『リ・バース』第二部 第10話 Une Saison en Enfer①
① リクト・レボルンス
「カヴァリエリ総督、ウォース・ピルツ辺境伯」
トゥールビヨンの切っ先を項に突き付けたリーマン総督に案内させ、新生ジフト軍の参謀本部となっている屋敷に踏み込むと、狼狽えた様子を見せる兵士たちを見回しながらリクトは呼ばった。
「わ、私です、レボルンス侯」
小さく手を挙げながら、奥の椅子に腰掛けていた帝連貴族と思しき服装の男──ピルツが進み出て来た。確かに本人である、という事を確認すると、リクトはリーマン総督の項に突き付けていた剣先を一気に押し込む。延髄を破壊され、彼はばたりと床に倒れ伏した。
ピルツが、あっと声を上げた。他の兵士たちも、リクトがいきなり自分たちに味方をしたという理由で民間人を殺すとは思わなかったのか、恐慌の兆候と思しき騒めきを発する。
リクトは「落ち着け!」と叫び、床の上で息絶えたリーマン総督の亡骸を剣先で示した。
数秒後、その体は蒸発するかの如くゆっくりと霞み、見えなくなる。ピルツを始め場に居る者たちが揃って「おおっ」と驚愕の声を上げた。
「こ、これは一体……?」
「詳しい説明は後だ。ピルツ辺境伯」
「は、はい」
「赤峨王、イスラフェリオ・イスラフェリーは戦闘不能に陥り、我々騎士団の捕虜となった。総督府も、先程制圧が完了している。ピルツ殿、あなたの口から、皆に一切の戦闘行為を中止するよう命令を」
「……承知しました」
ピルツは項垂れる。その様子と、今し方リーマン総督の遺体が掻き消えた時の反応から考えて、恐らく彼は「影」ではないだろうな、とリクトは判断した。個別化を施された「影」は、自分がどのような性質の存在であるのかを理解している。それは、白羊宮に襲撃を掛けて来たレドム・イドゥンの例から見ても間違いないだろうと思われた。
──ともかく、これで任務自体は成功だ。
連れ去られたライガと、ウカノフを探さねばならない。拘束したイスラフェリオの身柄は現在総督府に置いてあり、総督府制圧の為に呼んだ応援の騎士たちには、彼が目を覚ますような気配があったらすぐに失神術を掛け直すように、という命令を下して来た。
ドーデムが帝国への輸送中にイスラフェリオを取り逃がした事は、あらかじめ彼が脱出の機会を窺ってわざと捕虜になった為でもあったが、同時に彼が、意識を保ったままの拘束であれば容易く纏鎧術で強化した腕力で突破し、逃れられるという事を証しもした。
その教訓から、今回は、拘束後の彼は帝国に到着するまでの間ずっと気絶状態を維持する、その間の水分や栄養は注射によって投与する、という方法を採る事となっていた。捕虜の扱いとして人道的にどうなのか、という事ではあるが、一度失敗した結果大勢の犠牲者が出た──ドーデムですら殺されるところだった──のだから、そのような事を言ってはいられない。
「外に、数人の騎士が待機しています。その者たちの導きに従い、ここを脱出するように。くれぐれもおかしな気など起こされるな」
リクトは鋭く言い、身を翻した。
ライガたちを、どのようにして発見すれば良いか、と考えた。やはり虱潰しに探すべきか、それとも街中に居る民間人を──「影」を捕らえ、聞き出すか。彼らにも人格はあるのだから、脅しは通用する。だが、ウカノフの指示には絶対服従する事になっている彼らが、あらかじめ彼から口止めされていたら?
(いずれにせよ、ここの住民たちは全員殺さなければならないのか……)
考えると、気が滅入るようだった。いや、既に生者としては、ウカノフによって殺害されているのだから、殺すというのとは異なる。しかし、死体処理などという言葉を使うにはあまりにも生々しい。
それに、まだ「影」の正体に関する事柄は、推測も含めて”同志”たち以外には共有していない。秘密は慎重に取り扱わねばならないので、まだ事情を説明する訳にも行かず、その作業は自分やヴォルノだけで実行せねばならなかった。無論、それ以外の者には見られずにだ。
と、考えていた時、HMEが着信音を響かせた。
作戦に参加している騎士たちの端末へ、一斉送信されていた。送信者は、まさに今名前を思考に上らせたばかりのヴォルノだった。
『こちら、イェーガー。双頭を始め、「蠍」が東門より、リーマンからの脱出を開始。浮遊霊姫イブン・ソニアが吐魂術を発動中。街の何処かにある本来の肉体に戻るべく、依然街の中に。
目下、浮遊霊姫は騎士一人の体を操作中。対象者はペール・コルベール。別の人間に乗り換える可能性あり、発見し次第、尾行、本体の即時拘束を。向こうから声を掛けてきても油断するべからず。 Vorno Yeager』
一瞬、思考が停止した。
東からの敵の脱出ルートは、ヴォルノ自身が率いる部隊によって封鎖を命じていたはずだ。しかし文脈から窺えるのは、彼らがもう逃亡を図る「蠍」たちに対し、成す術がない事を示唆しているような切迫感だった。
──彼は、一体どうなったのか?
