『リ・バース』第二部 第11話 Double Cross⑧
「ライガ・アンバース!」
乱れる人流の中から、隊列を崩しながらもそれに抗うように、ネクアタッド、アレイティーズ、キューカンバーの三騎士長が現れた。ネクアタッドとキューカンバーはそれぞれの愛剣──幅広剣のデネブ・アルゲディと直刀のアスカロンを、アレイティーズは弦楽器ウアトネを手にしている。
彼らの背後で、ヴォルノ、イザークが騎士見習いたちを誘導し、優先して後方に下がらせようとしていた。ライガは彼らの様子を見、両目を細める。
騎士見習いたちに恨みはない。招喚した魔群に彼らを積極的に攻撃させるつもりはなかったが、もしも騎士たちがこちらを制圧する為に向かって来、戦闘の範囲が拡大して彼らが巻き込まれるような事があれば、その時はその時で仕方がないだろう、と思った。
彼らにも、じきに帝国騎士の在り方が刷り込まれるのだ。大勢を生かす為に、少数の罪なき人々を犠牲にする、自称「調和者」の論理が。そのような洗脳が罷り通る前に始末をつけるのは、理に適った事ではないか、と。
しかしそう思ってから、自分は何を考えているのだろう、とはっとした。頭の片隅から、力に呑み込まれている、という警告の声が届く。
……そう、それは、頭の片隅から届いている自分自身の声だった。それまで、ほんの僅かな火種に過ぎなかった、否、そうであるようにと抑圧していた怒りや憎悪の感情と、自らは罰せられねばならないという理性が、完全にその主従を逆転して思考を支配していた。
だから、それは、
「これではデルヴァンクール派も、貴様を庇いきれまいな」
キューカンバー騎士長が言い、吸血霊術を発動してアスカロンを濃朱色に発光させた時、容易く理性ならざる感情が主導権を握った。
「関係ないだろう、あんたたちには?」
ライガは言い、仮想の剣の切っ先を彼らへと向けた。
「ファタリテの奴らは、俺の大事な人たちを傷つけて殺した。俺は、ヒュバキオンやマロン=エキュレットを殺した。俺たちの問題だ、あんたたちが首を突っ込んで、命を粗末にするような事じゃない」
「それは」
ネクアタッド騎士長は、あくまでも冷静に声を掛けてくる。
「事と次第によっては、我々の事も敵と見做すという事かな? だが、よく考えてみて欲しい。君はその結果として、友達の事も巻き込んでしまうかもしれない。君の事はよく覚えているよ、リクト・レボルンスと仲が良かった事も。今、あそこにはそのリクトも居るんだぞ」
彼は感情的にはならず、丁寧に諭すように言いながら後方の騎士見習いたちの方を指差した。
しかしやはり、それは自分には響かなかった。
「あんたたちが、手を出さなければいい。俺が、匍匐獅子をマロンと同じ所に送ってやるまで」
「それは出来ない。何故なら、彼も──エルヴァーグ殿も、我々にとっては大切な同志であるのだから」
「……そうか」
ライガは言い、目を更に細めた。視界が赤みを増し、自分の瞳が光を放っているのかもしれない、と思う。
「なら、仕方がない。俺にも考えがある──」
と、その時、
「闇に包まれし刃は闇に溶け、辻は闇と死への防衛本能への真の躙り……ダークエッジ!」
シュラが放ったような、黒い斬撃が騎士長たちの背後からこちらに飛来した。
降霊術ではないし、その色も若干違った。黒紫色、闇属性エネルギー。しかし通常の闇属性文法ではなく、黒魔術に分類される技だ。
ライガは左手の指先で自身の斬撃術を飛ばし、それを相殺した。
「誰だ?」
「こっちを見ろ、死霊化者!」
ライガのみならず、三人の騎士長も同時に振り返った。
避難する騎士見習いたちの中から、金色のマントを羽織った、ずんぐりとした一人が進み出て来ていた。
「……ゼムン?」
「黒套に身を包み、亡たるまほろばより出で発つ復讐者よ……鋼の刃にて辻風を呼び、徒花に最期の一香を燻らせ! ワールウィンドナイトメア!」
