『リ・バース』第二部 第6話 Nether World⑥
剣から手を離し、無詠唱で防御魔術を発動すると共に、肉塊が爆発した。炭化した肉片と共に、血の雨が降る。火の粉はそれに打たれて消え、路地へと降り注ぐ事はなかった。
爆炎を間近で浴びる事はなかったが、爆圧は障壁因子越しに襲い掛かり、背を一層強く瓦礫に押しつけた。尖った石の破片や木の梁が、厚いマントの生地や鎧の耐久度に限界をもたらしたらしく、
(……壊れる)
悟った瞬間、合金の破砕と共に無数の刺激が襲い掛かった。
瓦礫の破片を背中に突き刺したまま、ヴォルノはよろめく足に鞭打って立ち上がろうとした。
炭化して感覚を失った左手から、先程の肉塊と同じ臭いが漂っていた。ヴォルノは意図的に、そちらを見まいとする。この戦いが終わったら義手を発注せねばならないな、と思い、このような状態でも尚自分が生存を諦めていない事に、やや呆れが込み上げた。
降り注ぐ血の雨の向こうから、キルヒムが接近した。
「えげつねえ事しやがんな、てめえ」
キルヒムの顔は明らかに人間ではなかったが、それが愉しむように嗤っている事は不思議と分かった。
ヴォルノは、足元に落ちた愛剣を拾い上げる。爆発に巻き込まれた刀身は三分の一程を残して折れ、紅殻色の刀身は激しい燃焼により限りなく黒色に近い深緋色に変じていた。
それを尚も構え、荒い息を吐きながらキルヒムを正面に捉える。
彼は「おいおい」と戯けたように言った。
「だんまりか? それとも、もう喋る事すら出来ねえか? まあ、俺も無理強いはしねえ。こちとら、連れて来た魔物の魂は全部美味しく頂いちまった。これでやれなきゃ後がねえ」
それからちらりと振り返り、
「イブンの残りが来るまでもうちょい掛かりそうだしな」
と付け加えた。
ヴォルノは、まだその可能性があった事に気付き、ぐっと息を呑み込む。吐魂術は魂をばらばらに分割して対象に宿す術──魂の材質の結合を分断するという点では死霊化術の応用と言う事も出来、恐らく嚥魂術と共に新生ジフトが禁術の研究を解禁した事で編み出された技なのだろう──であり、先程の肉塊を構成していた騎士たちに宿っていたものが全てとは限らない。死霊化術でない通常攻撃では魂を直接損傷する事は出来ない事、死霊化されていない魂の材質の結合は一時的に分断されてもすぐに元に戻るという事から、今与えられたダメージは、本体、魂共に実質ゼロと見なければならない。
ヴォルノがここまで体を張り、行った事は、畢竟端末の破壊に過ぎず、剣士同士の戦闘であれば武装解除に成功しただけなのだ。
「副騎士長殿よ。馬鹿みてえだが、実を言やあ俺、てめえのセンスってのがからっきしなんだよ。だから、嚥魂術で他人様の魂を喰らえば、ちったあマシになるんじゃねえかって考えてんだよ。
そのセンス、ぶっちゃけ羨ましいぜ。固有降霊術を持ってる訳でもねえ癖に、そこまでやれんだからな。だからさ──」
キルヒムは言い、背中に生じた三対の翼を羽ばたかせた。
「もう死んじまうってんなら、俺にその魂くれよ。……言えよ、『召し上がれ』ってなあっ!!」
「誰が貴様などに!」
ヴォルノは、ひりつく喉をこじ開けるようにして叫んだ。
「聖光士に求められる限り、私は使命を果たさねばならない! ここで斃れるつもりなど、毛頭ないのだ!」
飛び掛かる。全身、今にもちぎれ飛びそうな程に痛んでいるが、ある一定の閾値を超えてしまえば感覚が麻痺して気にならなくなる事を、ヴォルノは長年の経験から知っていた。
キルヒムの右手──もしくは右前脚──が振り上げられる。それだけで武器の役割を果たしそうな鉤爪が撓るが、彼が意図したのは、その甲に同化した剣による攻撃のようだった。
肥大化した刀身に、黒紫色の光が宿った。
「呂号影裂斬!」
こちらの袈裟斬りに対して、相殺目的で繰り出されたキルヒムの横薙ぎは、明らかに過剰だった。こちらは刀身を大きく欠損しており、重量では明らかに彼の剣に負ける。
手から剣が弾き飛ばされた時、ヴォルノにはそれが、自らの手首ごと持って行かれたように思えた。
徒手になると同時に、ヴォルノは炭化した左手を上げ、相手の懐に突き付ける。放った火球は心臓の位置で爆ぜたが、彼は胸筋も硬質な鱗へと変じていた為ダメージは殆ど入らなかった。
お返しとばかりに、再び剣が振るわれる。それを障壁因子で防ぐ。技後硬直により攻撃が発せない次の一瞬、キルヒムの反対の手が動き、鉤爪が鎧の砕けたこちらの胴を薙ぐ。硬直が終わり、尚も爪で切り裂かれながら火属性魔術を放つ。また、効果は殆ど感じられない。
