『リ・バース』第二部 第7話 Rebirth④
③ アウロラ・ド・ゲネラッテ
続いていた雨催いの空が飛ばされるように去ると、夏は暴漢の如く荒々しくやって来た。
季節が明確に変わっても、晩春以来アウロラの胸中に渦巻き続けていた、どうしよう、という思いが去る気配は一向に見えなかった。
六月の間に、アウロラは二十歳になった。姉シアリーズの誕生日は自分よりも後なので、現在は姉も自分も同じ年齢だ。アウロラの考えとしては、一歳差などは誤差のようなものでしかなく、姉は自分より先に生まれたというだけだ。
今年の誕生日にも、マロンからのプレゼントはなかった。今まではそれが当たり前の事であり、それで殊更に落胆したりするような事もなかったのだが、今年はその事が非常に胸を疼かせた。
リクトからは、例年通りプレゼントをされた。二十代になったという事で、今までよりも少し大人向けになった香りの香水で、今年は城への出入りが原則禁止となっているライガの分も合わせてだと彼からは言われた。
彼としては、アウロラへの誕生日プレゼントはライガやカルマ騎士団のノレム・ピックルスに対して贈るもののように、婚約者であるシアリーズに対してのそれのような特別なものではないようだ。それでもアウロラは、想いを寄せるリクトからの贈り物には毎年心がときめいていた。
しかし今年は、やはり嬉しいと思う一方で、それにすら得も言われず切ないような情緒が誘われてしまった。
やはり、自分は意識しているのだ。フェラーリの花園で、マロンから直接言われた事を。また、彼に対してライガの言っていた事を。
(……私、このままでいいの?)
五月、六月が過ぎ、七月ももう下旬に入っている。フェラーリでの一件があって以来、アウロラの時間は戦時中に感じていた以上の速さでいたずらに過ぎ去って行くようだった。
リクトたちの正騎士叙勲は、もう来年に迫っている。それが済めば、リクトとシアリーズは正式に婚姻を結び、リクトは晴れて皇太子となる。その後は自動的に、アウロラとマロンの結婚も行われるのだ。
結婚自体は、動かせない予定だ。しかし、このままそれが行われれば、その先にあるものが決して穏やかな未来でない事は明らかだった。
姉とリクトが結ばれたとして、もしもマロンが、立場を超越して自分を一人の女として愛してくれたのなら、自分は嬉しいと思うだろう。ライガは、アウロラの事について「愛されて幸せになっていい」と言っていた。
しかし、自分からそうする事も出来ないのに、彼の方にだけそれを求めても叶うはずがないのは当たり前だ──。
「姫様?」
カレンデュラに声を掛けられ、アウロラははっとした。
慌てて顔を上げると、目の前の化粧台の鏡に自分の顔が映っていた。いつもより念入りにメイクアップが施され、何処か大人びていて、あたかも姉を見ているような気がする。
たかが、一歳差だ。誕生日も、十二ヶ月以上離れている訳ではない。だが、自分の顔も少し大人っぽくなるだけでこれ程姉に似るのだ、と思うと、つくづく普段の自分は幼い顔をしているのだな、と感じられた。
椅子に腰掛けた自分の頭の、すぐ後ろにカレンデュラの顔があった。鏡の中の彼女は、前を見て映ったアウロラの顔ではなく、実物の顔を見ようとしているらしく伸び上がって顎を引いていた。
「そんなに俯かれては、お髪が上手く結えませんよ」
「あ……ああ、ええ。ごめんなさい、カレン」
アウロラは視線を前方に戻し、顔を固定する。カレンデュラは心配そうに、指抜きを嵌めた手を額に当ててきた。
「ご気分が優れませんか?」
「いえ、違うの。ちょっと、考え事をしていて」
「式典の事ですか? 大丈夫、騎士団の入団式の時みたいに、姫様はただ座っているだけで宜しいのですよ」
「そうなんだけどね……」
アウロラは、一足先にヴァイエルストラスに向かった騎士たちの事を考える。その中には、リクトやマロンら、騎士見習いたちの中で訓練課程の上位成績者たちも多く含まれていた。
ジフト戦役の終結から一年が経つという事で、旧公国の首都であり現在は天領となっているヴァイエルストラスで、平和祈念式典が催されようとしていた。
今から化粧をしても、ここユークリッドからヴァイエルストラスまでは馬車で四日程掛かる。その間には当然風呂にも入るし、メイクを落として就寝する。わざわざ出発時に念入りに化粧を行う必要性はないのだが、今アウロラがそれをして貰っているのは、カレンデュラから「練習させて下さい!」と頼まれたからだ。皇女とメイドで天と地程に身分に差のある自分たちだが、カレンデュラがこのように自分に頼めるのは、自分たちが主従関係である以前に同年代の友人である為だ。
姉にすら相談出来ない事でも、アウロラはカレンデュラにであれば打ち明ける事が出来る。それでも、誰に対してという訳ではなく、そもそも自分の気持ちを外に出すという事自体が苦手なアウロラは、往々にして堪えきれなくなるまでそういったものを溜め込んでしまう。
そしてカレンデュラは、そのようなアウロラの性格を知っているからこそ、こちらに元気がないと敏感に察知する。
「……式典中に、マロン様とお顔を合わせるのもハードルが高いですか?」
やや躊躇いがちに、控えめに確認するようにそう問うてきたカレンデュラに、アウロラはこくりと肯いた。
ここ最近はずっとそうだが、今アウロラがマロンの事を考えているのはこの為だった。三ヶ月間、口を利くどころか直接顔を合わせてすらいない──フェラーリで購入した花水木の鉢は贈ったが、それも郵送して貰い直接手渡した訳ではなかった──彼と、式典では否応なく会わねばならない。彼ら騎士見習いも、当日は会場の警備に参加するのだ。
いつまでも、韜晦し続ける訳には行かないという事は理解している。しかし、また会ったところで何を話せばいいのだろう?
