『リ・バース』第二部 第9話 Pleroma⑥
ぐっと唇を噛み締め、トゥールビヨンの刀身を握る手に力を込める。尚も躊躇ったのは一瞬で、リクトは即座に手の中で剣をくるりと回転させ、柄を握る通常の持ち方に切り替えた。
そして、
「あなたたちも、犠牲者のはずだ」
言いざま、それを思い切り薙ぎ払った。
血飛沫が視界を満たした。私服の袖に包まれたままの腕や、抉られた胴の肉が飛散する。事情を知らず、この光景だけを見れば、きっと誰もが帝国騎士というものを信じられなくなるだろう。自分が今斬り倒した者たちの中には、明らかに十代になってすらいないであろう子供の姿もあった。
民間人たちは──民間人たちの姿を取った”死者”たちは、たちまちのうちに地面に倒れ込み、折り重なって肉の山となった。
こちらを囲む者たちの前列が一気に薙ぎ倒され、その後ろから続いて来ていた者たちは一斉に狼狽の声を発してその場で蹈鞴を踏んだ。
先程までは、味方による誤射で命を落としたり、意図せず刀身が触れてしまい致命傷を負った者たちが、倒れ込んだ後どうなったのか、混戦状態の中で見極める事は出来なかった。だが、今は前列の者たちが一気に居なくなった事で、視界が開け、彼ら自身がどうなったのかがよく見えた。
数秒の後、今し方自分が作り出した死体の山が、蒸発するかのようにふっと掻き消えた。その様はやはり、ガウスで交戦したグラブルが最後に倒れた時の様子によく似ていた。後には血の雫すら残っていない。
死霊化術によって倒された時、グラブルは自身の影の中に沈み込むような消滅の仕方をした。しかし今、通常の攻撃によって息絶えた時は違った。
ライガを捕獲しようとしているウカノフは、死霊化術でであれば彼の命を奪っても取り返しがつくような事を言っていた。一度死霊化術で死んだ「影」のグラブルがすぐに復活した事を思えば、死者の姿を取る「影」は通常の落命の仕方をしない限り異空間に自主回収されるのかもしれない。
リクトは消えかけの死体の山を突っ切ると、動揺したように一時的に動きを止めた後列の者たちを片端から斬り倒し始めた。白羊宮の衛兵たちが生ける屍になった時の事を思い出し、胸の底に微かに息苦しさを覚える。
気分のいいものではないが、今は自分の無意味な感傷になどかかずらっている暇はない。この街の住民は皆既に死んでおり、このような暴力的な方法でしか、真に弔われる事はないのだ。
(このまま、ウカノフの奴隷にしておくくらいなら)
心の中で呟きながら、リクトは一人、また一人と彼らを屠り去っていく。
その時、
「特両断!」
イスラフェリオが、遂に攻撃を放ってきた。
地面に向かって、真っ直ぐにドミナシオンを振り下ろす。錆色の剣軌は光の柱の如く聳え立ち、地面を滑るようにしてこちらに向かって来る。彼が生ける屍だと信じているこの者たちが巻き込まれる事も辞さないような、形振りを構わないような一撃だった。
一つの街の住民が、丸ごと手駒となったのだ。その中の一割にも満たない者たちを失ったところで特に問題はないと見たらしい。住民たちは目下、自分たちで意図した訳でもないだろうが、イスラフェリオの望んだ通りリクトをこの場に足止めする役割を果たしていた。
剣で受け止める事は不可能。魔素出力向上からの防御魔術を使用する時間がないとは言わないが、その隙に、こちらに居る「影」と化した住民たちが、待っていましたとばかりにそれをすり抜ける「突然死」の光線を放って来る蓋然性は十分に考えられた。
リクトが咄嗟に取った行動は、
「ブラキオプネウマ!」
初歩的な腕状霊魂で、群がる者たちの数人を鷲掴みにし、
(『影』が相手だと分かっていなければ、絶対にこんな事はしない)
思い切り、向かって来る斬撃の柱に向かって投げつけるという事だった。
リクトは目を逸らす事なく、その結果を見届けんとした。せめて看取りをしようなどという思いからではなく、もしもそれだけで足りなかった場合、即座に次に繋げる為だ。
「おい、貴様正気か──」
呟きかけたイスラフェリオの声を、断末魔が掻き消した。
腕状霊魂に放り投げられた数人は正面からイスラフェリオの飛ばした斬撃に身を晒す事となり、五体を空中で弾けさせた。
あたかも、木から落ちた果実を弩で射抜いたかのようだった。肉塊と化した亡骸は地面に到達する前に、零れ出した血や臓物の破片と共にやはり蒸発するように消滅する。「影」故に死体が残らない事が、このあまりに残酷な光景の中でせめてもの救いだった。
