『リ・バース』第二部 第8話 Young Lion③
③ シアリーズ・ド・ゲネラッテ
「そろそろ、ライガは帰らずの地に到着する頃でしょうかね」
依稀として淡雪の舞い落ちる真珠灰の空を見上げながら、シアリーズは呟いた。我ながら、独り言とも、傍らのリクトに話し掛けたともつかないような声色だな、と思った。
冬は、寒いのでいつものようにバルコニーでのお茶会は出来ない。代わりに、自分たち「いつもの三人」が集まるのは天秤宮の中庭に面したベランダだった。硝子越しに雪化粧の庭を眺める事もあれば、主にライガが二人を誘い、外に出て雪合戦などをする事もあったが、大抵の場合は園丁に見つかって叱られ、連れ戻された。それでも自分たちは、また同じ事をした。
ライガが城を出入り禁止になった今でも、シアリーズはリクトを誘い、時折この場所で話す。
「北はこっちよりも雪が降るからね。ソレイユから旧ジフト領に入る為には山道も通らなきゃいけないし、交通が乱れていたら、もしかしたら到着は明日になるかもしれないな」
リクトは、今し方のシアリーズの言葉に返事をする。
「寒いでしょうね、帰らずの地の森は」
「森の監視塔──『天気輪の柱』は、まだ住めるようになっているはずだ。ほぼ一年間放置しっぱなしだから、掃除はしなきゃいけないだろうけど」
「ライガ、掃除とかまめな事は苦手だもんね。よく村のまとめ役なんてやったな、って、私今でも思いますよ」
シアリーズは言いながら、改めて彼は凄い、と思った。
彼が凄いというのは、その能力の事ではない。そこまで、他人の為に必死になれるという事についてだ。今回、彼が帰らずの地で年を越すと言って旅立ったのも、八月から更に研究を進めて改良した「再誕」を、アンバース・ヴィラージュの住民だった魔群に施す臨床実験を行う為だった。
シアリーズは、彼が救おうとしたシュラという少年に、直接会った訳ではない。だから、リクトがそう言う程、生ける屍となったその少年がまだ生きているという実感を持つ事は出来ない。死んでしまったものは、畢竟死んでしまったという事なのではないか、と思う。
しかしライガは、彼らの事をまだ救えると考えている。
彼は、誰に対してもそうだ。生きている者たちにも、怨霊に対してさえも。
「結局私、お見送りも出来ませんでしたわ」
「デルヴァンクール邸から、直接の出発だったからね」
リクトは言ってから、励ますようにやや明るい声音になった。
「でも大丈夫。ライガの出禁は解けていないけど、春の旅行の時は陛下もリィズが彼に会うのを許可してくれた。アウロラも、前より抑鬱は良くなったんだろう? 彼女とマロンの仲も上手く行っているみたいだし、暖かくなったらまた皆で何処かに遊びに行けばいいよ」
「……ええ、そうね」
シアリーズは、微かに笑みを浮かべて肯いた。胸奥が疼く。
リクトはいい人だ。だからこそ、この気持ちは隠さねばならないのだ。あと四ヶ月あまり、彼が訓練課程を修了して正騎士叙勲を受け、自分と正式に婚姻を結ぶ時まで──自分たちの関係の変化が、精神的にではなく社会的な立場によって不可逆的なものとなるまで。
アウロラとマロンか、と、心の中で呟いた。
アウロラは、リクトに対して恋心を抱いていた。だから、彼に想われ、また大人たちによって幼い頃から公認された関係で居たこちらの事を羨んでいた。それを知っていたので、シアリーズは彼女に対して、申し訳ないという思いを抱いていた。彼女の望むものを得られているという事だけでなく、その上でライガに対して想いを寄せてしまっている事に。
しかし、アウロラは今、やっと──リクトとではなかったものの──幸せを掴もうとしている。真に自分を愛してくれる男と巡り会えたのだから。
ずっと近くに居たのに、心ばかりが遠く離れていたマロンだった。しかし彼は、もう彼女から、そして自分自身の想いから韜晦する事をやめた。それも、ライガのお陰だったらしい。
ヴァイエルストラスでの一件について、リクトはあの後、ライガの元を訪った時に彼に伝えたそうだ。その中で、ライガはフェラーリへの旅行の際、皆が一時的に別行動を取った時にマロンと言葉を交わした、という事をリクトにカミングアウトしてきたらしい。
シアリーズはこの事を、更にリクトから聞いた。
ライガは、マロンに言ったそうだ。彼自身の気持ちに正直になり、アウロラと向き合え、と。
もしかしたら、と、シアリーズは思う。
アウロラが、これまで皇家の安泰の為にマロンとの関係を安定させようと努めながらもリクトに心を寄せていた事には、彼女もまた、自身の努力が一向に報われないという事に悩み、心の拠り所を求めていたという理由もあるかもしれない。
そもそも、本当に家の為という理由だけで彼女が身を削るように頑張り続けていたのなら、彼女はきっとマロンの事を嫌いになっていただろう。
「ややもすれば──」
シアリーズは、ぽつりと呟いた。
「何物にも縛られる事のないライガだからこそ、アウロラたちの和解のきっかけになり得たのかもしれませんわね」
「リィズ?」
リクトはちらりと首を動かし、こちらを見てくる。
頰に彼の視線を感じながら、シアリーズはその先を続けた。
「私たちでは、きっと成し得なかった」
「……そうかもしれない」
リクトは微笑んだが、その顔にはうら寂しいような気配が漂っていた。きっと、彼も全てが済んだ後になってからアウロラに寄せられていた気持ちの事を知り、直接的な力になれなかった事を気にしているのだろう。
「僕たちは皆、あまりにも色々なものを背負いすぎている。それが悪いって訳じゃないし、僕は少なくとも、自らの立場に矜持を持っているつもりだ。だけど、ライガは縛られていないからこそ、自分自身の本当の気持ちというものを何よりも尊重出来るんだろう」
リクトは、何処か遠い場所を見つめるような目になった。
「ライガは昔から、デルヴァンクール殿には恩があるとは思っていても、彼の後を継いで筆頭騎士長にはならない、なりたくないって言い続けてきた。僕はそれに、何となく苛立ちを感じる事もあった。それが、何か不真面目な事であるような気がしていたんだ。
だけど今は、彼には、ああいう彼のままで居て欲しいと思う。それで初めて、こうして誰かの背中を押せる事もあるんだから」
彼の言葉を聴きながら、リクトはやはり誠実だな、と思った。
ライガに会えず、彼と二人きりで居る事が多くなった現在でも、二人で居る時も気付けばライガの話ばかりをしてしまっている自分に、シアリーズはやや後ろめたさを感じる。しかし、そんな自分に応えるリクトも、ややもすればそれは自分の恣意的な見方に過ぎないのかもしれないが、決して無理をして話を合わせてくれているだけには見えない。
きっと自分は、意識しすぎているのだろう。異性愛がどうの、婚約がどうのという事を措いても、それ以前に自分たちは今でも間違いなく、幼い頃からの親友のままなのだ。
短い沈黙を経て、彼は「大丈夫だ」と言った。
「春になる前に、彼はまた戻って来るって言っていた。今年の年明けだってそうだったんだ、またすぐに会えるよ」
「……ええ」
シアリーズは微笑み、視線を中庭に向け直す。
今年も、これから寒くなるのだろう──。




