『リ・バース』第二部 第9話 Pleroma⑦
④ ヴォルノ・イェーガー
「キルヒム、先程私はこの体を使い、総督府の方へ向かった」
ヴォルノの胸を刺し貫いた騎士──その体を借りた浮遊霊姫イブン・ソニアが、自身を異形と化さしめていた嚥魂術を解除した絶霊喰鬼キルヒム・アサップに向かって報告している。
「ったく、どんな早業だよ……いや、もしかして俺が、そこの副騎士長に時間を掛けすぎたのか?」
しぶとい野郎だった、と、キルヒムは独りごちた。
ヴォルノは、ぼんやりとした頭で考える。双頭を始め「蠍」たちと会敵してから街の中へと駆け込み、実際にどれだけの時間が経過したのかは定かではない。あまりにも激しい戦闘を終えた後は、時計を見てから思いがけない程に時間が経過していたり、逆に全く経過していない事に気付いたりする事もままある。
今回の場合は、前者のようだった。騎士の体を乗っ取ったイブンは、今し方こちらを突き刺した剣をさっと振って血払いした。
「イスラフェリオ殿下が、聖光士に捕らえられたらしい。……悔しいが、殿下はこうなる可能性も想定されていた」
「……そうか」
キルヒムは、蓬髪をがりがりと掻いてから吐き捨てた。
「プランBなんて用意しておくから、不吉な予感が当たっちまうんだよ」
「ぼやくな、キルヒム。それより、直ちに予定通り脱出を始めるぞ。幸いこの辺りに残った騎士連中は、私が奇形化で殲滅した」
「分かってるよ。よし、俺が他の奴らに伝えて来るから、お前は自分の体に戻ってから来い。出たらすぐにフーたちに連絡をつけるぞ。帝国経由のルートで、落ち合う場所を決める」
俺たちにもHMEがあればいいのに、とキルヒムは呟いた。
ヴォルノは、瓦礫に寄り掛かったまま何とか身を起こそうとする。
聖光士が、赤峨王の捕縛に成功した──それが本当であれば、これで作戦の目的は半分は達成された事になる。
だが”同志”の一人として、このリーマン攻略作戦の裏の目的を知っているヴォルノには、まだ手放しで喜べる状況ではなかった。自分たちは赤峨王と同時に、この作戦で破戒僧正ウカノフも捕らえねばならないのだ。
イスラフェリオは、自分が捕虜とされる可能性も考えていた。どうやら現在、ネイピアの村や旧ヘロン遺跡で双頭と同時に聖光士らが交戦したというイブンの部下の若者たちは、一足先に街を出ていたらしい。そして、双頭たちはこれから脱出して彼らと合流するつもりだ。
「ま……待て……」
ヴォルノは、血を吐きながらも懸命に声を出そうとする。
イブンとキルヒムの視線が、同時にこちらに向いた。
「まだ、行かせる訳には……!」
「そいつ、まだ生きているのかよ?」
キルヒムが「信じられない」というように呟き、イブンが再び剣先をこちらに向けて唸った。
「虫けらのような生命力だ」
「やめとけ、イブン」
キルヒムが、彼女の肩に手を置いた。
「急所がぶっ壊されたんだ、ほっときゃすぐ死ぬ。そう長くは持たねえだろうし、時間の無駄だよ。それより、早く吐魂術を終わらせて体に戻れって。また他の騎士どもが集まって来て、出られなくなっても知らねえぞ」
「……分かっている」
イブンは憮然とした調子で言うと、そのまま先程姿を現した路地の方へと再び見えなくなった。
キルヒムは、こちらを一瞥して口の端を歪めた。
「殿下じゃ、きっと聖光士には勝てねえ……か。どうやらてめえの言う通りになっちまったみてえだな、副騎士長殿よ」
「絶霊喰鬼……」
「さっきは俺、てめえの魂が欲しいって言ったけどよ、撤回するわ。そんな死にかけのやつを食ったところでどうしようもねえし、まあ、死ぬまで精々そうして頑張ってな。まあ間がどうであろうが、最後に勝つのはやっぱり俺たちだって事は、教えておいてやるよ」
言うや、彼は身を翻す。ヴォルノはもう一度身を起こそうとしたが、既に心臓は止まりかけていた。血液が食道をせり上がり、息が出来なくなる。
「あばよ」
キルヒムの姿が、完全に見えなくなった。
ヴォルノは無力感に苛まれる。聖光士は自ら役目を果たしたというのに、自分にはそれが出来なかった。
しかし、それが無意味だったとは思いたくなかった。自分がここで踏み止まれていなかったら、奇形化したイブンと、強力な魔物の融合体となったキルヒムが同時にイスラフェリオの加勢に行ってしまっていたのだ。
(私の役目は……)
ヴォルノは、自分の体の下から流れ出し、半ば凝固しかけている血液を震える指先で掴んだ。まだ死ぬな、と、自らの体を叱咤激励した。
──自分の役目は、繋ぐ事だった。
忠誠を誓った莞根士、アルフォンス・デルヴァンクールが見込み、フォルトゥナの未来を託した男。そんなリクトに、莞根士の遺志を継いだ彼に、自分もまた一世代前の騎士として繋いだのだ。
今や現役の中で最古参となったヴォルノだが、自分一人で、莞根士たちの時代の遺恨をどうこう出来るなどとは思わなかった。無論、それはリクト一人であっても思わない。
彼が成し遂げる為に、脇役の自分は居る。
(だからこそ、私は副騎士長なのだ)
胸中でそう呟きながら、ヴォルノはHMEを取り出した。震える手を持ち上げ、それを口元へと近づける。
「こちら、イェーガー……双頭を始め、『蠍』が東門より、リーマンからの脱出を開始……浮遊霊姫イブン・ソニアが吐魂術を発動中……街の何処かにある本来の肉体に戻るべく、依然街の中に……!」
画面に、胃酸混じりの血液が吹き零れた。ヴォルノは声を振り絞り、最後のメッセージを吹き込む。
「目下、浮遊霊姫は騎士一人の体を操作中……対象者はペール・コルベール……別の人間に乗り換える可能性あり、発見し次第、尾行……本体の即時拘束を! 向こうから声を掛けてきても油断するべからず──」
力が抜ける前に、指先で送信ボタンに触れる。『Vorno Yeager』という署名付きのメッセージが送信履歴に追加されたのを見届けると、ヴォルノはほっとして全身から力が抜けた。
──何とか、伝えきる事が出来た。
(あとは頼みましたよ、聖光士……)
心の中での彼への呼び掛けも、いつしか上官に対する口調になっていた。
ヴォルノは目を閉じ、血溜まりに腕をだらりと垂らす。意識に、徐々に靄が掛かり出した。
叶う事なら、聖光士たちに自分をユークリッドへ連れて帰って欲しい。
そのような事を願うのは、贅沢だろうか──。