不吉な予感が、ショースに包まれた脚をざわざわと粟立てる。
──いや、それよりも。
イブン・ソニアが、吐魂術で騎士一人の体を操作中という旨が気に掛かった。
もしもヴォルノが、極限状態の中で何とかこのメッセージを発し、自分たちに彼女を捕縛する為のせめてもの手掛かりを伝えようとしたのなら。
そう思った時、それ以上の事を考える間もなくリクトは駆け出し、屋敷の外へ飛び出していた。
* * *
まだ停戦命令を受け取っていないらしい敵兵や、民間人の変じた「影」が現れる度に斬り伏せながら、リクトは東の方面へとひたすらに駆けた。
ヴォルノがメッセージを送信して来たのが、彼の目の前でのイブンの逃亡から間もない頃だとすれば、彼女はまだそこまで移動してはいないはずだ。走っている最中に味方の騎士とも出くわし、声を掛けられる事もあったが、彼らに構っている余裕もなかった。
連絡を受け、彼らもまた騎士コルベールの肉体を乗っ取ったイブンを探しているようだった。あまりにも大勢で追い駆け回したのでは却って彼女が警戒するのではないか、とも思ったが、
「聖光士」
門に程近い一軒の民家兼工場と思しき建物に近づいた時、通りの水銀灯の陰に隠れていた一人の騎士が、その入口を指差しながらリクトに言ってきた。
まさに、コルベールの姿がその建物の中へと消えようとしているところだった。リクトは、ヴォルノからの連絡通りここまで尾行を続けて来たらしいその騎士を「よくやった」と労い、小走りで建物に近づいた。
入った時、奥の床に暗い穴が口を開き、そこに薔薇磁石色の頭頂が消えるのが見えた。後を追い、リクトもその中に飛び込む。
梯子があったが、使わずに飛び降りた。多くの建物の二階がそうなっているであろう居間のような空間で、まさにイブン・ソニアが自身の体に戻ったところだった。着地したリクトの目の前に、どさりとコルベールの体が投げ出される。
死んでいた。肉体を乗っ取られた時には、既に殺されていたらしい。
ソファに横たえていた身を起こしたイブンがこちらを見た瞬間、リクトは胸に痛みを覚える程力を込め、ヤーラルホーンを吹き鳴らしていた。イブンは、こちらを見るや「突然死」を放とうとしたのか手を上げかけたが、リクトが放った五線譜の光果はその腕ごと彼女の胴を巻き締めた。
「おのれ……!」
「動くな!」
リクトは一喝した。
「そのままだ。おかしな素振りを見せれば、直ちに上半身を爆破するぞ」
「……っ!」
浮遊霊姫は悔しげに舌打ちをすると、微かに顎を引く。赤黒く着色されたバイザー越しにも、彼女の双眸が激しい瞋恚の焔を湛えながらこちらを睨みつけているのが感じられた。
拘束はしたが、まだ油断出来なかった。彼女の吐魂術は、口から魂を抜け出させて他者の肉体に宿すものだ。こちらがごく僅かにでも隙を見せれば、即座に乗り移られるだろう。
リクトは唄口に唇を当てたまま、ゆっくりと彼女に歩み寄った。
「イスラフェリオは拘束した」
「知っている。その騎士の体を借り、物陰からまさに殿下が失神術を掛けられる様を見ていたものでな」
イブンは憎々しげに言い、コルベールの遺体を顎で示した。
「見ていて、助けなかったのか?」
「我々とて無謀を是とする訳ではない。殿下は、御自らが俘虜とされる可能性についても、あらかじめ視野に入れられていた」
「それで、すぐにキルヒムたちは脱出した訳か」
リクトは呟き、更に尋ねた。
「脱出した後、何処に行くつもりだった?」
「宛てなどない。ただ、各地で活動している他の『蠍』たちと合流するつもりだった。現在そういった者たちに、私やキルヒムの代理として指揮権限を貸与しているフー・ダ・ニット、アノニム・アノニマスらとも連絡をつけてな」
「彼らが?」
「例の女騎士を始め、カルマ騎士団による各地での聖体捜索が活発になってきているそうだな。貴様たちも、それについては我々が情報を掴んでいる前提で動いているものだと思っていたが」
それはそうだ。しかしやはり、自分やライガがこのリーマン攻略作戦に赴いている間、カルマのラナ副騎士長と共に行動するよう言い渡して来たエロイスやニースの事は気になった。
