『リ・バース』第二部 第7話 Rebirth①
① リクト・レボルンス
帝暦九一年七月頭。白羊宮、地下牢。
その独房の内側には、フォルトゥナ騎士団の魔剣士たちによる防御結界が階層構造を成して展開されていた。壁際にはアルフォンスやイザーク教官、ヴォルノ副騎士長を始め、フォルトゥナの中でも腕利きの者たちが居並び、いつでも抜剣出来るように油断なく各々の剣の柄に手を掛けている。
彼らは皆、赤い布のマスクをきつく鼻と口に巻きつけていた。アルフォンスの横に立つリクトも、それは同様だ。
リクトは、まだ騎士見習いの自分がこの場に立ち会って大丈夫なのか、という事をアルフォンスに尋ねていた。が、アルフォンスはそれに対し、
「君には、これを見届ける権利がある」
とだけ言い、それまでのように、正騎士と比較して経験も実力も遜色ない、などといった理由を述べる事はしなかった。
リクトはそこに、アルフォンスの語られない覚悟を見て取ったような気がした。もしも今回の試みが失敗した場合──失敗するだけに留まらず、取り返しのつかない事態を招いた場合、彼らがせねばならない事に対する。
そして、その際にもしもライガが抵抗したら、彼に対して取らねばならない措置について──。
「世の陰に在りし隕命の眷属よ、我が招きに応じて死地に集え……」
ライガが、招喚魔術の詠唱を行っている。赤黒い魔方陣が出現し、その光が薄暗い地下牢の中を耿々と照らし出す。
来る、と思い、騎士たちが一様に息を詰めた。
魔方陣の中から、唸り声と共に小柄な人影が出現する。襤褸と化した病人用のガウンを纏った十歳前後の子供の生ける屍──シュラ・イスラフェリー。
「ウウウウウウ……ッ!」
白目を剝いたその顔貌を見、リクトは痛々しさを覚える。リクトは生前のシュラの姿は、帰らずの地にライガが作ったイスラフェリー一族の生き残りたちの村落アンバース・ヴィラージュで一度見たきりだ。あの時彼は、ライガにすら十分に心を開いておらず、ただ不安と警戒を色濃く浮かべているだけだった。
ライガからは、あれからシュラはちゃんと笑うようになった、という事を聞かされた。父親の死や故郷を追われた事を、完全に心の中で整理出来ているとは言えないにせよ、新たな生活を受け入れ、新たな友人となったライガや他の子供たちと共に徐々に前を向けるようになりつつあった時、悲劇は襲って来た。疫病と、帝連軍による旧ジフトの残党狩りという。
ライガが彼を生ける屍とした事を、リクトには良かったのか悪かったのか判断する事が出来ない。そうしなければ、シュラは死んでいた事は事実だ。しかし、それを言うのなら、死霊化術を受けたのだから彼はもう死んでいる、と言う事も出来る。というより、確実に死亡したという扱いになる。
今動いている彼は、ただ死後も境界に還る事が叶わず、この世に繋ぎ留められているだけだ。しかし、それを理性では認めつつも、感情では「死んだもの」と見做せない自分が居るのはリクトも同じだった。
唸り声を上げるシュラの口元から、黒濁した息は漏出し続けていた。死に至る病をもたらす瘴気──吸い込んだ人間にも死霊化術と同様の効果を与えるもの。シュラはこの降霊術「死の舞踏」を、自ら解除する事が出来ないのだ。
「シュラ!」
彼を招喚したライガが、落ち着かせるように両手を挙げた。
「俺だよ、忘れちまったか?」
「ビュウウウウウッ!!」
「駄目だ、暴れちゃ駄目だ! ……そうだ、いい子だな」
彼の言葉が、通じている訳ではない。彼とシュラとの間には主従制約があり、シュラはそれによってライガの意思を読み取り、使役術に基づいてそれに従っているだけだ。
リクトは、ともすれば彼に自我の可能性を見てしまう事──魔物招喚術でいうところの、使役者が戒められるという「擬人化」──を防ごうと、ぐっと拳を握り込んで理性を繋ぎ留めようとする。
怨霊の”自我”を、生前の人格を呼び起こすのはこれからだ。
ライガはシュラが徐々に落ち着くと、その場に座るように促し、その額に右掌を翳した。
「彷徨える魂魄よ、汝が器は汝自身のものなり……」
