『リ・バース』第二部 第10話 Une Saison en Enfer④
「私はアリフ・ジークから転生した後、名を変えた旧王朝の家臣シグフォズル夫婦から、アリフが死んだ後の事についても聞かされていた。それらの中に、このような話があった。
曰く、獅子心王テオドールによって討たれた過去世の私の亡骸が、城の外、現在のユークリッドのある丘で荼毘に付された時、季節風が吹いていたらしい。アリフの変じた灰はそれに乗って風下、丘の麓へと流れ──そこに布陣していたソレスティア軍の先鋒を、壊滅に追い込んだ」
ウカノフの語りに、ライガの喉がごくりと鳴った。
「最初は、何が起こったのか誰にも分からなかったそうだ。よもや、呼吸によってそれを取り込んだ者たちの魂がことごとく、怨霊と化して消滅していようとは。事実が明らかになった時、ヒュムリング王や周囲の者たちは、感嘆すると同時に恐れ慄いたそうだ。死して尚、プログラムに危機感を覚えさせる程の──無論その事は、まだ私しか知らなかったが──過去最悪の死霊化者の怨念は、これ程までに強烈なものだったのか、と。
死霊化術を使用した者は、徐々にその力に呑まれ、制御出来なくなっていく。ライガ・アンバース、貴様が身を以て示した事だ。私は今や、そのペナルティを不死者となる事で克服しているがな。その”代償”は、精神のみならず肉体にも現れるものらしい。
ともかく私は、この事についても計画立案の段階で殿下にお伝えしていた。そして殿下は、貴様の亡骸がリクト・レボルンスによって荼毘に付された後で、墓から遺灰を回収した」
「何の為に……って、聞くまでもないか」
ライガは息を吐いた。
そのヘルガクヴィーダ王子が──正確には彼の生まれ変わった人物が、”代償”の影響なく死霊化術を使用する為だろう。
死という概念すら殺す猛毒。あの声は、「灰」についてそのような表現をした。自らの異常については理解していたつもりだったが、まさかそのようなものに自らが変じていたとは。
ショックを受けた。だが、それならば。
「……ヘルガクヴィーダは」
ライガは、いつでも魔術を放てる、という事を示すべく、腰を落として右掌を構えながら低く言った。
「お前の真のご主人様は、今何処に居る? 俺の死体は、ロディ騎士長に晒し物にされたのをリクトが引き取って、おじさんと一緒に密かに火葬した。その事を知っている人間は、一般人の中には居ない」
言いながら、ライガは胸中で、そうだ、と呟いた。
ヘルガクヴィーダ王子の生まれ変わった人物、ウカノフを使嗾し、全てを操っていた黒幕は、今までの話を総合して考えた限り、帝城ペンタゴナ・パラスの内部に居る誰かの可能性が高い──。
「そこまでを、私が語るつもりはない」
ウカノフは言い、こちらが戦う気になっている事を示したのを受け、両腕をこちらに突き出した。その掌に、内側から発光しているかの如き光が宿る。彼本来の固有降霊術「毒化術」の予兆エフェクトだ。
オムグロンデュは、いつの間にか彼の手から消えていた。
「殿下が非忘却者として生まれ変わられた事、それが世界の何処ともつかぬような辺境などでなく、私に接触をつけるのが容易な場所であった事。その時期に、貴様がかつての私を上回る最悪の死霊化者として討伐されていた事、その遺灰の利用過程でそれが増やせる事が発覚した事。
幾重もの偶然によって、我々が諦めていたはずの旧王朝復活は現実の形になろうとしている。最早私は、プログラムによる軛をすら解き放たれた逸脱者──否、新たな独立した秩序の体現者。運命は、改変する事が出来る。
その為に、ライガ・アンバースよ。貴様の解いた禁秘をすら、私は利用した。しかし、超越者は一人で十分だ」
彼の声が、陶酔にも似たものに変じる。高揚が、いよいよ最高潮に達する。
「貴様は先程、自らの意思でプログラムによる裁定を斥けた。貴様には、まだ我々の大義の為にやって貰わねばならない事がある。だから、不死者として我が絶対支配下に入って貰うぞ」
「……っ!」
ライガは奥歯を噛み締めた。やはり、前々からこちらを侮ったように情報をちらつかせながら愉しんでいるウカノフだったが、主君の為にはリスクになり得る事は断じて明かさないつもりらしい。
お喋りは終わりだ、という意思が、暗に示されたようだった。ライガは、先天、後天を問わず数々の恐るべき能力を有している事が明らかになった彼を相手に、正直なところ自分が何処まで対抗出来るのかを測りかねていた。しかし、それでも精一杯に己を鼓舞した。
「死霊化術以外で殺す訳には行かないんじゃなかったのか?」
わざと、不敵そうにそう言った。
