『リ・バース』第二部 第6話 Nether World②
② エロイス・ネイサン
レトワール首長国──フワーリズミー、ジージュ石窟。
二つ目の聖体、右の前腕部が発見されたパペス国よりも更に南西に位置する肢国で、国土の殆どを砂漠に覆われた乾燥地帯の国だった。更に南下すると、先帝フレデリック二世の征服期終盤に帝連傘下に入ったペンタクル諸国──百の帝連肢国のうち、参画前に「連邦共和国」など複数の自治領によって大きな政体が形成されていた国家群はこのように呼称される──に至り、その先は統一されざる地がリングバック海に面している。
旧ジフト領、旧ディアブル国ルジャンドル鍾乳洞で「左肩」を発見してから一週間後だった。ラナ副騎士長が当たった場所としては三箇所目、エロイス、ニースが合流してからは二箇所目となる。帝国に隣接しているとはいえ北方に含まれるディアブルから、ほぼ大陸中央を横断するような形で南下して訪れる事となったので相当な移動距離となった。
何故これ程までに「怪しい」と思われる場所同士が離れているのか、という事については、道中でラナが説明してくれた。
「肢国が大小合わせて百もあるのに、聖体の個数は全部で十五個だけですもの。適当に見当をつけても脈なしの可能性の方が大きいんですよ。それでも、古代信仰の聖地という場所に絞れた事は大きいです」
彼女は始終ポジティブ思考だった。リーマンに出征した聖光士らの安否も気に掛かる──僭越な憂患だという事は自覚している──中で、それは自分やニースの心をどれだけ救ってくれたか分からない。
「それにフワーリズミーの石窟に関しては、奥にプレーローマの紋章がある事は文献に明記されていましたからね。今度は大いに脈ありですよ」
百を超える候補地からその十分の一の確率で聖体を探し出す事について、先月からの人海戦術が功を奏している事には間違いがなかった。ルジャンドル鍾乳洞で「左肩」を発見するのとほぼ同時に、旧ジュジュマン国の湖底の古代都市からも「右の足首」が見つかり、捜索開始から半月足らずで三つが回収された事になる。これは、かなり速いペースといえた。
「我々による聖体の回収の進捗状況について、破戒僧正は何処まで掴んでいるのでしょうね?」
旧ヘロン遺跡と同様の薄暗く砂色一色の回廊を進みながら、ニースが答えを求めるという訳でもないように呟いた。それでも、先を行くラナは振り返り、律儀に応えてくれる。
「やはりさすがに、これだけの動きをしておいてノーマークという事はないんじゃないですかね。私は以前から彼に目をつけられていたようですし、『影』の性質を鑑みても」
「何処に潜んでいるのか分からない……というのは、やはり脅威ですよね。ルジャンドル鍾乳洞の時は特に仕掛けて来ませんでしたが、このまま全てを見過ごすとも考え難い」
「でも、各地で捜索を行っているのは私たちだけではありませんし」
「その場合は、カルマの方々にイレギュラーが発生すれば、ラナ殿かノレム殿に報告が送られるでしょう?」
「そうですけど、もしも襲撃を受けた者たちが全滅に追い込まれていたりなどした場合、HMEも送って来られないですし」
ラナのその言葉に、エロイスとニースは思わず絶句した。彼女のその台詞は、特に憂うような調子になる事もなく、あらかじめ覚悟している可能性の一つだ、というかのように淡々としていた。
実際に、先例がある為だろう。聖光士は旧モンド、ガウスに出向いた時、音信不通となっていたカルマの騎士たちが全員生ける屍とされ、殺されていた事が判明したと告げた。死霊化術の介入する問題に着手し、捜査を行う事の危険性は、誰よりもラナやノレム騎士長が熟知している。
エロイスよりも先に、ニースが「申し訳ありません」と詫びを入れた。ラナは微かに笑みを湛え、
「謝る必要なんてないのに」
と小さく言う。
石窟の探索を開始してから、既に三時間程が経過していた。旧ヘロン遺跡を捜索した時の具体的な時間は覚えていないが、砂漠の輻射熱の酷い午後から入って出る時には日が沈んでいたので、恐らく片道に費やしている所要時間としてはそこまで変化はないだろう。
この石窟にプレーローマの紋章が刻まれていたという旨の記載された文献には、以前発掘調査が行われた際に描かれたと思しき内部構造も載っていた。ラナはそれを羊皮紙に写し取って来ていた為、最深部までの道順は分かっている。暫らくそのまま進むと、彼女は「そろそろですよ」と言った。
