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『リ・バース』第二部 第6話 Nether World⑤

  ⑤ ヴォルノ・イェーガー


 騎士たちが迫って来る。先程までは、自分の指揮に従って「(アラクラン)」たちと戦っていた者たちだった。

 ある者は死霊化され、またある者はイブン・ソニアによって吐魂術(エクトプラズム)で肉体を乗っ取られていた。イブンの場合、肉体を乗っ取っている者には無条件に死霊化術を施す事が出来るので、彼らがこれから生きて肉体の自由を取り戻せる可能性は絶望的に低かった。

 しかし、それでもヴォルノには、まだ彼らを「死んだもの」として扱う事が出来なかった。無益な──どころか、有害ですらある感傷と言ってしまえばそれまでの事だが、僅かにでも生存の可能性がある味方を積極的に手に掛けるような戦い方は、先代騎士長もしなかった。

 誰が生ける屍(リビングデッド)となり、誰がただ操られているのか分からなかった。故に、敵の中には間違いなく危険な怨霊(ルブナン)も居るという事は明らかなのに、こちらからは攻撃が仕掛けられない。

 その隙に、キルヒム・アサップが付け込んだ。

「そっちに逃げんなよ、副騎士長殿。街の人間が死んじまうだろうが! カオスレガシー!」

 死霊化、もしくはイブンによる憑依(トランス)を受けた者の数がそうでない者の数を上回った時、ヴォルノは開けた場所での戦闘を放棄した。

 街の外に、イブンの本体はなかった。ならば、街の何処かに違いない。それを見つけ出して叩けば。

 背後で、キルヒムの放った闇の球が炸裂し、郊外に程近い小規模な町工場(こうば)と思しき建物の二階を吹き飛ばした。

 瓦礫が、雨(あられ)と降り注いで迷路のような道幅の狭い路地を塞ごうとする。最高技と見紛うばかりの威力だ。彼の属性適性は闇のはずだが、これは彼本人の能力ではない。

 彼が喰らった、闇属性に適性のある魔物の魂が発した感応だ。本人の同属性の感応も相俟ち、効果が上乗せされたらしい。では、本当に最高技が使われていたらどうなったのか──。

 と、思った時、

「いやあああああっ!!」

 魂消(たまぎ)るような悲鳴を発し、崩壊した建物の上階から女性が落下して来た。このような町工場では、一階が作業場で、二階は経営者の家族の居住スペースとなっている事が多い。戦闘が開始された時、この家に住んでいた者たちもそちらに閉じ籠る事を選んでいたらしい。

 ヴォルノは、咄嗟に腕状霊魂で落下する女性を受け止めようとした。しかし、こちらが降霊術を発動した瞬間、彼女の上から崩落して来た屋根の残骸がどっと覆い被さった。

 もうもうと土煙が立ち込め、狙いがつけられなくなった。

「……っ!」

 ヴォルノは、奥歯を食い縛って声の漏出を防いだ。

 自分たちが戦った為に、兵士でない民間人にも犠牲者が出ている。今回、この街に攻め込んでいるのは自分たち騎士団だ。無論この街を潜伏場所に選び、逃げ込んだ新生ジフトは悪いが、もしも街の人間たちが、同意の上で彼らを匿う事を選んでいたとしたら──。

「道が寸断されました!」

 共に走っていた騎士の一人の叫びで、はっと我に返った。

「追手が分散しました。このままでは先回りされます!」

「引き返して、脇道に入るぞ!」

 ヴォルノは頭を振り、叫んだ騎士に応じた。

「これ程建物に容赦ない攻撃をしているからには、何処かの民家の地上階で浮遊霊姫(ソルシェラン)の体を匿っているという事はないようだ。考えられるとすれば地下室か、もしくは総督府か……」

「しかし、総督府には──」

 部下の躊躇ったような声に、ヴォルノはそうだ、と思う。

 総督府では、現在聖光士(バロラント)がイスラフェリオと交戦している。彼の元に、双頭(バイセプト)を含んだ「(アラクラン)」や生ける屍(リビングデッド)の大群を連れて行くのは、最悪の場合彼の命に関わる行為に他ならないのではないか。

 だが……

聖光士(バロラント)なら、どうするだろうか?)