「皇族批判になってしまうかもしれませんけど、陛下も陛下ですよね。マロン様が姫様に何て言ったのか、ご存じない訳がないじゃありませんか。ライガ様は殴り掛かったといいますし、デルヴァンクール騎士長はその顛末を陛下にお聞かせしなかったとは思えませんし」
何年が経とうとも、例の一件に対してはカレンデュラの腹の虫は治まらないようだった。アウロラ本人以上に憤慨するのでこちらが困ってしまうが、彼女は自分に代わって怒ってくれているのだと思うと何も言えない。
「だけどね、カレン」
アウロラは、ついマロンを庇うような事を言ってしまう。
「マロン様だって、本当は優しい方なのよ」
「優しいですか? 私は、そうは思えませんけど……なんか、ずっと怒っているみたいですし」
アウロラは、ライガがマロンに、何故リクトからの誘いに乗り、アウロラと共に外出する事を拒まなかったのか、と尋ねていた時の事を思い出す。
マロンは、フェラーリで直接自分に、彼自身が抱え込んでいた鬱々とした感情を吐き出した。アウロラが今までそうしてきたように、将来婚姻を結ぶ自分たちの関係が崩れないように、という事を彼が考えていたとは思えない。そもそも、多少二人で時間を共有したからといって長年の問題が解決するなどと、甘い事を考えられる程彼は子供ではない。
ライガは、そんな彼に言った。
──何でお前は、今日リクトからの誘いに乗った? なかった事にしたいなら、何でアウロラと一緒に居る時間を作るのを拒否しなかったんだよ?
──お前、本当は今日、彼女に来て欲しかったんだよな?
(あの時……)
アウロラは、この事を思い出す度に考えた。
(あの時、マロンは否定をしなかった)
それだけが、一縷の希望だった。
自分が、そう思い込みたいだけかもしれない。ややもすれば、それは自己暗示のようなものに過ぎない考え方かもしれない。
だが──。
「カレン、私ね……こんな状態なのに、まだ彼を好きになれそうな気がするの」
畢竟そういう事なのだろう、と思いながら、アウロラは言った。
「………」
カレンデュラは、言葉を探すように口を噤む。やがて、
「それは、姫様ご自身の為に──ですか?」
大事な事を見定めるかのような調子で、そう尋ねてきた。
アウロラは、そうなのだと信じるつもりで肯いた。
「本当に彼の事を嫌っているのなら、私はそのままはっきり『嫌い』だと言ったと思う。たとえ、将来自体は変えられないとしても……カレン、あなたになら、そう打ち明けられたはずよ」
「姫様……」
カレンデュラは少々の沈黙の後、
「……そうかもしれませんね」
微かに口元を綻ばせた。
「ただ、誰かの決めた婚姻の為に姫様が努力なさっているだけだったら、きっと姫様も、マロン様が六年前に言ったあの言葉を聞いて、怒ったと思います。彼に、お二人の関係の為に尽くそうという気持ちがまるでない事を──頑張っているのは自分の方ばかりだ、って」
──そう思う気持ちは、確かに自分にもあったけれど。
「だけど、姫様は怒るよりも先に、傷つきました。それは、姫様はお優しい方ですから、そういう気持ちの方が先に出てしまうという事かもしれませんけど、それでも私は違うと思います」
「私、自分でもよく分からないの。好きになりたいって、どんな気持ちなのかな、って」
「そうですねえ……」
カレンデュラは、アウロラの髪を結う手を止めて口元に人差し指を当てた。
「私も、今まで男の人と付き合った事はないので、上手くは言えません。皆には内緒ですけど、昔から何でか、私が気になる人は女の子ばっかりで……だから、あんまり信用はしないで頂きたいんですが。私は、それってきっと、好きになる為の弾みを溜め込んでいるって事なんじゃないかな、と思います」
「弾み……か」
繰り返してから、アウロラは胸に手を置いた。
その言葉は、自然にすっと自分の中へ落とし込まれていくようだった。
「だって──そんな気持ちが微塵もない人に、好きになりたい、なんて思うはずがないと思いますもの。同語反復ですかね」
「いえ、分かるわ」
アウロラは、鏡に映らないように気を付けながら仄かに微笑んだ。
──そうなりたいと思っている時点で、自分は既に、彼の事を特別に想い始めている。他の誰の為でもなく、自分自身の為に。
──それはまだ、他の人が使う程はっきりとした言葉で、「好き」という名前のつけられる気持ちには及んでいないのかもしれないけれど。
「ありがとう、カレン。何か、少しだけ分かった気がする」
「いえいえ、どういたしまして、姫様」
カレンデュラは少々はにかみ、背後からアウロラの両頰に触れた。
「マロン様は確かに、私のタイプの男性ではありませんけれどね。姫様が信じられた方なら、きっと大丈夫だと思う事にします」




