『リ・バース』第二部 第7話 Rebirth②
② マロン=エキュレット・エルヴァーグ
「夜空刃!」
鳩羽色の刀身が閃くと、鍔迫り合いを行っていた同輩ゼムン・タッドポールは吹き飛ばされ、黒酸塊の茂みに背中から沈み込んだ。
「真面目にやれ!」
マロン=エキュレットは苛立たしげに怒鳴る。ゼムンは頭がくらくらする、というように額を掌底で押さえ、起き上がると同時にちゃっかりと生っていた実の一つを捥ぎ取り、口に入れた。
ユークリッド中央区、一等住宅地「丘」の麓に建つ自宅、エルヴァーグ邸。その庭で、マロンを始めファタリテの騎士見習い十数人は自主訓練を行っていた。今日は休暇で、獅子宮の訓練場も先月末の決選投票の末に新たな元老長に決定したナサニエル・ヤーツが報道者たちを集めて就任演説を行う事になっていた為、使用出来なくなっている。
ジフト戦役により、前回の選挙で再選してから任期を過ぎても元老長を続け、実質三期分を務めていたトゥルダ公ヴァイデオ=ラッツの引退に伴い、行われた選挙戦の結果はヤーツの圧勝だった。先の戦いで国民を代弁するかのようにジフトに毅然とした態度を取り、開戦後のソレイユ王国の帝連復帰の際には、ベズー会談で向こうとの交渉を成功に導いた、という事が多くの票を獲得する要因となった。
彼が就任演説をファタリテの管轄宮である獅子宮で行う事には、ヤーツ家の親戚であるエルヴァーグが代々騎士長を務めるファタリテの正統性を印象づけるという狙いがあった。
最近、ヤーツの御曹司であるドーデムとプライベートで話す事はあまりないが、周囲から議員の──もう元老長か──に関する噂は入ってくる。特に、終戦直後からずっと議論が続いている隕命君主、ライガ・アンバースを巡る問題に関連する内容が多かった。
ライガが生ける屍シュラ・イスラフェリーを伴って城に現れ、騎士たちを脅迫した今年一月以降、騎士団の中で、大戦の英雄でもある彼を処刑すべきか否かという問題に於いて、死霊化者としての処刑を是とする意見の方が優勢になっていた。あれ以降ライガはデルヴァンクール邸で大人しくしているが、あの時もリクトが止めに入らなければどのような事になっていたか分かったものではない。
ナサニエル・ヤーツは、死霊化術を使用した者は死刑という従来の規定に超法規的な措置を用いる必要はないとし、処刑推奨派の筆頭となっていた。これもまた、時流を読む事に長けたヤーツらしい立場といえばそうだ。
それにより、彼の派閥に属する議員の多くが、ライガの免罪を主張する莞根士アルフォンス・デルヴァンクールと対立姿勢を示している。こちらは軍事の最高指導者であり、ライガと同じく大戦の英雄として力を持っているが、ライガは彼の養子なので彼の具陳には私情が含まれているのではないか、という疑念の目が向けられている事も事実だった。
──また、フォルトゥナ派とファタリテ派の対立だ。
派閥が絡む論争となると、毎回必然的にこの分かれ方をする。だが、無論両者とも相手の事を、悪の派閥である、悪の騎士団である、というような捉え方をしている訳ではない。
父ロディは、当然のようにヤーツを支持している。マロンは父がヤーツの話題を出す度に賛同するような相槌を打っているが、実際のところはライガの処刑が決まったら、自分はそれをファタリテの力が強まっている証左だとして手放しでは喜べるだろうか、という疑問はあった。
ライガ・アンバース──彼とは、どうにも反りが合わない。
少年時代から、彼の事は気に入らなかった。卓抜したセンスを持って生まれ、本来貴族ですらないにも拘わらず筆頭騎士長の養子となり、将来を嘱望されていながらも不真面目な態度を取り続ける彼が。
一方でライガも、こちらの事をあまり虫が好かないと思っているようだった。訓練課程に入学して最初の年には、遂に喧嘩となって歯を折られた。
何より気に食わないのは、彼がお節介だという事だ。こちらの心の中に、土足で容赦なく踏み込んで来る。二ヶ月と少し前、シアリーズ姫とリクト・レボルンスの提案により、彼らとアウロラ姫と共にメゾン・デュー国、フェラーリの花園に遠出した時もそうだった。
──アウロラ姫が愛しているのはリクトだ、だけどそれも当たり前だ。
──エルヴァーグの為、父親の為って、じゃあお前の気持ちは何処にあるんだよ?
