『リ・バース』第二部 第10話 Une Saison en Enfer⑨
⑤ ライガ・アンバース
氷漬けにされたシュラの招喚魔術を解こうとした時、それよりも早くウカノフが追い討ちを掛けるように次の魔術を放った。しかしそれは、こちらを攻撃する為のものではなかった。
「彼との主従制約を一時的に破棄し、隕命君主に従えという命令を解除する……」
それ故に、ライガは彼が攻撃を繰り出すよりも危機感を覚えた。
「リヴォーク」
「駄目だ!」
シュラを押し退け、自らの体を前に押し出そうとした──怨霊との主従制約を解除させる為の魔術なので、ライガが喰らったところで何も起こらない──が、間に合わなかった。
ウカノフの手から放たれた光線が、凍結したシュラの身に吸い込まれて行く。元々動きの停止していた彼だったが、それを受けた瞬間、更に分かりやすくしてやると言わんばかりにその体は仰向けに倒れ込んだ。
「戻れ、シュラ!」
ライガは叫んだが、最早彼が動く事はなかった。
物言わぬ屍と化した彼を見、脳裏に一つの光景がフラッシュバックした。目の前でこの「契約破棄」を受け、動かなくなったシュラ──それは、自分の記憶が失われている、騎士団による帰らずの地攻略作戦の折の事だった。
今、部分的にそれが思い出された。シュラが主従制約を解かれるのとほぼ時を同じくして、自分はアルフォンスの放った神剣キヴィタスによる突きに胸を貫かれ、重傷を負ったのだ。
アルフォンスは、その事に──自らがライガに大きな傷を負わせた事に動揺していた。その一瞬の間に、生ける屍の一体が彼に死の呪いを掛けた。彼も、覚悟を決めて作戦に臨んでいたには違いない。しかし、その衝動的な、無意識の動揺が、彼に死の運命を課す事になった。
(俺は……!)
その瞬間、ライガははっと我に返った。
顔を上げてウカノフと目が合った時、胸中で、今し方思い出した事の一切を忘れさせる程の瞋恚が燃え上がった。
「ウカノフっ!」
「再契約はさせぬ、ライガ・アンバース!」
彼は叫ぶと、突如として再び死霊化術とプレーローマを同時に施した毒化術を射出してくる。それがこちらへの”妨害”だと分かった時、ライガははっとし、まだ自分にはシュラに使役術を掛け直す、という選択肢があった事に気付いた。
唐突なフラッシュバック──それも相当ショッキングな光景──の為に、そのような初歩的な判断を下す余裕が心から失われていた。気付いて再び動こうとした時、ウカノフの放った毒液の奔流がこちらに降り掛かろうとした。
今のライガにとっては、天敵ともいえる攻撃だ。シュラとの再契約以前に、最優先で避けねばならない。
通常の跳躍回避で避けるには、初動が遅れすぎた。
ライガは飛行術で空中へと浮かび上がる。それにより、シュラとの距離が大分離れてしまった。そのタイミングを狙い澄ましたかの如く──実際に狙い澄ましたのだろうが──、ウカノフが床一面を覆う影の流体を蠢かせた。
氷漬けにされた上、契約解除によって完全に動かなくなったシュラの体が、その影が蠢いている場所の中央に、あたかも蟻地獄に落ちたかのようにずぶずぶと沈み込み始めた。
ウカノフもまだ契約解除をしただけで、シュラを命令に従わせる能力はない。だから、まずはこちらの手出しが出来ない場所に隠してしまおうという魂胆のようだ。
「させるか! ブラキオ──」
「トールスバーナ」
また、赤黒い毒液が一直線に飛来する。ライガは空中に浮かんだまま、素早く身を捻ってそれを躱す。
空中に居る間の行動では、常に下向きの引力に抗い続ける必要がある為かなり自由が制限される。もしも今自分の浮かんでいる理由が、飛行術の発動ではなく超跳躍などによるものだったら、この一撃は避けられなかっただろう。
しかし、それによってシュラとの距離は、腕状霊魂の有効範囲以上に開いてしまった。……もう、間に合わない。
「シュラ──」
彼の体は、完全に影の中へと呑み込まれた。
ライガは怒りに任せ、空中滑走術を踵に施しながらウカノフへと急降下する。
「廻鳶脚・裂空!」
「自殺行為を!」
ウカノフは、またしても両腕を上げる。しかし、それが毒液を放つ前に、ライガの斬撃系統の効果を付与された蹴りが彼の両前腕部をスパッと切り裂いた。
「お前だけは許さねえ!」
「怒りに支配されては──」
「知るか! 最初から、殺すつもりで戦ってたんだよ!」
