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『リ・バース』第二部 第9話 Pleroma①

  ① ラナ・ピックルス


 防水布(ターポリン)に包まれた聖体(エウカリスト)の腹部──胸部の「心臓(カルディア)」に倣って呼称するのであればさしずめ「臓物(スプランクノン)」、(はらわた)といったところか──を背中に担ぎ、薄手の金属防具に包まれた胸の下で端を結わえ付けながら、ラナは迷路のようなジージュ石窟の回廊を疾駆していた。

 図書館にあった、この石窟の発掘記録の資料から描き写して来た構造図に目を通しながら、フォルトゥナの騎士見習い二人と「(アラクラン)」の若者たちが戦闘を繰り広げる地底聖堂から可能な限り遠ざかろうとしていた。図面は自分が持っているこの一枚だけの為、エロイス、ニースの二人はたとえ敵に勝利出来たとしても帰り道が分からなくなってしまうかもしれない、という懸念はあったが、ラナは余計な事を考えるな、と自らを叱咤した。

 現在自分は、現状世界で最も強力な兵器(アーマメント)魔導具(リゼルヴァス)である聖体(エウカリスト)を背負っている。その座標は魔素(エアル)知覚術を使用すれば簡単に割り出す事が出来る為、彼らが後からこちらを追う形で脱出する事は容易だろう。

十代(アドレセン)の男の子たちに守られて逃げるなんて、三十路(みそじ)の正騎士として──いえ、副騎士長としてどうなのって話だけど……)

 胸中で独りごちながらも、やむを得ない事だ、と思った。

 剣術のセンスに乏しい自分では恐らく、たとえ相手がエロイスたちと同じ少年だとしても「(アラクラン)」には勝てない。未成年の力が、決して年齢を理由に侮ってはならないものである事は、十五でジフト戦役に参加したのだから今更改めて考えるまでもない事だ。

 自分には、自分の役割がある。ノレムが対峙しようとしているものの大きさを考えれば、自分がこのような場所で早々にドロップアウトする訳には行かない。

 だがそれは、あの二人も同じ事だ。

(彼らなら死んでも構わないなんていう訳じゃない……ただ今は、彼らの方が私よりも、あの刺客たちと戦って生き残れる可能性が高い)

 そう思い、自らを納得させた。

 何よりもまず、確保した聖体(エウカリスト)を新生ジフトに奪われるという事態こそが、最優先で回避せねばならない最悪のパターンだ。

 破戒僧正(ジューダスプリースト)リムゲイ・ウカノフは、赤峨王(クレイモア)イスラフェリオとは異なる目的で独自の動きをしていた。しかし、イスラフェリオはその事を知らないが故、また独自の判断で双頭(バイセプト)や他の「(アラクラン)」を操っている。それは、敵陣営の中に分断の兆候が見られているという事を喜ぶ以前に、こちらが警戒せねばならない対象が二つに増えた、という事を意味していた。

 当然、こうして片方の脅威から逃れようとしている間にも、同じように自分たちの行動を察知しているもう片方が──今回の場合は、ウカノフの手先である「(スカー)」が現れるという可能性も否めない。

 ──などと考えながら、ラナが上層へと続く石段を駆け上った時、唐突に術ならざる本能的な感覚が自身に警告を発した。

 転瞬、視界の端で何かが動き、こちらに躍り掛かろうとした。

「………!?」

 ラナは咄嗟に弦楽器(ストリング)リラを抜き、振り向きざまに弦を爪弾(つまび)いた。

 音霊(エコー)──震動を伴った五線譜状の光果(エフェクト)を射出する。自身が数瞬前に感じ取った強い気配──殺気──の本源にではなく、自身の足元へと。ラナはその反動で、気配の主から大きく跳躍で距離を取った。

 土煙が、長期に渡って人の立ち入らなかった為に床に積もった塵と混ざり合い、猛烈な勢いで立ち込めた。その中に、気配の主と思われる人型のシルエットが浮かび上がっているが、それはこちらよりも先に攻撃の動作(モーション)を繰り出しかけたようには見えなかった。

 だからといって、油断出来る訳ではない。殺気があった事は事実だ。では何者なのか──やはり、「(スカー)」か。地底聖堂で奇襲を掛けて来た「(アラクラン)」二人の仲間という事も考えられる。

 この隙に逃げる、という選択肢が浮かばないでもなかったが、ラナは即座にそれを却下した。

 幾ら煙幕代わりの土煙を起こしたからといっても、範囲攻撃などが使用されればそれは容易(たやす)く自分を影響圏に呑み込むだろう。いや、それ以前に向こうからもこちらのシルエットは目捉出来ているはずだ、多少精度(アキュラシー)に秀でた相手であれば通常攻撃でもこちらに傷を負わせる事は可能だ。

