『リ・バース』第二部 第9話 Pleroma③
また、場面が変わる。今度は、暗い場所だった。
一瞬ライガは、自分が「幻」を見終わったのか、と思った。しかし、そうではない証拠に、すぐに先程まで自分が戦っていた「地下」にはなかったものが目に飛び込んだ。
火色──ライガは一瞬の遅延を経、それが暗い洞窟のような場所で焚かれている篝火だという事に気付く。それなりに広い、ホールのような空間に法衣を纏った大勢の人間たちが額づいていた。彼らは皆、一様に自分たちの前方に設えられた祭壇に向かって祈りを捧げているらしい。
壇上には石碑が立ち、そこに見覚えのある紋章が刻まれていた。
「プレーローマ……」
口から、自然にその言葉が零れ落ちる。
それはリクトが、イオニアが聖体を製作したという同名の古代魔術について調べる中で発見したという紋章だった。「超永遠世界」を意味する、現代では既に失われた言葉。
そういえば、自分にこの「幻」を見せた時、あの「影」もこの語彙を口に出したな、とライガは思い出した。
──足を踏み入れよ、その根源へと……超永遠世界の辺縁へと。
「あの『死に至る灰』を発生させる聖体の製作に、何故古代の信仰に関連するまじないが使用されるのか──そう思っているな、隕命君主よ」
こちらの思考を読んだように──或いは本当にそうなのかもしれないが──、姿なき者の声が言った。
「古の者たちが信仰した神霊とは、聖霊を神聖視したものだった。しかし、事実として聖霊は、神、プログラムを超越せし者ではない。古代の霊媒師に”啓示”が下され、理の生み出される超永遠世界という語が伝達された時、この同一視が後の世に誤った記録を伝える事となった」
ライガは、額づいて旧い祈りの言葉を唱え続ける人々を見回す。
聖霊を信仰しながら、「神秘への感応」を持ち、プログラムからの言葉を受け取り続けていた者たち。彼らは、自分たちに啓示を下し続けていた存在が聖霊ではない事に気付かないまま生涯を閉じたのだろうか、と考えた。
「不死者が死霊化術によって死に、再び同じ不死者として『地下』で目覚めるのにそう時間は掛からない。だが、元々魂の材質の強固な結合を持っていた従来の輪廻の中にある魂が砕け散った時、それが再構築されるには一年以上の時間を要する。こちらが本来の規定だ」
声は続ける。
「『死に至る灰』の摂取によって死霊化術と同様の落命を経験した魂は、その点すぐに不死者として生まれ変わる。それは『灰』自体が、超越者の業を再現する為のものだからだ」
「……言っている事が、よく分からないぜ」
ライガは問いを放った。
「イスラフェリオやウカノフが何かにつけて『灰』、『灰』って言う物質は、死霊化術と同じ効果があるって訳か?」
そして、通常の死霊化術との違いは、その影響を受けて命を落とした魂が、一年以上の間隔を挟んで「影」となるか、すぐさまそうなるかという点、という事か。そう考えると、思い当たる事はないでもない。
ガウスにて、ウカノフが自分とリクトに「影」となったグラブルをけしかけようとした時の事だ。彼は、捕獲対象とされていたライガについて「最悪の場合、死霊化術でなら殺しても構わない」と言った。だが、「出来れば生かしたまま戦闘不能にして欲しい」とも。
死霊化術によって命を落とせば、皆否応なく「影」となる。ならば、ライガをただ「影」として自分たちの陣営に引き込むのであれば、ただ死霊化術を使用するだけでいい。しかし、「灰」をそれに用いれば、「影」としての転生の為に更に一年間待つ必要がなくなる。
──いや、それだけか?
一ヶ月と少し前、ウカノフは正確には、何と言っていたのだったか。
記憶の一部分を呼び覚ました事で、それに引かれるように、彼の発した言葉がそのままの形で蘇ってくる。何故そのような事が出来たのかというと、思い返せば彼のその台詞には、違和感を感じざるを得ない点があったからだ。
──新生ジフトの今後の為に、出来れば隕命君主は生かしたまま戦闘不能にして欲しいが、やむを得ない場合は死霊化術でなら殺しても構わん!
