『リ・バース』第二部 第9話 Pleroma⑤
③ リクト・レボルンス
現れた民間人が──どう見ても民間人としか思えないような私服姿の人々が、自分に死霊化術の光線を放ってきた。
リクトは惶惑の中で、小刻みに顔を動かし、彼らとイスラフェリオに交互に視線をやった。ヤーラルホーンの先端は、牽制すべく今し方攻撃を仕掛けてきた民間人たちに向けたままだ。
イスラフェリオもまた、「しまった」というような表情を浮かべていた。先程リクトが武装解除を狙い、一度は成功しかけた両手剣ドミナシオンを握る手が微かに痙攣している。
彼は、満身創痍のリクトを相手取り、その起死回生の一手を防ぐ事に成功しながらも決して余裕の様子ではなかった。今し方上げた「私を助けよ」という大音声にしても、本来ならそこで発すべきではない声を発してしまった、という事だったのかもしれない。
彼は集まって来た人々に追加の指示を出す事も忘れたかのように、唇を噛み、手指に血管が青白く浮かび上がる程にドミナシオンを握る手に力を込めているようだったが、やがて詰めていた息をふっと吐き出し、再度開口した。
あたかもそれは、知られてしまったからには、切り札を切ってしまったからにはもう後に引く事は出来ない、という割り切りのようだった。
「絶対なる我が忠臣たちよ、その男、聖光士を討て。決して、知るべからざる真実を知った者を生かしておく事はならん!」
イスラフェリオの叫びに対して、集まって来た人々は軍人たちのように「了解」の返事はしなかった。だが、命令が下るや否や即座に動き出し、
「サドンデス」「サドンデス」「サドンデス」
次々に、先程と同様に死霊化術の光線を射出して来た。
リクトは素早くイスラフェリオの方を見、彼が動き出した瞬間を狙い、あえてそれらの致死の光線の前に身を晒した。
イスラフェリオは、リクトが回避するしかないと見、その移動先を読んで先手を打とうとしたのだ。駄目押しをするように、彼の方からリクトの現在居る位置に移動して来てドミナシオンを振るう事はしないはずだった。纏鎧術で強化された彼の脚力であれば、その動き自体を行う事は容易かっただろうが、そのような事を実行すれば彼自身が「突然死」に晒されてしまう事となる。
リクトは更にそれを読み、動いた訳だ。無論、致死の攻撃を回避するという事柄だけに着目して考えれば、こちらの方は明らかに危険度は高い対処方法という事にはなる。
(ごめん、誰か知らないけれど!)
心の中で詫びを入れ、リクトはヤーラルホーンの唄口に息を吹き込んだ。
音霊が射出される。螺旋を描く金色の五線譜の光果は、自分と集まって来た人々の間に揺蕩い、そのまま「突然死」の光線を浴びて赤黒く変じ、腐敗するように細かく分解されながら大気中へと消えて行った。
死霊化術は防御不能だが、自分との間に別の魂を招聘して配置すれば、それが身代わりとなってくれる。他にも「走って回避する」などの原始的な対処方法はあるものの、今の状況ではそれが出来ないのは先程のイスラフェリオの動きを見れば言わずもがなだ。
イスラフェリオはというと、彼自身がリクトの逃れると予測した場所で剣を大きく空振り、自ら隙を作り出していた。
反撃のチャンスではあるが、まだリクトは、それをする訳には行かない。
謎の民間人と思われる人々の放つ死霊化術の光線の数も、尋常のものではない。現在自分が行っている方法でも、僅かな音霊の隙間を偶然抜けるなどといった事が起これば一発でアウトだ。
イスラフェリオは自分の狙いが外れた事に、こちらが動く前からの攻撃が失敗した事を悟るや舌打ちを響かせ、即座に方向を替えて背後から斬り掛かろうとしたところで踏み留まった。
今リクトに攻撃する事は得策ではない、という事に気付いたのだろう。あの斬撃を飛ばす攻撃にしても、直接肉薄して一太刀を浴びせるにしても、こちらを制空圏に捉える事は同時に集まって来た人々の放つ「突然死」の射程に自ら入るという事でもあった。絶え間なく音霊を射出し、身代わりにする事によってそれを防いでいるこちらが倒れれば、致死の光線は自らに当たる。
図らずも幸運な位置取りになった。だが、言うまでもなく「突然死」は無尽蔵に撃つ事が出来る。このままヤーラルホーンを吹き続け、防いでいても、先に肺活量の限界を迎えるのは目に見えている。
背後からの攻撃は、イスラフェリオには出来ない。ヤーラルホーンを吹いたまま前方に進み、民間人と思しき死霊化者たちの列を乱すというのであれば、実行出来るのは自分の息が続いている今のうちだ。こうしている間にも時間は経過し、成功確率は小さくなっていく。
しかし……
(彼らは、一般人──なんだよな?)
