『リ・バース』第二部 第7話 Rebirth⑤
④ リクト・レボルンス
「……ジフト戦役は、我々に大きな爪痕を残した」
拡声用魔導具を通した、薄く反響の掛かった声が響いている。
「民を煽動し、本来戦士ならざる者たちを多く戦に駆り立て、死に追いやったイスラフェリー家の罪は消える事はない。しかし、その温床を作り出してしまった責任は帝国にもあった。際限なき領土の拡大と、その戦後処理と復興の停滞、都市と辺陬との経済格差。それは、言論によって再び和解の道を歩み出す事を受け容れてくれたソレイユを始め、旧ジフトの、これまで敵であった者たちの言葉によって我々は痛感させられた。
今日のこの式典には、旧公国の民であった方々も数多く出席されている。だからこそ、私は今回の集いを形だけのもので終わらせてはならないと思う。終戦から一年が過ぎた事、その事が、皆さん一人一人にとってどのような意味を持つ事なのかを、共に改めて考えていきたい。あの戦で犠牲となった者たちを弔い、再び未来を見つめ直す為に」
皇帝フレデリック二世の声は、淡々と語り続けた。
七月三十一日、午前十時十五分。旧公国首都ヴァイエルストラス、ゲイロッド城の前庭。
セレモニーの為に一般開放された城門の内側には、既に大勢の市民が犇めき合っていた。帝国からの来賓や旧ジフト領として併合された北方諸国に領地を持っていた貴族も多いが、それよりも今回の参加者の殆どを占めているのが旧ジフトの市民階級の者たちだった。
中には、カヴァリエリやリーマン、フィボナッチといった他の都市から、数日前から泊まりで訪れている者たちも少なからず居る。それだけ、人々が終戦一周年となるこの式典で、かつて征服期政策を主導したソレスティア皇帝の語る言葉を聴こうとしていた。
リクトは城の外縁を回りながら、HMEを取り出して音声を吹き込んだ。送信相手のアルフォンスは、今自分の居る場所とは反対側、皇帝の演説を行っているステージのすぐ後ろに立っている。ここからでは、声を張り上げて叫んだとしても届かないだろう。
「こちらリクト・レボルンス、定時連絡。目下異状なし」
視界に入っている他の騎士たちも、各々に端末を取り出していた。皆、自分たちが所属する騎士団の長たちに同じく定時報告を行っているのだ。アルフォンスも端末を手にし、口元を近づけているのが見えた。
十秒程の時差を経て、彼からの返事が返って来た。宛先は、警備に参加している他のフォルトゥナの騎士たちとの連名になっている。
『莞根士、了解した。引き続き現状を維持。万が一不審な人物等を発見した場合、たとえその懸念が些細なものであったとしても、くれぐれも動向には目を光らせておくように。 Alphonse Delvincourt』
リクトは小声で「了解」と呟いてから、そうはいっても、と思いながら改めて式場を見回した。
一般開放がされているとはいえ、一応城門の所では兵士たちが交替で見張りを行っており、不審な人物が入らないかと確認している。ここは北方で、未だにゲリラ化した残党については全員を逮捕出来た訳ではない。
そもそも、監督府の設置によって民間から募られた兵士も数多くジフト軍に参加していた為、誰がジフトの兵士になっていたのか、誰が戦死し誰が生存しているのかといった事自体が定かではないのだ。旧公国のグールダン宰相は、可能な限り投降しなかった者たちの逮捕に協力してくれているが、終戦間際の混乱や帝連軍による各前線基地の襲撃で焼けたり、散逸してしまった軍籍も多い。
(政治ショーにしてはならない……その通りだ。この式典は、ここヴァイエルストラスで開催する事に意味があったのだから)
リクトは胸中で呟き、ステージの方を見た。
年度替わりの、騎士団の新規入団者の入団式のように、演説を行う皇帝の後方にはテレサ皇后、シアリーズ、アウロラが座していた。集まっている旧ジフトの人々の中には、恐らく未だに、彼らへの蟠りが消えていない者たちも少なからず含まれている事だろう。
帝国に居る間は、街中で擦れ違う人々の殆どは彼らや自分たちと同じソレスティア人だ。しかし、ここに居る者たちの大部分はそうではない。