聖体の発見状況について、リクトがフォルトゥナを率いてユークリッドを出て以降は一切報告が入っていなかった。任務中の自分がそれ以外の事に気を取られないように、という配慮の為だろうが、その為現在こちらは、彼らが何処に居るのかを把握していない。
リーマンを出たら、こちらからHMEを送ってみるか。この作戦が王命である以上は、自分たちはまず絶対に、一度ユークリッドに戻らねばならない。その間に、既に街を出たであろうキルヒムがフーたちに合流し、共にエロイスたちを追い始めたらと考えると恐ろしい。
その時、イブンが思い出したように「ああ、そうだ」と言った。
「ついでに、もう一つ教えておいてやろう」
「何だ?」
彼女の口元に酷薄な笑みが湛えられたのを見、リクトは背筋に悪寒が走った。彼女は、拘束されながら尚も嘲弄するかの如き声で続ける。
「副騎士長ヴォルノ・イェーガー、彼は私が殺した」
「なっ……!?」
一瞬、思考がフリーズした。
彼女の言葉の意味が、咄嗟に理解出来なかった。そして理解すると同時に、喉の奥からひび割れた声が漏出した。
「イェーガーさん……が?」
「ここから、そう遠く離れてはいない。嘘だと思うのなら確かめてみろ」
刹那の遅延を経て、頭蓋の中で血液が沸騰したような気がした。
「クレ──」
瞬間的な怒りの為に、リクトはイブンを拘束している音霊を爆発させようと降霊術を使いかけた。しかしそうして手を上げかけた時、自らのその動作によってはっと我に返った。
リクトはゆっくりと、ヤーラルホーンの梃子に添えていた指を離した。
その指先を、イブンの額に向ける。
「シンコープ」
霊力が一筋迸り、それに眉間を射抜かれた彼女の体がだらりと脱力する。イスラフェリオと同じく気絶させると、リクトは乱れかけた呼吸を必死に整えながら天井を見上げた。
(イェーガーさん……本当に、死んでしまったのですか?)
拘束され、生殺与奪を完全にこちらの自由とされた状態のイブンが、わざわざ偽りを述べてこちらを挑発するとは思えなかった。彼女がそこまで「殺した」ときっぱり言い切ったという事は──。
(……行かなきゃ)
リクトは歯を食い縛り、腕状霊魂を招聘してイブンを抱え上げた。
外に居た騎士に彼女を託したら、すぐに移動するつもりだった。
第十話「Une Saison en Enfer」の連載を行います。題名はフランス語で「地獄の季節」で、アルチュール・ランボーの同名の詩集の原題です。作中では、ライガ以前にジオス・ヘリオヴァースで史上最悪の死霊化者とされていたアリフ・ジーク・バルドバロアが帝国建国戦争の末期に引き起こした怨霊による大量虐殺を指します。
前回のラストでウカノフとして転生していた事が判明したアリフですが、実は彼の固有降霊術である「毒化術」は伏線でした。「Thorsbana」は古ノルド語で、直訳すると「トール(雷神)殺し」であり、最終戦争ラグナロクでトールの命を奪う大蛇ヨルムンガルドの毒からつけた技名です。一方で、旧王朝バルドバロアの者たちの名前には「ヒュムリング」や「ヘズブロッド」など北欧の伝承に登場する名前が多く、また服装などにもその面影があり、ビャルマ族の文化が古代北欧に近いものであった事を示唆しています(「ビャルマランド」はデンマーク王ゴルモが訪れたという巨人の国の名前です)。固有降霊術が古ノルド語でネーミングされているウカノフももしかしたら、という訳ですが、藍原作品ではそれ以外にも「古の技」(本作に於ける古代魔術)に古ノルド語が用いられているなどする為、あまり良い匂わせ方ではありませんでした。第一、藍原は北欧神話に影響を受けすぎなのです。
因みに、第一部第四話で名前の登場する統一されざる地の国家ガウトも、北欧神話に記述のある「ガウトランド」という国に由来します。少し先取りになりますが、他に「セルク」「フィン」という国家も名前だけ登場します(セルクランド、フィンランドに対応)。そう考えると、本作の舞台となるジオス・ヘリオヴァースの大陸は帝連が勃興する以前は現実に於ける北欧系の文化が中心にあった(=北欧系の文化を持ったビャルマ族が主要民族だった)事と整合性が取れるのではないでしょうか。
……最近また「後書き」が饒舌になってきました。こだわりを語りたいのは創作者の性ですが喋りすぎると宜しくないので戒め、この辺りで切り上げます。引き続き本編をお楽しみ下さい。




