『リ・バース』第二部 第12話 Xenogenesis③
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儀式が終わった後、特に予定はなかったので天秤宮に留まった。オフとなった後でシアリーズと話せるのであればそうしたい、と思ったが、どうやら儀式後も彼女はテレサ先帝妃やジブリ公と行わねばならない打ち合わせがあるらしく、部屋に戻る様子はなかった。
一時間程待って、来なかったら自分も白羊宮に戻ろう、と考えながら、リクトは彼女らの居住空間である二階の廊下に佇んだ。無論、それより早くフォルトゥナの今後の事でアルフォンスやイザークから呼び出されたら行くつもりだ。
──騎士長の後継云々という話にしても、恐らくあと十年程はアルフォンスも現役だ。今すぐに何らかの結論を出さねばならないという事はないだろうし、彼らにも考える時間は必要だ。その結果、自分の処遇がどのように転ぶにせよ、自分は文句を言うつもりはない。
正騎士叙勲式の最中、アウロラが何処に座っているのかは分からなかった。皇族は合同訓練場での儀式の際、いつもステージのすぐ近くに座っているものだったが、今日はそこにも居ないようだった。
ややもすると、アウロラは儀式自体に出席していなかったのかもしれない。元から蒲柳の質であった彼女は体調を崩すと治りが遅く、精神もセンチメンタルになりがちだ。六年前──ジフト戦役の前年の春、長引いたフォルスの風土病が治り、始まった彼女の厭世的な情緒は、マロンとの和解によって昨年の夏から冬にかけ、幾分か改善されてはいたものの、彼の死によってぶり返した。それに、追い討ちを掛けるような先月の出来事だ。元々摩耗していた心身に限界が訪れていたとしても、少しもおかしくはない。
彼女と鉢合わせたら気まずいな、と思った。
シアリーズ以上に、彼女は自らの気持ちを抱え込み、周囲に気を遣う。それが分かるからこそ、こちらも彼女とデリケートな会話をする時には、どうしても慎重にならざるを得ない。
だが、皆で避け続ける訳にも行かないだろう、とも思う。
そのような事を考えていると、矢庭に声を掛けられた。
「リクト様?」
物思いに耽りかけていたリクトが我に返って振り向くと、そこに折り畳まれた洗濯物を持ったカレンデュラ・キュモールが立っていた。
「あ、ああ……こんにちは」
ぎこちなく片手を挙げて挨拶すると、彼女はぺこりと頭を下げた。
「この度は、正騎士叙勲──」
おめでとうございます、と言いかけ、口を噤む。先帝の死により、現在は城全体が喪に服している。祝いの言葉は、公のものであれ個人的なものであれ、誰もが自粛していた。
リクトは、気まずそうな彼女に「ありがとうございます」と言い、自分には気を遣わなくてもいいのだ、という事を示そうとした。彼女は自分より一つ年上なので、騎士──それ以前に貴族──とメイドという身分の差はあれど、以前から無意識的に敬語を使ってしまう。
カレンデュラはその事を、他人行儀になるとしてやや不満そうにしている。
「シアリーズ姫……じゃない、女王陛下でしたら、まだお戻りではありませんよ。リクト様の方がご存知なのでは?」
「ああ、大丈夫です。私も先程まで、顔を合わせていましたから。時間があれば少しプライベートなお話を、と思っただけで」
「陛下も大変ですよね……」
カレンデュラは、本当に気の毒そうに溜め息を吐いた。
リクトは、そうだ、と思い、彼女に尋ねる。
「アウロラ姫のご様子は?」
「落ち込まれていますよ、やっぱり。無理もありません」
カレンデュラはどうやら、丁度今彼女の部屋から出て来たばかりのようだった。彼女らは主と専属メイドという関係以前に友人であり、アウロラにとってもカレンデュラは、庶民的に喩えるのであれば「近所のお姉ちゃん」というような頼れる存在に違いなかった。
「ライガの事について、何かを仰ったりは……?」
聞きにくい事なのですが、と前置きし、リクトは問いを重ねた。
「さすがにもう、友達だとは思えないでしょうか? いえ、私もあれから、皆の前でははっきりと口にする事は出来ません。あの一件で身内を亡くした者も、大勢居るのですから」
特にそれは、会合を取り仕切っていた為にライガのすぐ傍に居り、集中的に魔群の手に掛かったファタリテの騎士たちの身内に多かった。それまで、ロディやナサニエル・ヤーツが如何に彼の処刑を主張しようとも言を明確にせず、ジフト戦役当時の事で彼に同情的な声を寄せていた者たちも、今や殆ど皆が躊躇わずに彼への憎悪を口にしている。
だからこそ、リクトも彼については沈黙を保っていたが、それでも皆の中には、こちらが彼と仲が良かった事を取り沙汰し、あたかも共犯であるかのような目で見てくる者も居た。
リクトはそれを否定しない。自分がアルフォンスと共に、彼の為に具陳して裁判を先延ばし、死霊化術の使用に関する罪が不問に付されるように尽力していた事は紛れもない事実だったのだから。
だが、必ずしも皆の態度が一致しているという訳でもない。
