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『リ・バース』第二部 第8話 Young Lion⑨

  ⑦ ライガ・アンバース


 シュラが地面を蹴り、宙空に飛び上がった時点で気付いていれば、彼を止める時間はあっただろう。

 しかしライガには、その時完全に周囲が見えなくなっていた。抑え難い怒りの衝動のままに、自らの口がものを言うのに任せていた。

 その事が、悲劇に繋がった。

 マロンの背後に急降下して来たシュラの爪が振り抜かれ、彼の背に向かって突き込まれ──貫通した。それ自体は致命傷にはならずとも、それよりももっと残酷な結果をもたらす瘴気(ミアズマ)を湧き立たせて。

 一瞬、マロンは自らに起こった事を理解出来なかったようだった。

 そして理解した時には、既に「死に至る病シックネス・アントゥ・デス」は発症していた。

 我に返ったライガは、こちらに向かって傾倒してくる彼に無我夢中で駆け寄り、その体を両腕で抱き止めていた。

「マロン!!」

 彼の体は、まだ小刻みに痙攣していた。

 シュラの「死の舞踏(ダンス・マカーブル)」を喰らった人間が、魂を粉々にされる苦痛とは如何程のものなのか、ライガには想像する事すら難しかった。自分が意図せず発現させてしまったものとはいえ、知りたくもない。

 通常の「病気(ディジーズ)」とは異なり、治療の(すべ)はない。あと数秒後には、マロンの魂は完全に怨霊(ルブナン)となり、この世から跡形もなく消滅してしまう。

 それが分かっていて、

「マロン、駄目だ! しっかりしろ!」

 ライガは、何故自分の口がそのような言葉を吐いているのだろう、という事を妙に冷静に考えている自身の存在を、心の何処かに感じていた。

 あまりにも認めたくない現実に、無意識的な弊目を起こそうとする心を、ライガは()()()叱咤していた。

 シュラが、一切の感情を見せずにそこに立ち続けている事に気付いたのは、ずっと後になってからだった。何という事をしでかしたのだ、などと彼を責める事は出来ない。自我が蘇ったとはいえ彼は依然こちらの支配下に在り、自分が「やれ」と言ったからそれに従っただけだ。

 ライガは、シュラが動く瞬間に自分が言いかけた台詞を思い返す。

 感情のままに──制御不能となった心のままに、口を突きかけた台詞。その時点では、偽らざる自分の意思だったもの。

 支配下に置いている魔群(レギオン)が否応なく感知し、それに基づいた命令を遂行しようとしてしまうもの。

 ──あいつを止めたいなら、大人しく引き下がれ。

 ──もし、どうしてもそれが出来ないっていうなら。

(どうしてもそれが出来ないっていうなら……俺は、何て言おうとしたんだ?)

 そう考え、慄然とした。

 マロンの身をかき(いだ)く自分の手が、彼と同じように小刻みに痙攣しているのを、ライガは自覚する。これが──これこそが、ずっと皆が、自分が死霊化者となった事で懸念していた事なのだ、と思った。

 リクトは、ライガが死霊化術を己がものにして彼の前に再び姿を現した時、警告してくれた。しかし自分は、それを黙殺した。あれから彼は、もう自分を引き留める事は言わなかった。

(言えるはずがない……俺はあれから、ずっと……)

 アンバース・ヴィラージュの者たちを守る為。

 怨霊(ルブナン)となってしまったシュラたちを救済する為。

 自分は、ずっとそう言ってきた。そしてその結果が、今目の前で起こっている悲劇に繋がった。

「マロン──」

「ラ……ライガ……」

 激しい喘鳴の中から、マロンが矢庭(やにわ)に口を開いた。

 顔が(もた)げられる。既に血色を失い、あたかも長期に渡って病床に臥せっていたかの如く憔悴したその顔を見た時、ライガははっと息を呑んだ。

 痣の如き青紫色に変じた彼の唇が数回戦慄(わなな)き──やがてそれは、ゆっくりと微笑みの形を作った。

「えっ……?」

 思わず、声が漏れた。何で、そのような顔が出来るのだ、と思った。

 この状況で──想像を絶するような激しい苦痛の中、逃れようのない暴力的な死を目前にして、それを引き起こした張本人であるはずの自分に、この男は何故そのような優しい──そう、優しい笑みを見せるのか。

