『リ・バース』第二部 第6話 Nether World④
④ リクト・レボルンス
ドミナシオンの刀身が──並みの両手剣使いでも持ち運びに苦慮する程の、鉄塊と言うべき錆色の刃が腹部を貫いていた。
その大剣の根元は、騎士の中では痩せている方であるリクトの胴囲にぎりぎりで及ばない程の幅になっている。そのまま押し込まれれば、内臓を破られたり、脊椎を断たれたりといったレベルの傷では済まない。上半身と下半身を、文字通り分断されるだろう。
纏鎧術で強化されたドミナシオンは馬体すら両断したのだ。人間の胴など、容易く真っ二つに出来るはず──。
「ドゥクスアニムス!」
リクトは咄嗟に、物体操作術を使用した。この降霊術で人間を動かす事は出来ないが、剣には通用する。
リクトはドミナシオンを思い切りイスラフェリオの方へと押し返し、同時に鞘に納めたままのトゥールビヨンを後方へと飛ばした。
自らの剣に引っ張られる形で、リクトの体は後方に飛んだ。ずるり、という嫌な感触と共に、腹から刀身が抜ける。栓が抜かれた事により、先程の倍近い血液が噴水の如く噴き出した。
何かが体に突き刺さる形で大怪我をした時、刺さったものは抜いてはならない。このように大量出血する恐れがあるからだ。しかしリクトは、自身の体が両断される危険性を考えてその危険を冒した。
イスラフェリオから、過剰な程に距離を取った。通常の回復魔術を患部に掛け、その上からライガに教わった「癒合術」を施す。斬撃術と対を成す、空間接続の魔術だ。
「アーベーエール、ア……セーアーデー、ア……ベーエール、ア……」
傷口が塞がり、出血が止まる。しかし僅かにでも遅かったら、失血死までの秒読みは始まっていただろう。
それは、即ち危険域一歩手前の出血量という事だった。貧血を起こしたらしく、立ち上がろうとした途端に強烈な嘔気と眩暈、視界の収縮と閃滅を感じる。辛うじて上げられるところまで顔を上げると、そこには赤い絨毯の如き血液の痕が真っ直ぐに伸びていた。
震える手を持ち上げ、口元にヤーラルホーンの唄口を近づける。弱々しくも息を吹き込み、通常は敵の拘束に用いる五線譜のエフェクトを紡ぎ出して自身の体に巻きつけた。
即席の包帯だ。同時に、力の抜けそうになる体を締め付け、無理矢理に立ち上がらせるという意図もある。
血液を補給出来ない以上、このまま戦うしかない。が、これ程の量の出血だ、戦闘中に時間経過で自然に貧血が回復するなどという見込みはないと判断した方がいいだろう。
血液の上を歩き、イスラフェリオが再度接近して来た。
「さすがだな。今のを喰らい、尚戦闘継続が可能か」
「………」
リクトは荒い息を吐き、沈黙を保つ。空気を取り込み、少なくなった血液を懸命に巡らせようとした。
本当は、あと一撃でも攻撃を喰らい、血を流せば失血死は確実だった。しかし、それをイスラフェリオに見破られたら付け込まれる。今、彼は身体強化術を上乗せした纏鎧術であってもこちらを仕留めきれなかった事で、こちらが当初の予想を遥かに上回る頑健さを秘めていると警戒しているはずだ。多少でも、それで攻撃の手が緩む事に賭けたい。
以降、一切攻撃を受けずにこの男を捕縛する。そのような事が可能なのか、と考えてからすぐに、一撃死の脅威が付きまとっていたのはこれまでのイスラフェリオも同じか、と考え直した。
「貴様の降霊術による阻害効果は大体把握した。私の纏鎧術に対して有効なのは、大方『段々弱く』か『段々小さく』だろう」
弱体化、もしくは衰弱の上位互換だ。「強化」の上位互換である纏鎧術を中和するか、極度の疲労により動けなくするかという事だが、これが相手に掴まれたのは痛手だった。
戦楽器を用いた降霊術では、演奏をせねばならない為、剣技の予備動作に相当する”溜め”の時間が長い。それに、メロディでこちらが何の技を使おうとしているのかが分かってしまう。
イスラフェリオが把握したという二つの技が、その旋律までを覚えられているのだとすれば、こちらが技を使おうと演奏を始めた時点で──「前奏」の時点で、回避やら妨害やらといった対応策を取られる。今のリクトに、妨害を回避し、逃げる相手を追って攻撃する事は困難だ。