リクトは、目の前で激しく紅白に点滅する音霊の間から、その向こうで死霊化術を使い続ける人々を見た。
密集状態で「突然死」を放つ彼らの中には、少なからず誤射があった。今も前列の老人数人の間から、そのすぐ後ろに居た若い女一人が味方の放った光線を浴び、無表情のままばたりと倒れ伏すのが見えた。
──彼らを、手に掛けるのか。
騎士は決して、正当な理由なく民間人に対して武力を行使してはならない。現在は向こうから死霊化術を撃って来ているので、対応すべくこちらから攻撃するのは「正当な理由」になり得るかもしれないが、それでもどうも、リクトには躊躇われるものがあった。
第一、彼らは一体何者なのだろう? 民間から死霊化者が出現した事例は、歴史上ない訳ではないが、それでもこれ程一箇所で同時に現れ、剰え自分たちの中から犠牲者を出してまでイスラフェリオに絶対の服従を誓っているなどという事があるだろうか。
(……いや、今はそんな事を考えている場合じゃない)
リクトは意を決して──否、意を決さざるを得なくなるよう、思考を放棄して飛び出した。
やりようが全くない訳ではない。リクトは口の端から涎が流れるのも構わず唄口に歯を突き立て、左手で管を支えたまま右手で剣トゥールビヨンを抜き放った。現在ヤーラルホーンからは音霊さえ出れば良く、楽譜を演奏する必要はない為、片手だけで十分だ。
リクトは姿勢を低くしつつ、一瞬だけトゥールビヨンを宙に放り、すぐさま柄ではなく鍔のすぐ上を──つまりその象牙色の刀身を──掴んだ。籠手を嵌めているので、掌が切れる事はない。
そのまま死霊化者たちに肉薄すると、リクトは逆さに持った剣のポメルを振るって彼らの脇腹や手足の関節を打った。同時に、吹きっぱなしのヤーラルホーンから放たれた五線譜で、拘束出来そうな相手は拘束する。
彼らは懐に入り込まれると、すぐさま攻撃の方法を「突然死」から「死神の鎌」に切り替えた。自分たちの中から巻き添えを喰らって犠牲になる者が出る事は厭わない様子だったが、やはりコストパフォーマンスを鑑み、戦力を澌尽させるばかりで有効打が見られない攻撃を続ける事は得策ではないと考えたようだ。
リクトにとってはその方が都合が良かった。こちらはただ、怨霊と化した霊力による斬撃を飛ばすだけの技だ。通常の防御で防ぐ事が出来ない訳ではないし、誤って肉体に喰らってしまったとしても一撃必殺ではない。
そういった意味では、リクトの選択は間違ったものではなかった。しかし、だからといって状況が劇的に好転した、という訳でもない。
彼らは、どれだけこちらにダメージを与えられようが、死なない限り、動ける限りは再起して向かって来るのだ。イスラフェリオの命令を絶対のものとして、何が何でもそれを遂行するのだ、というように。そして動く以上、この闘争が始まった時点で危険域に達しようとしていたリクトの出血は再開し、徐々にこちらの体から力を奪いつつあった。
文字通り時間との勝負だ。掛けすぎれば自分は間違いなく敗北し、その時点で死は確定する。たとえイスラフェリオやこの者たちが、直接的に手を下す訳ではなかったとしても──。
「イスラフェリオ!」
波の如く寄せては返す人々と揉み合いながら、リクトは顔を振り向けて赤峨王に叫んだ。
「一体、この人たちに何をした!?」
「私ではない、聖光士よ!」
イスラフェリオは、錆色の刀身でこちらに狙いをつけながら叫び返してくる。その様子に、リクトは思わず顔が引き攣るのを感じた。彼が、集まった人々諸共こちらを攻撃しようとしているように見えたのだ。
「ウカノフがそれを実行した! 聖光士、貴様にも分かっているはずだ! 我々は既に、手の内は明かしているのだぞ!」
「意味が分からない!」
リクトは更に声を上げる。また一人の中年の女──飲食店の従業員らしいエプロンを着用していた──が「死神の鎌」を放って来、それがこちらの頰を掠めてパッと細く鮮血の筋を飛沫かせた。