イスラフェリオの一撃は、そこで辛うじて防がれた。リクトは、まだ境界に還るまでに多少時間が残っている腕状霊魂を振るい、やや及び腰になっている残りの者たちを散らすと、すぐに足を動かした。
包囲網を破って脱出する事は、最早難しくなかった。
リクトは、まだ細かな血煙の残る衝突点に向かって走る。一秒程遅れ、生き残った者たちがまたしても背後からこちらへの「突然死」の射出を始めたが、最初と同様にヤーラルホーンから音霊を紡ぎ出し、今度はそれを後方へと流す事によって身代わりになって貰った。
今まさに消えようとする血煙の中に突っ込むと、それを抜けない間にリクトは唄口から唇を離した。右手を振り被り、半ば勘だけでイスラフェリオの居るであろう位置にトゥールビヨンを投げつける。
転瞬、血煙が完全に掻き消された。
先程リクトが行った、我ながらえげつない防御方法に唖然とした表情を浮かべている赤峨王の顔がはっきりと見えた。彼は一瞬前までそこに漂っていた血煙を目隠しに飛来したトゥールビヨンを、反射的にドミナシオンを振って横方向に弾く。その瞬間こそが、リクトの作り出した最後のチャンスだった。
「エクソシズム!」
除霊術を放った。それは、その場に仁王立ちしたまま、大剣を横ざまに突き出した姿勢の為にがら空きとなっているイスラフェリオの胸板へと、真っ直ぐに吸い込まれて行った。
イスラフェリオが、「やられた」という顔になった。
リクトがそれから行ったのは、一度失敗に終わった試みの再挑戦だった。
「ドゥクスアニムス!」
物体操作術による、武器の強奪。
彼の輪郭をなぞるように立ち昇っていた纏鎧術の陽炎のような霊力が、除霊術によってふっと消滅した。彼はそれを再生すべきか、ドミナシオンに感応を込めてそれが自らの手から離れる事を防ぐか、僅かな間、判断に迷ったようだった。その短い時間が、リクトにとってはチャンスの続きだ。
イスラフェリオが迷った時間の中の、更にコンマ数秒の間に、ドミナシオンが彼の手から完全に離れた。その間隔はまさに弾指の間で、すぐに彼が掴み直そうとすれば掴める距離だったものの、それによって彼が剣技を発動する事は──つまり、彼自身の感応を込める事によって、こちらの物体操作術による干渉を無効化する事は完全に出来ない状態となった。
物体操作術は中断される事なく、リクトの手元までドミナシオンを運んだ。トゥールビヨンを放った事により、徒手となった右手で、リクトはその柄をしっかりと握り締める。
さすがに重かった。イスラフェリオがそうしたように、両手剣を片手持ちするなどという芸当は、自分の腕力では出来そうにない。すぐにそれが落下するのに引っ張られてリクトはよろめき、その拍子にまた傷口が開いて出血が起こった。
直ちに血を止めねばならないが、まだ数秒だけは持つ。
リクトはまた腕状霊魂を招聘してドミナシオンを受け取らせ、イスラフェリオの位置から物体操作術で干渉出来る範囲の外にまで放り投げさせると、更に前方へと加速した。
最初にトゥールビヨンを投げた時から走り続けていたので、既にイスラフェリオとの距離は咫尺の間だった。
「ディミヌエンド!」
回避の余地のないゼロ距離にまで近づくと、リクトはヤーラルホーンに息を吹き込んだ。弱体化魔術の上位互換である「段々弱く」の旋律を奏で、彼の力を奪おうとする。そのコンマ数秒前に、纏鎧術を解除され、武器も取り上げられた彼は行動遅延から立ち直った。
「穿獣弾!」
彼に唯一出来る攻撃──徒手空拳でも使用出来る体技。
元々、纏鎧術の発動前から腕力は優れているイスラフェリオだ。その拳が目の前に迫った時、リクトは反射的に旋律を奏でる事をやめ、回避の為に後方へと跳び退きかけた。
しかし最終的には、リクトはそれをありったけの理性で抑制し、ヤーラルホーンを吹き続けて降霊術を完遂した。
イスラフェリオの体が、淡水色の五線譜に取り巻かれた。それが浸透していくと共に、同色の霊力が、彼が纏鎧術を発動している時のようにその体の輪郭から立ち昇り始める。
イスラフェリオの拳から、力がふっと消失したようだった。しかし、その正拳突きは最後に、力が抜けるよりもコンマ数秒早く、リクトの顔面にめり込む程の勢いで叩き込まれた。
赤峨王が座り込むと共に、リクトは仰向けに倒れ、背中を地面に強かに打ちつけた。墜落死体の如く、自分を中心に周囲に血飛沫が広がる。体から、いよいよ力が抜けるのが分かった。