繰り返し、踵の風の渦を彼に叩きつける。
飛行術も空中滑走術も、状態変化をもたらす技なので別の文法を重ねて使用しても解除されない。ライガは更に生成魔術で仮初の剣を作り出し、
「赩焉百華断!!」
ウカノフの頭上からそれを叩きつけようとした。
転瞬、彼の姿がぱっと消えた。勢い余って、ライガはそのままのめるようにして地面に落下する。それより少し離れた前方に、再び彼は出現した。「影の部屋」を応用した空間転移だ。
「安心しろ、ライガ・アンバース。それ程死天使を自らの手元に置いておきたいというならば、これから幾らでもそうさせてやる。端からその為に、あやつも復活したのだから」
ウカノフは言い、またしても両掌を発光させた。
「それを望むのならば、早く不死者となれ」
「しつこい奴……!」
──埒が明かない。その上、状況は刻一刻とこちらに不利になっていく。
超越者の力を持つウカノフを相手に、彼が用意した、彼の得意となるフィールドで戦っているのだからそれも当然かもしれないが、そのような事は何の言い訳にもならない。
だが、ぱっと出せる策は今のシュラで最後だった。彼が居る間に決定打を打てなかった事は痛すぎる。
これ以上どうすれば、と思い、ライガは唇を噛んだ。
(せめて誰かが、この異空間に入って来られたら……)
そう思った時だった。
突然、何の前触れもなく下方から目に見えない力が突き上げて来た。そして、それは自分だけではなく、ウカノフに対しても働いたようだった。
「これは……!?」
思わず叫びかけた時、ウカノフが遮るようにして口走った。
「反感か!?」
それは、ジェムシリカも口にしていた言葉だった。「地下」へと対象者を引き込む力──「共感」と対になる、対象者を弾き出す為の力。
だが……
「何故だ? 私に、プログラムの意思は既に反映されていないはず……隕命君主にしても、冥界の女王が引き込んだ以上は──」
独りごつように呟いていたウカノフは、そこからはっと目を見開き、ライガの現在立っている辺りの床を凝視した。
「そうか、死天使だな。あやつはライガによって招喚され、その意思によってここへと侵入した……プログラムにとって、あやつは招かれざる客人であり、排斥の対象だった訳だ」
しかし、と、ウカノフの呟きを聞きながらもライガは思う。
「それが俺たちにまで影響するなんて……!」
「死天使一人に働く力が、強すぎるのだ。それもそうだ──死霊化術を理の内に取り込む為の機構に、史上最悪の怨霊が侵入したのだからな」
彼の言葉が合図になったかのように、ライガとウカノフは同時にふわりと浮かび上がった。そのまま、抗う術もなく遥か上空へと持ち上げられる。
「我が共感でも、拮抗しきれない──」
ウカノフは呟くと、意を決したように「ライガ・アンバース!」と呼ばった。
「勝負はお預けだ! だが、これで終わったなどと思うな。私やヘルガクヴィーダ殿下には、いつでも貴様を我らが影に同化する為の手段があるのだ! 貴様や聖光士の知らぬだけで、貴様らの身近な場所で鳴りを潜めている我らが同胞の、如何に多い事か!」
「待て、ウカノフ──」
「恐れ慄け! そのまま何者をも信用出来なくなり、抗う術もなく我らが群体の一部と化す時を待つがいい!」
その声を最後に、自分と彼との間を闇が遮った。
ライガはあっと叫び、彼の見えていた方向に手を伸ばしたが、その手すらも最早こちらの目には見えなかった。
上昇感は次第に勢いを増し、それが最高潮に達した時、ライガは弾かれるようにして闇の中から放り出された。
びくり、という全身の震えの後、気付けば元の路地裏に俯せに倒れていた。
鼓動が異様に速まっている。上昇していたはずなのに、落下を無事に終えたような感覚があった。喩えるのであれば、ベッドの中で微睡んでいる時、急に落下感が襲い掛かり、びくりとして目が覚める感覚──ジャーキング──に似ていた。
変身術は解除されていなかった。しかし、「地下」から弾き出された時に衝撃を受けたのかもしれない、全身に負った傷からまたしても血が流れ始めている。回復魔術で簡単に閉じた傷口がまた開いたのだ。
戦闘音は、いつの間にか聞こえなくなっている。リーマン攻略作戦は終わったのだろうか。では、作戦に参加していた騎士たちはどうなったのか? リクトは? ヴォルノは?