 無意識のうちに、そのような事を考えていた。

 彼、リクト・レボルンスは、今でもヴォルノの事を私的な場面では「イェーガーさん」と呼び、親の知人に対してのような態度で接してくる。莞根士(ラーディッシュ)がフォルトゥナの後を託すまで、彼は若い一騎士であり、シアリーズ姫との婚姻もまだだったので皇太子でもなかった。

 今でも、ヴォルノは立場上は彼の部下として”同志”の中で働きながら、彼に助言を求められれば年長者として応えるし、まだ自分が彼を導くという気持ちがあった事も事実だった。

 しかし、気付けば今、自分は彼を上司と──こちらが彼に牽引される立場だと考えている。

 それは自分が、責任を放棄したという事ではなかった。

(彼は、英雄の仮面を被り続けねばならないのだ)

 親友であるライガを討ち、英雄となると共に、冷酷な騎士であるとして人々から恐れられたリクト。彼は人々のその人物像(イメージ)のままに、騎士長となってからその役回りに徹し続けた。

 ヴォルノが今囚われているような感傷を、意図して押し殺し続けていた。白羊宮(エアリーズ)がレドム・イドゥンによる襲撃を受けた際、彼の率いていた「(スカー)」に死霊化された部下たちを、ライガや自分が躊躇う中で容赦なく斬り捨てた事が分かりやすい例だ。自分たちもあの時、彼らには最早手の施しようがないという事は理解していたが、まだ生前の姿そのままで、温かく、目立った外傷もない彼らの肉体を破壊する事には躊躇いを覚えた。

 だが、リクトはあくまで理性を優先した。彼とて、あの時何も思わなかった訳ではないだろう。だが、彼は感情に囚われるような事はせず、それを押し殺して剣を振るったのだ。

 聖光士(バロラント)なら、目下の状況をどう処理するのか──それは、考えるまでもなく分かり切った事だ。

 彼は、これ以上の犠牲を出さない為に、生ける屍(リビングデッド)諸共イブンに憑依された騎士たちを手に掛ける事を躊躇わなかっただろう。ヴォルノも、それが”正しい”判断だとは思うし、それでも彼が心の中では抑え難い痛みを感じるであろう事も、想像するのは難しくない。

 だが、とヴォルノは思った。

(それでも、私は私だ)

「お前たちは総督府を目指せ!」

 部下たちに、そう叫んだ。

「私は、ここで各建物の地下を調べつつ敵を足止めする!」

「イェーガー副騎士長──」

 先程声を上げた騎士は何かを言いかけたが、それは刹那の事だった。

御意(ウイ)、モンシュー!」

 その騎士の応答に従い、他の少人数となった部下たちも「閣下(モンシュー)」を付けた了解の返事をする。彼らはこちらに軽く頭を下げると、身を翻し、左右の分かれ道に分散して姿を消した。

 数秒後、

「そこに居やがったか!」

 嚥魂術(ソウルイート)──「暴食(グラ)」によって、最早人間とも魔物ともつかない姿となったキルヒムが現れ、角を曲がると同時にそこにあった公団住宅を突き崩した。彼の背中は異様に折れ曲がって後方に突き出し、そこから三対の蝙蝠(こうもり)のような翼が生えてその巨体を浮遊させている。伸びてだらりと垂れ下がった四肢の先には細剣(レイピア)を束ねたような鉤爪が生え、恐らくもう地面に下りて歩く事もままならないのではないか、という有様になっている。

 紫黄(アメトリン)の剣は、その右手──もう「右前脚」か──の甲に癒合するように、鱗のある肉の中に埋没していた。完全に鱗に覆われた顔の中で、目は驚く程小さくなり、耳の方まで裂けた口からは乱杭歯と共に先端が二又に割れた爬虫類のような舌がちろちろと覗いている。

 更にその後ろから、

奇形化(アブノーマライズ)

 イブンに乗っ取られた騎士たちが、圧縮されて肉塊と化した巨大な異形が姿を現した。こちらはキルヒムよりももっとグロテスクで、鎧も軍服も、剣も肉体も磨り潰されて一緒くたになった巨大な風船のような物体から、血液がだらだらと流れ出して石畳に滴っている。

 その中から身の毛も弥立(よだ)つ嘆きの声がおうおうと上がっているのは、巻き込まれた生ける屍(リビングデッド)が発しているものに違いない。

 キルヒムよりも、ヴォルノはまずこちらに怒りが込み上げた。あれ程までに肉体を押し潰されれば、巻き込まれた者たちに助かる見込みはない。しかし、それにしても死者の尊厳というものはある。