「見えてきました、地底聖堂です」
胸の前で両腕を交差させた無数の巨像が左右に並ぶ回廊の、やや下降した一本道の先に、天井まで届く程の巨大なアーチがあった。古代人が置いたのか、最近ここに入った「影」が置いたのか、その左右の壁に取り付けられた燭台の皿のような場所に照明石が一つずつある。
その前に、ターバンを巻いた古代の王族を模したと思しき座位の石像が一対置かれているのを見、エロイスは無意識に眉根が寄った。それは、旧ヘロン遺跡で聖体が仕込まれていた棺の間の入口にあった、招喚魔術を刻まれた防衛用魔導具そのものの配置のされ方だったからだ。
「ラナ殿、気を付けて下さい」
自分と同じ事を考えたらしく、ニースが言った。
彼女は「ありがとうございます」と微笑してから、「でも」と右手の人差し指をぴんと立てた。
「ここは墳墓ではなく、礼拝堂です。当然大勢の人が立ち入った事でしょうし、入口にそこまで厳重な警備システムは設置しないのではないでしょうか? それにもしそのようなものがあったとしても、ここは以前にレトワールの調査隊が入っているはずですから、もう招喚対象の魔物は討伐された後ですよ。そうじゃなかったら、図面が描けませんもの」
「……それもそうですね」
「一応、警戒しながら行きましょう」
ラナは弦楽器リラを手に、ゆっくりと回廊を進む。エロイス、ニースも剣の柄に手を掛け、像が僅かにでも動いたらすぐに戦闘態勢を取れるように気を配りながら彼女の後に続いた。
しかし、心配は無用だった。自分たちが通過している間も、像に動く気配は微塵も見られなかった。
地底聖堂に足を踏み入れた瞬間、エロイスは思わず息を呑んだ。
上階が吹き抜けになっているのか、天井が遥か頭上にある広大な空間。奥の壁にはそれを目一杯に使ってプレーローマの紋章が描かれている。どうやらここで祈りを捧げていた古人たちも、神霊──聖霊を信仰する宗教観を持っていたのだろう。
その壁の前に、霊廟のような四角い屋根付きの小さな建物があった。その扉は開かれ、正面に位置するこの入口から真っ直ぐに中が見えるようになっている。それはすぐに目に入り、ラナも、エロイスとニースも、声を揃えてあっと小さく叫びを発してしまった。
そこには、灰色に変じた人間の”胴”があった。鳩尾の辺りで胸部から切り離されたのであろう、乾燥し死蝋化しても尚六つに割れた腹筋と臍の窪みがくっきりと浮かび上がっていた。
聖体が生前男の肉体であった事は、胸部──「心臓」を回収した聖光士らが確認している。しかし、今目の前にある”胴”の腰部には、ミイラを包むような亜麻布がきつく巻かれていた。
「ビンゴ──だったみたいですね、やっぱり」
ラナは呟き、淀みのない足取りで廟へと近づく。エロイス、ニースは、襲い掛かる者があれば直ちに動くべく周囲を確認し、その背を追う。
左右の壁際にも、花崗岩の岩塊を切り出して作ったと思しき座位の巨像がずらりと並んでいた。肘掛けのない椅子と、そこに座す本体は完全に結合しており、一つの巨岩から彫り出された事が分かる。
ラナの言う通り、この「地底聖堂」に古代の警備システムは働いていなかったものの、その見えざる視線は招かれざる客を睨視し、圧だけで侵入者を睨み殺さんとするかのようにエロイスには感じられた。ニースもまた、外の灼熱に比べて肌寒くすらあるこの場所で、顳顬から頰にかけてを汗に濡らしている。
彼は腰から折り畳まれた防水布を取り外し、片手で器用に開いた。聖光士らがガウスから「心臓」を持ち帰った時と同様、聖体のうち特に大きな部位があれば梱包して運ぶ事になっていた。
一歩、また一歩と”胴”が近づいてくる。自分たちでも知っているような人物であれば、傷跡などの個人を判別出来る特徴があるのではないか、とエロイスはちらりと考えた。
と、その時、ニースが動いた。
「変幻の権化よ、一筋の刃となりて断ち流せ! ハイドロブレード!」
彼は唐突に身を翻すと、後方に向かって魔術を飛ばしたのだ。エロイスがぎょっとして振り返った途端、至近距離で爆発が起こる。
後方から飛来した魔術にニースの迎撃が命中し、こちらの背中で炸裂する前に空中で爆散したようだった。