 彼は、マロン=エキュレットは、震える唇から言葉を紡ぎ出した。

「アウロラの事を……君に頼む……だから……」

 指先が、微かにライガの手を探り当てる。

「……戻って、来い……よ──」

 その言葉を最後に、彼の(うなじ)ががくりと背中側に垂れた。

 ライガは呆然と、彼の体を抱いたままその場に跪き続ける。

 あらゆる音が、自分から遠ざかっていくような気がした。いつの間にか吹き(すさ)び始めていた、樹間を渡る風も、魔群(レギオン)の上げる嘆きの声も、ファタリテの騎士たちの叫びや靴音すらも。

 最早ぴくりとも動かないマロンの顔には、笑みが湛えられたままだった。重病者のような苦しげな色は最早見えず、一転して安らかで、夢すら見ているのではないかと思われる程だった。

 自分がどれ程の時間、そうしていたのか分からない。

 取り返しのつかない事をした、という思いはあったが、だからどうすればいいのかという事については、頭が回らず、考えられなかった。いや、ややもすれば、考える事をすら自分は拒んでいたのかもしれない。

 体感で、長かったのか、短かったのかも判断がつかないような時間が経過した頃になって、

「リストリンゲレ」

 無抵抗なライガの両腕と胴を、拘束術の霊力(オーラ)の輪が(いまし)めた。

 ウィーズル副騎士長が歩み寄って来、こちらの肩を掴む。その手には、同年代の男の中では薄く華奢なライガの骨が軋む程の力が込められていた。痛みに思わず顔を顰めてしまう。

 マロンが経験した苦痛に比べたら、この程度のものは痛みの内にも入らないのだろうな、などと考えていると、(うなじ)に剣先が突きつけられた。

生ける屍(リビングデッド)どもを、今すぐ活動停止させろ。貴様に拒否権はない。抵抗すれば……どうなるかは分かっているな?」

 ウィーズルの声は冷たかった。

 ライガは、ぼんやりと顔を上げて「ああ」と応えた。

「よく、分かっているよ」


  ⑧ PHASE〈8〉


 その日、ユークリッドは季節外れの陽気となった。

 穏やかな情緒の漂っていた凍晴(いてばれ)の正月が過ぎ、佳日には一切が忘却されていたかのような世のあらゆる暗さや蔓延(はびこ)る問題を世人(よひと)に思い出させ、再び忙しない日常の営みの中に引き戻すかのように天気は再び陰晴が定まらなくなった。ここ最近ではずっと雪が降り続き、灰色の空が重苦しく都にし掛かっていた。

 それが、その日は俄かに途切れた。雪を帯びた街並みは煦々(くく)として、(うら)らかな日光を浴び、半透明の玉髄(カルセドニー)の原石のように輝いて見えた。

 中央区(サントラル)、「(ヒルズ)」の麓に建つエルヴァーグ邸の、東に面した一室。窓に引かれた薄いカーテンを透過し、除去されずに(ひさし)に残った氷柱(つらら)が凝集させた澄光が、その窓辺の一角に小さな陽溜まりを作り出していた。

 集められた太陽光は、時に発火を起こす程の熱を持つ。

 カーテンに遮られてそこまでは至らなかったが、それはその窓際に置かれた小さな鉢植えの土を温めた。

 気温が上がってきたら、庭での地植えに移行される予定だった。丁寧に水を与えられ、小さな苗木の状態でありながらも、その花水木(ドッグウッド)は昨年の初夏、確かに花淡紅(フローラルピンク)の小さな花を咲かせた。

