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『リ・バース』第二部 第6話 Nether World⑦

  ⑥ ライガ・アンバース


 薙がれた腕から、血がまた一筋尾を引く。

 ジェムシリカの変じた個性なき「(スカー)」は、その色のない剣で絶え間なくライガの体を切り裂いていた。ライガは生成魔術で作り出した剣で、繰り出される斬撃を防いでは反撃を繰り出していたが、その防御の成功率は六割といったところで、反撃の命中率についてはゼロといっても過言ではなかった。(かろ)うじてローブに傷をつけられる程度だ。

 生成した剣の耐久値が、限界に近づいている事はよく分かった。「(スカー)」の繰り出す一撃一撃は決して重いものではないが、手数が多い。それ故にライガの防御が間に合わない事が多く、またこちらの反撃にもすぐさま対応されるのだが、本物の剣鋼(アシエ)魔素(エアル)で生成した仮想物質では強度が歴然としている。仮初の剣では、長い事打ち合っていれば、剣に感応を込める事の苦手なノレムと同じ事をしてもいずれ押し負けるだろう。

 ──個人の感応を持たない存在が、それを持っていたジェムシリカよりも強いのは何故か。

 答えは明白だ。ライガの目下戦っている相手が、プログラムの意思を宿しているから──即ち、今の自分の行いが、ジオス・ヘリオヴァースの(ことわり)それ自体への反抗だからだ。

 死霊化術も、プログラムへの反逆といえばそうだ。しかし、プログラムは今やそれを自らの内に吸収し、整合化を図っている。

「おい!」

 ライガは、駄目で元々だとは思いながらも、物言わぬ「(スカー)」に向かって対話を試みた。

「招かれざる魂といったな、俺の事を!? それは、この『地下(アラル)』に俺が入っている事か!? ジェムシリカが言った反感(アンチパシー)ってのは、お前が俺をここから弾こうとしているって意味なのか!?」

「………」

 相手は沈黙したまま、最初にライガとジェムシリカに対する采配と処理を口にした限り何も言わない。ライガは、虚空に向かって叫んでいるかのような、言葉の伝わらない異邦人に呼び掛けているかのような()れったさの混じった徒労感を感じ始めていた。

 霊媒師(シャーマン)は、プログラムから神言(ロゴス)を受け取る事は出来るが、自分の方からプログラムに対して話し掛ける事は出来ない。それがライガには、高位存在の傲慢さに感じられてならなかった。

 人が、世界の運行を司る存在に──宗教的な言葉を使えば「神」に──意思を伝えるという事だ。出来ないようになっていたとしても、不可能ではない。しかし、ならば探せば盲点(ホール)が未だに見つかる不完全な理しか敷けていない癖に一方的に話し掛けてくるな、と思う。

 詩文(ヴァース)に応え、魔術という力の片鱗を人の子に授ける世界の理は、言葉に飢えているのだと教えられてきた。だが、一つの効果に対して使用者が捧げる詩文はパターン化されている。

 それはどういう事か。

 プログラムは、自らが聴きたい言葉しか聴かないという事だ。

「馬鹿にするのも大概にしろよ!」

 ライガは、怒りに任せて言葉を叩きつけた。

「ここにどんなルールがあるのか、俺は知らねえ。けど、それは誰が決めた? お前じゃねえか!」

 言った時、またしても剣が叩きつけられる。耐久性に限界を(きた)していたこちらの剣は砕け散り──その直前に、ライガは素早く柄から手を離してまた後退した。早口で詠唱を行う。

「空事よ、我が(ことば)()りて(うつつ)となれ……マニフェスタテイル!」

 敵が更に迫り、追撃を掛けて来る前にまた生成を行う。もっと重量のある武器を顕現させてみようか、ともちらりと考えたが、緊急対応が必要な場面では慣れない事をするものではないし、そもそもライガには半片手直剣(バスタードソード)以上に重量があるものは扱えなかった。

 感応しにくい、という事ではなく、単純に腕力の問題だ。

「今俺は、生成魔術の詩文(ヴァース)を唱えたぞ。お前に、生成の効果を返させる言葉だ。それに反応して、お前がこの武器を俺に与えたんだよ。……どういう事だ? 排除したいなら、何でそれに抗う力をくれるんだよ?」

 肉薄する二刀を弾き、更に続けた。

「そもそも、俺はジェムシリカが招いたからここに入って来られた。一度は弾かれたのに、二回目はすんなり入れたんだ。何でだ? 本当は『(スカー)』が絶対服従するってのも嘘なのか?

