『リ・バース』第二部 第8話 Young Lion⑥
* * *
「それじゃあ……やるぞ」
ライガは、転写術を持った屍と並ぶように立ち、自分たちと向かい合うように並んでいる別の二体の屍に視線を落とした。魔杖オムグロンデュの先端を、その片方に向けて詠唱する。
「彷徨える魂魄よ、汝が器は汝自身のものなり……再誕」
片方は、アンバース・ヴィラージュの住人だった四十代の女のものだ。彼女にはシュラと同じくらいの年齢の息子が居たが、彼はあの一昨年の疫病には罹患していなかった為、最後の時は病人たちを隔離した建物からは引き離されており、ライガがヴァイエルストラスから帰る頃には既にヒュバキオンらによって殺害されていた。その為死霊化術を施す事は出来ず、魔群には加わっていない。
それが救いだったのか、救いのない事だったのか、ライガは即座に判断する事が出来ない。
(メグさん……ジャンを守り切れなくてごめん)
心の中で囁き掛けた時、彼女の額に藍銅鉱の魔方陣が展開した。
シュラに施した時のように、それが彼女自身の額に吸い込まれて行き、同色の霊力の靄がその体の輪郭を縁取るように生じる。改良を加え、怨念の奥に封じられた魂の記憶を掬い上げるプロセスから可能な限り負荷が取り除けるよう最適化を図った術だが、その代わり術の発動の為に消費する霊力も多くなった。
ライガの握ったオムグロンデュが、不意に熱を持った。咄嗟にライガはそれから手を離しそうになったが、渾身の理性で抑え込み、取り落とさないように手指の関節に力を込める。
熱はどんどん上昇し、ライガは掌が焼けるのではないか、と思った。こちらの指の隙間から白煙が上がり始めるのを目捉し、シュラがあっと声を出す。
「ライガ、手が!」
「大丈夫だ! それより──」
言いかけた時、女の生ける屍から立ち昇っていた霊力がふっと輝きを消した。
二度目となる術が成功したのか失敗したのか、ライガは見極めようとする。そして彼女の口から、
「……ジャン?」
意味を持った言葉が──彼女の息子の名が──紡ぎ出された時、
「転写術を!」
隣に控えた一世紀前の王族の屍に、ライガは指示を出した。同時にオムグロンデュから手を離し、過熱した掌の皮膚にふうふうと息を吹きかける。この反作用にはまた改良する余地がありそうだな、と思った。
隣の屍が、固有降霊術を発動した。それは今し方ライガの使った「再誕」の形で表れ、彼の前に座したもう一体の男の戦士の被験体──こちらも「地獄の季節」で生じた生ける屍だ──から黒瑪瑙の霊力の光が生じる。
転写術は感応自体を再現する為、こちらが成功した魔術を見せれば、被術者の方に問題がない限り、再現された魔術も同じように成功する。
今し方ライガが引き起こしたのと同じような現象が起こり、やがて術を施された男の屍も声を出した。
「俺は……」
こちらは一世紀近く言葉を発していなかったので、声が酷く掠れている。
それを見届けると、ライガは「シュラ!」と合図を出した。
「ごめんなさい」
シュラは一言断ってから、転写術を使用した屍の首に爪を振るう。
屍は頭部を落とされ、がくりと前のめりに倒れ、動かなくなった。傷口から、既に心臓による全身の循環を止められ、黒っぽく腐敗した血が迸るでもなくどろりと零れたのを見、ライガはもう一度黙祷する。
それから、転写術によって「再誕」を施された屍の方を見た。
──ケース一、「再誕」を使った術者が死んだ時、それを施された屍から再び自我は消滅するのか否か。また、屍本体は消滅するのか否か。
「………」
数秒間、息を詰めて見守った。
復活した旧時代の屍は周囲をきょろきょろと見回し、やがて
「ここは……何処だ?」
絞り出すようにそう呟いた。
「そうだ、アリフの奴……!」
「落ち着いて。もう、戦は終わりました」
ライガは、立ち上がりかけた彼の両肩に手を置いて宥めた。
──結論は「いずれも消滅しない」。しかし、まだ最初に使役術を掛けたライガとの間に主従制約は健在だ。自分がまだ生きているので、消滅しなかったという可能性も大きい。
いずれにせよ、これでまず「再誕」の効果の持続、消滅に、掛けた術者の生死は影響しないという事が分かった。だが、使役術の独立性も保たれるのであれば、使役術を使用した術者によって「再誕」が使用された場合、術者が死を迎えた時、「使役術を施された屍は術者の死によって消滅する」という法則に則り、やはり「再誕」の効果諸共消滅するという事だろう。
