『リ・バース』第二部 第5話 Ereshkigal⑦
⑤ リムゲイ・ウカノフ
自軍の兵士たちが陣形を展開していない、影の蟠る路地。
こちらの兵士が居ないので、当然それらを狙って攻撃を仕掛けて来るフォルトゥナの騎士たちも、そこにはやって来なかった。
絶え間なく煤煙を吐き続ける煙突を背に、それが作り出す影によって一際暗くなっている場所に佇み、ウカノフは自らにのみ成し得る知覚を用いて、この戦場の裏で起こっている出来事を観測していた。
──あらかじめ、このような場所を作り出す事を狙って、ウカノフは新生ジフトの軍師として布陣を提案したのだ。
イスラフェリオは「影」の存在を知っており、ウカノフが「ライガの相手は任せて欲しい」と言った時、自分が密かに彼らを用いてライガを捕らえるのだと解釈しただろう。
ライガに「灰」を摂取させる。その目的に差異はなく、ウカノフが偽りを述べている訳でもない。
しかし、イスラフェリオはそれが、彼の想像しているのとは大きく異なる形で実行されるという事を知らない。
絶対の死である死霊化術を打ち消す事、そして人間を操る事。一見、全く異なる作用に思われるこれらが、何故同一の物質によって引き起こされるのか──その事を理解するには、彼にはまだ情報が足りない。
「……エレシュキガルが、奴を『地下』に引き込んだか」
ウカノフは、自分の見えない場所で行われた事を察して呟いた。
個別化したドラウ・ボンが殺害された時と同様、自分には「影」たちが何処で何を行っているのかを知覚する能力がある。聖光士リクト・レボルンスと共に、イスラフェリオの居る総督府の前までやって来ていたライガをエレシュキガルが捕らえて引き離した事、その際一瞬だけ「地下」を経由したという事も、自分には逐一把握されていた。
際限のない群体である「影」の本源である「地下」の意思は──プログラムの意思は、最初は生者であるライガに対して共感を働かせる事はなかった。だが、最終的には個人であるエレシュキガルの「招く」という意志が、彼にあの空間を認識させるに至った。
エレシュキガルの──女王蜂ジェムシリカの生前の実力は相当なものだった。自分の指令に基づき、プログラムが自らを補完する為に生み出した存在でありながら再び自分に死霊化術を刻まれて軛を逸脱した戦闘要員「顎」の頭目にして、「影」全体の首魁に据えるに相応しかった。
しかし、生前の彼女がどのような性情の持ち主であったのか、ウカノフはイスラフェリオから聞かされたので知っている。
(『地下』が彼を拒絶しなかったのであれば、彼は知る事を許された人間という事なのだろう……それもそうだ。今や、歴史上最悪と呼ばれる死霊化者の座は、彼のものなのだからな)
ウカノフは思い、やや苦笑が込み上げた。
別段それは、名誉な呼ばれ方でも何でもないのだが。
(しかし彼が知る事は、殿下の計画が成就するまでに、新生ジフトにとってどのような不確定なリスクをもたらすか。時に秘密は秘密であるからこそ、強みを持つという事もある)
ジェムシリカは、ジフト戦役の最中、ライガとリクトに「恥をかかされた」という事だった。しかしそれは、ライガたちが殊更に悪意を持って何かをした、というような事ではなく、当時はまだ騎士見習いであった彼らが、正騎士たちをも凌駕する程に卓越したセンスを持ち、ジフト軍の指揮官であった彼女を幾度にも渡って敗退させたという事らしかった。
彼女はその雪辱戦の為、彼らが所属していた亡き莞根士アルフォンス・デルヴァンクールの部隊に繰り返し攻撃を仕掛けた。その結果、首都ヴァイエルストラスを守る戦力が目に見えて減る程に。
彼女は優秀な軍人ではあるが、上には上が居り、時には年齢や身分が自身よりも下でありながら自らの能力を上回る者と巡り会う事もある。だから、彼女の行動は虚栄心に基づくものであったと言っても嘘とは言い切れないのだが、彼女はそれを認めようとはしなかったという。
戦後派として活動する間、狂信者でない冷静な旧ジフト派の者たちの中からは、ヴァイエルストラス防衛戦の失敗に於ける戦犯は、いたずらに兵力を蕩尽し続けた彼女ではないか、とする声も上がっていた。
ライガの死霊化術によって命を落とし、「影」に生まれ変わった彼女を個別化した結果、模倣された人格はその虚栄心や執念深さまでをも蘇らせた。彼女の独断が罷り通った為に、今後の計画に於いて支障が出るというような事があれば、それはウカノフ自身の失敗だ。
無論ウカノフが禁じた事は、「影」である以上命令に背馳して実行する事は出来ない。その点では安心しても良いのだが、どのような要因がどのように将来に作用するかは自分でも推測に限界がある。彼女の行動が、思いがけない形で災いを招くという事も有り得なくはない。やはり少しでも気掛かりを感じたら、縛めを強くすべきだろう。
──残留思念としての自覚が、彼女には足りない。
これは欠点というよりも、一つの傾向だった。
エレシュキガル=ジェムシリカは、従来の解釈では魂自体が消滅すると信じられてきた死霊化術を受けた自分が、どのような形であれ蘇ったのだと信じて考えるよりも先に喜んだ。
帝国の騎士道に於ける、自身の命に対する潔さも矜持ではあるが、ジェムシリカの場合、自尊心の大前提として自らの命が第一だった。
