『リ・バース』第二部 第10話 Une Saison en Enfer③
③ ライガ・アンバース
「赤峨王によって死霊化術が一種の学術体系として認められた事は、この禁術が正体不明であるが故に実際以上に掛けられた恐れというものをどれだけ緩和する事に繋がっただろうか?」
ウカノフは淡々と言いながら、歩みをこちらに進めて来た。
ライガの方は、それに合わせて同じ分だけ後退りする。彼が何をするのか読めないだけに、慎重にならざるを得なかった。
「無論帝連では、依然法的に承認されていない。法が、プログラムが罪業と定める事柄を基に制約を設けている以上はやむを得ない事だろう。新生ジフトにせよ、どれだけ内輪では合法化しても、それに手を染めた者は皆、死後煉獄にて責め苦を負う事になる。だが、やはり皆自分自身がその責めを受ける訳ではないと思っている節があるのやもしれんな」
「死後や未来世の事まで考えられるか、ってか?」
「それに、煉獄自体が未だに宗教的な絵空事の世界であるという説はある。実際にその記憶を持った者が居ない以上、確かにそれは信仰の一種だ。しかし、かつては本当に、プログラムから”啓示”を受けた者が居たのではないか?」
ウカノフは言うと、オムグロンデュの杖先で黒曜石の床をコツコツと突いた。不意に、幾分か声色が変化する。
「帝暦紀元前と呼ばれる旧主族の時代、二千年の代々に渡って、死霊化術は大々的に話題にされるものではなかった。だからこそ、かつての私の名──史上最悪の死霊化者、アリフ・ジーク・バルドバロアの名は伝承として残ったものの、その後帝国を中心に記述された年代記の中では他の歴史上の人物と同程度の扱いしかされてこなかった。
そして帝暦、新たな主族ソレスティア人の時代になり、ライガ・アンバース、同時代人である貴様が猛威を振るった為、『史上最悪の死霊化者』という肩書きを持つ者は更新された。現在ではアリフの名は風化し、とうに人々の記憶からも薄れてしまっている」
「だが、お前の魂の記憶は続いていた」
ライガが言うと、ウカノフは「然り」と顎を引いた。
「かつての私は、『地獄の季節』を引き起こし、後の世で貴様の手駒、魔群となる大量の怨霊を生み出した。それ故に敵味方からは恐れられ、孤立を強いられた。そして戦争末期、遂にはソレスティア人の大将、獅子心王テオドール・ド・ゲネラッテによって討たれた。
しかし、当時のバルドバロアの王ヒュムリングは、家臣の子を依り代に境界転生を実行し、私の魂を境界より再臨させた。彼は我が娘を后とした、私の娘婿に当たる人物だった」
帝祖テオドール、蛮王ヒュムリング──たかだか百年前、三世代前の世代の人物であるはずなのに、ライガにはそれらが遥か昔の者たちであるかのように感じられていた。やはり、アリフと同じく「歴史上の人物」という印象での捉え方が拭えない為だろうか。
「ヒュムリング王は私の肉体が成熟するのを待ち、再びアリフ・ジークを戦場に放つつもりであったらしい。しかし、私が──このリムゲイ・ウカノフの肉体を持つ子供が──生まれる直前、バルドバロア王朝は滅亡した。ヒュムリング王は死に、生き残ったビャルマ族の多くは北方へと追いやられた。
しかし、バルドバロア王族の血が絶えた訳ではなかった。ヒュムリング王の子たちの中で、まだ幼齢であったが故に戦には参加せず、生き残った唯一の息子、我が孫に当たる王子ヘルガクヴィーダは、グラズヘイム城が包囲される前に、私を腹に宿した家臣とその夫と共に脱出させられていた。
ヒュムリング王は、自らが死に、一度は都が陥落しても尚、ビャルマ族が再起する可能性を見据えていた。直系のヘルガクヴィーダ王子が成長し、やがて表舞台に姿を現せば、ビャルマ族は再び彼の名の下に団結する。そしてその傍らには、我ながら慎みのない言い方をするのを許して欲しいが、最高戦力たる死霊化者アリフが存在するという訳だ」
「転生者のあんたはともかく、その王子様はまだ子供だったんだろう?」
ライガは、どうしても容喙せずにはいられなかった。
「王族っていうのは、いつもそうだ。まだ自分の政治的立場なんか理解出来るはずのない子供を、平気で戦争に利用しようとする」
何処かで聞いた話だ、などと考える間もなく、それはイスラフェリー家の末裔であるシュラの例だった。