死霊化術の招喚と同じく、この成句も詩文ではない。それを捧げる対象はプログラムではなく、怨霊本人だ。
ここ半年に渡って、彼がずっと試行錯誤を重ね、開発に勤しんできた降霊術だ。激しい苦悶と怨念に支配され、闇の底に埋没してしまった魂の記憶を──紛れもなくまだこの世に存在する”個人”を、呼び覚ます為の力。
シュラの額に、彼の感応を表すのだろう、青海色の魔方陣が展開した。
「再誕」
ライガが囁くように言う。魔方陣は回転し、ゆっくりと溶け込むようにシュラの眉間へと吸収されて行く。
刹那、その矮躯がびくりと震えた。輪郭を縁取るように、淡い発光が生じる。シュラは目を見開き、喉の奥から掠れた息のような声を零し始めた。
一見するとそれは、苦痛に呻いているかのようにも見えた。
「シュラ!?」
ライガは彼に呼び掛け、すぐに翳していた掌を引っ込めて彼の両肩を掴む。その背中に滲んだ焦燥に、リクトは胸郭の内側で心臓が大きく跳ねるのを感じた。周囲のアルフォンスたちの空気も強張る。
──失敗したか。シュラは、また暴れ出すのではないか。
もしもそうなった時は、とリクトは思い、下げたままの右手に霊力を集めた。
失神術を発動するつもりだった。もしもここでシュラを倒さねばならなくなったとしても、ライガにはそれを見せたくなかった。城に再び現れた時のように、我を忘れてアルフォンスたちを攻撃するのではないかという懸念よりも、彼の良き弟分のような存在であったシュラが──怨霊と化さしめてでも生存を望んだ少年が目の前で動かなくなる、否、死ぬところを見せたくない、という思いの方が、リクトの中では勝っていた。
「……デルヴァンクール騎士長」
小声で、隣に立つアルフォンスに囁き掛けた。自分が動くべきか、という事を問おうとしたが、彼はそれよりも早く「いや」と制した。
「少し待て」
「しかし──」
リクトは言い、再びライガとシュラの方へ視線を向ける。
ライガは瘴気を直接顔に浴びないようにしながら、痩せたシュラの体を強く抱き締めていた。シュラは彼に抱擁を返すように双腕を彼の胴の両側から伸ばしている。その爪が、鋭く彼の背の布地を切り裂いた。
ひやりとした。シュラは爪の先からも瘴気を出す。あの状態でそれが起こったりしたら、ライガは死ぬ。
「ライガ!」
堪えきれなくなり、リクトは叫んでしまった。
が、その次の瞬間だった。
「………!?」
ライガが、息を呑む音を発した。シュラの喉から迸っていた苦しげな喘鳴が次第にフェードアウトし、その体が発していた燐光めいた輝きも小さくなり、ライガの体に覆い隠されるように見えなくなる。
やがて、その項ががくりと後ろに垂れた。
「シュラ! シュラ、しっかりしろ!」
ライガは、がばりと身を起こして少年の肩を揺さぶった。
やはり失敗か。怨霊となって摩滅していたはずのシュラの魂は、過度な干渉によって崩壊してしまったのか。それでもリクトには、最悪の事態だけは防げた、と思ってしまう自分を否定は出来ない──。
「……ガ」
小さく、シュラが声を出した。
「………!? 何だ? シュラ、今何て──」
「ラ……イガ。ライガ、そこに……そこに、居る……の?」
七ヶ月間、言葉の発される事のなかった喉から零れた声は、酷くか細く、乾燥していた。しかし、それでもそれが意味を持った言葉を紡ぎ出した時、見守っていた騎士たちは一様にどよめいた。
驚愕──一瞬のそれを経て、歓喜へ。
「シュラ! お前……お前は……!」
ライガが、再び強く彼を抱き締める。リクトは緊張から解放され、腰が砕けてその場にへたり込みそうになった。
それでも、自分の中にも強い歓喜がある事を認めていた。
「痛いよ、ライガ──って、あれ? 痛くない……? ライガ、ねえライガ、僕、どうしたんですか? 確か、治療小屋に寝ていたはずじゃあ……?」
段々と声がはっきりしてくる。ライガは彼を抱擁したまま頭を振った。
「大丈夫だ。シュラ、お前はもう大丈夫だ」
声が濡れている。それを聞いているうちに、リクトは自分の目にも涙が込み上げてくるのを覚えた。
「リクト」
アルフォンスが、肩に手を置いてくる。「行ってあげなさい」