自分が死を迎えると同時に、本来生きるはずだった人生の続きを生きていた者たちも猶予期間を終え、人生を閉じる。ライガの考えていた事の大前提の部分は、これでクリアされた。
「あなたはもう、戦わなくていいんです」
囁きながら、ライガは自我を取り戻した男の背にこっそりと手を回し、除霊術を発動してみた。
「戦わなくていいって──」
屍は鸚鵡返しする。ライガは答えながら、結論その二、と脳裏に並べた。
死霊化術と同様、「再誕」も除霊術によって解除する事は出来ない。これも、術を使用した術者の生死は問わない。
それもそうか、と思った。
再現された自我は魂の記憶であり、それは怨霊となった魂の内側に元から封じられていたものだ。怨霊が除霊出来ない以上、自我も再びなかった事になる訳ではないだろう。
念の為、今度は「突然死」を使用してみたが、こちらも既に怨霊となった魂にはやはり効かないらしく、効果は表れなかった。そもそもこれは、死霊化の技であって自我を消す為の技ではない。
結論をまとめると、こうなる。
──「再誕」の効果は、不可逆的なものである。
* * *
「よもや、狼の戦士と謳われた我々が、このような若造に──しかも禁忌たる死霊化術によって屈せざるを得なくなっている状況とはな。スポーツであれば、相手に堂々と反則をされた結果負けているようなものだ。誠に業腹である、とは言わざるを得ないが……」
復活した旧時代の男の屍は、名をヘズブロッドと名乗った。
帝暦開始以来の記憶がない彼に、ライガは彼が「地獄の季節」と呼ばれる期間中に死霊化者アリフによって怨霊にされた事、その後バルドバロア王朝は滅び、「戦争の負の遺産」である彼らがこの帰らずの地に放逐された事、今彼らは隕命君主である自分の術の支配下に在る事を語った。
ヘズブロッドは最初、激怒し、ライガに向かって襲い掛かろうとしたが、体が動かず出来なかった。それで彼も、主従関係が成立しているライガに反抗する事は出来ないという事を理解したようだった。
「ヒュムリング王も、もういらっしゃらないのだな」
初めて聞く名だ、と思ったが、恐らく彼が仕えていたバルドバロア王朝の最後の王だろう。歴史の教科書には載っていたのかもしれないが、ライガは学問所の講義は真面目に聴いていない事の方が多かった。
「俺は、ソレスティア人だ。あなたには、まだ俺を憎むべき侵略国家の人間だと思う気持ちが捨てきれないかもしれない。多分、この先も」
「しかし、まあ……その『再誕』とかいう術で俺自身を取り戻させてくれた事に関しては、礼を言わねばならないだろうな」
「だが、誤解しないで欲しい。あくまで今のあなたは、残留思念──幽霊のようなものだ。生き返ったという訳ではない」
「うむ……」
緘黙する彼の代わりに、アンバース・ヴィラージュの住人だった女性メグの屍が口を開いた。
「ライガさん……これは、惨い事ですよ」
彼女の声は、深い悲しみを湛えていた。
「私たちは──大切なあの子たちと別れねばならなかった私たちの体が、どのように扱われていたとしても文句は言いません。だって、もうそこにあるのは空っぽの体だけなんですもの」
「厳密には違います。メグさんたちは、眠っていただけ」
シュラが容喙すると、彼女はゆっくりと頭を振った。
「それでも、それならずっと、眠らせたままでいて欲しかったわ。こんな風に、何も感じない、腐りかけの体で生き延びて……もう、あの子に会う事も叶わないというのなら」
「ええ。ごめんなさい──やっぱりこれは、俺の自己満足です」
ライガは言い訳する事なく、腰を深く折って頭を下げた。
メグは慌てたように何かを言いかけたが、すぐに口を噤んでしまった。視線を、横のヘズブロッドに向ける。
彼は、何度か咳払いをしてから再度開口した。
「俺はたとえ、幽霊だったとしてもこうして再び世界を見られる事が出来て良かったと思う。バルドバロアがもうないっていうのは、ちょっと悲しいがな。でも、こうして終わったはずの生涯がコンティニューされた事に希望を感じている者、そのような事を望んでいなかった者、どちらも存在する事は事実だ。『再誕』とやら、誰に使うのかは慎重になった方が良さそうだぞ」
「そう……ですね」
ライガは顎を引き、火傷を負った掌をじっと見つめる。
