び出してしまったのかもしれない。が、その時ドーデムがショックを受け、同時に騎士長の今後について、世間的な評価がかなり厳しいものになるのではないか、という事が直感的に示唆されたような気がした。
マロン=エキュレットを巡る事情を深く知らない城外の人間たちからは、戦犯扱いすらされている事もあった。
シアリーズ女王は、その結果先帝が命を落とした事について特にコメントをしていない。恐らく、彼を責めるのであれば、それ以前により直接的な先帝の崩御の原因となったライガを責めなければならないが、まだ彼女にはライガを憎み切る事が出来ないのだろう。だが、テレサ先帝妃は、ライガの行動は許されるものではないと明言した上で、ロディやウィーズルらファタリテの騎士たちのヴァイエルストラスでの行いには多少の不快感を禁じ得なかった、と告げた。
年度が替わり、謹慎していた莞根士が軍務に復帰して以降も、それまで成り行きとはいえ実質的に彼の代理として騎士団全体を統括していたロディが公に責任追及をされなかったのは、元から理性喪失の兆候が見られていたライガを彼が刺激したという事についての因果関係が根拠不十分であった事、それまで彼がライガによって受けてきた被害を鑑みて、ヴァイエルストラスでの彼の個人報復的な行いにも酌量の余地がある事が認められた為だ。そして、それらを主張し、元老院からロディの責任を追及しないようにという嘆願書を提出したのはナサニエルだった。
ドーデムは、ロディが父親に対して作った”借り”に付け込もうとした訳ではなかった。無論、父からそうするようにと命じられた訳でもない。現在自分が行っている直談判は、そういった事柄を度外視し、マロンの居なくなったファタリテ騎士団の中で今自分がせねばならないと判断した事だ。
「……拡大解釈だ」
匍匐獅子はやや暫しこちらの言葉を吟味するように黙り込んでいたが、やがてそう紡ぎ出した。
「エルヴァーグの血を引く者だけであれば、獅牙卿から私までの三代のうちに数え切れぬ程増えた。だが、それだけでは意味がない」
「たとえ薄められたとしても、血は血というものでは?」
「いや、そうではない。ではドーデム・ヤーツ、貴様は何故、あれ程に我が息子に対抗心を燃やしていた? やはり貴様やヤーツ侯──ナサニエル殿も、正統にこそ意味があると考えていた為ではないのか?」
「ならば」
ドーデムは辛抱強く言い募った。
「私が、エルヴァーグの名を引き継ぐのは如何でしょうか?」
ロディは、いよいよ困惑したように眉根を寄せた。
「何故、そこまでをしようとする?」
「あなたに敬意を持っている為です、騎士長」
ドーデムは、殊更に特別な事を言ったつもりはなかった。
「私は、確かにマロン=エキュレットを──あなたのご子息を超える事を目標としておりました。それは、エルヴァーグの名を持つ彼に、無自覚の憧憬があった為だと思います」
「だからエルヴァーグの名を、血と共に残そうという訳か」
「私には、それを行い得るだけの能力があると主張したく思います」
ドーデムはわざと、謙虚さをかなぐり捨てて通そうとした。それは、今のロディにとっても必要な事だと思ったからだ。
「エルヴァーグの血と名は、共に私が未来へ繋ぎます。マロン=エキュレットや、ウィーズル副騎士長らに代わって」
──付け込もうとした訳ではない。だが、心の中ではどう思っていようと、自分の行為はファタリテの主立った騎士の多くが死んだという現状を好機と捉え、利用しようとしている事と何も変わらない。
胸奥から、そのように声を放ってくる自分も確かに居た。
何十年も先になるかもしれないが、このままロディが子を成せないまま生涯を閉じた場合、現在エルヴァーグ本家と呼ばれている者たちは完全に居なくなる。その時になって自分が、エルヴァーグの名を継いでいたら、これまでの正統性を巡る駆け引きは関係なく、完全にヤーツ家こそが真の英雄の末裔という事がネームバリューと共に人々に喧伝される。
そう勘繰られるであろう事を承知の上で、ドーデムは言ったのだ。
どのような手段を用いても、一つの目的を遂行する為に。ロディとの個人的な結びつきを強める事も、その過程に過ぎない。
(ライガ・アンバース──)
心の中で、恐らく帰らずの地に居るのであろう彼に語り掛けた。
(リクトはきっと、君を殺せないだろう……だったら僕がこの手で、君の息の根を止めてやるよ)
ロディ騎士長は更に十数秒間の緘黙を経た後、
「悪かったな、年長者ぶった口頭試問などのような事を行って」
ふっと息を吐き出し、そう言った。
「は……?」ドーデムはぽかんとなる。
「わざわざ頼みに来なくとも、元から貴様の配属先は私が直接率いる隊だ。明日まで待てば、HMEでその旨が通達されていたのだぞ」
「さ、左様でしたか」
思わず体の力が抜けた。自分が息巻いたのは何だったのだ、と思った。
ロディはもう一度「悪い」と言ってから、机上で肘を突いて指を組んでいた手を寝かせた。
「しかし、貴様からその言葉が聞けて良かった。ファタリテの──エルヴァーグの将来の可能性は、まだ潰えた訳ではなかったのだと知る事が出来た」
感謝する、とロディは言った。ドーデムは「勿体なきお言葉」と低頭しながら、彼の実子であったマロンは、果たして父親からこのような言葉を掛けて貰った事があったのだろうか、とちらりと考えた。
ナサニエルは少なくとも、ドーデムをヤーツ家の将来の可能性だと、面と向かって口にしてくれた事はない。




