『リ・バース』第二部 第10話 Une Saison en Enfer⑦
④ エロイス・ネイサン
突如現れたフォースタス・ハントが、地底聖堂の入口から自分たちに向かって風属性文法最高技の派生──「拡張」の方──を放ってきた時、誰もがその出来事を、咄嗟に現実だと判断出来なかった。
敵味方を問わず唖然となる中で、真っ先に我に返ったのは、ハントのすぐ傍に居るラナ副騎士長だった。
「ラッドルチェンド!」
緊迫したこの状況に、ややもするとそぐわないのではないか、と思われる程柔らかく、低音域の音色を紡ぎ出す。リラの弦から放たれた茜色の音霊は、こちらと彼らとの間に薄いベールのような幕を形成し、そこを通過したハントの派生技──紫色の光を含んだ旋風は、その光を喪失し、拡散した通常の「摂理」と同程度の出力にまで希釈される。
と、いう事が分かるのは、恐らくニースと同時に発動していた魔素知覚術が、まだ解除されていない為だ。
「一時休戦して下さい!」
ラナが、エロイスたちに向かって叫んできた。
「まだ止められていません! でも、四人がかりでなら余裕で防げる出力です!」
「余計な事を……」
ハントは言い、花青色の短細剣をさっと一閃する。ラナはあっと悲鳴を上げ、その場に頽れた。
「あんた……!」
エロイスは歯噛みし、障壁因子を発動する。ニースが、横から「動的熱」でこちらの魔素出力を向上してくれた。
光の壁が倍近くに拡大し、襲い掛かって来た風属性術はそれに当たるや衝撃をこちらに伝えこそしたものの、ダメージとして入る事はなかった。この間、フー・ダ・ニット、アノニム・アノニマスは手助けこそしてこなかったものの、妨害しようとする事もなく、
「何が目的だ、貴様!?」
フーの方は障壁因子越しにハントの方に指を突きつけ、喚いた。
「その女騎士から何を聞き出そうとした!? わざわざ女騎士がここに戻って来たという事は、俺たちは貴様にとって隘路になり得るという事だな? だから、真っ先にまとめて殺そうと──」
「やめておけ」
エロイスは、術を維持したまま耳障りな彼の声を遮る。「どうせ、この轟音の中じゃ聞こえやしねえよ」
「貴様らも少しは焦れ! 服装は違うが、身内なんだろう!?」
「焦ってどうにかなるものなら、幾らでも焦ってやるさ!」
実際に、焦燥がない訳ではなかった。しかし、近くに自分よりも取り乱した誰かが居ると、それは却ってこちらの頭を冷却してくれる。
「別に──」
フォースタス・ハントは、やや高い声音で言葉を紡いだ。
「別にラナ殿でなく、あなた方であってもいいのですよ。どのような法則性を持たせて、聖体の捜索は行われているのか……あなた方の口から、是非教えて頂きたいのですよ」
騎士見習いである自分たちに対してのハントの喋り方は、いやに慇懃無礼なものだった。
防御が終了し、衝撃音が消えると、ニースが「まさか」と返した。
「手柄を横取りしようなどという魂胆だった場合、私たちがあなたにそれを明かしたりする事は有り得ません。ハント卿、あなたのこの行動は、騎士としてあるまじき行いですよ」
「私個人の手柄になど、興味はありません」
ハントは軽く遇ってきた。
「あなた方にこそ、問題はあります。……あなた方は、隕命君主ライガ・アンバースの再来を知りながら否定し、剰え彼を密かに匿う事すらしているのでしょう? 否定したとしても無駄ですよ」
「………」
エロイスは口を噤む。ニースも、同じように黙り込んでいた。
無論、その通りだなどと正直に返事をするつもりはない。しかし、そもそもあまり執拗に追及される事も避けたかった。ラナに、もしかしたら、などという気を起こさせてしまう事になる。
彼女や、ノレム騎士長を信用出来ないという話ではない。ただ、それは個人情報を教えられないのと同じ事で、彼らが知る事により、何かがあった時に彼らの周囲に居る者たちにまでそれが伝播する可能性を回避せねばならない、という考えに基づく事だった。
ただでさえ、今城の者たちの間では、モルガンの戦いで中心になっていたファタリテの騎士たちを始め、ライガが境界転生で蘇ったというのは事実ではないか、と囁き合う声がある。彼らに根拠がなかったとしても、ライガの復活が事実である以上いざとなったら聖光士でも皆の声を抑えられるか覚束ない──。
「ヤーツ騎士長の思い込みです!」
自分たちの代わりに、開口したのはラナだった。