 冬、暖かな室内に置かれながらもやや生気を失いかけていた花序が、その日は外界を春と錯覚したのか、俄かに頭を(もた)げるように、まだ完全に樹皮の硬くなり切っていない細い枝を伸ばしていた。

 どれだけ暖かな場所だったとしても、それが狂い咲くにはまだ温度が足りないようだった。しかしようやく、冬から春にかけてその身の内に蓄えようとしていた未熟な生存の力が、許しを得たかのように、本来隠忍から解き放たれる事の出来ない時期に蕾を育む準備を始めた。

 なよやかな細い”幹”の奥深く、見えない場所での変化だった。

 それが波及し、上向き始めていた一本の枝先がやや重さを持った。

 幾許(いくばく)か、抵抗にも似た力を感じながら、それは誰かが生長を知覚し得る閾値を超えようとした。

 しかし、やがて日は陰り、日差しが西に回るに連れて、鉢のある場所に(わだかま)っていた温かさは蒸発するように消滅を始めた。午後の時間が過ぎて行き、やがて再び寒い夜が訪れる。

 眠るように、花水木(ドッグウッド)の枝葉は再び垂れた。

 (きた)るべき時の為、珠蕾(しゅらい)を育もうとしていたやや重い枝先は、他との僅かなその差により、耐えられなくなったかのように短く折れ、桟の上に落ちた。

 誰かがやって来たら、きっとありふれた自然現象の結果として取り除かれ、ゴミの中に消えるだろう。

 第八話「Young Lion」はこれでおしまいです。マロンの死、及びそれにライガが関与した事は第一部の序盤から示唆されていましたが、ここではっきりとその詳細が語られました。と、他人事のように書いていますが、既に現代編で書いてしまった事は過去編で修正が利かないのです。第七話でやっとアウロラが幸せを掴めそうだった為、今回は書く側もかなりハードでした。

 ファタリテ騎士団はこうして見ると毎度戦犯のように感じられますが、作者としてはロディの事は善玉とも悪玉とも決めていません。ドーデムやマロンもそうですが、ファタリテの騎士たちは大抵そのような扱いで、作品がフォルトゥナ派のライガやリクトの視点で描写されがちなのでバイアスが掛かりがちなところはあります。俯瞰的に見ると、作中世界ではライガは最悪の死霊化者として扱われているので、それを出してしまったフォルトゥナに偏見を持つ者が居る可能性も否めません。が、アルフォンスやリクトがフォルトゥナの良い面を体現する人物であり、カリスマだった為にそういった見方が出る事を防げたのでしょう。

 蛇足ですが、一日目の「後書き」にて「ファタリテには肉食動物に関係する名前の人物が多い」という話をしたので以下に挙げておきます。何気に、所属する騎士たちの名前が作中で最も登場しているのがファタリテです。


・ボルヒエナ家…絶滅した狼に似た有袋類ボルヒエナ。

 ティラコ(親世代)…絶滅した虎に似た有袋類ティラコスミルス。

 シノパ(子世代)…絶滅した肉食哺乳類シノパ。

・ヒュバキオン家…熊犬アンフィキオンのシノニム「Hubacyon」。

 マカイラ(親世代)…剣歯虎マカイロドゥス。

 ニムラ(子世代)…絶滅した肉食哺乳類ニムラブス(偽剣歯虎)。

・トリュフォー家…実在の姓。中世フランス語「truffeux(嘘つき、騙す者)」に由来するという説がある。親子二世代共に名は未登場。

・ハント家…実在の姓。由来は「hunt(狩る)」。

 ガストール(親世代)…恐鳥ガストルニス。

 フォースタス(子世代)…恐鳥フォルスラコス。


・スペラエア…ドウクツライオンの学名「パンテーラ・スペラエア」。

・ウィーズル…weasel(鼬)。

・ファンガス(※)…fang(牙)。

・バルボロ…絶滅した肉食哺乳類バルボロフェリス。

・ポピュレーター…剣歯虎スミロドン・ポピュレーター。

・ルルス…プロアイルルス、アデノファイルルス、メタイルルスなど。


※現時点で未登場。

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