イスラフェリオは、また斬撃を飛ばそうとするかの如く、大振りな動作でドミナシオンを振り上げた。
「隕命君主、ライガ・アンバースを我らが陣営に引き込む為の算段と同じだ! その者たちは『灰』を摂取した事によって、ウカノフの──そして彼が従うべきと定めた私の、絶対支配下に入ったのだ」
「だから、『灰』って──」
「ここまで知られたのであれば、冥途の土産に教えてやろう。その者たちは、最早人間ではない。生ける屍なのだ!」
「生ける屍? この人たちが、まさか……」
リクトは言いかけ、その瞬間手元が狂った。
ポメルで打つはずだった今し方の中年の女が、急に動いた為にトゥールビヨンの刀身の部分に首筋を触れ合わせた。頸動脈が断たれたらしく、噴水の如く血液が空中に迸る。
あっ、と声を出した時には、既に女は息絶えており、足元に倒れ込んで他の者たちの足に踏み躙られ、見えなくなった。
「嘘だ!」
リクトは、叩きつけるように尚も叫ぶ。
「彼らは言葉を発した! それに、お前たちがこの街に入ってからもう一ヶ月以上が経っているというのに、微塵も腐敗していない! この晩夏の気温と湿度で、そんな事は有り得ない!」
「ただの生ける屍ではない。『灰』によって生み出された屍は、通常のそれとは一線を画す特別なものなのだ」
「特別? ウカノフがそう言ったのか?」
リクトは言ってから、はっとした。
(今まで生ける屍が、死霊化そのものを行った事があっただろうか?)
死天使シュラは「死の舞踏」を常時発動しているし、生ける屍によって「呪い」の状態異常を施されれば、被呪者は解除の術もなく二、三年で確実に死を迎える上死後必ずその魂は怨霊に変じる。しかし、リクトは未だかつて、彼らが「突然死」によって仲間を増やしたり、怨霊化した魂を斬撃に変えて放つ「死神の鎌」を使用したりする場面を目にした事はなかった。
しかし、尋常ならざる死霊化者の存在であれば、自分もよく知っている。自分は既に、死霊化者となった”死者”と戦っている。
(個別化……ウカノフは、そう言っていた)
そう考えた時、リクトは叫んでいた。
「まさか、『影』か!?」
──本当に「まさか」だった。
しかし、そう考えれば辻褄の合う事ばかりなのだ。
何故、カヴァリエリを脱出した時点で、新生ジフト軍とリーマンの街の間で話がついていたのか。帝連軍が、何故リーマンが親ジフト派としての立場を取っていた事に気付かなかったのか。
答えは、イスラフェリオたちがカヴァリエリを脱出した時、まだリーマンの住民たちには彼らを匿うなどという意思がなかったからだ。恐らくは、ドーデムたちが一時的にイスラフェリオやウォース・ピルツを捕虜にした時何処かに出張っていたというウカノフは、リクトたちが調査に赴いていたガウスにのみ来ていた訳ではなく、ここリーマンにも来て住民全員を何らかの方法で「影」と化さしめたのだろう。空間を跳躍する「影の部屋」の術があれば、それも不可能ではない。
何らかの方法──恐らくそれを可能にしたのが、彼やイスラフェリオが繰り返し口にする「灰」という物質だ。
(ガウスに居たグラブル・ドナーは、死の呪いによって怨霊となり、消滅したはずの魂だった。『影』の個別化は、もう再会の叶わないと思われていた者たちとの再会を叶えるかもしれない、だからこそ情報の扱いには慎重になるべきなのだと、テレサ様は仰った)
リクトはそう思い、周囲の者たちを改めて見回した。
イスラフェリオはこの者たちが、本気で特殊な生ける屍であると信じているのだろう。彼は「影」を、自分とウカノフしか存在を知らない軍内の特殊部隊であると考えており、よもやその中に死霊化術による犠牲者が含まれている──或いは、全員がそうだという事などは夢にも思っていないはずだ。ウカノフが意図的にそう信じ込ませたのだとすれば、やはり、
(ウカノフは、イスラフェリオを欺いている)
最早その事に、間違いはないように思われた。