「裏づけを取りたいという話であるなら、何故私たちの聖体捜索について、ノレム兄様を──ピックルス騎士長を問い質したのですか?」
「……なるほど」
ハントは、蹲った彼女を冷たく見下ろす。
「彼が、あなたに連絡を送りましたか。どうりで、不意を突いたにしてはあなたの反応が良かった訳だ……しかし、ではやはり、何か後ろ暗い事情でもあると見た方が宜しそうですね」
「自己正当化はもう結構です。ではヤーツ騎士長に連絡して、ピックルス騎士長から情報を得た後、あなたにこの襲撃を行うように命じたのかどうか、確認を取っても構いませんね? もしもあなたの行動が、通常の治安維持の為の容疑者逮捕であるのだとしたら」
「……それを知って、如何なされるおつもりですか?」
ハントは、分かり切った事を、と言うかのように目を細めた。どうせこちらは容疑者として拘束されるのだから意味がない、といったニュアンスを漂わせたようだったが、そこでエロイスは俄かに引っ掛かりを感じた。
ハントが一瞬、それをされては困る、という態度に見えたのだ。
無論、こちらの主観の問題だ。しかし、もしもこの引っ掛かりが気のせいでないのだとしたら──。
(ノレム騎士長がラナ副騎士長に伝えたからには、ヤーツ騎士長が双児宮に彼女の行き先についてあれこれ尋ねに来たのは本当なんだろう。でも、ヤーツ騎士長がハントに命令を出したんじゃないとしたら?)
この襲撃は、ハントの独断だろうか。いや、もっと可能性が高いと考えられる事はある。
「もしかして」
ニースが、こちらと同じ事を考えたのか問いを放った。
「ナサニエル・ヤーツ元老長の指示ですか?」
「何を仰るのです?」
ハントが、細めたままの目をこちらに向けてくる。さては図星か、と思った時、ニースが更に言葉を続ける。
「彼に、直接的な騎士団への命令権はありません。彼が、ピックルス副騎士長の拘束または殺害の命令を下し、あなたが実行しようとしたのであれば、それは規則上無効です。不当な殺人未遂という扱いになりますよ」
「……生意気な新参者だ」
ハントはそこで、はっきりとその顔に怒気を湛えた。
「ここであなた方の処分を実行してしまえば、結果は同じ事です」
と、その時、
「それで、捜査令状の発行に有効な根拠を提示する事が出来るようになりました」
ニースが言い、手を前に突き出した。
そこには、音声入力が開始されているHMEが握られていた。
「アドレスはジブリ公に設定しています。あなたの今口にした内容は、文章化されて天秤宮に送信されましたよ」
ニースの声色には、必死さが滲んでいた。決して、ハントを出し抜いた事に対する得意げな響きなどは帯びられていない。一方でエロイスは、何故自分はそれくらいの事が思いつかなかったのだろう、と自分を責めた。
これで、もしも自分たちがここで全滅する事になったとしても、聖光士たちにヤーツ親子の疑いを伝える事が出来る。
自分たちは聖光士に能力を認められ、”同志”に加えられこそしたが、やはりまだ騎士団に入ってから日は浅く、実戦経験が足りない。ラナが戦闘向きでない事は今までに本人が度々口にしてきた通りであり、対するハントは、今派生技を披露した通り騎士の中でも高い実力を持つ者らしい。
戦闘が避けられないとなると、全滅の可能性は十分に考えられる事だった。当然むざむざやられる事を前提に戦うつもりはないが、ニースは万が一の為の布石を打ったのだ。
「おい、俺たちを無視するな!」
フーが、後方からしつこく怒鳴った。アノニムがそんな彼に、
「もういい、フー。事態がややこしくなってきた」
ハントを睨んだまま、鋭くそう言った。「ここは一旦引き下がるぞ」
「アノニム、悔しくないのか!? 失態続きの俺たちが、またしてもイブン様に機会を頂けたんだぞ。今回も──」
「カルマ騎士団が調査を行っているのは、ここだけじゃない。一箇所にかかずらっている間にそれらを疎かにし、指揮を任されている他の『蠍』たちをむざむざ死なせたりするような事があったら、その方が大失態だ」
「くっ……!」
フーは歯軋りの音を漏らす。相方の言う通りだ、と思ったらしい。
エロイスもニースも、ハントの方を睨みながらも後方には神経を向ける事は忘れていなかった。とはいえこの状況で、彼らが突然の闖入者であるハントをそっちのけにして自分たちへの攻撃を続けるとは思えない。
