『リ・バース』第二部 第5話 Ereshkigal⑤
④ リクト・レボルンス
「待っていたぞ、聖光士リクト・レボルンス」
声を掛けられた時、リクトは咄嗟にヤーラルホーンに息を吹き込もうとし、すぐに思い直して唄口から唇を離した。
ライガとは分断されたが、こちらの思惑通り、イスラフェリオとウカノフが自分たち二人のうち一人ずつと一対一で相対するという保証はない。彼らにとって捕獲対象はライガなのであり、自分は完全な邪魔者だ。イスラフェリオが自らを囮にし、その隙にウカノフが何処かからこちらを狙っているという事も、可能性としては十分に考えられるのだ。
しかし、イスラフェリオはこちらのそのような思考を悟ったかのように「そう過剰になるな」と言った。
「ウカノフには、ライガ・アンバースの相手をするように命じている。彼が自ら志願した事だからな」
「それで、彼を孤立させたのか?」
リクトは低く問いを放ちながら、不吉な想像をしていた。
敵の目的は、ライガを”捕獲”する事だ。もしも、「影」の発生させる異空間がこちらの意思による接触を拒絶する類のものであれば、ライガはそれに引き込まれた時点で敗北が確定したのではないか。
だが、「相手をする」とは? 捕獲に成功さえすれば、そこからウカノフが改めて彼と戦う必要など、ないはずではないのか。
「今のままでは、無理だ」
イスラフェリオは言った。
「奴のしぶとさは、私自身が身を以て体験したのでよく知っている。……そのような顔をするな、聖光士。今、ここにはドーデム・ヤーツは居ない。わざとがましい振りの必要はないのだ」
「何処まで知っているんだ、赤峨王?」
リクトは、早口で彼に問い掛ける。
「ネイピアでお前の部下を──『蠍』たちを襲った黒衣の死霊化者は、お前たち新生ジフトの手の者だったのか?」
「──やはり、ウカノフの交渉の場で割れたか」
イスラフェリオの独りごつような呟きに、リクトは訝しさを覚える。
「交渉? 何の話だ?」
「白々しい。第三の聖体──旧ヘロン遺跡にあったものを含めれば第四か──を奪ったのは、貴様と隕命君主だろう?」
「確かにそうだが、ウカノフの交渉というのは……」
「知られた事は仕方がない。そうだ、かの『影』どもは、我々新生ジフトの切り札中の切り札だ」
無駄話を長引かせる事はすまい、というかのように、イスラフェリオははっきりと宣言した。リクトは「やはり」と思ってから、不意に得も言われぬ怒りが萌すのを覚えて拳を握り締めた。
「お前はその者たちに、『蠍』を殺す事も許したな。自らを支持する者たちに、何故そのような事を行った? 彼らは戦後派だ、お前がそのような行為をなし続けるうちに、北方の民は死ななくて良かった者たちまでが命を落としていく。お前が集める支持は、人民解放の大義名分の下にあったものではないのか?」
「帝国の騎士が、それを言うか」
イスラフェリオは、柳に風と受け流した。
「シアリーズ女王は『第三』政策なる事業で、かつての北方への関わり方を改めようとしているらしいな。だが、これのみは価値観の相違というしかないだろう……私と、貴様らのな」
彼は、大剣ドミナシオンを肩に担ぎながら何でもないかのように言う。
「貴様も知っているはずだ。私は、より大きなものを生かす為ならば身内であろうと切り捨てる。我が父とて、その例外ではなかった」
「……そうだったな」
リクトは、握り込んでいた拳からゆっくりと力を抜く。今は、言ってもどうしようもない事に割いている時間などないのだ。
「イスラフェリオ。お前は、本当にウカノフの全てを理解しているのか? 彼の使役する、その『影』という者たちが何者であり、どのようにして彼に操られているのか。それに、彼が聖体を以て、どのような最終目的を遂げようとしているのかについても」
「『影』どもは極秘の隠密部隊だ。そのような言葉を使って、我々の撹乱を狙っているのだとしたらそうはいかぬぞ」
イスラフェリオの口調は変わらなかった。リクトは確信する。