 それを容赦なく蹂躙する降霊術だった。

「イブン、競争だぜ。お前があの副騎士長殿を呑み込むのが先か、俺が野郎の魂を食っちまうのが先か」

 キルヒムが、面白がるように振り返って言う。

 取り込まれた騎士たちの声帯が潰されている為か、イブンは返事をしなかった。その代わり、突き崩しかけの建物の屋上に這い上がり、転がって並んだ屋根を押し潰し始めた。

 肉塊はそのままこちらに加速して来る。

「すまない、お前たち──」

 ヴォルノは剣を上段に構え、肉塊を形成する部下たちに口に出して詫びの言葉を放った。

「私はまだ、そちらへは行けぬのだ……!」

「イェエエエエエガアアアアアッ!!」

 まだ何処かに潰されていない騎士の声帯があるらしく、肉塊がハウリングを起こした声楽器(マイク)のような十何人分かの絶叫を発した。

 奇形化は魔術などよりも、大質量による物理攻撃に適した形態(フォーム)のようだった。また一戸の民家の外壁をこそぎ取りながら、肉塊は転落して来る。その中から、磨り潰された血や肉の縒り合わさって形成された、無数の触手のような腕がこちらに伸びてきた。

 ヴォルノは、剣を振り上げてそれらを断ち切った。掴まれれば、自分もまたその中に取り込まれてしまうだろうと思った。

繞薙羅針(ジョウタイラシン)!」

 菱形の軌道を描く四連撃技。紅殻色(レッドアイアン)の光が閃き、肉塊の一部を四角く切り取って穴を開ける。その中に、ヴォルノは自分から左手を挿し込んだ。即座に穴が塞がりかける中、早口で詠唱する。

「悪徳の街を滅ぼし、罪人(つみびと)を粛清する陰府(よみ)の炎よ……裁きは今!」

 閉鎖された場所でこれを繰り出せば、どうなるかは目に見えていた。

「ジャッジメント!」

 爆発が起こった。特大の火球を放つ技が、肉塊の中で十分に拡散しきれず、暴発したのだ。当然ながら、挿し込んでいたヴォルノの左手も、その自ら放った爆炎を至近距離で浴びる事になった。

 籠手(ガントレット)が吹き飛ぶだけでは済まなかった。手首から先が断裂したのではないかと思う程の激痛が骨の髄を突き抜ける。感覚が一瞬なくなった為、本当に左手がちぎれたのかと思った。

 内側から爆発を起こした肉塊から、黒煙が噴き上がる。取り込まれていた騎士たちの肉体の一部や、鎧や軍服の残骸が宙に舞う。

 道を跨いで建物に挟まるように空中にあった肉塊が、こちらを完全に押し潰すにはぎりぎり及ばない場所で落下した。ヴォルノはその中に手を挿し込んだまま、瓦礫との間で板挟みになる。

 即座に圧死する危険はなくなったが、全身に無理な力を加えられている事には変わりがない。このままでは窒息してしまうが、悪い事ばかりではなかった。少なくとも肉塊の向こうに居るキルヒムは、死角に居るこちらに攻撃を行う事は出来なくなったのだから。

 死体を利用しているイブンの魂に、痛覚が共有される事はないようだ。形状を崩しかけた肉塊は再び膨張し、周囲の建物の外壁を凹ませる。屋上を転がった事で崩れかかっていた建物はそのまま倒壊を始め、ヴォルノも背後の瓦礫に押しつけられて背骨が軋みを上げた。

 しかし、ヴォルノは歯を食い縛って耐えた。

 挿し込んだままの指先を動かし、まだ手首から先がある事を確認すると、完全に動かせなくなる前に右手を持ち上げる。左手と同じ、剣技と魔術で穿った位置に、今度は剣を突き刺した。

 ゴキッ、という嫌な音が、左肩から響いた。先の方の痛みの陰に隠れ、あまり感じられないが、骨が折れたらしい。

 が、構わなかった。

赩焉百華断キョクエンヒャッカダン!」

 必殺技を放つ。振り下ろした刀身から火柱が立ち昇り、それは肉塊を真っ二つに断ち割った。

 悲鳴を発する事もなく、肉塊に走った傷口から光焔が漏れた。蛋白質の焼け焦げる異臭と共に、今度こそ左手が完全に焼却されたらしかった。熱い、と思った時、前腕の感覚は既に喪失していた。

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