段々、自分が行っている事が分からなくなってきた。ただ、生きねばという意志だけに突き動かされていた。しかし、それをする為には眼前の的を排除せねばならなかった。
やがて、鳩尾からぐさりという音が鳴った。
そこに剣が突き刺さった事も、その瞬間には感じ取れなかった。
「運が悪かったんだよ。諦めな」
キルヒムが、蜥蜴のような顔を近づけて囁いてきた。左手が伸び、鉤爪の金物の如き冷たさが焼けつく頰膚に感じられる。
そのまま彼は、静かに術を発動しようとした。
「ボナペティ」
しかし、
「……まだだよ」
ヴォルノは、不意を突くようにそう言った。
転瞬、自分とキルヒムの間でまた爆発が起こる。ヴォルノが無詠唱で「審判」の火球を生成したのだ。
キルヒムの爪が折れ、弾け飛ぶ。それはヴォルノの顔に無数の傷をつけ、左の眼球をも縦に薙いだが、今自分がされそうになっていた事を考えれば絶対的に軽微な事だった。
やはり熱は通らないが、その爆圧はキルヒムを墜落させ、自分から引き離した。自身も彼の剣を腹部に突き刺したまま飛ばされたが、今度は瓦礫に叩きつけられる前に受け身を取った。
キルヒムの腕に同化していた剣が、先程のヴォルノの剣と同様肉から覗くぎりぎりの場所で折れた。
「何で──」
血飛沫の撒き散らされた地面に掌を突き、身を起こそうとするキルヒムの喉の奥から、シュウシュウという蛇の呼吸音のような音が零れた。翼の薄い皮膜が、落ちた弾みに瓦礫に引っ掛かったらしく何枚か破れている。鉤爪の長すぎる四肢ではやはり肥大化した体を支える事が出来ないらしく、彼は発動していた嚥魂術の効果を解除した。
「あんた、デルヴァンクールの部下だろう……? 聖光士とじゃあ、親父とガキくれえ歳が違げえじゃねえか……たかだか四、五年前まで、あいつはあんたの部下だったんだろ?」
毬栗のように立った彼の黒髪は、蓬と乱れていた。
「何で、そこまで忠誠を誓えんだよ……?」
そんな姿になってまで、という語られない一言が、そこには付け加えられているようだった。
ヴォルノは頭を振り、言葉を紡ごうとした途端に嘔気が込み上げて血液の塊を吐き出した。傷口を見下ろし、この分では致命的な臓器を幾つも貫かれているに違いない、と思う。
本当に何故だろうな、と思ったが、やはりそれは考えるまでもなく分かっている事だった。ヴォルノは、血を吐きながらも喉を絞る。
「彼は……我が恩人たる莞根士が、彼にならフォルトゥナを──帝連軍を任せられると見込んだ男だからだ。絶霊喰鬼……貴様は、彼がただ親友であった男を私情を排して殺め、世界を救った為だけで、筆頭騎士長となる事を許されたとでも思っているのか……?」
「何だと──」
「ならば……赤峨王が、今戦っている相手を見に行け。彼はきっと……聖光士には勝てない!」
言い放つと、キルヒムの顔色が変わった。
蒼白──そして、激しい怒りの赤に。
「てめえ──」
折れた剣を握り、尚も構えを取る。
「そこまで言うなら、俺が自分の目で確かめてやるよ。まず、てめえをぶっ殺してからな!」
「副騎士長!」
声が飛んで来たのは、その時だった。
飛び出しかけていたキルヒムが、その場で蹈鞴を踏む。嚥魂術の効果が切れた彼になら熱も通用するだろうと思い、彼が制空圏に入った瞬間に迎撃を行おうと更なる火属性文法の詠唱を行おうとしていたヴォルノも、突然の闖入者に慌ててそれを取りやめる。
赤色のマント──味方だ。その声で気付き、ヴォルノは彼を巻き込まないよう詠唱を思い止まった。
総督府に向かうよう命じた一人が戻って来たのかと思ったが、そうではない。ここはもう街の中で、表の入口からリクトやライガと共に突入し、分散した者たちも活動している。
「お前は……」
「副騎士長、ご無事ですか!?」
現れた騎士は、満身創痍のこちらを見るやはっとしたような顔になり、駆け寄って来る。
「気を付けろ! そこに、絶霊喰鬼が──」
咄嗟に警告の声を上げようとし、またしても血液が込み上げる。キルヒムが呆気に取られている中、横から体が支えられた。
思わず、そのまま力を抜いてその手に身を預けそうになった。
だが、それはすぐに驚愕に変わった。
「……キルヒム。競争は私の勝ちだったようだな」
ぐさり、という微かな音が、今度は肋骨の間で鳴った。
恐る恐る見下ろすと、そこに剣が突き刺さっている。視線を向けると、突如豹変した騎士もまたヴォルノの顔を見ていた。
「私だ。浮遊霊姫だ」