(行かなきゃ……)
胸中で呟き、立ち上がろうとした。しかし、全身に力が入らない。それで、先程まで立てていた事の方が奇跡だったのだと痛感させられた。
「リクト……リクト、何処に──」
口走りながら、何とか体の向きを変えた時だった。
路地裏の入口に、数人の人影が見える。敵か、味方か──見極めようとして、すぐにそれが民間人たちであると気付く。一つの家族らしく、両親と思しき大人の男女に加え、兄妹と思しき小さな男の子と女の子が居た。
逃げ遅れたのか──ライガは思い、倒れたまま喉を抉じ開けるようにして警告を発そうとする。
しかし、彼らはやや暫しそこに立ち尽くした後、無言のままこちらに向かって駆け寄って来た。その顔に浮かんだ表情は恐ろしいまでに虚無的で、ライガは俄かに表白し難い不安を覚えた。
尋常な様子ではない──その第一印象は、彼らがその手に黒っぽい煙のような霊力を纏わせ始めた瞬間、はっきりとした危機感に変化した。
(この人たちは……!)
脳裏で、本能が最大級の音量で警告を発した──その刹那だった。
「クレッシェンド!」
澄んだ管楽器の音色と共に、金色の五線譜の光果が飛んで来て、ライガへと迫った四人の民間人を巻き締め──一際強い発光と共に爆発した。
ライガは咄嗟に顔を伏せ、爆風が収まるや恐る恐る頭を擡げた。
「蝸牛……?」
「ライガ!」
叫び声と共に、路地にリクトが駆け込んで来る。彼は満身創痍のこちらの姿を見るや、駆け寄って来て屈み込み、抱き起こしてくれた。しかし、そうする彼の身も、また自分と同じくらいにボロボロだった。
「ここに居たのか。ウカノフは? ……いや、それよりもまずは」
「リクト、イスラフェリオはどうなった?」
「捕まえたよ。詳しくは後で話す。まずは撤退だ」
彼は早口で言うと、手にしていたヤーラルホーンを背中に戻し、こちらに肩を貸して立ち上がった。
「よく、こんな所が分かったな」
「さっきの奴らが、急にここを目指し始めたからね。もしかしたらと思って追い駆けて来たら、やっぱりこうして君が倒れていた。だけど、もう大丈夫だ。作戦は完了したよ」
「そうだ、今の……!」
ライガは、今し方リクトが爆殺した民間人たちの方を見ようとする。が、リクト本人から「見ちゃ駄目だ」と言われ、肩に回した手で目を塞がれた。
「リクト、お前今、街の人を──」
「違うんだ、ライガ。よく聞いてくれ」
リクトの声音は、感情を押し殺しているかのように淡々としていた。
「すぐに、この人たちの亡骸は消えてしまう。だけど、もう少し掛かりそうだ」
「だから何で──」
言おうとしたライガの唇に、リクトは指先を当てた。
「いいか、落ち着いて聴いてくれよ。……この街の人々は皆、『影』にされていたんだ。『死に至る灰』で命を奪われた後、個別化されていた──ドラウ・ボンやレドム・イドゥンたちのように」
「何だって……!?」
ライガは息を呑む。リクトはこちらの目を防いでいた手を下ろし、自らの方を向かせると、厳しい表情のまま続けた。
「ウカノフが、イスラフェリオに何を吹き込んでいたのかが分かった」
第十話「Une Saison en Enfer」はこれで終了です。四話分使用したリーマン編も無事に終了しましたが、物語の中で特に重要な謎が明かされると同時に新たな謎も増えました。次回とその次は以前にもお話しした通り最後の過去編ですが、その後も現代編の中に埋め込まれる形で過去のエピソードは語られます。以降の現代編(単行本換算で七巻目)は直接的に武器を交えるバトルよりも政治戦・心理戦が中心となり、新たな謎も解かれていくので乞うご期待です。
ウカノフという偽名を使用していたアリフの転生者ですが、第二の生での本名「ヴァクル・シグフォズル」というのはこれまた古ノルド語で、姓名共にオーディンの異名です。「ヴァクル」は「目覚めた者」や「目覚めさせる者」、「シグフォズル」は「勝利の父」を意味します。ファミリーネームは彼を境界転生で蘇らせたバルドバロア王家の家臣のものなのでメタ的なものにはなりますが、帝祖テオドールに滅ぼされた王家が捲土重来の為にアリフをヴァクルとして転生させた事を考えると暗示的なものが感じられる名前ではないでしょうか。
最後に次回の過去編についてですが、今度は序盤から度々言及されてきた「ヴァイエルストラスの悲劇」を取り上げたエピソードになります。アンバース・ヴィラージュの壊滅やマロンの死も相当にショッキングな話でしたが、次回はそれがクライマックスになります。とはいえ、過去編の暗さにはもう慣れました、という方には、そこまででもないかもしれません……




