『リ・バース』第二部 第7話 Rebirth⑧
⑥ アウロラ・ド・ゲネラッテ
「アウロラ!!」
その声が響いた時、アウロラは咄嗟に、叫んだのがマロンであるという事に気付けなかった。
彼の声を、聞き違えるはずがない。それでも、彼が自分の事をそのように──他人行儀な「姫」を付けずに──呼ぶ事があるとは、思いもしなかったのだ。その時点で自分は、彼に期待など抱いていなかった、という事が証されてしまうのかもしれなかったが──。
はっとして振り返った時、ぐいと腕を引かれた。視界が金色で埋め尽くされた、と思うと、それは彼のマントの色だった。気付けばアウロラは、彼の背後に庇われるように立っていた。
マロンが、ステージの下からアウロラ目掛けて這い上がろうとしていた魔物へと一直線に飛び掛かって行く。鳩羽色の刀身が曳行する光が、アウロラには彗星のように映った。
「露玉闇宵宮!」
彼の振り上げた刀身から、黒紫色の闇属性エネルギーを帯びた斬撃の渦が立ち昇った。それは魔物の下顎部から鼻面に突き抜け、開かれた鉄の処女の内側の如き口腔内で今にも吐き出されようとしていた水の暴発を起こす。
階段を攀じ登ろうとしていた魔物は、怯みを誘発したらしく、短い咆哮と共に前半身を仰反らせて転がり落ちた。突然の事に、何事か、というような顔をして、父とアルフォンスが振り返る。
彼らは既に、ステージ前方から現れた襲撃者たちの全員を拘束していた。
「マロン……?」
アルフォンスが呟き、マロンを見て目を円くする。
マロンは転がり落ちた魔物に追い討ちを掛けるように壇上から飛び降り、落下の勢いによって急所に大ダメージを叩き込もうと──即ち、可及的速やかにこの戦闘を終了させようと──剣を振り被っていた。
しかし、魔物もやられっぱなしではない。仰向けに、甲殻の少ない腹部を晒した状態で倒れ込み、数秒間じたばたと足掻いている様子だったが、マロンがその腹上に載った瞬間、最早前脚と見紛うばかりの胸鰭を開き、その鋭く棘の並んだ先端で抱擁するように彼を包んだ。
彼の姿が見えなくなり、血飛沫がその隙間から散った。
アウロラは、顔から血の気の引くのを感じた。
「マロンーっ!」
自分も、彼の事を敬称略で呼んでいた。
今まで使用した事のなかった攻撃文法を放とうとして、アウロラは階段に足を踏み出した。彼が守ってくれた命を、無駄に擲つような行為だという事は自覚していながら。
だが、それより早く、
「常闇よ、鮮やかなる終焉を導く者よ……」
苦しげながらも、はっきりとした彼の声が、閉じられた魔物の胸鰭の中から微かに反響して聞こえてきた。
「……有限を忘れし生命に、能う限りの懺悔を促さん事を!」
魔物の、ぬらぬらとした”皮膚”に半ば埋没した目が、剝き出されんばかりに膨らんだ。閉じられた胸鰭の隙間から、先程と同様黒紫の光果が零れる。それが俄かに輝きを強め、
「リトリビューション!」
詩文の完結と共に炸裂した。
魔物の上体が、胸部から下顎部までの肉をごっそりと吹き飛ばされるような形で爆散した。飛散する肉の中から、血塗れのマロンが現れる。それが、何処までが魔物から噴き出した血を浴びたもので、何処からが先程魔物に拘束された時に彼自身から流れたものなのか、一見した限りでは分からない。
魔物は体を弾ませ、傷口を隠すかの如く俯せの姿勢に戻った。その口吻に、青色の魔方陣が展開される。
まだ戦うつもりらしい。驚異的な生命力だ。しかし、それでも瀕死である事には変わりがない。
最初に、吐き出しかけていたブレスを口腔内で爆発させられた事により、その為の器官は損壊したらしい。本来魔物のオリジナルである文法──通常魔術だが、当然ながら彼らは詩文など唱えないので、実際に使用されるまで何の技が来るのかは判別しづらい。
もしも、手負いのマロンに最高技──「誅罰」などが繰り出されたら命に関わる。アウロラは「逃げて!」と叫ぶべく、声を振り絞ろうとした。
マロンは、こちらを庇うような位置取りで立っていた。彼を狙った攻撃が繰り出され、彼がそれを避ければ、それはアウロラ自身に直撃する事になる。それを理解した上で、アウロラは叫ぼうとした。
しかし、彼は逃げなかった。
「邪魔だ……このようなもの」
彼自身と魔物の血液にしとどに濡れ、重くまとわりついて四肢の自由を制限しているマントを、マロンは微塵の躊躇いもなく払い落とした。
そのまま一直線に、剣を突き出して魔物へと飛び掛かって行く。今度は、彼の得意とする闇属性ではなく、無属性の刺突だった。
「震空破!」
「ズウウウウウウウッ!!」
魔物の口元に生じた魔方陣が、そこから何かしらの攻撃を放つ前に硝子板の如く粉砕された。やや下方から、上顎を貫き通すように、マロンの刀身が魔物へと突き刺さる。
やや斜めに突き込まれたそれは、魔物の脳髄を破壊したらしかった。遂に怪魚は動きを止め、階段の下で水揚げされた深海魚の姿そのままに伸びた。
──助かったのだろうか?