ヴァイエルストラスの陥落を前に、都から逃亡させられたシュラ。ジフトが滅亡した後、その残党によって錦の御旗に担ぎ上げる為に探され、それを阻止しようとした帝連軍にも命を狙われた。自分は彼を守り、ごく普通の男の子として生きて欲しいと願ったが、それは叶わなかった。
そして彼は、死天使となってしまった──。
「一世紀前から、何も変わっちゃいなかったんだな」
「しかし、彼らは機会を逸した」
ウカノフは頭を振った。
「帝国の建国後、そしてテオドール帝が更なる領土拡大を目的に第一征服期政策を開始し、帝連が組織された後、我々は名を変え、新都ユークリッドの郊外で細々とした生活を送っていた。
兵士も領土も、軍資金もない。我々親子三人と、その養子──かつての王子だけでは、旭日昇天の勢いを誇る帝国に太刀打ちする事など出来なかった。そのうち、分魂によって私の人格を蘇らせた夫婦は年老いて死んだ。私は、兄のような年齢差の王子と共に二人だけで暮らした。都で日々の食い扶持を稼ぎながら、無為に二度目の生涯を送った。彼に対しては、時には家臣として、時には祖父として、出来る限り寄り添おうとしながらな」
そう言った時のウカノフの顔は、不思議と柔らかかった。
「やがて、王子は寿命で亡くなられた。享年は七十七歳だった。私はバルドバロア王家としては庶流であり、彼の母方の祖父というだけの家臣であるから、彼の死を最後に旧王朝の末裔は滅び去ったも同然だった。
私は主君の死を悼み、やがて近いうちに自らにも訪れるのであろう死を見据えながら、老年を独りで過ごす事を考えた。私の魂は、境界転生によって今世に引き継がれたが故にアリフとしての記憶を宿している。アリフであった頃、私は禁術を用いて多くの魂を消滅に追い込んだ。死後、『審判の七日間』によって煉獄に堕とされる事は確定していた。
しかし──ここからは完全に、人為の及ばぬ偶然の結果だ。身も蓋もない言い方をすれば、プログラムの欠陥だ。だが私は、それを運命と信じた」
「何があった?」
ライガは勢い込んで尋ね、あの謎の声が語った事を思い出した。
──あの男の魂が、連続性を断たれずに過去世からの転生を果たしてしまったが故に先天的に負う事になった大きな罪業を払拭出来ぬまま、煉獄に向かう事がほぼ確定した段階になって、偶然が悪さをした。
(偶然が悪さをした……)
ライガの中で、引っ掛かっていた言葉だった。
ウカノフは話し続けて疲れたのか、軽く咳払いを挟んで再び語り始めた。
「忘れじの者だ。王子は、ヘルガクヴィーダ殿下は忘れじの者として、未来世への転生を果たされた」
「忘れじの者?」
鸚鵡返しした瞬間、ライガははっとした。
「非忘却者か……!」
「その通りだ。非常に稀とはいえ、起こる時には起こり得る事象だ。そこには私の作為も、プログラムの作為も介在しなかった。ただ、あまりにも偶然が過ぎると言えばそう言う事も出来る。非忘却者の発生についてはまだ研究途上だが、過去世にあまりに強烈な未練──精神論的な言い方だというのなら、感応の残滓と言い換えてもいいが──を残すとそれが鎹になるという説や、境界転生による転生者など無理矢理にプログラムに意図的な欠陥を誘発させた者などが存在するとその波及効果を受けるといった説もある。いずれも、私たちの場合にはさもありなんと思えるような学説ではあるな」
「それで?」
ライガは先を促した。「蘇った王子は、お前に会いに来たのか」
「そうだ。殿下の死から二十年余りが経過し、私がまさに自らの今際を見つめ直していた時だった。現れた時、殿下は姿は変われど紛れもなく同じ魂の記憶を宿されていた。その若い肉体に相応の、過去世の終焉の時まで失われる事のなかった旧主族の矜持と野心を秘められて」
ウカノフの声が、その時の興奮が思い出されたのかやや高揚する。これ程感情豊かに、起伏を見せながら話す彼は初めてだった。
「私はその再会を、奇跡として喜んだ。そして、再び殿下にお仕えする事を誓ったのだ。そして私は、以後再び長い余命を与えられた殿下が新たな王朝の祖として君臨するまでお仕えすべく、死を目前に控えた老人の肉体を捨て去り、不死者となる事を決意した。自らを死霊化術で殺め、一年後、『地下』で再構成された後、個別化の秘術を施された。