「それがどうした?」
リクトは立ち上がる前に、それすらも一苦労だ、というように両肘を地面に付けて前屈みになった。唄口に唇を当てたまま、ヤーラルホーンの先端を自らの血液に浸すようにする。
蝶が口吻で蜜を吸うような形だ。そこに、リクトはイスラフェリオが十分に接近する前に「弱く」の奏法で息を吹き込む。周囲の戦闘音により、余程気を付けて聴かねば拾われない程度の小さな音で、自らの体の陰に隠すようにしながら音霊を溶け込ませた。
足を震わせ、立ち上がってじりじりと後退する。
「降霊術を解除するなら、除霊でも十分だ。体の何処かに当てさえすればいいんだからな」
「だが、私がそれをさせると思うか?」
イスラフェリオは油断なく言い、更に歩を進めた。
「……いや、それ程甘くはないだろう」
リクトは言いながら、負傷により慎重になっている、と思わせるべく──実際そうではあるのだが──、唄口を咥えたまま、一歩、また一歩と彼の歩みに合わせて下がった。
「それに、お前のは覚醒術ではない。時間的制約が必要ないのであれば、解除された瞬間に掛け直す事は可能だ。だが……その一瞬であれば、お前の攻撃の手は否応なく止まる」
「一瞬、という意味を理解しているのか?」
亡きジェムシリカであればせせら笑いながら言うのであろう台詞を、彼は真顔で口に出した。
「その怪我で、私に決定的な傷を与えられるのか? 術を再発動している間にも、技を使用せずともこのドミナシオンは振るう事が出来る。片手直剣一本で、我が腕力に敵うのか?」
「……やってみなければ分からないだろう」
──焦るな。落ち着け。
リクトは自らに暗示を掛ける。
余程力を込めていない一瞬を突けば、イスラフェリオが持っている状態のドミナシオンでも物体操作術で操作出来ないという事はないだろう。武装解除のチャンスはあるはずだ。
だが、そもそもどのようにして隙を作り出せばいいのか──除霊術を、彼の肉体と武器を覆っている霊力に僅かにでも触れさせれば解除させられるとはいえ、口でそう言う程簡単に済むような事であれば、自分は今頃ここまで酷い負傷などせずに済んでいる。
「行き当たりばったりだな」
イスラフェリオは言い、ドミナシオンをさっと振った。
「帝国最強であっても、やはりそれが限界か」
「全てが計算された通りに運ぶ戦闘の方が、有り得ないものだろう?」
「不確定な可能性に賭ける……か。やはり貴様は、私の価値観とは相容れない魔剣士のようだ」
赤峨王は無骨な肩を竦める。
「だが、モルガンでも言った通りだ。私は、かつての若さと激情を身の内に秘めた貴様をそれなりに気に入っている。あの時ライガ・アンバースを持ち出したのは、我ながら安い挑発だった。
しかし──否、だからこそあえて言わせて貰う。貴様は決して、英雄などではないぞ。そう在るには、貴様はあまりにも自らを戒めきれていない。何故、今そこまで焦りを見せる? 自らの相手取るべきは私だと、ライガにも部下たちにも伝えていたはずだろう。指揮官なのだからな。だが貴様は今、私を前座と捉え、速やかに排除すべきだと考えている」
「おかしいか?」
「ああ。自身の勝利を前提としたような考え方を、無意識的に行っているという点でな。私は新生ジフトの指揮官で、名のある一個人だ。忘れた訳ではないだろうが、貴様は──ライガ・アンバースを助けに行く為の道を阻む者として、私を邪魔者だと思っているな?」
イスラフェリオは、ずばりと言ってきた。
「それこそが間違いだ。私は確かに、今まで貴様らには勝てなかった。だが、未だにそう思っているのであれば、私も以前までの私ではない……優位性の逆転は容易に起こるぞ」
「そうか──」
リクトは、そこで後方に下がる足を止めた。
「そう見えるか。確かに私は──僕は、『影』にライガが連れ去られた事を憂えてはいる。だが、さっき分かったよ。僕は自分が、彼を助けられる程強いだなんて誤解は、もうしない」
「何?」
「お前に比べて、自分が成長していない事も思い知った。前座だなんて、とんでもない。お前は僕を買い被りすぎだ」
リクトは言うと、トゥールビヨンを抜いた。
剣と戦楽器の両手持ちだ。これでは演奏は出来ない。しかし、これは意図的な事だった。