(新生ジフトの今後の為に……)
そう、ウカノフは確かに、そう言ったのだ。
彼がイスラフェリオとは異なる目的で、主君をすら欺きながら暗躍している事は確かだ。その彼の口から、別段その欺くべきイスラフェリオが居ない場所で、そのような台詞が飛び出す事はおかしい。
まさか本当に、ウカノフはジフト再興を究極目的とする戦後派なのか。
やはりそれはおかしい、と思った。イスラフェリオのやり方に何らかの問題を感じ取り、独自のプランを編み出したのだとしたら、何故それを彼に共有しなかったのだろう?
(待てよ、イスラフェリオも『灰』って文言を口にしたって事は……)
考えかけ、ライガは横道に逸れかけた思考を慌てて引き戻す。
聖体が発生させる謎の物質、「死に至る灰」。その効果には、単なる死霊化術の再現とは思えないものまでが含まれていたではないか。
「『灰』は、死霊化術の効果を打ち消した」
再び口を開き、姿なき声に向かって言葉を続ける。
「死霊化術は、どんな手段を使おうとも防げない絶対の死を与える。『突然死』を同じ『突然死』で相殺する事も出来ない」
「正確には、同じではない」
声が初めて、こちらの発言を受けての返事と思われる言葉を返した。
「死という概念すら殺す猛毒。それが、『灰』の本質だ」
「猛毒って──」
言いかけ、ラオコーンから聞いた言葉が思い起こされる。彼が「回顧録」で引き継いだイオニアの記憶で見た、聖体の作成に当たって素体となった切断遺体を漬け込んだ霊薬の調合の場面についてだ。
──植物、鉱物を問わず、強力な毒物という毒物はほぼ全部入っていた。
「死すら殺す……?」
「死が死に、生となる現象。それこそ、超永遠世界の意思が死霊化術という『絶対の死』を、プログラムを逸脱させる程の死を経た魂を不死者として生まれ変わらせる事の実態だ。
未だに完璧ならざる理は、盲点として始まった死霊化術を完全にその内に取り込む事はまだ叶っていない。不協和音を、まだ律ある奏法の一形態として整合化する事が出来ていないのだ」
「つまり、プレーローマという魔術は……」
ライガは、頭痛をすら覚えそうになりながら呟く。
見えざる何者かが、こくりと首肯する姿が共感覚のように、脳裏に一瞬過ぎった気がした。
「聖体に込められた魔術、プレーローマ。それは、古の民がその名を信仰した超越者の、超永遠世界の意思遂行作用を、形而下の世界──即ち象徴界、言語活動の場で引き起こす魔術。本来であれば、神と呼ばれる存在と交信する為の、双方向的な霊媒の術だった」
「………!」
ライガは鋭く息を吸い込んだ。
従来は魔物のものである超常の魔術を使用する為に、この世界の人間は詩文を詠唱し、プログラムに捧げる。魔物には使用し得ない降霊術を除いた、通常魔術が文法と呼ばれる所以だ。
この世界は、詩文に──言葉に飢えている。
「超永遠世界は形而上の世界、存在の開始の為に言葉での表白を必要とするものなどない原記号界であるのだから」
「でも……でも!」
眩暈を覚え、眉間に指を当てながらライガは言う。
「古代がどうだったのかは知らないが、現代の霊媒師は一方的にプログラムから神言を受け取るだけだ。ウカノフはどうやって、そんな術をものにした? そんな事の出来る──いや、そんな事の許されたあいつは、一体何者なんだ?」
考えてみれば、この話では「影」の発生もプログラムに基づいた現象であり、そこにウカノフの介入する余地はない。ならば何故、「影」はウカノフの命令に絶対服従する事になっているのだろう。
「それじゃあまるで……あいつが神様みたいなものって事じゃないか」
「まさしく」
声が、刹那一際大きくなった。ライガは一瞬、情報が与えられた事によって却って大きくなった戸惑いも、自分やリクトの相対していたものの当初の予想を遥かに超える大きさに対する恐れも、全てを忘れてはっとした。