そう思うか、思わないかのうちに、
「アウロラ!」
階段を無視して跳び上がるかのようにステージの上に戻って来たマロンが、アウロラの背にひしと両腕を回していた。
彼の軽装鎧の胸に額を押し当てられ、奪われた視界の片隅で、鳩羽色の剣が微かな音を立ててそこに転がった。
「マロン……?」
「アウロラ、怪我はないか!?」
「え……ええ……」
自分でも聞き取れない程の、小さな声が零れた。それが今の自分に出せる精一杯の声量だったので、伝わるように何度もこくこくと首を動かし、肯いた。マロンは「良かった……」と息交じりの声で言うと、より一層、こちらを抱き締める双腕に力を込める。
「アウロラ、今までの事はすまなかった」
「えっ……?」
耳朶をくすぐるような微かな声で紡ぎ出された彼の言葉に、アウロラは戸惑いを覚えて微かに顔を上げる。
マロンの血に濡れた頰には、涙の痕が光っていた。
「このような事で、償いになるなどとは思っていない。だけど──これは、俺自身の我儘だ、聴いてくれ。……アウロラ、俺はこれから、君の事を誰よりも傍で守る。今までそう出来なかった分、いや、してこなかった分も」
「………!」
アウロラははっとし、恐る恐る両手を上げた。
こちらの背に回された彼の腕に、そっと指先が触れる。
「今、愛してくれとは言わない。俺に、そのような事は言えない……だが、いつかきっと君がそう思えるように、俺は頑張るから……これまでの事を赦してくれなくてもいい。それでも、これから俺が君の傍に居る事を──君に愛されたいと願いながら生きるのは、許して欲しい」
「マロン……私……!」
気が付けば、自分の両目からも涙が流れていた。アウロラは、彼の顔を見上げたままこくこくと肯き続ける。
──嬉しかった。嬉しいのに、上手く笑えないのは何故だろう?
マロンはそこで不意に、あっと気付いたように声を上げた。こちらの両肩に手を移動させ、自分の体から離す。
「俺、血塗れだ。ドレスを汚してしまった──」
やや極まり悪そうに言うマロンの背に、アウロラは今度は自分から、微塵も躊躇う事なく両腕を回した。
「いいのよ、マロン」
言った時、そこでやっとアウロラは自然に微笑む事が出来た。
(そうだ。私は、この人と──)
「アウロラ」
姉が、徐ろに名前を呼んだ。
アウロラは振り返り、彼女の方を見る。姉も、両親もアルフォンスも、皆がこちらを見つめていた。
彼らに向かって、アウロラは言った。
「私は──アウロラは、この人と一緒に生きていきます」
ご精読感謝です。第七話「Rebirth」はこれで終了です。この英単語には「更生する」「心を入れ替える」といった意味もあり、マロンが自らの本心に正直になり、アウロラときちんと向き合おうとするエピソードという事も含んだサブタイトルでした。
今回はアウロラに続き、マロンにも誕生日(三月十八日)を設定しました。こちらも先に誕生花があり、そこから逆算して設定したものです。花水木の花言葉は「永続性」や「私の想いを受け止めて下さい」であり、これを誕生花とする誕生日には他に三月二十三日、四月二十五日、四月二十三日、五月九日などもありますが、誕生日占いでは全体的に好奇心旺盛でチャレンジ精神に富むという傾向にあるそうです。その中で三月十八日には常に向上心を持ち努力を怠らない、という特徴もあるという事なので採用しました。
私自身が自作の中で最も気に入っているカップリングは、これまでは『破天のディベルバイス』のアンジュとダークだったのですが、『リ・バース』を書いた事でアウロラとマロンに変化しました。あえて名前は出しませんが、マロンには本作が着想を得た既存の作品の一つに登場するとあるキャラクターがモデルで、この後ライガに待っている運命の為に必要なキャラであり、まさか自分でもここまで愛着が湧くとは思いませんでした。今ではオマージュ元とは殆ど別キャラになったような気がします。
次回も過去編で、アウロラとマロンを中心とした話は次で最後となります。この辺りは過去編、現代編共に物語上の重要なターニングポイントが連続しますので、どうかお見逃しなく。
○モンスター図鑑
・オロボン
適性属性:水
外見:鮟鱇(※)、鰐
生息地:不明
元ネタ:アンブロワズ・パレ『怪物および異象について』、アンドレ・テヴェ『普遍宇宙誌』などに記載あり。山猫の頭を持つ鰐。紅海、マゾヴァン山のアラブ人により信仰されていた。
※FFシリーズに登場しないモンスターを狙って書こうと思っていましたが、オロボンは思い切り登場している事が判明しました。私はこのモンスターを澁澤龍彦の「怪物について」(『胡桃の中の世界』(河出文庫)収録)というエッセイで紹介されているのを読んで知ったのですが、挿絵を見る限りどう頑張っても「鰐」には見えません。その為、本作での「鮟鱇」という外見はFF11のそれに倣い、よりイメージしやすい姿を採用しました。