「その毒化術、喰らったら普通に死ぬやつだろ?」
「無論、これだけではないぞ」
ウカノフは、我が意を得たりというような顔になる。
「これは、アリフ・ジーク・バルドバロアとしての技。そしてこれが、ヴァクル・シグフォズルとして生まれ変わった私が、その生涯を懸けて成し遂げねばならなかった悲願を叶える為の技。……シャンブル・ド・オンブル」
彼の足元に、影が渦巻き始める。「影」が異空間の入口が開く時の様子に似ているが、ここは既に「地下」だ。
何が起こるのだろう、と思った矢先、そこを中心に、漆黒の流体はさっと波紋の如く広がり、見えている限りの黒曜石の床を覆い尽くした。
元々黒い床だったが、その光沢が完全に消えた。色とりどりの捕獲岩も、上塗りされて見えなくなる。光源は完全になくなったはずだが、何故かそこに向かい合って立つ自分とウカノフの姿ははっきりと見えた。
闇に呑まれたというより、漆黒に色づいた空間に居る、という感じだ。一瞬の間を置き、遠鳴りのようなゴーッという音が、何処かから響き出した。
風を感じる。空間自体が動き始めているようだ。
俄かに、両の二の腕に鳥肌が立った。
「ウカノフ……」
「そして、第三の私──不死者として再構成された私、リムゲイ・ウカノフが、その後に手にした力だ。プレーローマ!」
刹那、ウカノフの掌から青白い光が迸る。それが無数の筋となって四方に飛散するのを見て、ライガは咄嗟に全身を強張らせた。
心臓が竦み上がる。モルガンでの戦いで目にした、雫を浴びただけで即死するあの猛毒が放出されたのではないか、と思った。これまでの言葉通りであれば、彼が死霊化術以外でこちらの命を奪う訳には行かないのだ、という事は、理性では分かっていたはずながら。
しかし、やはりそれはまだ”攻撃”ではなかった。
迸った光の奔流はウカノフの背後へと流れ、再度縒り合された。巨樹が枝葉を伸ばすように先端を分岐させながら広がり、幾つもの”腕”としか表白し難いものを形成する。
それらの”腕”の一本一本の先に、リクトが文献で発見したというプレーローマの紋章──古代の魔術印と思しき淡虹色の魔方陣が展開した。
「神級は我が冠位を以て解体された後、新たな高次領域に再生成される……」
ウカノフは言うや、弦楽器を爪弾くように指先を動かした。
「下位第一階層、アブラクサス!」
中の一つが、その魔方陣を赤黒く染め上げつつ、こちらに突き出される。拳で殴るというより、巨大な烙印が迫って来るような錯覚を覚え、ライガは咄嗟に斬撃術を飛ばした。
「クペアンドゥ!」
視界を埋め尽くす程に迫った紋章が、スパッと横一文字に薙ぎ払われる。未知の攻撃だが、こちらの降霊術が通用しない類のものではないらしい。
「下位第二階層、デミウルゴス!」
が、間髪を入れずに二本目の”腕”が迫った。ライガはそれも切り裂く。
「下位第三階層、イアオ!」
三度反撃を行いながら、一つ前に切り裂いた”腕”がどうなったのかを素早く見極めた。紋章は、魚の伸びた口が収納されるように、内側に折り畳まれるようにして見えなくなっていく。同時に、淡虹色に発光していたエネルギー──霊力なのか否かは確信が持てない──が赤黒く変色した。
その様は、あたかも内部から腐敗しているように見えた。
「下位第四階層、サバオート!」
これは、と思った時、そちらに気を取られた為に防御が遅れた。
「下位第五階層、アドナイオス!」
第四、第五の”腕”が接近し、重なり合いながらライガを呑み込む。咄嗟に、鉄のグローブで殴られるような痛みを想像したが、実際に襲って来たのは痛みというよりも熱だった。
「……っ!」
それは、パペス国の砂漠を歩きながら風に吹かれた感覚に近しいものだった。呼吸が出来なくなり、目も開けられない。皮膚から、たちまちにして水分が吸い取られるようだ。
目を瞑っているはずなのに、その光量は瞼を下ろした網膜を真っ白に染め上げる程だった。ウカノフは目が潰れないのだろうか、と疑問に思うが、それを掘り下げている余裕はない。ライガは両腕を交差させ、吹きつける熱風から顔を守りながら降霊術を使った。
「マティプネウマ!」
眼状霊魂を招聘し、自らの視覚を乖離させた。視点を真上に移し、自分の体と、それに襲い掛かる二本の重なった”腕”を見下ろす。
ウカノフの方を見ると、彼は両腕と半ば一体化して見えるその光に、赤黒い泥のような、溶岩のような何かを流し込んでいた。やや赤すぎるが、濃厚なワインのようでもある。
何だあれは、と思った瞬間、頭の中で警鐘が鳴った。
毒化術の毒の形で顕現している霊力だ。しかも、死霊化されている。
(マズい……!)
