『リ・バース』第二部 第8話 Young Lion⑦
⑥ マロン=エキュレット・エルヴァーグ
「あれが帰らずの地か……」
ヴァイエルストラス以北、枯草の延々と続くタルタリア平原の彼方に佇む、黒々とした植物群落を見ると、マロンの口からは無意識のうちに畏怖を帯びた声音で独白が零れ落ちた。呼応するかのように、自分の駆っている騎馬が微かに嘶き、白濁した呼気を吐き出す。
帝国の騎士が自分の馬を貰えるのは、正騎士叙勲から三年目だ。当然、今マロンが跨っている馬は、まだ騎士見習いの身分で与えられるようなものではなく獅子宮から借りたものだった。
現在自分と共にウィーズル副騎士長に率いられ、駆けている者たちは皆馬に乗っていた。つまり、叙勲から間もない新米の騎士や一般兵は含まれていない。それどころか、全員がベテランと呼ばれる程の古参メンバーだった。
「怖いか?」
横を駆ける指導教官のティラコ・ボルヒエナが、こちらの呟きを拾ったらしく声を掛けてくる。マロンは首を振った。
「いえ、怖くはありません」
実際に、恐怖はなかった。あの場所に居るのは、言葉の通じない魔物でも、狂える亡霊でもない。自分の同期生であるライガ・アンバースだ。たとえ死霊化者となっていても、心が通う事は知っている。
──それなのに、アウロラに嘘を吐いて出てきてしまった。
マロンはそう考え、ぐっと唇を噛む。
今回のファタリテの行動は、皇帝から下された正式な任務ではなく父ロディが独断で下した命令によるものだ。故に、父は現在有事の際にすぐ正式な王命を受け取れるよう城に残っており、この作戦の詳細は事後報告という形で天秤宮に報せる事になっている。無論、咎めは受ける事になるだろうが、そもそも相手は現在あくまで裁判を猶予されている身であり法的には超法規的な措置が施されない限り極刑を免れない死霊化者だ。どのような緊急事態も想定出来、イレギュラー対応という事になればそこまで厳しい責めをファタリテが被る事はない。
アウロラには、今回の行動について、王命による魔物の討伐──騎士団の本来の業務──だと伝えて来ていた。
だが、マロンは決して、ライガを討つ為にこの作戦に同行している訳ではない。
ファタリテの騎士、マカイラ・ヒュバキオンが殺害された事により、ロディの「ライガを討つべし」という主張は、終戦直後より一層激しいものになっていた。しかしライガが、怨霊となった魂を救済する降霊術を開発している途中だという事が大義名分となっており、死刑宣告と同義の裁判は実質無期限にまで延長され続けている。そのまま一年が経過し、業を煮やしたロディがファタリテの精鋭たちを集めてこの作戦を立案した時、マロンは僉議にこそ出席したものの、後から父に「お前は今回の作戦には参加させない」と言い渡されてしまった。
「お前が最近、あの男に情を感じ始めている事は分かっている。今のお前ではいざとなった時、躊躇わずに彼に止めを刺す事など出来ぬだろう」
「しかし実際に、ライガ・アンバースはあれ以来死霊化術を我々に敵対するような方法で行使してはいません。それに、件の事件ではヒュバキオン殿の側にも問題がありました」
「ヒュバキオンの事だけではない。マロン、お前もあのシュラ・イスラフェリーに発現した降霊術を知っているだろう? あのような邪悪なものを、あの男は至極簡単に生み出せてしまうのだ。一個人が、同様の能力を持った怪物がどれだけ含まれているのかも分からない魔群を支配下に置き、その気になればこの城など簡単に落としてしまえる状況が生じている事そのものが尤なる問題であると、理解出来ないお前ではないはずだ」
「……ならば」
マロンは、尚も言い募った。
「ライガが魔群を手放し、死霊化術の行使をやめれば、先の戦への貢献及び死霊化術を修めた時のやむを得ない事情、ヒュバキオン殿らへの反撃の正当性を考え、酌量の余地のある判決が望めますか?」
「……いざ裁判が開廷されれば、それを決めるのは私ではない」
