『リ・バース』第二部 第10話 Une Saison en Enfer⑧
ハントと「蠍」たちが擦れ違った瞬間、ニースが動く。彼は、自分側を通って出口へ向かおうとしたアノニムの方を標的にした。
彼を信じる事にし、エロイスはフェイントを続ける。
「……神託よ、領域を侵し来る者総てに、遍く刑を宣告せよ!」
「捲竜旋!」
ハントが剣技を繰り出す。その時こそ、エロイスの策が成功した瞬間だった。
即座に詠唱を中断し、剣に感応を込める。駱駝色の刀身が、いつにも増して目映く光を放った。
「蒼穹飛麟衝!」
下段から掬い上げるような、正面への斬り上げ。それは、比較的軽量のハントの刀身を跳ね上げ、転瞬、彼の胴部の守りが疎かになる瞬間を作り出した。
エロイスはその隙に、
「廻鳶脚!」
回し蹴りを──即ち体技、片手直剣での剣技から技後硬直の課されない別カテゴリの技を──放った。それは吸い込まれるかのように、ハントの鳩尾へと肉薄し、炸裂した。
「謀ったな、騎士見習い……!」
ハントが顔を歪める。痛みによるものか、悔しさによるものかは不明だ。
だが、それはエロイスにとってもぎりぎりの作戦だった。何処かでフェイントに気付かれていれば、また、いずれかの動作が少しでも遅ければ、容易くコンボは瓦解していた。
この僅かに稼げた時間のうちに、ニースはアノニムを追い越しかけていた。いつの間にか、彼の踵には空中滑走術の風の渦が出現している。それによって加速し、アノニムに追い着いたようだ。その地点は、まさに丁度ラナ副騎士長が蹲っている入口のすぐ近くだった。
「この……!」
「フー、もう手を出すな!」
アノニムは、自分たちが予想した通り最初は地底聖堂から出る直前にラナを攻撃するつもりだったようだが、ニースが前に出るや否やその思惑を改めたらしい。尚もそれを続行しようとしたフーを制止し、外へと飛び出した。
フーは舌打ちを弾けさせた後、
「いい気になるなよ!」
捨て台詞を残し、相方の後に続いて出て行った。
「ニース君……」
「動かないで。お怪我は何処に? 只今、回復魔術を掛けますから」
「大丈夫、自分で掛けられます。それより、早くエロイス君の方に行ってあげて下さい」
ラナはこちらをちらりと見、ニースに「メルシー」と言った。
ニースは、フー、アノニムの駆け出して行った堂の外に一瞬視線をやり──目視と魔素知覚術で彼らが十分に離れたかを確認したのだろう──、すぐにハントを睨み直した。背後を突こうとしたらしく、刀身を発光させる。
ハントが遅延から立ち直る一瞬前に、エロイスは彼に見咎められぬよう素早く後方のニースと視線を交わし合い、新たな剣技の構えを形成した。
前後からの連携攻撃だ。
「催花降翎原!」「瀛渦侵逆門!」
エロイスの剣技は、垂直斬り下ろしから手首を返し、横方向に波打つような軌道を描く変則的な技だった。他に類のない、空属性の片手直剣カテゴリの中にしか存在しない剣技で、相手が一撃目を捌こうとして繰り出した横薙ぎをするりと回避する事を意識した軌道だ。
ニースの方は水属性の必殺技だった。距離的に彼の方が少し離れているので、こちらとタイミングを合わせるには、補正効果で間合いの伸びるこの技を使用するのがベストな選択だ。
ハントは、さすがにやや焦ったようだった。しかし、彼も対処に悩んでいる間にどちらからの攻撃も喰らう、というようなへまはしなかった。
彼が焦燥を見せたのは刹那だった。
「冱濫天廻飆!」
ハントが、身を捻りながら大きく円月状の軌道を描いた。
風属性剣技、必殺技。それは、通常であれば水平軌道で使用者の周囲を薙ぎ払う技だったが、ハントの軌道はやや傾いていた。これがもう少し角度をつけていたら、プログラムが動作を読み取らず、発動に失敗していたかもしれない。
「そんな……!?」
思わず、エロイスはそのような言葉を発していた。
こちらの二撃目──波の山を含んだ横薙ぎの高さに、ぴったりと一致する剣の高度だった。その防御に成功するや、それからコンマ数秒も置かず、ハントは剣技の補正に引っ張られるようにして転身し、エロイスの剣軌よりもやや高い位置から迫っていたニースの刀身に自らの刀身を叩きつける。
彼の軌道が、やや斜めになっていた為に成功した衝突だった。水、風、どちらもそれぞれの属性剣技の最高技で、デフォルトでの威力は同じだ。という事は、そこからものを言うのは使い手の実力だ。
その点では、やはり経験の差が顕著に表れた。
「ううっ……!」
呻き声と共に、ニースが押しきられた。技の終了に合わせ、ハントが余力全てを注ぎ込んだのだろう、彼は吹き飛ばされて何度も床の上でバウンドした。