数秒間の沈黙の後──その間、ハントも警戒しているのかまだ第二の攻撃を放ってくる事はなかった──、フーは「だが」と再び言った。
「では、あの騎士はどうする?」
「俺たちが逃げたところで、こっちからペンタゴナ・パラスに告げ口をする事はないという事は分かり切っているだろう。あいつにとって目下の問題は、本当にHMEを送ったのだとしたらこの騎士見習いたちだ」
アノニムは、わざとハントに聞こえるように言っているようだった。
「奴らが戦っている間に、俺たちはここを出る」
「エロイス」
ニースが、こちらは囁くように小声で言ってきた。
「僕たちにとっても、今優先すべきはハント卿だ」
「ああ、そうだろうな」エロイスは肯く。
「だけど、彼らの狙いが聖体であるのも事実だ。ハント卿をこっちに引きつけたとしても、今入口に陣取っている彼が動いたら、彼らはラナ副騎士長のすぐ横を通る事になる」
ニースの言葉に、エロイスはもう一度「ああ」と肯いた。
その通りだ。ハントが斬りつけた事で、ラナが負った傷がどの程度なのかはここからでは分からない。が、少なくとも今、彼女は立ち上がって戦闘に復帰する事が出来そうな様子ではない。
脱出の際、フーたちがついでのように彼女を攻撃し、聖体を奪ったら。いや、それよりも、彼女の命を奪ったら──。
「『蠍』たちが逃げるのは好都合だけど……」
「その前に、まずラナ殿に入口から動いて貰わなきゃな」
エロイスは少し考え、「それじゃあ」と言った。
「俺が遠隔攻撃のフェイントをかまして、ハント卿を引きつける。彼の今の位置取りはベストだ、威力十分の範囲攻撃が出来る以上、先制攻撃を狙ってもあの場から動かない可能性もあるからな」
「ダコール」ニースが顎を引く。「そしたら、多分次はフー、アノニムが脱出を図るはずだ。彼らは二人で、今までの様子からラナ副騎士長に対してはそこまで危険視していない」
「それを、お前が追う形で彼女を庇いに行くんだ」
「最適解だね。だけど、君一人でハント卿を相手にする事になる」
「大丈夫だ」エロイスは、自らにも暗示を掛けるように言った。「数分程度なら、一人でも持たせてみせるさ」
「……分かった。信じるよ」
ニースが、ちらりと「蠍」の若者たちを見、すぐに視線をハントに戻した。彼が剣を正面に構えたタイミングで、エロイスも自らの剣をハントに向ける。
ファタリテの騎士は、ニースがHMEを見せた時から口を引き結び、額に青筋を浮かべていたが、やがてもう一度左掌をこちらに突き出した。最早余計な事は何も言わず、詠唱を開始する。
「真空に我在り、廻風往く道途に敵在り……摂理の名の下、我汝を誅せん!」
今度は、派生ではない通常の「摂理」の詩文だった。やはり、大技はそう何度も連続しては使用出来ないらしい。
その詠唱の途中で、エロイスは剣を構えたまま被せるように自らも詩文を唱え始める。ニースがその間に、腰を低く落とし、右足を一歩分程度後方に下げ、飛び出す為の構えに入った。
「法規は天に坐し、叛徒は泥濘にて王の再臨を待つ……」
自らに適性のある、空属性の派生技。だが、エロイスはまだこれを修得してはいない。ニースに小声で伝えた通り、フェイントだ。
正騎士でも修得は至難の業とされる派生技だが、これを騎士見習いのうちから使用する事の出来たという者は完全に居ないという訳ではない。エロイスやニースの周辺では話を聞かないが、現フェート騎士長のオルフェ・イェスネットなどは見習い時代に、高位者として有していた火、闇両属性の最高技をどちらも派生させる事に成功していたという。
狙い通り、ハントはこちらの詠唱を耳にするや否や、発動しかけていた「摂理」を中断して床を蹴った。短細剣を突き出し、長い詩文の途中でそれを妨害すべく一直線に飛び込んで来る。
こちらは、聖光士から実力を見込まれている。ややもすれば、派生技が使用出来たとしてもおかしくはない、と、ハントは考えたようだった。
そのタイミングを狙い澄まし、フー、アノニムがさっと動いた。左右に分かれ、自分とニースの立っている場所を大きく迂回するようにして出口へと殺到する。距離的に、ハントはこちらに突進して来る最中でそのどちらかに攻撃をする、といった芸当は出来なかった。
彼が最優先で止めるべきは、派生技を放とうとしている──ように見える──自分だった。その為、彼は軌道を変更せねば届かない場所に居る「蠍」たちの事は、あえて見逃した。