はい、と返事をし、リクトは友の方へと歩み寄った。
* * *
「『再誕』で蘇った自我ですが、これは決して、生ける屍となった人間が生前と同じ生涯の続きを歩み始めた、という事を意味するものではありません」
一頻り喜んだ後、ライガは落ち着きを取り戻し、集まったアルフォンスたちに説明を行った。リクトを含め、騎士たちは地下牢の床に腰を下ろし、彼の話す内容に耳を傾けた。
「生前の人格の変化は、魂の器である肉体が”死”を迎えた時点で完全に停止しています。今シュラに蘇った人格は、魂の記憶として刻まれていた、いわゆる残滓のようなものです。もう成長はしませんし、大きく変化する事もありません。但し魂自体があるという事には違いないので、魔術を教え込めば、それを模倣された才能によって消化して刻み込む事は可能なはずです」
「手放しで『生き返った』と喜ぶ事は出来ない訳だね」
アルフォンスはやや複雑そうに言ったが、ライガは静かに「事前に分かっていた事です」と返した。
「死は、不可逆的な現象です。そこだけは、何があっても変えられません。境界転生や、非忘却者への転生といった魂の循環に関わる異常を除いてね。それらの場合であっても、肉体は本人のものではなくなる訳ですし」
「それもそうか。もし本当に死が克服出来てしまったら、死霊化術は禁術ですらなくなるだろう」
「シュラも、本質が怨霊である事には変わりありません。ただ、怨念を自力で制御する為の理性が戻ったというだけです。過度なストレスを与えたり、魔術的な制約上の主人となっている俺に危機が迫れば暴れ出すはずです。それに──『死の舞踏』の常時発動にも変化はありません」
ライガは言ってから、「残念ですが」と付け加えた。
「リィズや他の皆と対面させる事も、難しいと思った方がいいですね」
「それじゃあ」
リクトは、挙手をしながら問いを発した。
「彼にはこれから、何処に居て貰えばいい?」
「可哀想だが、帰らずの地で生活して貰う外ないだろう」
ライガは言い、背後で不安そうな顔をしているシュラを振り返った。
「ごめんな、シュラ。でも、あそこにはまだお前のお母さんやお祖母ちゃんが居るだろう? そのうち、皆にも『再誕』を掛けに行く必要がある」
「ライガ、ちゃんと来てくれる?」
「ああ、時々そっちに様子を見に行くよ。他のお友達の事も、宜しく頼むな」
「分かりました。……メルシー、ライガ」
シュラは言うと、ぺこりと頭を下げた。足元に、現れた時と同様赤黒い魔方陣が広がって彼を包み込む。彼の姿が完全にその中に見えなくなると、魔方陣はふっと消滅した。ライガが招喚を解除したのだ。
彼はこちらに向き直り、「そういう事です」と言った。
「俺の自己満足だって言えば、身も蓋もない話なんですが……アンドロメダさんやラケルさんが人格を取り戻したとしても、彼らはもうものを食べる事もないし、生活が戻る訳じゃない」
「けれど、シュラ君はいい子だね」
アルフォンスの言葉に、ライガは辛そうに肯いた。
「本当にいい子なんですよ、彼は。こっちが、気の毒になるくらいだ。……生ける屍は、自然死する事はありません。いつまでも帰らずの地で、する事もないまま飼い殺しにするのかという事も考えねばなりません」
「……迷っているのかい、残りの者たちに『再誕』を施しに行く事を?」
「正直に言えば──そうです」
ライガは、微かに俯いた。
「死霊化術で生み出された怨霊は、術者の死後も消滅しない。しかし、使役術で効力が上書きされていれば消滅する。それじゃあ、『再誕』は? この魔術で自我を取り戻した者たちはどうなるのでしょう? もしも──」
そこで切られたライガの言葉の続きを、リクトはすぐに悟った。悟って、どうしようもなくやりきれない気持ちになった。
──もしも、自分が死んだ時に彼らをも道連れにする事になるのなら。
──自分が「再誕」を開発した事に、本当に意味はあったのか。
ライガが本気で、半年という時間をこの研究に注ぎ込んできたのは嘘ではない。だがそれと同時に、彼が思い悩んできたのも事実なのだ。