やや言葉に詰まった父に、マロンは畳み掛けるように言った。
「私の言葉にであれば、彼も耳を傾け、余計な犠牲を出さないうちに投降を受け容れるかもしれません。これ以上我らが同志たちの中から可惜命を散らす者が出ない為にも、私の同行をお許し下さい」
結局、最終的にはロディが折れ、マロンの作戦への参加は許された。
──ライガは、「再誕」を完成させた。それが未来の為に残されるのであれば、もうこれ以上、彼が今死霊化術を使用し続ける必要はないだろう。それを手放す事で彼が免罪、それが無理でも少しでも減刑される可能性があるのだとしたら、自分はそれに賭けたい。
ライガには、生きていて欲しかった。彼は自分にとって、雁字搦めになっていた心を解き放ってくれた恩人だ。彼が居なければ、自分は今でも自らの心とも向き合おうとせず、アウロラを傷つけ続けていた事だろう。
(シュラ・イスラフェリー……彼がどのような少年なのかは知らないが、きっと討てばライガは俺を恨むだろう)
そうなれば、交渉が難航する事は目に見えていた。
しかし、ライガも理性では理解しているはずなのだ。死は不可逆の現象であり、たとえ「再誕」であっても、怨霊となった者をいつまでも抑留し続ける訳には行かないのだという事は。
自分の言葉はきっと、彼に届く。そして、アウロラがまた皆で集まれる事を望んでいると伝えれば、彼は死霊化術を手放す決意をきっとするはずだ。
手綱を握り締め、マロンは心を固めた。
壊滅した村の跡地が、目視で確認出来るようになった。マロンたちは、その入口に聳え立つ森の監視塔「天気輪の柱」の横を抜け、廃村へと踏み込む。
ライガの姿は、すぐに見つかった。
病人用のガウンを纏った少年の屍を先頭に、魔群がずらりと並び、彼を守るように立ち塞がっている。彼は満面に驚愕を湛え、現れた自分たちを見ていたが、やがてその眉根を顰めるように寄せた。
「隕命君主、ライガ・アンバース!」
群がる生ける屍たちの前まで進むと、ウィーズル副騎士長は馬から飛び降り、彼をそう呼ばった。マロンや他の騎士たちも次々と下馬し、彼らと真っ直ぐ向き合うように立つ。
ライガの右手の指が、人骨から作られた杖──魔杖オムグロンデュを強く握り締めた。余程力が込もっているのか、関節が白っぽくなったのが分かる。
「……また、あんたたちか」
「ライガ・アンバース。これまで莞根士の手前、貴様の増長には見て見ぬ振りをしてきたがもう我慢が出来ん。ヒュバキオンを始め我々の同志を殺戮した貴様が、咎め立てもなくのうのうと生きている事がな。そこに並んでいる、腐りかけの危険物どもと共にな」
ウィーズルが言った途端、ライガの双眸がぎらりと赤く輝いたのをマロンははっきりと見た。
「その腐りかけの危険物どもに変える事でしか、この人たちが生きられないようにしたのはどっちだ?」
君主の放った殺気に反応したのか、生ける屍たちが飛び掛かる前の予備動作のように腰を落とし、唸り声を零す。迷っている時間はない、と判断し、マロンは一歩前に進み出た。
「ライガ! 話を聴いてくれ!」
「……マロン?」
ライガは潜めていた眉の片方を、また驚いたようにぴくりと上げ、やがてすぐに怒気を湛えてこちらを睨んできた。
「マロン、やっぱりお前も、シュラを殺しに来たのか?」
──俺を、とは、ライガは言わなかった。
言葉に詰まる。言おうとしていた台詞が喉に閊え、出てくれなくなった。その通りだ、自分はライガの柵を断つ為に、彼の執着するその少年の命を奪う事も辞さない考えだった。
最前列で唸る少年の屍を見る。この子供が、ライガが救おうとしたシュラ・イスラフェリーだろうか、と考えた。
「もしそうなら、俺はお前が相手であっても容赦はしないぞ。結局、こういう事になる宿命だったんだなって思う事にする」
「違う、俺は──」
マロンが再び口を開きかけた時、ウィーズルが言葉を続けた。
「申し開きをする意思は、ないと見えるな。結構、貴様が既に死霊化術に心を明け渡し、人ならざる怪物の域に到達している事は既に証されている。ならば、やはり排除するしかないようだ」