 あいつは誰に従っていた? お前か? ウカノフか? もしウカノフになら……何でお前はウカノフに、それを許すような事をした? あいつはプログラムに従わないのか?」

「………」

 やはり「(スカー)」は答えない。相手が黙れば黙る程、意地でも何かを言わせてやるという思いが膨れ上がる。

「あいつが特別扱いされる理由が分からねえんだよ! 何でウカノフは、お前が作り出した『(スカー)』を私物化出来る? 自分の手駒のように扱える? 何で、聖体(エウカリスト)の作成方法や、プレーローマなんていう術を知っていた? あいつは一体、プログラムの何なんだ?」

 相手からの答えは、こちらの肩口を突き刺すというものだった。背中の方に突き出した刀身の先から、噴き出した血液が伝い落ち、シャツの背を不快な温かさに濡らした。

 ライガは、徒手の左手で手刀を形成し、こちらを突き刺している「(スカー)」の腕の内側──肘窩を叩く。それで敵が腕と一体化した剣を離す事はなかったが、その体躯はやや仰反(のけぞ)り気味となり、こちらの肉に刺さった刀身がずるりと滑るように引き抜かれた。

 序盤にも確認した通り変身後も血液量は同じだ。これ以上傷を増やし、流血の速度を上げる事は避けたい。

 身を引き、患部に回復魔術を施す。回避や防御の際に押される事も含め、ライガは下がり続けていた。

「俺はあいつがけしかけてくるまで、連中の事は存在すら知らなかった。お前は、ジェムシリカの言う共感(シンパシー)で──『神秘への感応センス・オブ・ワンダー』で、あいつを招き入れたのか? 何の為に?」

 また突きが放たれ、今し方負傷した箇所と同じ場所を抉った。ライガは、このままでは自分でも気付かぬうちに出血が危険な状態になるに違いないと思い、後退するや変身を解いた。

 不意に、黒服の動きが止まった。追撃を行おうと構えていた二刀がそのまま動きを止め──その後、黒変して溶鉄の如く滴り始める。それは手首にまで至り、続いて両腕も崩壊を始めた。

 突然の変化に、ライガは戸惑う。自分の掛け続けていた言葉が、遂にプログラムを動かしたのか、と思った。

 この隙に攻撃を仕掛ければ、敵の急所を貫く事は容易だっただろう。しかしライガには、何故かそれが出来なかった。否、この隙に動こうという考えすら、脳裏に浮かばなかった。

 ライガが見つめる中で、遂に「(スカー)」は両腕を肩まで完全に崩壊させた。足元に滴った、泥炭(タール)のようなどろどろは、地上に居る彼らが術を発動する時の如く渦を巻いて(くるぶし)の辺りを呑み込む。そして次に、フードの裾が伸びて顔を隠すように垂れ下がり始めた。

 反対に、今し方溶け崩れた剣と腕のようにいつの間にか流体となっていたローブの布地が、酪菓(チーズ)が伸びるように頭の方へ流れ出していた。それはフードに合流して下降し、前から落ち始める。

 脱皮するように、ローブがずるりと剝落した。その様は服が脱げるというより獣の生皮が剝がされるかのような印象をライガに与えた。反射的に目を逸らしかけ、すぐに瞳孔が開いた。

 ローブの剝がれた後にそこに立っていたのは──最早立っているという表現が適切なのかどうかすら分からない、空間の裂け目のような縦長の”闇”だった。延々と続く黒曜石(オブシディアン)の床の、見えなくなる辺りの闇が、突然距離感を無視して迫って来たかのようだ。

 黒いというのともまた違う。瞼を閉じている時のように、または死角との境界のように、()()()()のだ。

「何だ……これは?」

 殊更(ことさら)に問い掛けの意図はないが、口に出して呟く。

 不意に、声が聞こえた。

破戒僧正(ジューダスプリースト)が──あの男が、超永遠世界の扉を──」

「えっ?」

 ライガは、その声に耳を澄ます。はっきりは聞き取れないが、それは先程(厳密には、どれだけ時間が経ったのか分からない。ウカノフが「『地下(アラル)』での時間の流れは一定ではない」と言っていたので、そのような考え方は意味のないものなのかもしれない)、ジェムシリカがプログラムに人格を剝奪された時、紡ぎ出された機械質な声に似ていた。

「かつてあの男は既存の秩序に過渡期をもたらし、意図せぬ形で”啓示(インスピラシオン)”を受ける事となった。彼はそれを……黙示録として保存する事はなく、やがて記憶の彼方に置き去ろうとした」

啓示(インスピラシオン)……」

 その言葉を反芻し、違和感に気付く。

「過渡期?」

「プログラムに欠陥が存在するのは──その(しもべ)でありながら、あまりに不確定性(ディスコード)を帯びた人の原理に……営為に基づき変遷する世界を、破滅から防衛すべく自動修正し続ける為」

