『リ・バース』第二部 第5話 Ereshkigal⑥
「しかし、”作成者”の明らかになっている聖体がパペス国の遺跡にあったという不可解については一考する必要があるな。今のところ”作成者”は信用に足ると見て問題はないが、原理について説明がない事は事実だ。もしも、かの呪物が古代魔術に類するものであれば……引き続き、カルマの女騎士を始めとする捜索者たちの足取りを追う必要もあろう。
聖光士よ。敵ながら警告をしてくれた礼として、もう一つ教えてやろう。現在、既に『蠍』は放たれ、カルマの者たちを追っている。イブンは、双児宮が捜索の人員を増やしたという報告をもたらしたが、彼らにはくれぐれも気を付けるように伝えておけ。恐らく貴様も、パペスでの一件を通してそれらの動きについては一枚以上噛んでいるはずだろうからな。……但し、ここから生きてユークリッドに帰る事が出来れば、の話だが」
イスラフェリオは、こちらが戦闘開始の時宜を窺い始めた事を敏感に察したようだった。
彼の称号の由来である大剣が、軽々と持ち上げられて切っ先をこちらに向ける。その刃から彼の体の輪郭をなぞるように、陽炎の如き揺らめきが生じてぎらぎらと輝き始める。
「我が身に集え、死せる英霊たちよ……アルマドゥラ!」
纏鎧術が発動されたのだ。系統は降霊術なので、今彼が唱えたものは必須の詩文ではない。ライガの癒合術のように、プログラムに供物を捧げる事で威力を底上げしているのだ。
その揺らめきが彼の全身に行き渡る前に、リクトはヤーラルホーンに息を吹き込んだ。五線譜の光果が、彼に向かって射出される。
イスラフェリオの降霊術が、ジフト戦役の頃──十年前とは比較にならない程に成長している事は、既にモルガンでの戦いで確認している。自分の戦闘に於ける基本的な攻撃である、音霊による拘束や、その「段々大きく」による出力向上→爆破という技術は通用しない。前者は容易く腕力で引きちぎられるし、後者はたとえ爆発を起こしても、その強化された肉体の頑丈さから、与えられるダメージは微々たるものにしかならない。
リクトが狙ったのは、それによる実質的なダメージではなかった。先手を取り、イスラフェリオに魔術破壊を行わせて時間を稼ぐ。ほんの一、二秒であっても、それは自分にとって必要な時間だった。
「真の国へと回帰せし者……総ての系譜は、今正統なる胤裔の前にその偽りの正されん事を!」
光属性文法、最高技の派生──「拡張」。
「聖裁……アンブレイカブル・スティグマータ!」
彼の纏鎧術を突破し、ダメージらしいダメージを与える事の出来る数少ない技。リクトは、先程のヤーラルホーンによる攻撃で、その長い詩文を唱える為の時間を作り出したのだ。
ドミナシオンの刀身に巻き付いた五線譜様の霊力が、引きちぎられて境界へと還元される。彼は続いて、自身に肉薄した四本の十字架状の光をその剣の一閃で打ち砕こうとしたが、
「プリヴェントファクター!」
間に合わないと判断したのか、すぐに障壁因子での防御に切り替えた。
イスラフェリオは、通常文法の属性適性を持たない。それ以外の汎用に近いものもほぼ使いこなす事が出来ず、光属性に適性のない者でも多くが十分な出力で発動する事の可能なこの防御魔術も完璧ではないようだった。考えてみれば、イスラフェリオの魔術に対する防御手段は自身の文法によるガードや相殺ではなく魔術破壊が主となっていた。
元々、リクトの強力な魔素出力で繰り出された派生技を通常の防御魔術で完全に防ぎきる事の出来る者の方が珍しい。イスラフェリオの展開した障壁因子も、同じ光属性の攻撃に炙られるように薄らいで突破された。
それでも、完全に無意味だったという訳ではなかった。障壁因子にぶつかった事により、こちらの「破壊不能の聖痕」は幾分か威力は減殺された状態でイスラフェリオに到達した。
彼の発動していた纏鎧術でも、ダメージの減殺は起こる。確かに派生技は彼に通用したものの、その威力は命中した時には通常の半分──かそれ以下──にまで低下していた。
イスラフェリオは押され、両足を踏ん張ったまま後方に下がった。しかし、その両足を地面から浮かせる事はなかった。
「初手から全力か……しかし!」