「ニースーっ!」
「エロイス、駄目だ──」
「リストリンゲレ」
ハントは、彼に拘束術を掛けた。霊力の輪が、剣を握った腕ごと彼の胴をしっかりと巻き締める。
かっとしてエロイスが飛び出そうとすると、ハントは短細剣の先を牽制するかのようにニースの喉笛に突き付けた。「動けば、即座にこの騎士見習いの命は失われる事になりますよ」
「卑怯だぞ、あんた!」
「では、二対一は卑怯ではないと?」
エロイスの叫びを軽くいなすと、ハントは再び詠唱を開始した。
どちらにせよ、彼は自分たちをここで殺すつもりなのだ。分かっていながらも、剣がニースに突き付けられているという状況で動けない自分を、エロイスは全く理性的ではないと思った。
「解かれし聖所の錠、懸隔されし風の淵源……風上より自らを遣わしし天使、その契機に依りて裁定を施行せん!」
風属性の派生技。今度は「拡張」ではなく、「昇華」の詠唱。
ハントの体の前に特大の翡翠の魔方陣が展開し、その中から黄金色の光の粒子を含んだ風が溢れ出そうとする。
拡散するタイプだとしたら、ニースは無論の事、先程剣技を弾かれた事で多少の距離が生まれた自分の方にもそれは襲い掛かる。自分の防御魔術の出力で、それを防ぎきれるか否かは不明だ。
「聖裁……エンジェルス・テンペスト──」
最初に「拡張」を放たれた時、自分とニースがそれを防ぐ事が出来たのは、ラナが威力を減殺してくれた上で、魔素出力向上を行った結果だ。時には熟練者の放った最下級技が素人の最高技を押しきって通る事もある魔術の世界だが、ならば熟練者の使用した派生技など、通常騎士見習いが防御出来るようなものではない。
この時ばかりはさすがに、エロイスの脳裏にも、もう駄目かという諦めに近い感情が萌しかけた。
しかし、その時思いがけない事が起こった。
バーンッ! という爆発音が谺した。
発光──後、溶暗。
エロイスの頰、光の通過した方に向いている皮膚に、ひりひりとした軽い火傷のような痛みが走った。
光属性文法「照射線」を束にしたような極太の光線──聖光士がいつか語ってくれた、旧ジフト軍に居たという取能者スクリュー・バウカーの使用した光属性術とはこのようなものだったのではないかと思う──が、入口の方から飛来して自分のすぐ横を通過したのだ。その軌道上には、エロイス、ニースからやや逸れて立っていたハントが居た。
直撃こそしなかったものの、右手で握ったスティレットをニースに突き付け、左手を突き出しながら詠唱を行っていたハントの両腕が、手首のすぐ上辺りで消し飛ばされた。花青色の刀身は真っ二つに折れ、ニースに向けられていた先端の部分は彼の首の皮に掠り傷をつけながら宙に舞う。
傷口が焼き固められ、ハントの手首の断面から血液が噴き出す事はなかった。今し方の大光量があまりにも唐突で、凄まじいものだった事も相俟って、彼は一瞬自分の身に起こった事を理解しきれないような素振りを見せた。
光が消えてから数秒間を挟み、フォースタス・ハントの喉から布裂くような絶叫が迸った。
「ぎゃあああああっ!!」
エロイスもニースも、突然の事に何が起こったのかを瞬時に判断する事が出来なかった。ただ、ぼんやりと、今し方の光線には見覚えがある、という事だけを思いながら、視線をその射出点に移した。
ラナが、床にぺたんと座り込んでいた。その背中に乳幼児の如く防水布に包まれて負われていた聖体が、自ら解けたかの如く彼女の傍に落下している。その死蝋化した表面は、撃ったばかりで過熱した火属性の兵器系魔導具のように微かに白煙を立ち昇らせていた。
今起こった現象が何だったのか、すぐに察しがついた。
ラナの背負っていた聖体──「臓物」が、あの光線を放ったのだ。あの、というのは、今年四月に自分たちがネイピアの村で目撃した、聖体から放たれた光の事だ。それは最大出力で放たれた時、バング邸を半壊させて夜空に高く光の柱を立ち昇らせ、またその後もドラウ・ボンの手によって、威力を調整され精度を上げた攻撃が繰り返し自分たちを襲った。
ネイピアで回収した時のように、それは器に入れられてはいなかった。あの円盤状の外装は、聖体が本来放出するエネルギーの出力を調整する為のものだったのかもしれない。今はそれなしで放たれた為、このように凄まじい威力になったのだ。
「ラナ殿……それは」
ニースが言いかけた時、彼女が慌てたように両手首を振った。
「私は何もしていませんよ! 急に、聖体が震え出して落ちたんです。そして、いきなり今の攻撃を」
──聖体が、自ら動いて攻撃した?