禁術を使用し、騎士たちを手に掛けた自分は罰を受けるべきなのではないか、という。今はアルフォンスが、騎士団の中でも、元老院に対しても、懸命に自分の弁護を続けてくれている。しかし、もしもそれで彼が苦しい立場に立たされるような事があるとしたら、自分は皆の決定を受け入れ、反逆者として処刑される事になったとしても文句は言わない、と。
リクトは、そのような事を自分が受け入れられるだろうか、と思った。
いや、受け入れられないに違いない。
(だけど彼が悩んでいるのは、きっと自分の事でなんかじゃない)
もしも、彼が処刑によって死を迎える事になった時。
その時に、彼が生ける屍に変えてまで助けようとしたアンバース・ヴィラージュの人々は、どうなるのだろう。
それ以前に、自分が死霊化した者たちは、そのような形で助けられてまで、この世に留まり続ける事を望んでいるのか。消滅してしまった魂が、その後苦しみを感じるとは思えないが、それでも死を──自分自身の消滅を恐れるのは、生物の根源的な本能だ。
ましてや、魂そのものの消滅など。
「……しつこく言うようだが」
アルフォンスが、周囲の騎士たちを見回してから言った。
「何をしろという事も、私は言わない。ただ、私たちの所に居てくれるだけでもいいんだぞ」
「ありがとう、おじさん」
ライガは、プライベートな呼び方で彼を呼んだ。
「だけど、俺は──本当のところ、死ぬつもりでいたんだ。だけど、『再誕』を実際に使ってみて、シュラと喋って分かった。もしも俺が死んだ時、使役術に基づいてあいつが一緒に居なくなるっていうなら……俺は、ここを出て行く。帰らずの地で一生を過ごして、死ぬ時はあいつらと一緒に死ぬ。そうすればシュラたちも、生きられなかった人生を少しくらいは謳歌出来る。そりゃ、生ける屍として過ごす一生が、本当に生きるはずだった人生と同じものだとは思わないけどさ」
「ライガ……」
リクトは、そこではっとして彼の顔を見上げた。
「俺は、あんな風にこの城の皆を酷い目に遭わせようとした自分がどうかしていたって分かってからも、そんなどうかしちまった状態で作ったあいつらの怨霊を消そうとは思わなかった。言い訳みたいに聞こえるかもしれないけど、それは、俺があいつらに生きて欲しかったからなんだ。途中で断たれる事になっちまった人生を、本当は生きるはずだった分をちゃんと」
──そうだろうと思っていた。
しかし、そう思いながらも彼は、決して彼らという生涯の続きを歩めるようになる訳ではないと分かっていた「再誕」を開発しようとし、成功に漕ぎ着けた。
彼も、まだ彼自身の中で整理が出来ていないらしいな、と思った。
それを当たり前の事だと思う一方で、そんな彼の心に対して自分の干渉する余地はないのだろうな、という事を思い、リクトはやはり彼が遠くに行ってしまったという感じが拭えなかった。
彼自身が何らかの結論が出せるまでであれば、自分は彼の傍に居る事が出来るだろうか?
それと同じ事をアルフォンスたちも考えているのだろうな、と思い、リクトは決して自己に呑まれないようにしよう、と自らを戒めた。それと同時に、三ヶ月前──今年の年度初め、シアリーズたちと共に出掛けたメゾン・デュー国での彼の様子を思い出した。
あの時、行きの馬車の中で彼は言っていた。
その台詞は、リクトの脳裏に克明に焼き付いていた。
──俺は別に自分があいつや俺が死霊化した連中を皆救えるなんて、最初から考えちゃいなかったよ。
本日より『リ・バース』第二部は文庫本換算で二巻目に入ります。第七話のサブタイトルは「Rebirth」で、メインタイトルと同じですが、これまでも述べてきた通り題名には「Reverse(逆行)」も含まれているので完全にという訳ではありません。
今回は過去編で、冒頭で既にライガが降霊術「再誕」の開発に成功していますが、あらかじめ述べておきますと、今回の話は特にこの術を巡るあれこれがメインとなる訳ではありません。メインとしてフォーカスする事柄は第四話に続き、アウロラとマロンの関係性です。では何故このようなサブタイトルなのかというと、それは最終日の「後書き」で述べます。
という訳で、今回も宜しくお願いします。