彼は、同じく纏鎧術の効果を受けたドミナシオンを振るって反撃に出る。
「鳴動山禍!」
両手剣カテゴリの技。リクトはその間合いの外に居たが、凄まじい威力と勢いで振られた大剣は局所的に発生した風圧を、強化された剣技そのままの攻撃力を持った斬撃に変えた。
トゥールビヨンを抜いて防御する暇はなかった。リクトは、先程のイスラフェリオと同様障壁因子での防御を行おうとしたが、咄嗟に詩文を詠唱しかけた時、唐突に気道が塞がれたようになって激しく咳き込んでしまった。
何が起こった、と思う間もなく、至極単純な理由に思考が至った。酸欠だ。いちばん最初に思い切りヤーラルホーンに息を吹き込み、それから改めて息を吸う間もなく派生技の長い詠唱を一息で行った。それまで何故、息苦しさを感じる事もなく自然に行えたのだろう、と思うが、戦闘中には度々自らの無茶に気付かずやりすぎ、後から反動が来る、という事はある。
恐らく、脳が異常に神経伝達物質を分泌するのではないか、と思う。しかし、やはり人体には精神面ではカバーしきれない限界がある。
無詠唱で発動するという選択肢も、冷静に考えればあった。無論それなりに失敗のリスクはあるが、自分には基本の防御魔術程度、発動に成功しない可能性の方が低かったはずだ。
そのような判断すら、咄嗟に行えなくなっていた。
激しく貪ろうとしていた空気が、口腔内に半ば入りかけた状態で暴発した。苦しいというより、痛い──と思った矢先、白銀の鎧の胸甲が、厚紙を破るかのようにぱっくりと裂けた。
最初に戦った、肥大化した魔心者の子供たちに鋼鉄のナックルを嵌めた拳でパンチを喰らったかのような衝撃が、肋骨に叩きつけられた。リクトは跳ね飛ばされ、中央通りを十メートル以上も地面に叩きつけられながら転がった。その間、またもや呼吸は奪われていた。
衝撃が収まった時、リクトがまず確認したのは、自分が生きているか、という事だった。
(腕も足も、ちゃんとあるな……?)
それを確かめ、初めてほっとした。その一瞬は、恐らく肋骨が叩き折られたであろう痛みを忘れる程だった。
最初に派生技でこちらから攻撃を仕掛けた時、勿論それだけで決着が着くだろうなどと甘い事は考えていなかった。当然、イスラフェリオがそれを受けきった後で、反撃をしてくるであろう事も予想がついた。
しかし、これは──何故、自分は赤峨王のこのような攻撃を、それで自分が被るであろうダメージの程度を予想出来なかったのか、と思った。彼が新生ジフトを興してから、これで自分が直接戦うのは二度目だ。一度目で学んだ事は、何処に行ってしまったのか。
だが、そう考えてからすぐに「違う」と自ら否定した。
モルガンで交戦した時、リクトはここまで大きなダメージを自らの身に受けはしなかった。目の前で巨大な騎馬──体重は五百キロ以上にもなる──が斬り飛ばされて宙を舞う様は見ていたし、ライガが使役した生ける屍はドミナシオンの洗礼に晒されて挽き肉と化していた。それだけでも、纏鎧術の進化した今の彼の攻撃の凄まじさは分かるはずだったが、やはり実際に身に受ける事は、見て想像するのとは異なるらしい。
何故、先の戦闘では目立ったダメージを被らなかったのか──それは、ライガが居たからだ。
ライガが、自分と共に連携攻撃で戦ってくれたからだった。あの時彼は、ファタリテの者たちの目があった為、ガラルとしての振舞いに徹しなければならなかった。だからこそリクトは最初、隕命君主としての力を使用出来ない彼を守りながら戦うのだという気持ちで戦闘に臨んだ。
しかし、彼は自ら戦いに参加し、ドーデムからの疑いを濃くするのを承知の上で死霊化術を使用した。自分たちはそれから連携し、互いに互いを守り、サポートし合いながら戦ったつもりでいたが、実際には自分の方が、彼に庇って貰っていたからこそ出来た事の方が多かった。
魔素出力を向上しての攻撃も、「拡張」「昇華」両方の派生技の発動にしてもそうだ。イスラフェリオに通用するだけの攻撃を放つ為には、どうしてもそれまでに時間が掛かる。
先の戦いでは、その面をライガがカバーしてくれていたのだ。そのような単純な事に、自分は今更気付いた。
(助けに行く……だって?)