 深淵からの声は、淡々と言った。

「全ては、未だに完璧な世界が構築されている途上にある為──」

 今自分も、かつてウカノフが授かった”啓示”を受けているのか。しかし、自分には霊媒師の能力などない。

 ではこれは、自分にだけ明かされようとしているプログラムの変化なのか。自分が懸命に呼び掛け続けていた声に、プログラムが遂に応えたのか。では今の自分は、ジェムシリカの言った共感(シンパシー)に基づき、この空間に存在する事を許されているという事なのか──。

「おい、俺の言葉は届いているのか?」

 ライガの呼び掛けに、深淵は「完璧な世界」と繰り返した。

「確定性を──大いなる調和を──言葉を。世は和音(コード)に満たされて……我がプログラム、自動調整機構(ハーモニクス)に基づいて」

「……っ!」

 歯噛みする。神言(ロゴス)とは、いつもこのような鴃舌(げきぜつ)なのか。

 しかし、ライガは必死に自らの内にその情報を呑み込もうとした。「(スカー)」の正体が示唆されてから、ずっと求めてきた答えが確信に近づいている事をひしひしと感じた為だ。

 声は続ける。

「救いなき禁術の贄となった魂が──狂える怨念の権化となった悲しき世の影が、どのようにして善逝(スガタ)へと至るのか……調和へと修正されるのか、かつてあの男が知った解を、其方(そなた)は知る権利を得た。

 足を踏み入れよ、その根源へ……超永遠世界の辺縁へと」

 深淵が迫る。視界の一部を途絶させていた”闇”が膨張し、やがてその全てを覆い尽くそうとする。

 黒曜石(オブシディアン)の、色としての黒も、そこに埋め込まれた捕獲岩(ゼノリス)の色彩も、一切が暗闇の中に消えた。ライガの目には、本来のガラルの姿となっている自分自身すらも視認出来なくなった。

 本能的な恐れが萌した。

 しかし、自らを落ち着けようと胸の上に置いた手に乾ききっていない血の感触を感じた時、躊躇いは拭い去られた。

 これ程の傷を負い、真実を追求しに来たのだ。ここで引き返しては、流した血全てを無駄にする事になる。

「……いいぜ」

 ライガは実体なき何者かに対し、そう返事をした。

「ジェムシリカやウカノフよりも、あんたの方が自分の事はよく分かっているんだろう。聞き齧ったあいつらよりも、正確な事を教えてくれそうだ。……誰だか知らねえけど」

 言い、足を踏み出す。文目(あやめ)も分かぬ広大な闇の中で、歩く地面の固さを感じられるだけで恐れが大分希釈された。

 夜道を帰る子供のように、ライガはゆっくりと気を付けて何処へともなく彷徨い出して行った。

『リ・バース』第二部第六話「Nether World」はこれでおしまいです。単行本換算では、第二部全四巻のうち一巻目が終了した事になります。ここからいよいよ物語は核心に入っていき、ウカノフの思惑についても明らかになりますが、その前にまた二話過去編を挟みます。

 第五話と第六話から始まり、リーマン攻略作戦では登場人物たちがずっとバトっているので、上手く書かないと非常に退屈な話になりかねません。作者は状況を思い浮かべながら書くので展開が分かりますが、その分独り善がりになっていないかという事が心配です。『夢遥か』最終章の戦闘に比べ、こちらは特に「痛々しく」「残酷に」という事は意識しておらず、あくまでスタンダードなバトルものをと考えています。

 とは言いつつ、ヴォルノのパートはかなりえげつないなと自分では感じています。殊更に狙ってはおらず、書くうちに自然にそうなってしまいましたが、それはこのリーマン攻略作戦の「ライガが理の真実とウカノフの思惑を知る」「リクトがイスラフェリオと再戦する」というメインテーマの裏で、彼の見せ場を作るという事を(書いている途中で)考えた為です。彼はアルフォンスが騎士長だった頃からの古参で過去編にも登場していながら、それまで”同志”たちの中で本人が主役になる場面がありませんでした。アルフォンスや皇帝が死に、イザーク教官が引退した中、彼は若い世代を傍で見守る立場として唯一残された人物なので(テレサ先帝妃は少しイレギュラーなので除きます)、あまり前面に出ず客体的な人物にならざるを得なかったのです。

 因みにここで彼の内面を掘り下げた事により、その後思いがけず作品に組み込む事になった場面が生まれたのですが、先取りのしすぎになる為今のところはそれを語る事は控えます。第十二話をお楽しみにお待ち下さいませ。

 ここまでお読み下さりありがとうございました。

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