 それに、相手が「(スカー)」だった場合は、このような思考にすらも意味はない。例の降霊術「影の部屋シャンブル・ド・オンブル」で空間を転移し、煙幕から遠ざかったところで先回りしてラナに再び奇襲を掛ければいい──。

「何者ですか?」

 ラナは、精一杯の鋭い声で誰何した。

「分かっているとは思いますが、ここに来ているのは私だけではありませんよ。この下では──」

「……っ!」

 短い気合いが、こちらの台詞を中断させた。

 剣が一閃されたらしく、土煙が一瞬にして払われる。そこに立っていたのは、新生ジフトの軍服でも、「(スカー)」の黒色のローブでもない──強いて言えば「私服」であろう暗緑色(クロムグリーン)のシャツの上に黒いジャケットを羽織った男だった。帝国の貴族たちが着る余所(よそ)行きという程ではないが、庶民ではなく上流階級の者である事が窺えるような気がする。

 何処かで見た事のある顔のようだ、と思い、頭を捻りかけた時、数日前にノレムからHMEで送信されてきたメッセージの事を思い出した。

 その瞬間、ラナは相手の正体に気付いた。

「あなた、ファタリテのハント男爵ですね?」

 声を低め、そう問いを放つ。

 ラナもピックルス伯爵家の出ではあるが、貴族たちの家と現当主の顔を全て把握している訳では無論ない。大部分が貴族出身者であるファタリテの騎士たちでは特に誰が誰だか分からなくなる事が多いが、このフォースタス・ハントの顔は最近(おおやけ)の場で目にする機会があった。

 三期目の元老長当選を狙う現職ナサニエル・ヤーツの、今回の選挙戦に於ける推薦人だ。前当主である父親のガストールも、祖父も、代々がファタリテに所属し、同じく代々ファタリテを統べてきたエルヴァーグ家の傘下で影響力を持っている由緒正しい家柄、ハント家の現当主。

 現ファタリテ騎士長ドーデム・ヤーツとは、副騎士長エッガ・セルと同じく少年時代からプライベートでも交流のある友人だったらしい、という話を思い出し、そういう事か、とラナは思った。

「……まあ、それはそうでしょうね」

 ハントは言い、微かに肩を竦めた。

 数日前、ノレムから送られて来たHMEに書かれていたのは、ドーデム・ヤーツが双児宮(ディオスクロイ)に現れ、ラナを始めカルマ騎士団が現在世界各地で当たっている事柄について根掘り葉掘り尋ねてきた、という旨だった。

 聖体(エウカリスト)の捜索とその過程で起こった事、発見されたものの詳細については、事後報告の形でシアリーズ女王とテレサ先帝妃に告げる事にしていた。しかし、テレサ先帝妃が聖体(エウカリスト)に関する情報の解禁を認めた以上、こちらから殊更(ことさら)に一つ一つを公表しなかったとしても、各方面の関係者から求められれば、情報の開示は行わなければならない。そうでないと、こちらに後ろ暗い事があるのではないか、などという勘繰りをされる事になる。

 ドーデムが圧力と共にノレムに尋ねたのは、現在ラナが何処で聖体(エウカリスト)の捜索を実施しているのか、という事だったらしい。ノレムはそれで、こちらの居所を突き止めたドーデムが何かをするつもりではないか、という事を薄々予感したようで、「念の為気を付けろ」とラナに伝えたのだ。

 聖体(エウカリスト)捜索中のラナへの干渉を目的に、ファタリテの関係者の誰かが送り込まれて来たとしても、こちらがその事を知っていれば備える時間が生まれ、対応する事は出来る。

 対応──それは、ファタリテが決して、自分たちの行動に対して協力的ではないという事を前提として用いられる言葉だった。具体的に、彼らの身内が自分たちに接触した時、何をするのかはまだ断言出来る訳ではないが……

(私たちの妨害か、手柄の横取りか……)

 しかし、よりにもよって同日に、その「誰か」と新生ジフトの者たちが共に現れるとは思わなかった。というのはやはり想定の甘さで、彼らは各々(おのおの)、ラナたちが聖体(エウカリスト)を手に入れたタイミングで接触を掛けようと、機会を虎視眈々と窺っていたという可能性も十分に考えられる。

 ──いや。

 それにしても、という思いは否定出来なかった。

(じゃあこのハント卿が放っている殺気は、一体何なの?)