旧王朝の主族ビャルマ族を始め、各国の民にとって──特に、第二間征期が開始される直前に帝連肢国となった国々の人々にとっては、未だに新主族であるソレスティア人とゲネラッテ朝は征服者として映っている事も珍しくないのだ。その結果がジフト公国の勃興と、先の戦争だった。
だからこそ、そういった者たちは今まさに見極めようとしている。ジフト戦役での戦いには直接参加せず、自分たちの敵を常に送り込み続けていた皇族が、どのような者たちなのかを。
まだ、こちらも危険を感じるべき時ではない。リクトはそう思いながらも、そこにシアリーズやアウロラが──武王だった三代の父祖とは異なり、戦う術を持たない次世代の皇女たちが居ると、否応なく考えずにはいられない。
彼女たちもまた、一部の者たちにとっては憎しみの対象であり、害意を持たれているはずだという事を。
(僕はリィズから、返しきれないものを貰ってしまった)
戦時中に自身に施された、彼女からの感応移植術の事を考え、リクトは自然に口元に力が込もった。
ライガから、自分は彼女から感応を貰った代わりに、自衛の術を完全に失った彼女を何があっても傍で守らねばならない、と言われた事を思い出す。
最初から、その覚悟は出来ている。しかしここからでは、些か彼女の居る場所までは距離がありすぎる──。
「私は、一度はジフト公国の秩序に従った者たちを赦した。しかし、この『赦す』という行為ですらも、ややもすれば戦勝者の驕慢であるという誹謗を招く事を避け難い形であった事は否めない。最初に、肢国となった国家群に帝国の論理の元に成立する秩序を課したのは我々であるのだから。
だが敢えて言えば、我々は勝者の余裕から彼らを赦したのではないし、彼らの方から赦されようというつもりもない。ただ我々は、同じ傷と、ややもすればプログラムからは認知され得ぬかもしれない罪業を背負った者たちとして、再び共により良き世界の構築に努めていきたい。それこそが、この第三代皇帝フレデリック二世の、一人の民としての祈りだ」
皇帝の言葉が粛々として紡がれる中、式場に集まった人々の姿を見回すリクトの目が、ふと微かな”動き”を捉えた。
立ち並んだまま演説を聴き続ける聴衆の中に、ヴァイエルストラスやカヴァリエリのある北の平原の長い草が風にそよぐように、微かな漣漪の如き動きがある。
訝しみ、目を凝らすと、数人分の影が人々の間を縫うように城門の方からステージに向かって移動しているのが分かった。小用に立ったと思しき者など、演説が始まってからも幾度かは人の出入りはあったが、動き出した者たちがいつ入って来たのかは分からない。恐らくは、会場に人が集まる最中に他の来場者と共に城門を潜り、そのまま入口付近で立ったままでいたのだろう。
何事だ、と思うよりも先に、フラッシュバックが起こった。
あれは─そう、戦前の事だ。ジフト公国の勃興直前、旧ランペルール公国の指導者ジフト・ビギンズの遺児たちが、帝国に亡命して来た時の事。幼君リュシアンが演説を行うべく、白羊宮のバルコニーに立った瞬間、その下に集まった群衆の中から矢が放たれた──。
「デルヴァンクール騎士長!」
ここからでは聞こえるはずがない。先程、そう思ったばかりだ。
にも拘わらず、リクトは叫んでいた。
叫んでから、はっとして再びHMEを取り出しかけ、すぐに思い直して自ら飛び出した。悠長にメッセージを吹き込んで、騎士長がそれに目を通している間に対処が間に合わなくなったらどうするのだ。
人任せにするな、と自らを叱咤した。こちらが急に動いたので、少し離れた所で持ち場に就いていた同じフォルトゥナの騎士見習いはぎょっとしたように一瞬動きを止めたが、すぐに気付いたらしく同様に動き出した。
外縁で警備を行っていた者たちが、ほぼ同時に動き始めていた。自分に気付けたのだから、他の者たちにも気付けなかったはずはないのだが、そう考えるとすぐに思考は次の段階に至る。
自分たち騎士団がどの場所で警備を行っているかという事は、会場に入った時点で一目瞭然だ。その上、一般来場者が前列に集まっているといういわば衆人環視の状況である。曲者が紛れ込んでいたとして、不審な動きをしてステージに近づけば、遠距離魔術の射程圏内に入る前に誰かからは見咎められ、阻止されるであろう事はその者たちにも分かるはずだ。
その上で、今動き出した者たちが居た。