──お前本当は今日、彼女に来て欲しかったんだよな?
彼の言葉を一つ一つ思い出すと、腹が立ってくる。しかしその一方で、それらの言葉にどうしようもなく、心の深い場所をちくちくと針で突かれるように刺激される自分が居た。
その事が何よりも、ここ最近ずっとマロンを苛立たせていた。
周囲との付き合いも、その為に悪くなったと思っていた。
例えば、今この時ですらも──。
「俺は、今日は自分の訓練を行うはずだったんだ! お前たちの稽古をつける為に予定を立てたんじゃない! 余計な事を考えて身が入らないようなら、今すぐ帰ってくれ。他人の時間を無駄にするな!」
よろめきながら茂みから出てきたゼムンに、マロンはそう叫んだ。内心では、そこまで怒鳴る必要があるだろうか、と自分でも疑問に思っている。
ゼムンはかっと顔を紅潮させたが、すぐに憮然とした様子でそっぽを向く。ヤーツの家臣である下級貴族の彼やエッガ・セルは、ヤーツの本流であるエルヴァーグ家の長男マロンにあまり強い言葉を浴びせる事は出来ない。
それを理解している自分が、マロンは自分でも気持ち悪いと思った。
その時、
「余計な事で頭が一杯になっているのは君の方じゃないのかい、マロン?」
四阿の下の日陰に佇んでいたドーデムが、腕を組みつつ嫌味な口調で声を掛けてきた。その後ろでは、シノパ・ボルヒエナとニムラ・ヒュバキオン──普段マロンに取り巻きの如く付いて回っている者たちの二人──が、早いうちにドーデムを止めるべきか否かという事に迷っているらしく、おろおろとしている。
その間に、ドーデムはつかつかとこちらに歩みを進めて来た。
「あの戦争を経験しながら、まだへなちょこぶりの抜けていないゼムンや君の”お友達”連中にも問題はあるのかもしれないけどね、僕の目をごまかせると思ったら大間違いだよ。何だい、君のその目茶苦茶な太刀筋は? 終戦から一年経って、退化してしまったんじゃないか? 匍匐獅子の息子が聞いて呆れるね、僕はこれまでこんな君に、対抗意識を燃やしていたのか」
「何?」
マロンは、挑発だと分かっていながらかっとなった。神経を逆撫でするような事をわざと言うのはこの男の悪癖だ、と思い、これまでは受け流していた事が、何故か今日は我慢出来なかった。
いや──何故か、などというのは韜晦だ。理由は分かっている。
図星を突かれたからだ。自分は今、感情のコントロールが上手く行っていない。それを彼らに向かって叩きつけているから、自他共に認める決して悪くはないセンスが発揮しきれていない。
だが、神経が苛立っている中で、実際に自らを理解しようとしない者たちの言動がそれに拍車を掛けている事も事実だった。
「ドーデム・ヤーツ、お前に俺の何が分かる? 勝手に付きまとって、知ったような口を利くのはやめろ」
「分かるさ。これまでずっと──」
ドーデムは言いかけ、はたと口を閉じた。
マロンには、彼が続けようとしたその先の台詞が、すぐに克明に想像された。きっとそれは、彼の自尊心が決して言わせる事のない言葉だ。
──これまでずっと、僕は君の居る場所へ近づこうとしていたのだから。
自惚れではない。先程の彼の台詞が、それを物語っている。
同じカテゴリの武器を使い、同じ剣技を発動するのであっても、その太刀筋は剣士によって細かな差異があり、千差万別といってもいい。剣士は自らの傾向、センスを自然に理解するもので、だからこそ自身が本調子でない時にはそれがすぐに自覚出来るものだが、他者のそれを理解する事は難しい。
剣の振り方や立ち回り方に、決定的な特徴があるという訳ではない。マロンとドーデムの動作を並べ、その差異をリストアップしたとしても、それが両者のアイデンティティそのものという事ではないのだ。個人のセンスの違いを理解するには、それこそ第六感とでも呼ぶべき直感の鋭さが必要となる。
実際に、マロンが自宅で自主練習を行うと言った為に着いて来、いつの間にか自分に決闘の相手を申し込んでは玉砕しているこの同級生たちが、マロンのセンスが彼ら自身とどう違うのか、理解しているとは思えない。マロンが「態度に苛立ちが滲んでいる」という表面上一目瞭然の事を除けば、いつもの調子でない事も。