ライガは四度目の斬撃術を発動し──基本的に二種類の降霊術を同時発動は出来ない為その時点で眼状霊魂は解除される──、自分の眼前の空間を切り裂いた。重なり合った”腕”が手前側と奥側で分断され、こちらに流れ込もうとしていた赤黒い流体は奥の半分を染め上げたところで停止する。
ウカノフはこの空間内で、毒化術、影の部屋、そしてプレーローマを同時に使用出来るらしい。それこそが既に、彼が死霊化術という理に反した能力を有しているだけでなく、彼本人が理から逸脱した存在である事を物語っているようだった。しかし、今の攻撃は何か。
断裂し、消失した”腕”から解放されると、ライガは激しく喘いだ。それでも気を抜く事なく、顔を上げて即座に状況の変化を確認する。
赤黒く変色したエネルギーを内部に充満させ、巨大な軟体動物を思わせる”腕”が空中に伸び、蠢いている。
怨霊による毒化術に、プレーローマ。シュラが自身に掛けられた「四つ葉」の術と死霊化術から「死の舞踏」を発現させたように、ウカノフも従来の毒に死霊化術の作用を付加した新たな効果を生み出しているのだ。
「そうか、『灰』の作用を再現する為に……!」
「下位第六階層、エロアイオス!」
まだ、攻撃は続く。取り込まれ、毒を流し込まれた瞬間に全てが終わる。
「下位第七階層、オレウス!」
「自生出来るのかよ、『灰』って!?」
最後に迫って来た三本の”腕”は、最初から内側に深緋色の毒を満たしていた。
「下位第八階層、アスタファイオス!」
「もしそうだとしたら、わざわざイオニアに聖体を作らせる必要なんてなかったんじゃないのか!?」
半ば意地で斬撃術を飛ばし、それらの紋章を断ち切った時、
「いや、この空間でだけだ」
ウカノフが答えた。「私が支配権を行使出来るのは、『地下』に対してのみ。手元に余分の『灰』がない以上は、この場で貴様を不死者に──そうだな、我が魔群の内に取り込むにはこうするしかない」
「余分の『灰』がない? どういう事だ!?」
「新生ジフト軍内で保管していた、窓口に仕掛ける前の聖体二つが貴様らによって奪われたからだ」
「窓口……プレーローマの紋章が刻まれた遺跡の事か?」
ライガは呟いてから、一つはネイピアの村で回収した「左手」の事だろうな、と思った。
考えてみれば、ライガを引き込むというプランで各地に仕込む前の聖体が重要になるのなら、ネイピアに魔物を引き込む為だけにそれを「蠍」に自由に使わせたというのはあまりにも扱いがお粗末すぎる。たとえその直後に、ドラウ・ボンに回収させるつもりだったとしてもだ。
あの時、仕込まれる前の聖体はもう一つ、まだイスラフェリオとウカノフの手元に残っていた。だが──。
「二つ目に関しては、俺もリクトも知らないぞ」
「当然だ。その聖体、『右手』は今、ファタリテ騎士団のドーデム・ヤーツが隠匿しているのだから」
「ドーデムが?」
ライガは耳を疑う。
「何であいつが? だって、聖体の情報が解禁されたのは──」
「その直後に、何があったのかを思い出してみよ」
ウカノフは言い、更に両腕──半ば触手と化している──を振った。
分岐した赤黒い”腕”をリズミカルに動かす。最初は弦楽器の演奏のような、という印象を受けたが、今では人形を操るような動きに見えた。その度に、こちらが断ち切った八本のその先から雲母の如く薄く剝がれた欠片が、ジュウッ! と有害そうな煙を発して飛び散る為、ライガは左右に跳んでそれらを回避した。
こちらから攻勢に転じる為には、前進するしかない。しかし、ウカノフの放つ毒は一滴浴びただけでも死に至る程の強毒だ。
やがてウカノフは、分岐した”腕”たちを再び縒り合わせ、祈りを捧げる姿勢の如く両腕を合わせて掲げた。空中に向かって伸びた”腕”はそこで円盾状に広がり、天井のようになる。
そこから火山灰か瀝青のように先程の薄片が降り始め、ライガは更に引き下がらざるを得なくなった。