死霊化術が魂を破壊するという事は、間違いのない事だ。そして破壊された魂はもう元の形には戻らない。磨り潰されたヒヨコが、成分としては生前のヒヨコから何も差し引かれていなかったとしても、最早元に戻る事がないように。
エレシュキガルとしての彼女は──そして他の「影」たち、ドラウやレドム・イドゥン、グラブル・ドナーもだが、彼らは生前の彼らの”人生”の続きを生きている訳では決してないのだ。
影はこの世の影として、本来その在り方に服わねばならない。しかし、彼女はその代理人であるウカノフに禁じられていない事であれば、逆に何を行っても構わないと解釈している節がある。
(まあ、それは私も同じ事か……)
苦笑が、無意識のうちに大きくなる。
自分もまた、自分たちの目的の為に「影」を──プログラム、秩序の陰として存在する不死者を利用している。赤峨王には彼らを元々自らの私兵であったかのように紹介したが、実際に今のウカノフが彼らにさせている事は、召使いとしての奉仕以外の何物でもない。
もしも、彼らの中にライガに殺害された妹が居るという事を知ったら、イスラフェリオはどのような反応をするのだろう。
さしもの度量を持つ彼であっても、ウカノフに対する不信感が萌さないという事はないはずだ。
それだけは、まだ避けねばならなかった。
(しかし、まだリスクは”脅威”へと転じた訳ではない)
ライガが「影」の真相を知る事は、彼やリクトがその後、確信を持った情報をイスラフェリオに伝達する可能性が高くなるという事だ。ジェムシリカの行動はそのリスクを招いた訳だが、「地下」に引き込んだという事自体は必ずしも下策であったとは言い切れない。
彼女は一度ライガに殺害されているので楽観視は出来ないが、もしも、彼女が敗れるよりも早く、「地下」でライガに「灰」を摂取させるという目的を達成する事が出来れば。
「……『目』たちよ」
ウカノフは、背後を振り返りながら静かに呼ばう。
煙突の影から滲み出すように、黒衣の者たちが浮上してきた。皆一様に同じ背格好をし、髑髏の面を着けている。彼らは、まだ個別化されていない「影」の群体の一部だった。
「そのまま、この場所で待機していろ。状況に変化があれば、この街に居る貴様たちの同類が──受肉せし者たちが報せを運んでくれるだろう。私は少々、持ち場を離れねばならない」
命令以外の言葉を彼らに掛ける必要はなかったが、ウカノフは半ば定常処理的な行為としてそれを口にした。
「何、案ずる事はない。プログラムへの、ちょっとしたご機嫌伺いだ。しかし、ややもすれば……」
言いながら、「影の部屋」の術を発動する。
自身の影に沈み込みながら、ウカノフはローブの中に手を差し入れ、そこに潜ませたものの表面に指先を這わせた。歪な人骨の杖──魔杖オムグロンデュ、そのオリジナル。
──境界転生によって魂を呼び戻されたとはいえ、紛れもなく一度死んでいるライガに、まだこの杖は感応するだろうか。
道具は果たして、かつての君主に牙を剝くだろうか。
(我が物としてくれるさ)
何故なら、と、ウカノフは胸中で自らに言った。
(我が名は──)
第五話「Ereshkigal」はこれでおしまいです。現代編で「冥界の女王」と呼ばれている人物の正体がジェムシリカであった事は何となく予想されていた方も居そうですが(過去編でライガと交戦した事のある女性のネームドキャラが彼女しか居ないので)、では死霊化術で死んだ魂が完全に消滅するという事は何だったのか、という詳細についてはまた次のお話にて。
第一部でのエレシュキガルの登場は第六話だったので、生前の姿が登場する第十一話よりも前からジェムシリカは出ていた事になります。しかし、実は彼女の名前自体は第二話の時点で既に登場しており、リクトがイブンを「新生ジフトの女傑」という意味で「女王蜂のような魔剣士」と語り、ライガが「ジェムシリカの再来かよ」と言っていました。気になる方は第一部第二話の二日目をお確かめ下さい(「ハリー・ポッター」シリーズのシリウスやグリンデルバルドのような感じです)。
「影」の「顔の見えない正体不明の者たちの集団が実はよく知っている死者だった」という設定は特に珍しいものではありません。私がすぐに思い浮かべるのは上橋菜穂子さんの『闇の守り人』に登場するヒョウル〈闇の守り人〉ですが、拙著『夢遥か』の「目暗の呪祷官」もそうでした。そういえば「自分の影に潜る」という能力も、『夢遥か』に登場した異能力「潜」に似ています(本作のは少し違うのであくまで「似ている」だけです)。
同じ作者が書いているので詮ない事かもしれませんが、言葉遊びとか世界の理に関する事とか、本作は書きながら「うわっ、『夢遥か』と似ていてどうしよう」と思う事がしばしばあります。とはいえ、それは作者の個性という事で自身では割り切っています。考えてみると、『ブレイヴイマジン』の原形やその次に書いた未公開小説(いつか書き直して公開したいです)の頃から、自分がファンタジーを書くと世界解釈小説になるという兆候は見られていました。ゆくゆくは、完全にそれを主題にした作品に挑戦してみたいです。
その前に本作を完成させなさい、というお叱りの声が聞こえてきそうな為、この辺りで筆を擱く……もとい、鍵盤を畳みます。