まさか、と思ったが、信じざるを得なかった。先程の一撃は、罷り間違えば自分やニースにも当たっていた。ラナが、この状況でそのような危険を伴う乾坤一擲の勝負に出るはずがない。
「おのれ……!」
ハントが両膝を床に突き、憎悪も露わに彼女の方を睨んでいた。
はっと我に返った時、ニースが「エロイス!」とこちらを呼んできた。彼を縛めていた拘束術は、既に解除されている。
それだけでエロイスは察し、彼と共にハントに躍り掛かる。ハントは何かしらの次の挙動を見せる前に、二人掛かりで床に押し倒された。
「観念して下さい、ハント卿!」
ニースが、先程自分がされたように彼に拘束術を掛けた。それから手巾を取り出して手早く彼の両手首を縛る。こちらは拘束の意図でなく、傷口を圧迫する為の処置のようだった。即座に焼き固められた為に出血は抑えられているが、またいつ噴き出してもおかしくはない。
それでも尚暴れようとしたので、エロイスは失神術を掛け、彼を昏倒させた。
「ごめんなさい、エロイス君、ニース君」
ラナはやっと立ち上がり、警戒したようにリラの頭部で「臓物」を幾度かつついてから手早く布を巻き直した。
「二人とも、お怪我は?」
「特にありません。……ラナ殿が謝られるような事ではありませんよ」
エロイスは言いつつ、ニースと共に彼女に駆け寄った。気絶状態に陥ったハントの体は、ニースが飛行術で浮遊させて運ぶ。ネイピアでドラウ・ボンの亡骸を運んだ時もだったが、彼はやはりまだ浮かせるだけでライガのような自由飛行は出来ない。
「今のはラッキーでしたけど、危ないですね」
ニースは、愛剣を鞘に納めながら言った。
「でも、今まで同じような暴発──そう、暴発は起こりませんでしたよね」
「ラッキー……まあ、確かにナイスタイミングだったな。今まで起こらなかった暴発が、よりによってあそこで起こるなんて。これが他の時だったら、大変な事になっていたぞ」エロイスも呟く。
「まるで──」
ラナも何かを言いかけたが、彼女はその言葉を途中で切った。「いえ、そんな訳はありませんよね」
独りごつようなその台詞に、エロイスは却って気になってしまう。
「何ですか? おかしな事でもいいので、教えて下さいよ」
「いえ──本当に、だって……何だか、この聖体が、意思を持ったみたいだ、なんて言ったらおかしいでしょう?」
ラナはもじもじと指先を動かしながら言ったが、エロイスもニースも否定せず息を詰めた。それはエロイスも、ちらりと考えてすぐに自らの中で否定した事だったからだ。恐らくはニースも同じだろう。
(……聖体は、解体された生ける屍だ。あれだけのエネルギーを持っているようだし、魂の断片が宿っていたとしてもおかしくはない)
しかし問題は、そのようにばらばらにされた魂が、尚も自ら意思を持ち、行動を起こす事があるだろうか、という事だ。いや、一つの魂を分割して各々に動かす技というなら、浮遊霊姫イブン・ソニアの吐魂術もそうだが──。
「……ともかく、これも女王陛下らに報告しましょう」
ニースが沈黙を破った。
「ハント卿の襲撃の事もですが、処理せねばならない情報が多すぎます」
「そう……ですね」ラナは肯いた。「他の捜索部隊からも、そろそろ進捗状況を確認しなければいけませんし」
──カルマ騎士団が調査を行っているのは、ここだけじゃない。一箇所にかかずらっている間にそれらを疎かにし、指揮を任されている他の「蠍」たちをむざむざ死なせたりするような事があったら、その方が大失態だ。
アノニムの台詞が思い起こされる。
カルマの騎士たちによる各地の古代信仰の史跡での一斉捜索が開始されてから、発見された聖体はこの「臓物」で四つ目だ。事前に三つが回収されていた為、残りは八つ。
今回だけで、大分神経を擦り減らしたように思う。それまでも、緊張感を持たずに臨んだ冒険などなかったが、「蠍」や、よもや味方であるはずの騎士にまで襲われるとは思わなかった。
目下捜索が行われているのは、プレーローマの紋章が発見された場所を手当たり次第という風なので、これからは恐らく空振り続きになる事も覚悟せねばならない。敵も、こちらの動向に基づいて後を追う形で動いている以上、今後も遭遇率は高くなるだろう。
(けど、少なくとももう騎士から襲われるような事はないはずだ)
エロイスは思いながら、ニースの横に浮かんでいるフォースタス・ハントの体を見やった。
果たしてナサニエル・ヤーツは、何を考えているのだろう。息子のドーデム騎士長は、父親の秘めた何らかの思惑を知っているのか。
不吉な予感を感じながら、早く任務に向かった聖光士たちに帰って来て欲しい、と胸中で独りごちた。