私の──正確には、今の私の人格の元となったアリフの転生者、ヴァクル・シグフォズルの年齢は、帝暦開始以来の年数とぴったり一致する。何事もなく今まで歳を刻んでいれば、九十九歳になっていたのだろう。しかし、この姿は九十一、二歳の頃の私のものだ。やや歳を取りすぎた感はあるが、寿命や病気で死ぬ事はない。単に老人の脆弱な肉体という訳ではなかろう」
という事は、とライガは考えた。
九十一、二歳の頃にウカノフが「影」となったのであれば、丁度ジフト戦役が終結し、イスラフェリオが姿を晦まして密かに新生ジフトの国力を強化しようとしていた頃だ。
こちらが何を考えているのかに察しがついたらしく、ウカノフは肯くように首を縦に振った。
「私の魂の材質が不死者として再構成されている間に、ライガ・アンバース、貴様は帝連から離反した。それから記憶のないという一年間を過ごし、北方で旧ジフト軍の残党狩りを行う帝連軍を攻撃し、魔群の規模を際限なく増大させ続けた。人々から完全に災厄の権化と見做された訳だ。
生まれ変わられたヘルガクヴィーダ殿下と私に、その時点で殊更に具体的なプランがあった訳ではない。不死者──その時点で、私はそれらを統括する冥王として彼らに対する絶対の支配力を持っていた──と、その個別化の秘術を主軸とした策を立案している段階だった。しかし更に一年後、貴様は五大騎士団による討伐作戦を実行され、身を滅ぼした。そこで私は、これを勿怪の幸いとして利用し、プランの第一段階を完成させた」
「第一段階?」
その時点ではまだ、聖体は作られていなかったはずだ。
ライガは、自らも考えながらウカノフに問う。彼は、微かに口角を上げた。
「そこまでを語ってしまったら、それは殿下への裏切りというものだろう。無論、この後私は貴様を捕らえる。絶対支配下の不死者とする為、『死に至る灰』を摂取させる為だ。しかし、その為に経ねばならない戦闘のプロセスが、必ずしも私の勝利を約束している訳ではない。
だがまあ、第一段階までならいいだろう。……ライガ・アンバースよ。貴様の魂が再びこの世に呼び覚まされたのは、目的達成までの私の行動を円滑化する為だ。新生ジフトの中でのな」
「どういう事だよ……?」
「帝国の──ソレスティアの打倒という点で、短期的には私と殿下と、赤峨王の立場は一致していた。私はまず、個別化されてからの復活後、破戒僧正リムゲイ・ウカノフを名乗り、隠遁中の赤峨王が密かに同志を募る中で彼に接触していた。その後、貴様が帰らずの地で討たれると、ヘルガクヴィーダ殿下は即座に境界転生でその魂を呼び戻し、新生ジフトに加わっていた私に連絡をつけられた。そして、彼は貴様の転生の報せと共に赤峨王に接触されたのだ」
「それで──背中を押されたイスラフェリオは、俺の『審判の七日間』が明けると同時にカヴァリエリでの宣言を出した」
ライガは呟いた。ウカノフは「あくまで過程だ」と言った。
「層状孤児、ガラル・バングが身の内に宿す貴様の魂の記憶を呼び覚ました時、新生ジフトは貴様の確保が第一目標となる。私が組織の内から、彼らをその目標の為に操る事が出来る。同時に、計画の仕込みが完了するまで、帝国の力を均衡に保つ事も出来よう。
それから三年後、単なる猛毒と思われていた『灰』が死霊化術の代償と同じ効果を有している事が、思わぬ形で明らかになった。その為、更にそれを増やせる可能性が浮上し、プランは今の形となった」
聖体を用いた、と彼が言い、ライガは慌てて容喙した。
「ちょっと待てよ。それじゃあ、聖体が生み出される前から、『灰』は存在していたって事か?」
「考えれば分かる事だろう?」
ウカノフは即答する。
「それまでありもしないものを、どのようにしてその後の計画に利用しようなどと考えられる? ……『死に至る灰』は、ライガ・アンバース、元はといえば、火葬された貴様の遺灰だった」
さらりと衝撃的な事を言われた。ライガは「えっ……?」と呆けた声を出し、生前の姿に変身したままの自らの体を見下ろす。それは正確にはガラルのもので、自分のものではないのだが、この状況では些細な事だ。
──この体が火葬されて、「灰」になった? しかもそれを、ウカノフは今、何と言った?
(猛毒と思われていた……?)