つまり、紛れ込んでいた彼らには、この状況でも行動を遂行出来るだけの策を持ち合わせていたという事だ。
「皆さん──」
「皆さん、直ちに離れて下さい!!」
叫びかけたリクトだったが、自分の言おうとした言葉の続きは、同じくフォルトゥナの持ち場に居たヴォルノ副騎士長が口に出した。
皇帝の演説以外の音のない、森閑とした前庭に響き渡ったその声に──先程リクトの叫んだアルフォンスへの呼び掛けは届かなかったが、ヴォルノは皇帝の使用しているものと同じ拡声用魔導具を持っていたのでその声はよく響いた──、群衆の中から戸惑いの騒めきが生じた。
次の瞬間、唐突に赤色の閃光が走る。光源は、右往左往を始めた人垣の中だ。最初に動き始めた数人の影が、人々に波及した動揺の波によって覆い隠され、見えなくなったタイミングだった。
生じた閃光は、一瞬鋭くこちらの瞳を刺し、思わずリクトが足を止めると共に、流星の如く緒を曳いて空中に飛び上がった。
見覚えのある色だった。射撃系統の兵器系魔導具。
「フェイルノート……!」
リクトは呟き、人々の中へと駆け込む。
そのタイミングで、放たれた矢は大きく弓形の軌道を描いてステージへの落下を開始した。それは、壇上のアルフォンスにも目視出来るものだった。
彼が、目を見開く皇帝たちの前に飛び出した。防御結界が展開され、ステージ全体を半球状の光が覆う。紅玉の如き魔石を先端に装着した矢は、それを構成する障壁因子に衝突するや爆発を起こした。
防御結界は、広域に展開すればする程強度が落ち、突破されやすくなる。ベズー会談の際、ナサニエル・ヤーツ元老長──当時はただ「議員」だったが──とソレイユの代議士らの話し合いを行っている音楽堂が敵に襲撃され、ファタリテのウィーズル副騎士長が建物全体を覆うように結界を展開したが、それはフェイルノートの直撃を絶え間なく浴びるうちに突破されてしまった。
結界術に長けたウィーズル副騎士長の防御結界すら、そうだったのだ。リクトはひやりと肝が冷えるのを感じたが、爆風は幸いにも皇帝たちには届かず、微かな衝撃が体重の軽いシアリーズやアウロラの足元を蹣跚とさせただけだった。
瞬間的なリクトの緊張は緩和されたが、まだ気を抜いていいという訳ではない。襲撃者のフェイルノートには、当然次弾があるに違いない。
ジフト製の魔導具を──それも、戦時中もジフトの外には出回らなかった強力なものを使用しているという事は、やはり襲撃者はジフトの残党だろう。戦後派の思想家集団も警戒の対象ではあったが、民間から新たに現れた者たちがフェイルノートまでを密かに手に入れられたとは考えにくい。
警備とは、万が一の時に備えて動員されるものだ。皇帝も自分たちも、このような事が起こる可能性はゼロではないと想定しつつも、いざこのような事態が起こってから、やはり来たか、という思いで対処に当たる訳ではない。最初から確実に敵が来ると分かっているのなら、そもそも式典など開かない。
落ち着け、とリクトは自らに言い聞かせた。式典を取りやめてしまう程ではない可能性でありながら、決してゼロではないリスクの為に、自分たちは動員されているのだ。危機の兆候が表れた時、すぐに対応出来るようにする為に。
「くたばれ、フレデリック!」
「やめろ! 閃光破!」
トゥールビヨンを突き出し、リクトは目捉した刺客の一人を横から貫いた。ステージに向かって構えられていた籠手型の射出装置が、適切なタイミングで矢を放たなかった為にエネルギーの暴走を起こしたらしく爆散する。
反射的に顔を背けてから、改めて倒れ伏したその刺客を見た。
傷痍軍人らしく、顔には無数の切創や、火傷で爛れた皮膚の治ったらしい痕が痛々しく残っていた。しかし、服装は民間人のものと変わったところはなく、一瞬、間違えて聴衆を攻撃してしまった訳ではないよな、と不安になった。
それもそうか、と思う一方で、無意識のうちに眉根が寄っていた。これでは、人混みの中で誰が刺客であるかを見極める事は難しい。相手が攻撃の動作を見せれば一発で分かるが、それは逆に言えば、敵の方で動き出すまでこちらからは手を出せないという事でもある。
「リクト・レボルンス!」
声を掛けられた。そちらを見ると、金色のマントを靡かせたマロン=エキュレットが愛剣を手に駆けて来るところだった。