ドーデムはこちらを避けているようであり、彼が現在どのような態度を示しているのかは不明だった。だが、彼なりに友情を持って接していたゼムン・タッドポールが殺された事で、ライガに対して悪感情を持っているのは間違いない。事件当時は、彼は明確な殺意を以てライガを攻撃しようとした。
オルフェは最近交流がなく、心情について推測を巡らせる事も難しい。ただ、戦前に比べて別人ではないかという程明るく、笑顔を見せるようになった彼も、さすがに現在の状況で陽気に振舞う事は出来ていないのだろう、戦後フェート騎士団の中から絶えず様々な噂が流れて来ていた──ドラシル家の令嬢セフィラと交際を始めた、など──彼だが、最近はそれも耳にしなくなった。
ノレムは、共同訓練の際に周囲の目も憚らずにリクトの方にやって来、こちらが何も言わないうちから、ライガの離反について「気持ちを察する」という旨の台詞を口にした。それから、「ライガは死霊化術の代償でおかしくなっただけだ」「自分は何があってもリクトの味方だ」「リクトがライガを信じるというのであれば自分も信じる」と大声で宣言し、それを聞きつけた別の訓練生たち──特にフェートの者たちが多かった──から袋叩きにされかかった。
リクトは慌てて仲裁し、後から彼には「皆の前では発言に気を付けるように」と注意した。が、多少考えなしが過ぎるとはいえ、彼がまだこちらの気持ちを慮ってくれる事には感謝を抱いた。
「……そうですね」
先程の自分の問いに対し、カレンデュラはやや言葉を探すように下唇を噛んでいたが、やがて「リクト様は?」と聞き返してきた。
「リクト様は、現在ライガ様の事をどう思われているのですか?」
「私は……そうだな。正直なところ、怒りはあります。全部を、禁術の代償で心神喪失していた為だなんて言い訳はさせたくない。そのような事になる危険性を承知の上で、彼は術を使い続けたのですから。だけど私は、どうしても彼を憎む事だけは出来ません。その為に、リィズ──シアリーズ女王やアウロラ姫が、傷つけられたのだとしても」
リクトは言った。だが、確かにそれは現在思っている事ではあったものの、やはりそれが百パーセントの自分の本心なのかと自問すると、よく分からないような気分になるのだった。
「そうですか……」
カレンデュラは相槌を打ってから、ぽつりと零すように言った。
「──憎みきる事が出来たら、多少は気持ちが楽になるのだろうか。姫様は、そう仰っていました」
「それは……まだ、彼女がライガを、友達だと思われていると?」
自分と同じように、と、リクトは口には出さず胸中で付け加える。
「それもあるかもしれません。しかし……それよりも、自分がライガ様への憎悪に囚われる事で、女王陛下や、リクト様、あなたが今よりももっと心を痛められるのではないかと、憂えていらっしゃるのです」
「そんな……」
そこまで気に掛ける必要はないのに、とリクトは思う。いじらしさに、話を聴いているだけで辛くなってくる。だが、そう悩んでいる事自体が、やはり彼女の中でライガを許せないという気持ちが徐々に肥大し、それに呑まれそうになっているという事ではないのか、とも感じた。
その事は、確かに悲しい事だ。だが、自分がそう思ってしまうから、彼女は増々悩んで自らの気持ちを抑圧しようとするのではないか。
ジレンマ、負のスパイラルだ、と思った。
精神、内面の自由は、何人たりとも侵す事の出来ないものだ。心の中で何を思ったところで、それを周囲が、そのような事を思うな、考えるななどと咎める事は許されない。それでも、アウロラは自分の中に、誰かの大切な存在を憎む気持ちを抱える事をすら罪悪だと思っている。
ならばいっそ、自分がライガを敵と見做し、この手で討てばいいのか。確かにそのうち、彼の討伐作戦が立案され、実行に移される事は避けられないだろう。最早、彼の免罪は有り得ない。
──自分は、ライガを討てるのか。
リクトはまた自問する。アウロラの為だけにそこまでするという訳では、決してない。世界に破滅と混沌をもたらす存在を除くという騎士の義務として、そう出来るのかという話だ。
──他の者にやらせるくらいなら、という考えであれば、どうか。
それが、彼の踏み込んだ道の危険を把握していながら放置した自分の、彼の為に犠牲になった者たちへの贖罪だとしたら。だが畢竟、それも自らを罰したい、そうする事で自分の罪を軽くしたいという、自分本位の感情が先行した結果、そう思っているだけなのではないか。
もどかしい。自分たちは、自分たち自身の感情すら、制御するどころか把握も出来ないのだ。
「……私は」
リクトは、辛うじて絞り出した。
「シアリーズ女王やアウロラ姫がライガに対して何を思ったとしても、反発したりはしません。私がライガを憎みきれない事で彼女らを傷つけるのだとしたら──気持ちばかりはどうにも出来ませんが、私がライガを討ちます」
「そんな事をしても──」
カレンデュラは言いかけたが、すぐに口を閉ざした。
数秒間の緘黙を経、彼女は再び言う。
「リクト様がそんな風に生きても、アウロラ姫様は増々苦しまれるだけだと思いますよ。あなただって、辛い思いをします」
「分かっています」
リクトは首を振った。
「しかし、やはり何もしないでいる事は、出来そうにありません」