イスラフェリオとの戦闘が始まる直前、自分が考えていた事が、酷く滑稽な事のように思えてきた。自分は、時代が進むに連れてより高次のものに変遷していく戦いの中で、一魔剣士としてはまだまだ未熟だ。助けに行くどころか、自分の相手だけで手一杯になっているではないか。
「……今のは、かなり効いたぞ」
立ち上がらねば、と思うリクトの視界の奥の方から、イスラフェリオは追い討ちを掛けようと向かって来ていた。
「賊刀臻愚連!」
「こっちもだ、赤峨王……ダイナミックヒート」
ドミナシオンの刀身から立ち昇る揺らめきが、小刻みに震動しているかのように見えた。彼が距離を詰めて来るまでまだ何秒かある、と判断し、リクトは自身に魔素出力向上効果を施す。
これから、詩文の長い派生技を使わずとも、イスラフェリオに攻撃が届くようにする為の準備。向こうから攻撃されたら回避するしかない──この魔術で出力を上げずに防御魔術を使っても、完全に敵のダメージを打ち消す事が出来ないのはモルガンで戦った時に体験した通りだ──ので、これを使用する時間的な余裕は今の今まで与えられなかった。
その「何秒か」の余裕が消費され切った瞬間、リクトは早速、先程は咳き込んでしまった為に発動出来なかった防御魔術を使用した。
現れた光の壁に、ドミナシオンが叩きつけられた。その隙を逃さず、リクトはヤーラルホーンの唄口を再び咥える。
演奏した旋律は、
「ディミヌエンド」
弱体化魔術の上位互換の技だった。纏鎧術によって向上したのは攻撃力と耐久力のみだが、この旋律にはそれらを下げる効果がある。完全に纏鎧術の効果を打ち消す事は出来ないが、ある程度の相殺であれば行えるはずだ。
障壁因子の壁の下から、イスラフェリオの脚部に浸透させるような形でリクトは狙いをつけた。
しかし、次に起こったのは、
「……私が」
リクトが思い描いていた”その先”の予定を突き崩すものだった。
「再び貴様と相対すると分かっていながら、それに対して何の対策も採っていなかったと思っているのか?」
イスラフェリオは、ヤーラルホーンの先端が音色を紡ぎ出す前に、障壁因子にドミナシオンの刃を当てたままステップを踏むように足を運んだ。
意地でも剣を壁から離さない、と言わんばかりに、それを振り下ろした姿勢のまま囁くように詠唱する。この状況で発される文法は、当然攻撃を目的としたものではなかった。
「力よ満ち渡れ……ストレングス」
身体強化魔術だった。だが、やはり文法が苦手な彼に、そこまでの効果を得る事は出来ないのではないか──と、リクトは一瞬考えた。
しかし、それで十分のようだった。
イスラフェリオはこちらの疑問などお見通しだと言わんばかりに、短い詠唱の後で付け加えるように囁いた。
「私の纏鎧術を施した剣技と、貴様の出力を向上した防御魔術……両者はほぼ拮抗していた。砕かれない以上は、貴様の方が勝っていたと言う事も出来なくはないのだがな。だが、拮抗状態であるならば──重さの釣り合った天秤ならば、僅かにでも何かを追加した方に傾く」
「お前──」
リクトが言いかけた時、光の壁が砕け散った。
ドミナシオンの錆色の刀身が、鎧の剝落しかけたこちらの肉体へと迫る。リクトは咄嗟に、ヤーラルホーンの管で意味を成さない防御を行おうとした。
だが、それよりも早く──。
グサッ、という音と共に、まだ立ち上がる前だったリクトの視界を血飛沫が満たした。その源は、自分の腹部だった。