「本気でやらない事には、お前には勝てない事も知っている」
その台詞が合図になったかのように、次の瞬間それは起こった。
一歩ずつゆっくり接近して来ていたイスラフェリオがある地点まで──リクトの血液が作っていた川の末端、先程こちらが這い蹲っていた辺りまで到達した瞬間、地面に吸い込まれて黒ずみつつあった血液の中から、突如として白金色の輝きが浮かび上がった。
音楽記号だ。繰り返しの開始と終了を表す、二本の線と点二つずつが向かい合うように並んだもの。
設置型のトラップ「反復」だった。一ヶ月半前、ガウスの街へ調査に赴いた際、冒険者パーティーの狂戦士、メアリ・ワーズワースの生ける屍を捕縛した時に使用した降霊術。
それは、まず唐突に強烈な光を発する事でイスラフェリオの動揺を誘い、視線を足元へと誘導した。
そのコンマ数秒後、虎挟みの如く彼の右の足首を挟み、それ以上彼が前進する事を阻止する。イスラフェリオはそこで瞬時に、拘束を解くべきか、リクトに攻撃すべきか考えたようだった。
魔術破壊を行える彼に、この程度で完全に動きを止めた、と言うつもりは無論なかった。
イスラフェリオは、拘束を解く事はこれからでも出来る──むしろ、今それを行う事でこちらが除霊術を使用する隙を与えてしまう──と見たらしい。他方、リクトは彼のリーチの外に居たが、
「怨神傾山斂!」
彼の高威力技が、斬撃を”飛ばす”という形で遠距離の相手にも対応可能だという事は、最初に喰らった同様の攻撃で吹き飛ばされ、肋骨を叩き折られた事でリクトも理解している。
それが再び来る事は、攻撃か自身の解放かをイスラフェリオが一瞬でも迷った事で予想出来た。
剣が振るわれる前に、リクトは動いていた。
左に跳躍した。貧血により足元がふらついている事は依然変わらないし、肋骨は損傷している。その上、先程突き刺された時、その深さからして胃袋や背骨にも傷がつけられた事は間違いない。
それらを、リクトは縛りつける事で押し殺していた。無茶をすれば、喰らったダメージ以上に悪化する事だろう。
しかし、今はこの刹那をものに出来ればいい──。
「閃光破!」
トゥールビヨンを構え、突き技を発動した。攻撃ではなく、補正で痛む体を引っ張って貰う為だ。
イスラフェリオは、丁度技後硬直の終了した大剣を引き戻し、彼から見てやや右に軌道を逸らしたリクトへ迎撃の構えを取る。無論、この間も右足首の自由は奪われたままだ。
フリーになっている左脚の方向にであれば、股を可能な限り開けば幾分かリーチを伸ばす事は出来ただろう。リクトはそれを考慮した上で、彼の右脚側を狙って接近を掛けたのだ。斬撃を飛ばす攻撃は直線的にしか放てないので、こちらが自由に動ける以上防御には向かない。
そして、ここまでははったりだ。
「ドゥクスアニムス!」
十分に距離を詰め、突きがヒットする寸前でリクトは技を中断した。振るわれた大剣から跳躍で距離を取り、再び物体操作術を使う。
イスラフェリオが言った通り、別に彼は纏鎧術を解除されたとしても戦えない訳ではないし、必ずこちらに対しての攻撃には剣技を用いねばならないという決まりもない。こちらは、あと一撃でも喰らえば危険なのだから、殊更にイスラフェリオが高威力技で攻める必要もないのだ。
そこでリクトは、除霊前に彼の武装解除を図った。
まだ、彼には体技がある。彼が徒手でも人間を殺傷し得るだけの力を持っている事は、直接的にそれを喰らった訳ではないモルガンの戦いでも予想が出来たし、またカヴァリエリからの輸送中に彼に脱走されたドーデムたちからの報告によっても裏づけられている。
だから、ドミナシオンを取り上げさえすれば彼にチェックメイトを掛けられる、などという事は思っていなかった。それでも、今後の展開に於いてこちらに有利に働く事は確かだ。
大剣の柄が震え、イスラフェリオの手から乖離しようとする。リクトはその隙にトゥールビヨンを納刀し、空いた右手でドミナシオンをキャッチしようと彼に手を伸ばした。
その瞬間だった。
「退魔剣!」
イスラフェリオが、まさに自身の手から離れようとしたドミナシオンで剣技を発動した。
