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『リ・バース』第二部 第6話 Nether World①

  ① ドーデム・ヤーツ


「なるほど、これがそうか……」

 机上に広げられた油紙の上で開かれた円盤の中身を見、父ナサニエルが顎髭に触れながら呟いた。

「テレサ様が情報を解禁されてから、私も話には聞いていたが……これはなかなかにきついものがあるな」

 父が眉間に皺を寄せているのも無理のない話だ、とドーデムには思えた。

 ドーデム自身も、モルガンでの療養中にその中身が検められた事については耳にしていたし、それが死蝋化した人間の右手である事も理解していた。しかし、実際にこうして、円盤の中に収められていたものを開封したのはこれが初めてだった。ネクアタッドから引き取った時にも、王宮に帰還してからも、ドーデムはまだ一度もその本体を見てはいなかったのだ。

 ジフト戦役でも、その後ライガ・アンバースの引き起こした数々の悲惨な事件に於いても、ドーデムは見るも無残な有様となった人間の死体など、数え切れない程見てきた。戦場でそのようなものを目の当たりにしても、動揺せずに戦闘を続行する事も出来る。だが、それとこれとは話が別だ。

 純粋に、気味が悪かった。北方で、死刑になった人間の左手首を切り取って酢漬けにするという「栄光の手」の文化を知った時ですら、何という野蛮な者たちが未だに存在するのだろう、と思った。

 ドーデムは精一杯に平気な顔を作るよう努めながら、ペネロープと共にその聖体(エウカリスト)──「右手(デクステラ)」を見る。

 文字通り人間の右手首であるそれは、灰色に変色し、萎え萎んで各関節を曲げたまま硬化し、あたかも猿の手のようだった。その皮膚はひび割れ、そこから剝離した粉末が器である円盤の底に厚く積もっている。少しでも顔を近づけると、発酵しすぎた食酢(ビネガー)のような刺激臭が鼻腔を突いた。

 いつものようにヤーツ邸に居る母エレクトラは、食間(ダイニング)のテーブルの上で粉塵の舞うような悪臭のするものが開封された──しかもそれが何処の誰とも知れぬ人間の死体である──事に露骨に顔を顰めており、聞こえよがしに文句を言いつつそそくさとベランダに避難して行った。

「これが、死霊化術(ネクロマイズ)を無効化する魔導具(リゼルヴァス)だというのか」

「はい。しかし、その使い方については、まだよく分かっていないといいます。ネイピアにて聖光士(バロラント)らを襲った黒衣の死霊化者は、この円盤から粉塵のようなものを散布したそうですが」

「粉塵……これか」

 指先で触れようとする父に、ペネロープが慌てたように声を掛けた。

「どのような性質のものか分かりません。毒性があるかもしれませんので、あまり素手では触れられない方が宜しいかと」

「ふむ」

 父は手を引っ込めてから、今し方のペネロープの言葉に反応したらしくベランダに続く半開きの硝子(ガラス)戸越しにこちらを睨んでいるエレクトラの方をちらりと見、咳払いをした。

「まあ我々は、これを実戦投入しようなどというつもりは毛頭ないからな。ネイピアにて高出力で使用された際、魔除け(タリスマン)結界を破り村を壊滅させる程の魔物を呼び寄せたという話もある。そのような魔物誘引性グリモアリリーサビリティの高い魔導具(リゼルヴァス)を使用するなどという事は、言語道断だ」

 独りごつような父の呟きを聞きながら、ドーデムは、ジフト戦役開戦の前年に旧ランペルール製魔導具(リゼルヴァス)の魔物誘引性の高さが問題になった時、彼が元老院で誰よりも率先して輸入、使用の停止を訴えた事を思い出した。

 父は顔を上げ、こちらを向いて「ドーデム」と呼んできた。

「お前はこれを『使う』事で、私の選挙戦での当選にも有利に働くようになると言ったな?」

「私の申しました『使う』という事は、兵器(アーマメント)魔導具(リゼルヴァス)本来の用途で技術を使用するという事を意味するものではありません」

 ドーデムは説明する。

「ルージュモンは、今回の選挙戦に於いて、父上が対立姿勢を示さねばならない相手はテレサ先帝妃だと言ったそうですね。彼女が後ろ盾となっている──名目上シアリーズ女王が偏頗(へんぱ)されているリクト・レボルンスの不祥事を暴露する事は、元老院政治のウェイトを市民に重視させ、強い牽引力を持ったカリスマの再来を求める声を呼び起こすでしょう」

「不祥事……『ネイピアの層状孤児(ストラトオルファン)』の事だな?」

 父の目が、すっと細められた。

「ガラル・バングの肉体に宿る魂がライガ・アンバースのものであると、どのようにしても言い逃れが出来ぬようにするのです。それについて、私がイタキと共に考案した策にこの『右手(デクステラ)』を用います」