まだ、検証せねばならない事はある。使役術の支配下に置かれた怨霊に「再誕」を施した後で、主従制約を破棄したらどうなるのか。ジフト戦役の最中、この地で死霊化術を修める途中で、ライガは一度使役術を施した屍を、再び術による縛めを解いたらどうなるのかを試していたが、その結果は当然再び本能のままに暴れ出すというものだった。
或いは、主従制約のなく、最初から「再誕」だけを施された屍はどうなるのか。また、それが命を落とした時はどうなるのか。亡骸は残るのか、術の効力を上書きした術者が死んだ時のように消滅するのか。
プログラムの範疇では測れない魔術を使用する、もしくは開発するというのは、こういう事なのだ。万が一にも、不測の事態などがあってはならない。それは、禁術使いである自分の責任だ。
「余計なお世話かもしれないが」
ヘズブロッドは、森の方をちらりと振り返りながら言った。
「俺の仲間や、旧世紀のソレスティア人──あんたの言う『地獄の季節』で発生したものに関しては、あんまり『再誕』を使うのはお勧めしないぞ。連中は術の制約上あんたの命令には絶対に従うと思うが、あまりにも血気が盛んだし、元は敵同士の奴らも混ざっている。
連中はそれぞれに自我を取り戻したら、自分たちで潰し合いを始める可能性が大きい。あんたが命令すればそれも出来なくなるかもしれないが、元々あの森から溢れ出しそうになっていたくらいの規模だ。それらを全部、いちいち命令して回るのは骨が折れるだろう。ややもすると、実質不可能かもしれない。連中の事は、あくまで手駒として動かせる戦力と考えていた方がいい」
「………」
そうかもしれないな、と思う。
元々、ライガが「再誕」の開発に着手したのは、アンバース・ヴィラージュの人々の為という思いだった。むしろ、建国戦争の負の遺産は誰かが掃除をしなければならない、という考えがあったからこそ、ライガはかつて死霊化術の使用もやむを得ない事だと考えていたのだ。
今になって、情が移った訳ではない。しかし、彼らはアンバース・ヴィラージュを運営している間、自分の術によってとはいえ、間違いなく村人たちを守る事に貢献してくれた。
彼らにも少しくらい、救済があってもいいのではないか。
しかし今し方ヘズブロッドに言われた通り、そのような事を望んでいない、こちらがどう思ったところで肥遯的に生きる事を「救済」とは感じない者たちも確かに居るであろう事も本当の事だった。
「……ライガ」
シュラが、爪を立てないように注意しながらこちらの肩に手を載せてきた。
「少なくとも僕は、ライガとまたこうして話せて良かったです。僕は、たとえライガに『誰かを傷つけるな』って命令して貰ったとしても、暴れなかったとしても、近づいた人にこの瘴気を浴びせてしまう。喋る事も出来なかったら、単なる危険物で終わってしまうところだった。せっかくライガが、生ける屍にしてまで生かそうとしてくれたのに」
「シュラ……」
ライガは顔を上げ、彼の目を真っ直ぐに見る。
「だから、僕──」
彼が、言葉を続けようとした時だった。
突然彼は台詞を中断し、はっとしたように顔を上げた。そのまま村の入口、「天気輪の柱」が屹立している方に視線を向ける。彼はそちらの方向に数歩進み、ライガを庇おうとするかのようにそこに立って腰を落とした。
メグとヘズブロッドも、突然表情を強張らせ、シュラに続いた。ライガが戸惑っていると、森の中から地響きが接近して来た。
あれよあれよという間に、生ける屍たちが大挙して来た。彼らは三体に続いてライガの前に立ち塞がり、同じく村の入口の方を睨んで身構える。
彼らは、一斉に君主に迫った危機を感じ取ったらしい。何事か、と思い、ライガ自身も立ち上がった時、頭蓋の中で警音が鳴った。
村と森に張りっぱなしにしていた、警告術の結界が作動したのだ。何者かが、アンバース・ヴィラージュに入って来る──いや、単数ではない。ライガの目は、「天気輪の柱」の横を通過しようとする無数の騎馬のシルエットを捉え、また鼓膜はそれらが立てる豪雨の如き跫音を聞いた。
あれは──騎士団ではないか。先頭を駆けている者は……
「ウィーズル副騎士長!?」
思わず、声を上擦らせて叫んでしまった。
という事は、彼らは。
「隕命君主、ライガ・アンバース!」
塔を通り過ぎ、ライガを庇うように集まった魔群の前までやって来ると、先頭を駆ける金褐色の体毛の馬から飛び降りた男は叫んだ。
ファタリテ騎士団の副騎士長、ウィーズル。
そう──現れたのは、紛れもなくファタリテ騎士団だった。