「これは、どのようなお考えがあっての事ですか? あなたは最初に私に襲い掛かろうと──いえ、実際に襲い掛かりました。これは、れっきとした傷害未遂……暴行の既遂という扱いで裁断されますよ」

 ひしひしと肌の上を走る緊張感に負けぬよう、ラナは可能な限り毅然とした声を出した。

 しかし、相手がそれに気圧された様子はなかった。

「元老長は、あなた方が復活した隕命君主(ロアデモート)ライガ・アンバースと結び、聖体(エウカリスト)回収の王命を私物化しているとの嫌疑を掛けられているが故、取り調べをお望みです。従って回収任務は、ドーデム様らファタリテが後を引き継ぐ事、と。身の潔白を証したいというのであれば、余計な抵抗はせず、私に従ってユークリッドへ直ちに帰還されますよう」

「お待ち下さい。そのような事は、こちらには通達されていません」

「その通達を、まさに今行っているのです。公的な命令書も持参致しました。もしも従えないと仰るのならば──」

 フォースタス・ハントは言い、手にした得物(えもの)──花青色(アントシアン)の刀身を持つ短細剣(スティレット)──の切っ先をこちらに向けた。

「容疑者による抵抗と見做し、この場で処断させて頂きます」

「………!」

 ラナは口を引き結び、この状況に於ける最適解を見つけ出そうとした。

 彼は最初から、この目的で自分を追って来たに違いない、と思った。最初から、こちらを暗殺する事も厭わずに──その目的は、やはり聖体(エウカリスト)の強奪という事なのだろうか。

 そういえば、と思い当たる節はあった。ドーデム騎士長が総指揮を執って北方へのイスラフェリオ捕獲作戦に向かっていたファタリテ、デスタン両騎士団の部隊が、先月、帝国へ帰還する最中にソレイユ王国で「(スカー)」の一団による襲撃を受けたという事があったらしい。ドーデムは女王やテレサ先帝妃への報告の際、何故彼らが自分たちを襲ったのかという理由について「分からない」と述べたそうだが、この一件を採っても、ドーデムたちが聖体(エウカリスト)を巡る状況に何らかの形で関与している事は確かなように思われる。

 彼らが、聖体(エウカリスト)を得る為にこちらの暗殺も辞さない構えを示すというならば、ラナもただ黙っている訳には行かなかった。

 この場では大人しく投降したとしても、ハントがこちらを脅迫して来たという事実がラナに残る以上、こちらが解放された後にそれを告発するという可能性を、彼らが検討していない訳ではないだろう。きっと、投降した場合でも時宜を見て牙を剝かれる可能性はあった。

 では、戦って彼を拘束するしかない、という事なのか。

 しかしラナには、それはあまりに荷の重い事だった。

(私は、剣術のセンスに乏しい……その上で相手は、相当な手練れでファタリテのエリート──)

 正面から一対一(ワンオンワン)でやり合えば、まず確実にラナの方が敗北する。

 ならば──。

「ハント卿」

 ラナは、低い声で彼を呼ばった。

「今は、こちらの方が優先すべき事柄です!」

 言うや、身を翻す。今し方自分が上って来た、地下へと続く階段へ。

 背を向けて逃げる事は危険であるようにも思われたが、現在の自分が背負っているものは、あの魔杖オムグロンデュと同様破壊不能の聖体(エウカリスト)だ。それなりに幅のある男の胴部だ、背後からハントが斬りつけて来たとしても、盾としての役割は果たしてくれるに違いない。

(エロイス君、ニース君、ごめんなさい)

 ハントは虚を突かれたように刹那の棒立ちを経、こちらを追い始めた。足音から初動で稼げた距離を測りつつ、ラナは胸中で、地底聖堂で「(アラクラン)」と戦っている若者二人に謝った。

(また私、足を引っ張っちゃうわね。でも……)

 語り掛ける相手を、背後からネコ科動物の如く敏捷かつ軽やかな足取りで追跡して来るハントに切り替える。

(ハント卿……あなたも、今の状況で真に倒さねばならない相手が誰なのかが分からない程、愚かではないはずでしょう?)

 本日よりまた現代編です。リーマン攻略作戦の続きを描きますが、まずは聖体(エウカリスト)の回収に向かっていたラナたちの話。フォースタスはゼムンやエッガと共に要所要所でドーデムの近くに居る騎士です。個人的には「モブキャラなのに時折能力の高さを覗かせ存在感がある」という(「ハリー・ポッター」シリーズに於けるセオドール・ノットのような)キャラにしたかったのですが、この辺りでちょっと動かしすぎました。最終的には、そういった役回りはデスタン騎士団のリムルに任せられたような気がします。

 今回のサブタイトル「Pleroma」は第二部から登場する謎の言葉ですが、現実ではギリシア語で、主にグノーシス主義で使用される用語だそうです。意味は「神の力の全て」らしいですが、これが作中で何を表すのかという事については最終日の「後書き」をお楽しみに、といったところです。

 という訳で、今回も宜しくお願いします。

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