しかし、ドーデムだけは違った。彼は先程、最近のマロンの太刀筋について「目茶苦茶だ」と言った。ジフト戦役終結の後、退化してしまったのではないか、とも口にした。
対抗意識を燃やしていた、というのは本当だ。何故なら彼は、家名こそ現在ではヤーツになっているものの、エルヴァーグ家の嫡流の裔は本来自分である、と考えているからだ。
帝祖、獅子心王テオドールが帝国を建国してから──五人の英雄が現役だった時代から、まだ九十年と少ししか経っていないのだ。獅牙卿スペラエア・エルヴァーグはマロンの曾祖父で、多少長く生きていれば自分と顔を合わせ、言葉を交わしていたとしてもおかしくはない。だから、何故ヤーツがそのような解釈を行うのか、そもそも嫡流は何を以てそのように呼ばれるのか、マロンには分からない。正直、ヤーツのナサニエルやドーデムが考えている程、自分たちエルヴァーグは彼らと正統性を巡って競ってもいない。
それでも、ドーデムはともすると、往々にしてマロン本人以上にこちらの事を鋭く見抜いている事がある。
今回、獅子宮の訓練場が使用出来ない中、マロンが自主練習を行うという話を耳にし、いつも腰巾着のように率いているゼムン、エッガを連れて着いて来たのも、こちらに後れを取りたくない、という思いがあっての事だろう。ライガやリクトに対してもそうだが、彼は自分より高い能力を持つ者を、認めたくないが認めざるを得ないという時にはわざと見下したような不遜な態度を取り、自らが高みに立っているような気分になるよう自分自身すらも騙す。だが、本当にこちらを毛嫌いしているだけなのであれば、わざわざ休日にまで関わろうとはしないはずだ。
「ゼムン、気にする事はないよ。マロンは君に、ただ八つ当たりをしているだけなんだから」
ドーデムは咳払いすると、ゼムンの方を見て聞こえよがしに言った。これ以上マロン本人と話すとぼろが出ると思ったらしい。
マロンは、増々かっとして反駁しようとし、口を噤んだ。自らの苛立ちについては自らが最もよく理解している為、何とか冷静になる事が出来た。あまり感情のままに振舞えば、恥を晒す事になる。
しかしその時、自分の代わりに取り巻きの一人が「おい」と声を発した。
「ドーデム、お前少し調子に乗っているんじゃないか? 父親が元老長になったからって、自分まで偉くなったと思っているなら大間違いだぞ」
「お前、ドーデム様に向かって」
最も彼に近い位置に居たゼムンが、ドーデムを庇うように前に出る。その後ろからエッガが続いてのそりと進み出、黙って彼らのやり取りを見ていたフォースタス・ハントも控えめではあるが木陰から出てきた。
ドーデム本人はきょとんとした表情を浮かべていたが、やがて不敵そうな笑みを浮かべた。
マロンはそれを見た瞬間、唐突に馬鹿馬鹿しくなった。騎士長の息子に取り入ろうとして盲目的に集って来る自分の取り巻きたちも、同じように取り巻きに囲まれて恥じるところのないドーデムも、彼らがマロン本人の現在の複雑な心境など微塵も顧みずに自分たちで喧嘩を始めようとしている事も。
彼らが、寄って集って自分の時間を食い潰しているような気がした。これでは休んでいても何も変わらない。
「……下らない」
マロンは、沈黙の帳が降りると同時に吐き捨てた。
「そのような無駄な事に時間を費やすなら、他の場所でやってくれ。俺はもう、お前たちには付き合っていられない」
言い、誰かが何かを発言する前に身を翻す。剣を鞘に納め、もう皆との訓練を続けるつもりはない、という意思を表明した。
ドーデムたちは無論、こちらを庇おうとして割り込んできた者も、事態がその者にとって悪くなるようなら自分たちも動こうと身構えていたらしい者たちも、皆唐突にマロンが起こした動きに、きょとんとしたような表情を浮かべ、一様に自分の方を見つめていた。
やがて、真っ先に我に返ったらしいドーデムが
「逃げるのか!?」
また挑発するように声を投げ掛けてきた。
マロンは額に皺が寄るのを感じたが、無言で拳を握り締め、振り返る事はせず屋敷の中へと引き下がった。