無属性の基本技。最速で発動出来るが、両手剣の一撃は片手直剣でも繰り出せるこの技とそこまで威力に差はないので、わざわざ技後硬直の課せられるこれを使う必要性はない。リクトも、ジフト戦役の時分からイスラフェリオが使用している場面を見た事はなかった。
しかし今重要なのは、何の技を使用したかという事ではない。
技を発動したという事は、彼が感応を込めたという事だ。
武器は使い手に感応し、能力を発揮する。合わない剣鋼で打たれた剣を使用してもパフォーマンスを発揮出来なかったり、取能者に感応を奪われた剣士が振るった剣が何物をも斬れないのはその為だ。
武器が、使い手を選ぶのだ。そして、たとえ取能者に奪われた時のように感応率がゼロになり、拒絶反応が起こらなかったとしても、本来の使い手に強く呼応している間、それは他からの働き掛けを一切受け付けなくなる。そうでなければ、魔剣士同士の戦闘など、刃合わせを行うまでもなく物体操作術による互いの武器の奪い合いで済んでしまうだろう。
イスラフェリオの手を離れたドミナシオンは、当然ながらそこで発動していた袈裟斬りをキャンセルした。しかし、その転瞬の感応の高まりが、リクトからの干渉を拒絶した。
物体操作術で自身に引き寄せていた大剣が、突如として自分とイスラフェリオとの間で落下した。その一瞬を逃さず、
「ドゥクスアニムス!」
意趣返しをするように、イスラフェリオが同じ術を発動し、再度自らにそれを引き戻す。それから彼は、
「我が忠臣よ!」
そう叫んだ。
「私を助けよ!!」
リクトはどきりとする。忠臣──ウカノフか。いや、彼はここから離れてライガの相手をしているはず……
死角からの奇襲を予感し、リクトは咄嗟にまた跳び退る。武装解除に失敗し、得物がイスラフェリオの手に戻った時点で、たとえ彼が叫ばなかったとしてもこの動作は必須事項だった。
(誰も居ない……『影』について僕と話す為に、部下たちを全員離れた場所に陣取らせたんだ)
そう思ってから、いや、と自ら否定した。
誰かが居る。総督府を出て左手側の、最初の曲がり角から人影が現れている。伏兵が来たのか、と思ったが、再びヤーラルホーンの梃子に右手の指を添えながら──イスラフェリオの反撃に即座に対処する為──首を振り向けた時、そうではない事が分かった。
そこに居たのは、私服姿の男性だった。恐らく二、三十代、リクトとそれ程年齢が離れてはいないだろう。
街の住民か。リクトは、作戦開始前に部下たちに対し、建造物への被害は最小限に抑える事、敵を匿った者に対しても武力行使は行わず、なるべく戦闘に巻き込まない事を厳命していた。
大通りを真っ直ぐに進んで来る間、一般人の姿は見られなかった。しかし、イスラフェリオたちが戦闘前に彼らを避難させていた訳でもなかったらしい。住民たちは自主的に自宅や安全な建物の中に入ったが、外の様子が気になって出て来た者も居るのだろう。
「危険です!」
リクトは、現れた男性に向かって叫んだ。
「すぐに近くの建物の中に入って下さい! 我々は帝連軍ですが、あなた方に危害を加えるつもりはありません!」
だが、それに対して、相手は無反応だった。
火事場に現れたが如き不安そうな表情を湛えていた顔から、ゆっくりとその色が失われていく。まじまじと見つめていた訳ではなかったが、その不可解な反応にリクトは思わず眉を潜めた。
胸裏に、不安の影がさっと過ぎった。
そして次の瞬間、目を見開いた。
現れた男性が、指差すようにゆっくりと右手を上げ、こちらに向かって突き出してきた。それから矢庭に、
「──サドンデス」
その掌から、死霊化術の光線を放った。
何が起こったのか、と考えるよりも先に体が動いていた。リクトはその瞬間、全身の痛みを忘れてダッシュした。
──何だ? 今、自分は何をされたのだ?
右足首を縛める霊力のトラップを引きちぎり、イスラフェリオが咆哮するように気勢を上げる。リクトはちらりと彼を見、それから現れた男性の方にもう一度視線を向けた。
彼の背後に、住民と見られる他の人影が──老若男女入り混じった大勢が現れていた。彼らは皆一様に、生気の抜けたような無表情で、静かに冷たくリクトの方を見つめていた。