誰だ、などと考える間もなく、エロイスは抜剣する。先を進んでいたラナもはっとしたように振り返り、リラの弦に指先を当てた。
立ち込めた水蒸気混じりの煙が晴れた時、そこに立つ者たちの姿がはっきりと見えるようになった。
新生ジフトの軍服を纏った二人の若者。「蠍」──イブンの部下、フー・ダ・ニットとアノニム・アノニマスだ。魔術を放ってきたのは後者らしく、彼は右掌をこちらに突き出していた。
「お前たちか! 本当にやる事は上司たちと変わらねえな!」
旧ヘロン遺跡で、似たような状況で双頭に襲われた時の事が脳裏に蘇り、エロイスはかっと怒りが燃え上がるのを感じた。
「奴らは何処に居る!?」
「黙れ! 貴様らもアマチュアの癖に、生意気にも俺たちを前座扱いしているらしいな! イブン様たちは現在リーマンにて、貴様らの敬愛する聖光士や隕命君主と絶賛戦闘中だ! 俺たちは、キルヒム様から貴様ら如き見習いにも満足に勝てないと叱られたぞ! 貴様らはそうではないのか!?」
「フー」
アノニムは、彼を窘めるように呼ばった。それから、視線をこちらよりも更に後方へと移動させる。
「あれが聖体の『腹』か。なるほど、判断は正確だ……どのように当たりをつけて調べているのやら。もう少し泳がせれば法則性は掴めたのやもしれないが、捜索に出ているカルマの人員はその女騎士だけではないからな。聖体が貴様らの手に渡ってから回収する事の手間とを秤に掛けて、ここで貴様らを排除する事の方を優先する事にした」
「ラナ殿に何をするつもりだ!?」
エロイスは叫び、警告するように剣先を彼らに向けた。
フー、アノニムも抜剣し、迎撃の姿勢を取る。ニースは梱包用の防水布を投げ捨てると、「ラナ殿!」と叫んだ。
「ものを回収して、直ちにここから離れて下さい! 倒した魔物が再湧出するまでには、もう少し時間があるはずです!」
「お二人を置いて行けと?」
ラナは咄嗟にといった調子でそう言ってから、はっと気付いたように微かに唇を噛み、ちらりと背後の廟を振り返った。
彼女が躊躇いを見せた時間は、一秒にも満たなかった。
「……お二人も気を付けて」
彼女は言い、防水布を拾って廟へと駆け寄った。外見通り重量のあるらしい聖体を両手で持ち上げ、布の中に包み込もうとする。
そうはさせじというように、フー、アノニムは自分たちの方から剣を突き出してこちらに向かって来た。ラナを庇うような位置取りでエロイス、ニースが立っている事に対し、ネイピアとパペス国の砂丘で交戦した際に決着が着かなかった為、ここで白黒つけるのだという様子もなく、ただ目的遂行を阻む隘路を取り除こうとするかのような態度だった。
エロイスは咄嗟に、自分たちが見くびられているのではないか、という事が脳裏に過ぎった。しかし、
「俺たちは、今イブン様から託されているのだ!」
フーが、興奮が冷めやらないという口調で叫んだ。叫びざま、
「退魔剣・割陸!」
袈裟斬りを繰り出してくる。エロイスはそれを受け止め、
「何をだ!?」
跳ね上げながら尋ねた。
フーは微かにその声に誇らしさを滲ませ、跳ね上げられた剣を構え直しながらいよいよ声を大きくする。
「イブン様らが、ライガ・アンバース復活の真実を知る我々に、一時的に現場での指揮権を委譲されたのだ。貴様らを追い、回収物の奪取を行え、と。今回ばかりは、そのご期待を裏切る訳には行かない!」
「名誉回復って訳か……」
ニースが、横でアノニムの繰り出した雷属性文法──射出の速度から見て、恐らくスピード技の「稲妻」だろう──を回避しながら呟いた。
「けれど、聖光士から託されているという点では、こちらも君たちと立場を同じくしているんだ」
「──そうだな、ニース」
エロイスは肯き、自ら反撃の剣技を繰り出した。
「失敗出来ないのは、こっちも同じだ! 飛竜斬!」
技を放ちながら、彼らも本気なのだなと改めて思った。
聖体を各地にばら撒いた者が、彼らと同じ組織に属し、同じく赤峨王に仕えているはずのウカノフだという事を、彼らは知らない。そう考えると少し哀れな気がしなくもないが、勝ちを譲るつもりは毛頭ない。
彼らとは三戦目だな、という事を考え、今度こそ自分たちは勝負に決着を着ける事が出来るのだろうか、とちらりと思いながら、エロイスはフーの次の対応を見定めようとした。