「カルマ騎士団が、この聖体(エウカリスト)を追っているという話はご存じですね?」

 ペネロープが、ドーデムの言葉を引き継いで言った。

「現在、ラナ・ピックルス副騎士長を中心とする捜索に、リクト・レボルンスらが協力しているという事です。情報の共有により、他の騎士団及び近衛宮との協力関係より連携が緊密です。

 ライガ・アンバースを、その正体露見と共に現行犯で捕縛するには、彼らの独自に行っている任務(オーダー)の最中に現場を押さえる必要があります。私たちはまず、この聖体(エウカリスト)を特定の場所に仕掛ける事により、それを追う彼らを(おび)き出します。情報は、さる有力な筋から伝達して頂いて」

「しかし、どのような基準でカルマが聖体(エウカリスト)の在処に見当をつけ、捜索に赴いているのかは分からんぞ」

聖体(エウカリスト)の発見される場所にあらかじめ法則性を見(いだ)す事が出来れば、ラナ副騎士長らの回り方も自ずと判然としてくるでしょう」

 ペネロープは続けた。

聖光士(バロラント)らがリーマン攻略作戦に出発してから、解禁された聖体(エウカリスト)の発見状況については次々と王宮に報告されています。既に、テンペランス、旧ジフト領ディアブル地方、同ジュジュマン地方で、計三つの聖体(エウカリスト)の部位が発見されたとの情報が入ってきました」

「合計四つか」

「いえ、更にそこに、パペス国、旧公国領モンドで発見された二つが加わります。モンド、ガウスの街で発見されたものは、聖光士(バロラント)が連行して来たという死霊化者ラオコーン・シュバーンが所持していたものの為スポットに数える事はしませんが、あともう少々、サンプルデータが集まれば」

「現在ラナ・ピックルスは、何処に出向いている?」

 ナサニエルが、声を低めて問うた。その眼差しに、斬りつけるかの如き硬質な輝きが走るのをドーデムは見て取る。

「ノレム騎士長は事後報告という形で顛末を天秤宮(ライブラ)に伝達する為、まだ分かっておりません。しかし、別段情報解禁に例外的な規定はない為、双児宮(ディオスクロイ)に問い合わせれば教えて貰えるでしょう」

 ドーデムは言い、気弱な同輩の顔を思い浮かべた。

(ノレム・ピックルス……)

 紅潔伯(インペリウム)の息子とはいえ、あのような意志薄弱な劣等生が何故伝統ある五大騎士団の一つを(うしわ)く立場に就けたのか、ドーデムは未だに謎だった。現在も、実務は半ば副官にして婚約者のラナを頼ってばかりいるという。

 少し圧を掛ければ、彼はラナの行っている調査の詳細について洗い浚いを喋るに違いない。

「直ちに、双児宮(ディオスクロイ)連絡(つなぎ)をつけろ」

 ナサニエルはきびきびと言った。

「分かり次第、フォースタス・ハントを派遣する。ドーデム、ハントには現在、私の推薦人としてロビイストたちの活動を斡旋して貰っているという話はしたな? もう少し、彼を使わせて貰う事になりそうだ」

「構いません。彼には既に、『右手(デクステラ)』を巡る一件を伝えております。父上からの”命令”につきましては、私からのものという扱いをして従うように、という事を指示しておきました」

「話が早くて助かる」

 肯く父親を見ながら、ドーデムは、父はラナの居所が知れたら、ハントに何をさせるつもりなのだろう、と考えた。

 本日から第六話「Nether World」の連載を開始します。このお話を以て、第二部も単行本換算で一巻目(全体では五巻目)が終わります。後半も全二十四話という見通しは立っており、現在は第二十三話を執筆しているのですが、現時点で大きくオーバーするような気配はないので「一巻につき六話ずつ」という規定は崩さなくて大丈夫でしょう。

 今回のサブタイトルは「nether(=下の)」+「world(=世界)」で原義は「地下世界」の意味ですが、繋げてこの熟語にすると「冥界」や「地獄」の意味になるそうです。異空間「地下(アラル)」には死者の国のような要素がある為、「underground」よりもこちらの言葉の方が近いニュアンスになると思い設定しました。ジェムシリカが「(スカー)」の首魁となった後、「冥界の女王(エレシュキガル)」と呼ばれるのもこの為です。

「アラル(Arallû)」は、メソポタミア神話に於ける死後の世界を表す言葉の一つで(本作に登場する地名「クル・ヌ・ギ・ア」もその一つです)、世界各地の信仰に於いて地下にある死者の国は生前の罪業の報いという意味合いが多いですが、メソポタミアの場合は罰ではなく誰もが必然的に向かう世界だったようです(日本神話の黄泉に近いと思われます)。本作に於ける死後の設定は「魂の記憶をリセットされて生まれ変わる」「罪業が多いと煉獄(インフェルノ)で浄化される」というものですが、では何故「(スカー)」たちは地下=冥界に存在するのか……という点は、これから語られていくのでお楽しみ下さい。


 それから、第一部第二十二話と第二部第四話の一部に修正を加えました。「レシピエント」と「ドナー」のルビを取り違えて書いていた箇所があったのです。恥ずかしすぎる。

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