「ウィーズル殿!」
マロンは、まだ対話の余地がある事を彼に訴えようとした。が、ウィーズルはそれを黙殺し、こちらが続きを口にする間もなく曲刀斧を抜いてそれを高々と掲げた。刀身の翠緑が煌々と輝く。
「魔群、今こそ滅するべし! 掛かれーっ!」
うおおっ、という雄叫びが上がり、騎士たちが動き出す。
対話にすらならなかった。マロンは皆に従って鳩羽色の愛剣を抜きながら、ウィーズルも皆も、短期決戦を狙っているらしいな、と思う。ウィーズルの呼び掛けは、通り一遍のものでしかなかった。
ライガは微動だにしなかったが、先陣がシュラの前方五メートル程の位置まで迫った時、生ける屍たちの唸りが最高潮に達しようとした瞬間、
「……やれ」
短く言い、オムグロンデュをさっと振った。
真っ先にシュラが動き、ウィーズルに飛び掛かって爪を振り上げた。その先端に黒い靄のようなものが蟠っている。話にあった、新たな状態異常「死に至る病」を誘発するという瘴気だろうか。
「ビョオオオッ!!」
リクトの話では、シュラは既に「再誕」を施され、自我を取り戻しているという事だった。が、白目を剝き、荒い呼気と共に黒濁した瘴気を絶え間なく吐き出しているその姿からは、とてもそうは思えなかった。ややもすると、ライガから命令を受けてそれを遂行しようとしている間は、彼自身で自らの行動を判断する為の”心”は表層化しないのかもしれない。
ウィーズルは、その敏捷な動きに一瞬動揺し、すぐに冷静に反撃を実行した。自由になっている左手を挙げ、やや身を引いてシュラの攻撃の軌道から逸れる。
「ブラキオプネウマ!」
そして、振り下ろされたシュラの右手に、その細い手首をホールドするような形で腕状霊魂を放つ。シュラは即座に動作を修正し、手首を内側に折るようにして、その爪の先で組み付いてきた腕状霊魂に触れた。
透明な霊魂がどす黒く染まり、ぼろぼろと崩壊しながら大気の中へ溶け込むように消滅し始める。
その一瞬の間に、ウィーズルは味方の騎士の名を呼んだ。
「バルボロ、交替だ!」
「御意、モンシュー!」
大柄な騎士バルボロが、赤銅色の髪を靡かせて前に出、カスタム武器の戦斧を下段から振り上げた。
「斧顎山隆創!」
斧カテゴリの技は、殆どが重量のある攻撃だ。小柄で、成熟していない肉体も死蝋同然になっているシュラはたちまち両断されるかと思われたが、その瞬間彼の目の前に一体の女の屍が飛び出した。
「シュラ!」
彼女がひび割れた声でそう叫ぶのを聞き、ウィーズルの目が驚愕に見開かれた。
「まさか、『再誕』か!?」
「メグさん!」
「グリムリーパー!」
バルボロの剣技が、屍の胴の中央を干物の如く真っ二つに斬り割った。しかし、肉体を致命的なレベルに損耗しながらも、その女は死力を振り絞るように左手を伸ばして、彼に向かって斬撃を飛ばす。
怨霊と化した霊力を用いる、基本的な死霊化術の攻撃技だった。しかし、そう判断出来たのは、マロンが一歩離れた場所から客観的に戦況の推移を見ているからであって、バルボロ当人は過剰に警戒して身を引きかけた。
彼の肩口を、飛来した斬撃がスパッと切り裂く。同時に、攻撃を繰り出した女の屍も後方に吹き飛び、庇おうとしたシュラ諸共地面に倒れ込んだ。
「ビュウウウ……」
シュラは、右手首に残っていた腕状霊魂の残骸を引き剝がし、嘘だ、というように首を小刻みに振りながら女の頭部を持ち上げようとする。その刹那、彼女が微かに顎を動かして少年の方を見た。
「シュラ……ライガさんの事、宜しくね……」
彼女はそのまま、がくりと首を落とし、やがてその肉体は細かい粒子状に分解されて大気の中へと消滅していった。どうやら、「再誕」を施された生ける屍は、その内に宿る怨霊が消えると共に肉体をも失うらしい。
ライガは唖然と口を開け、その様を見ていたが、やがて歯を食い縛り、苦しげな声を零した。
「メグさん……!」