それまで機械的だったその声が、唐突に生物的な感情を孕んだようだった。四方八方、何処に居るのかも分からないその何者かの気配が、急に皮膚にぴりぴりとした刺激を感じる程に強くなる。
それは──強いて言うのであれば、怒りに近い感情に思われた。
絶対支配下に在った何者かが反逆を起こして自らの手を離れ、最早引き戻す事も叶わず傍観するしかなくなったような歯痒さ。苛立ち。
直感的にそう感じてから、ライガは「あれ?」と首を捻った。何故自分は、そこまで具体的な事が頭に浮かぶのだろうか。
「破戒僧正リムゲイ・ウカノフは、プログラムをも変化させた」
潤滑油の切れた機械の上げる軋みのような音が、生物感を増した声に混ざってライガの頭の中で谺した。ライガは、沈黙を保ったまま声が続ける先を聴き取ろうと耳を澄ませる。
いつの間にか、プレーローマの紋章に向かって祈りを捧げる古代人たちの呻くような声は遠ざかっていた。
「そして隕命君主ライガ・アンバース、ともすれば其方が、この歴史上ではあの者が担った役割を果たす事になっていたかもしれない。いや、其方は既に、あの者の計画の一つとなってしまっている」
「俺が?」
反射的に言ってから、それはイスラフェリオら新生ジフトの者たちの方ではないのか、と思った。
「其方の『神秘への感応』が、既存の世界に終わりをもたらす──」
「おい、待て」
ライガは容喙した。
「死霊化術が魂の総数をこれ以上減らさないって事は、あんたが今説明した事じゃないか」
「しかし、破戒僧正はそれで終わらせる事はなかった」
声の調子が、今度は冷たいものに変じる。
「境界転生を以て蘇りし其方は今や、あの男の狂気を実行する駒の一つ。このままでは其方もまた、あの男と同様、秩序による支配の及ばぬ場所まで逸脱してしまう事だろう」
「駒? 俺が……」
口に出して呟いた時、不意に胸裏に怒りが生じた。
「だから俺を、殺そうとしたっていうのか?」
「『死に至る灰』に、魔杖オムグロンデュ。其方の遺したそれらのものが、今この世界を破壊する道具として利用されている」
「それが分からねえんだよ!」
焦れったさを覚えながら、ライガは姿なき声に対して叫ぶ。
「イスラフェリオもそうだった、聖体をイオニアに作らせたのはウカノフの野郎なのに、さも『灰』を生み出したのが俺みたいな言い方をしていた。俺も、何が何だか分からない。誰が何の為に俺を境界転生で呼び戻したのかも知らない。最初はイスラフェリオがやったんだと思っていた。新生ジフトの戦力拡大の為に──だけど、ウカノフがおかしな動きをしている事が分かって、本当のところは何が何なのか、今でも頭がごちゃごちゃしてんだ。
でも、だから今、俺もリクトも本当の事を確かめようとしているところなんだ。俺にはそれすらも、許されないっていうのか? なら何の為に、俺は蘇った? リクトに罪業を負わせて、ガラルまで犠牲にして」
「ならば──」
殷々と響き続けていた旧い祈りの声が完全に消えた時、俄かに風が吹いた。
あたかも、洞窟の出口に近づいた時に感じるような気流だった。それは次第に強くなり、そよぐ草原の如くざわざわという音が聞こえ始める。徐々に近づいているように聞こえるその音が、ライガの居る場所まで到達した、と思われた時、突然目の前の景色が蒸発するかの如く掻き消えた。
文目も分かぬ果てしない闇が、目の前に広がった。
それはごく僅かな間の事で、すぐに一つ、二つ、と光があちこちに灯る。色とりどりのそれらは、地面に点々と埋め込まれた瑪瑙などの不透明石らしい無数の石が光源だった。
黒曜石の床に、鮮やかな宝石の捕獲岩。プログラムの記憶と思われる「幻」は今度こそ終わったらしく、ライガは「地下」に戻って来ていた。