ゼムン・タッドポールは次の魔術を放つ。やはりそれは黒魔術で、今度は風属性の技だった。黒い煙を含んだ「竜巻」のような風の渦が、今にもネクアタッドを巻き込むのではないかという程のすれすれで射出される。
ネクアタッドは思いがけないものを見たというように跳び退り、籠手を嵌めた左手の甲で頰を拭った。実際に少し切ったのかもしれない。
ライガはもう一度斬撃術で防ぎながら、生じかけた驚きを落ち着けようと呼吸を繰り返した。
強力な魔術である黒魔術だが、ゼムンの放ったそれは、出力もコントロールもそこまで大したものではなかった。今、彼は闇属性の次に風属性の技を放ったが、それは彼が高位者であるという事を示すものではない。
黒魔術は、属性適性のある者であれば同属性のものは比較的修得しやすいが、それはやはり通常文法に比べると遥かに難易度が高い。その一方で独自の適性があり、一つの技を修得出来た者であれば、他の属性の黒魔術もそこまで苦労せずに修める事が可能だ。
だが同時に、黒魔術全てを比較的簡単に修得しながら、通常文法は全属性で最下級技すらなかなか身に着けられないというケースがしばしばある。その為、そういった者は特に何属性が適性という言い方はされず、「黒魔術に適性がある」という言い回しが使用される。
ゼムンも、恐らくそれだったのではないだろうか。しかし、彼は元から、剣術のセンスもそこまで優れている訳ではなかった。訓練課程が開始されてから間もない頃に行われた決闘トーナメントでは、彼がしばしば腰巾着をしているドーデムとは異なり上位百名の中には入る事が出来ていなかった。恐らく、六年前は自らの適性魔術である黒魔術の修得も、まだその途中だったのではないか──。
「危ないぞ、君! 下がっていなさい」
ネクアタッドが警告したが、ゼムンは首を振った。
「そこに居る奴は、さっき父上を殺した。だから、俺もあいつを殺して仇を取らなきゃいけない」
「よせ、ゼムン!」
列の中から、更にドーデム・ヤーツが姿を現した。彼はゼムンの背後から肩に手を置き、そのすぐ後ろではゼムンと共に彼の腰巾着をしているもう一人、エッガ・セルがおろおろとしたように立ち尽くしている。
「今のあいつは正気じゃない! 君まで殺される!」
「黙っていろよ!」
ゼムンが、ドーデムの手を払い除けながら噛みつくように怒鳴った。
ドーデムはひっと短く喉を鳴らし、後退る。それまで、ヤーツ家の家臣の子であり自らに従順だった彼から声を荒げられた事で動揺したらしい。
「こんな事になったのは、エルヴァーグの責任でもある。ドーデム、匍匐獅子と仲良しこよしのお前の親父ももう終わりだ。俺はもう、お前に命令される筋合いなんかないんだよ」
「ゼムン……」
ドーデムは奥歯をぎりりと鳴らし、俯く。だがその仕草は、言葉の通じない取り巻きに苛立っているかのようだった。
「……そんなにやりたいっていうなら、俺は構わないぜ」
ライガは言った。何故、自分がそのような挑発的な態度を取っているのか分からないまま──否、分からない振りをする理性を無視しながら。
邪魔をする者は、皆敵である。今、ライガは集まった者たちを一様にそう見做していた。それは一ヶ月半前、アンバース・ヴィラージュの跡地でウィーズルたちに襲われた時、彼らの中に加わっていたマロンに対しても思った事だった。
「ああそうだ、そういえばお前たちも、今まで散々俺に不愉快な思いをさせてきたんだっけな」
「ライガ……っ!」
ドーデムがきっと顔を上げ、流金色の剣をこちらに向ける。
ゼムンは両の眼を狂気に輝かせ、再び詩文を唱えた。
「壊劫の前兆、破天よりの報せ……大いなる変異、来りて地を擾乱し、また魔天へと還らん! ファフロツキーズ!」
空属性黒魔術。こちらの頭上に空色の特大の魔方陣が出現したかと思うと、その中から半透明の影のような無数の動物型の光果が大量に降り注いで来た。
ライガも黒魔術は幾つか使用出来るが、未だ全ての属性のものを修得出来ている訳ではなかった。これは初見だが、趣味の魔術研究を行う中で、文献から知識を得てはいた。分かりやすく、質量で圧し潰す攻撃だ。