「癒しの風よ、大地にそよ吹け……エアリーウェーブ」
回復魔術を使用し、開いた傷口を再び閉じる。視界が真っ赤だった。恐る恐る手を挙げ、顔に触れてみると、鼻の下から頰骨の辺りにかけてぐしゃりという嫌な感触があった。やはり、骨を叩き折られたらしい。
纏鎧術が発動されたままだったら、頭を吹き飛ばされていただろう。彼が拳の一撃で人体を破裂させられるというのは嘘ではない。
リクトは軋む体を叱りながら起き上がると、地面に手を突き、下半身を引き摺るようにしてイスラフェリオの方へとゆっくり這い進んだ。まだ、力を抜いただけだ。彼が纏鎧術を再使用し、出力を上げればすぐにまた再起する。
「シンコープ」
リクトは手を伸ばし、彼に失神術を掛けた。イスラフェリオの体が一瞬びくりと痙攣し、抗うように座位を維持しようとしたようだったが、
「聖光士……やはり、貴様の居る限り……」
弱々しい声を最後に、どさりと横に倒れた。
リクトの方が全身に傷を負い、骨や内臓も少なからず損傷し、失血死寸前だというのにも拘わらず、イスラフェリオの方はほぼ五体満足といって良かった。だが、その状態で生け捕りに出来た事は大きい。
ふと、足音が背後で響いた。振り返ると、先程まで相手にしていた「影」と化した街の住民の生き残りがこちらに向かって来ようとしていた。やはり、まだイスラフェリオが下した「自分を助けろ」という命令は健在らしい。
リクトは、座り込んだままイスラフェリオの顳顬に指先を突きつけた。
「攻撃して来たら、赤峨王も死ぬ!」
そう叫ぶと、住民たちは動きを止めた。
今までの例を見る限り、「影」は生前の人格を持ち、使役者から命令を受けない限りは生者と同じように考え、行動を決定するようだった。リクトは考えながら、言葉を続ける。
「『突然死』を使ったとしても同じだ。予備動作を見てからでも、私が赤峨王の脳を照射線で貫く程度の時間ならあるだろうな。そうなれば、助けろという彼の命令も果たせなくなる」
だから、彼らは動けないはずだった。
リクトは「そのままだぞ」と囁き、右手の人差し指でイスラフェリオの顳顬に触れたまま、左手で持ったヤーラルホーンの唄口を咥え直した。先程殴られた時、同じく顔の位置にあったヤーラルホーンもまた管の数箇所を損傷していたが、音はまだ鳴らす事が出来た。
五線譜の光果で、「影」たちの体を巻き締める。そして、
「クレッシェンド」
爆破した。
彼らに、感傷を抱いてはならない。何度も心の中で繰り返した事ながら、やはり目の前で起こる現象自体は悲惨以外の何物でもなかった。リクトは目を瞑って彼らに黙祷を捧げると、気絶したイスラフェリオを腕状霊魂で抱え上げた。
──戦いは終わった。
敵の総大将を捕らえたのだから、そうに違いなかった。あとはピルツを確保し、まだ抗戦を続けている敵兵たちに投降を促すだけだ。
リクトは歩き出しながら、しかし、と胸中で呟いた。
まだウカノフは、イスラフェリオとは異なる思惑を持って軍内で動いているらしいあの男は何処に居るのか分からない。ライガは「影の部屋」で何処かに拉致されてしまったが、既に彼と会敵したのだろうか。
或いは、裏から街へ入ろうとしたヴォルノはどうなったのか。進入成功の連絡はまだ入っていないが、自分が戦闘中、HMEの着信に気が付かなかったという可能性も十分にある。しかしそれ以前に、彼らに何かしらのイレギュラーが発生しているという事はないか。
(それに──)
リクトは、爆殺され消えゆく住民の「影」たちを見ながら考えた。
本当に街の住民皆がウカノフの支配下に入ったのだとしたら、この状況でもまだ戦局が引っ繰り返る事は有り得る。住民たちは、巻き込まれた振りをして騎士たちに救助を求め、接近したところで死霊化術を使うなどの戦術も採れる。
速やかにライガの安否を確かめ、彼がウカノフと戦っているのであれば加勢しなければ、と思った。
この傷で、自分が先程までイスラフェリオと繰り広げていたのと同規模の戦闘をもう一度行えるかといえば、かなり怪しいと言わざるを得ない。しかし、それはライガもまた、現時点で自分と同程度の傷を負い、辛うじて命を繋ぎ留めているという事が有り得るという事だ。
もしも、彼が死霊化術の餌食となり、「影」にされたりしたら。
──文字通り、全てが終わりだ。
(待っていてくれ、ライガ)
リクトは、胸中で彼に語り掛けた。
(僕も、君の背負っているものを一緒に背負いたいから)