特定の阻害技でなかったとしても、火属性攻撃は火傷を、雷属性攻撃は麻痺を、という風に状態異常を誘発する事がある。空属性には、「吹雪」を繰り出した時の凍結以外に特に目立ったものはないが、斬撃でも打撃でもない特殊ダメージの実質量は全属性の中で随一だ。防具を身に着けず、布製の衣服だけの状態で不意討ち的に喰らうと即死する可能性もある。
この「怪雨」は、その特殊ダメージに加え、物理ダメージも与える技だ。最高技とまでは行かないにせよ、それなりに高威力の攻撃二回分のダメージを断続的に喰らい続ける事になる。
ライガは、最も無難な対処方法を選んだ。
「聖なる光よ、我を守り給え! プリヴェントファクター!」
直撃していれば、ただでは済まなかっただろう。が、やはりゼムンの出力がこちらに敵うはずはなかった。
降り注いだ「怪雨」は、光の壁に当たるや溶けかかった寒天細工の如く潰れ、蒸発して行った。六年前と比べれば確かに操作は向上しているが、やはり付け焼き刃感が否めない。大方、新しいおもちゃが自分のものになった為見せびらかしたい、というのに近しい気持ちなのではないか。
「ならこれはどうだ? メールシュトローム!」
「止さないか! パニッシュメント!」
ネクアタッドが、横から自身の水属性術を放ち、ゼムンが続いて繰り出した同属性の黒魔術を食い止めた。
ゼムンの「大渦潮」は、通常であれば同属性の派生技「永久の誅罰」のような水の竜巻として放たれるはずが、半ば解け、周囲に大波を溢れ出させていた。下手をすれば──というより、ネクアタッドがその一部を防いでいなければ、ドーデムやエッガ、騎士長たちも巻き込んでいただろう。
或いはゼムンは、最早周囲の誰を巻き込もうが、そのような事は気に留める事すらしなくなっているのかもしれない。ただ、こちらを仕留める事さえ出来れば後はどうなっても構わない、と──。
「何故邪魔をするんだ?」
「見境がなさすぎる。少し落ち着くんだ」
「止めようとしたって無駄だ。俺にやらせてくれないっていうなら、あんたたちが相手だって容赦はしない」
ゼムンは、低く呟きながら騎士長たちに鋭い視線を向ける。彼の感応が作用したのか、その操作も目茶苦茶な技の出力が跳ね上がり、ネクアタッドの魔術によって一時的に拡大のスピードを落とした「大渦潮」は再び凄まじい勢いで倍近い大きさに膨れ上がった。
大量の水が、ゼムン自身とドーデム、エッガの三人を呑み込んだ。
ゼムンの姿が、波間に消える。その瞬間、彼の顔が浮かべていたのは、何故だろうというような戸惑いだった。
「君が良くても、私たちはそうは行かないのだよ!」
ネクアタッドが、「誅罰」の効果が切れ、再び自分たちの方へと崩落して来る波の中に向かって駆け出した。アレイティーズとキューカンバーは、「大渦潮」が完全に制御を失ったらすぐに一旦退き、態勢を立て直しつつ波が去るのを待とうとしたようだったが、彼らはネクアタッドが真っ先に動き出すとすぐにぎょっとしたような表情になって彼を止めに入った。
「エミルス殿、何をされるおつもりか!?」
アレイティーズが、いつになく厳しい声を出した。彼も、本当のところは理解していたのだろう。しかしネクアタッドは振り返り、アレイティーズからの問いに律儀に答えた。
「若者たちを救出します!」
「それより、目下優先すべきはライガでしょう!」
アレイティーズはこちらを横目で見、ウアトネの弦を爪弾く。水玉のような音霊が数個、彼の周囲に浮かんだ。
「その間に──もしもその駄々っ子たちのせいで匍匐獅子や私たちが命を落とす事になったら、あなたを恨みますよ」
「大丈夫だ、ライガは──」
ネクアタッドはその先も何かを続けたようだったが、ライガはその台詞に集中する事は出来なかった。背後から、肩に軽い感触が生まれる。振り返ると、生ける屍の骨張った手で肩を叩かれたのだと分かった。