彼は、『影』がウカノフの指揮下にあるという事は知っていた。但し、ウカノフからは彼らについて、単に自分たちだけが存在を知っている新たな隠密集団だと思わされていたのだ。
彼は、『影』が死霊化術によって命を落とした者たちである──かもしれない可能性──について知らない。案の定だ、ともいえた。
では、と、新たな疑問も生じる。
まだ彼が、ウカノフのみが知っている──リクトたちですら未知であった物事について、何処まで共有されているのか、或いは偽りを刷り込まれているのか、判断がつかないのだ。
「聖体の出所については?」
イスラフェリオが何処まで真実を話すだろうか、という事を疑問に思いつつも、リクトは手探りで確かめるように問いを重ねる。
「イブン・ソニアやキルヒム・アサップに、旧ヘロン遺跡にあった前腕部を回収させようとした事は? お前は本当に、あの場所に聖体があった事に疑念を抱いて、彼らを動員したのか?」
「……どういう意味だ、それは?」
「ウカノフが仕込んだという事については、考えなかったのか?」
「何故、あの男がそのような事をする必要がある?」
イスラフェリオに問い返され、リクトは口を噤んだ。それは、結局ガウスでウカノフ本人と対話を行っても分からずじまいだったのだ。彼は、世界中に死の結界を展開するような事を示唆していたが、それも何処まで意味のある言葉だったのか、判断は覚束ない状況だ。
リクトが言葉に詰まると、イスラフェリオはこれ見よがしに息を吐いた。
「『蠍』どもには、聖体はウカノフが商工組合から卸して来ているものだと伝えてある。だが、イブンやキルヒムはやはりどうも焦臭いと思っているようだ。如何に我々が死霊化術の研究を解禁したとはいえ、死霊化術を無効化する物質を組合の連中が生み出していた事、それを初見のはずの『影』が──正体不明の第三勢力が使い方までを知っていた事がな。
私は、組合が何らかの思惑を秘め、我々を裏切っているかもしれない、という推測を奴らに伝えた。勿論、出鱈目だ。私は聖体が組合によって作られたものでない事を知っている。ドーデム・ヤーツによってカヴァリエリ侵攻が行われた時、ウカノフが留守にしていたのは、ここリーマンのような旧ジフトの自治体に我々への協力を求めに行っていた為でなく、我々に与えられる第三のそれを受け取る為に作成者との交渉に赴いていた為だという事も」
彼はそこまで言うと、俄かにこちらを睨むような目になった。
「貴様やライガの見た通りだ。聖体は、”作成者”から直接ウカノフへと引き渡されていた」
「見た通りって──」
リクトは混乱を覚えてから、すぐに「そういう事か」と理解した。
イスラフェリオは知らないのだ。ファタリテ、デスタン両騎士団によってカヴァリエリ攻略作戦が行われ、それに乗じて街から脱出する間、ウカノフがガウスに居たという事を。
旧ジフトの自治体と交渉する、という説明を下の者たちに対して行い、ネイピアでリクトたちが奪取した「左手」に代わる新たな聖体を”作成者”から受け取りに行くとイスラフェリオに伝えていたウカノフ。しかし実際に彼が行っていたのは、ガウスに居たラオコーンを捕らえ、それと同時に彼が隠匿していた「心臓」を回収する事が目的だった。
それが失敗に終わり、イスラフェリオの元に戻ったウカノフは彼に告げた──”作成者”との交渉の場にリクトとライガが割り込んで妨害を行い、自分たちに譲渡されるはずだった聖体は奪われた、と。
本来の諜報員である「蠍」たちによる調査が進めば、こちらが「左手」、旧ヘロン遺跡の右の前腕部に続いて第三の聖体を確保したという事は明らかになる。ウカノフはそれを見越し、「”作成者”との交渉の失敗」の理由を、リクトたちによる妨害という事にしてイスラフェリオに伝えていた。
(それじゃあ……”作成者”という者の存在も架空のものか?)
聖体を作成したのは、ウカノフに依頼を受けたイオニアだった。イスラフェリオは、ウカノフがラオコーンから回収してもたらされるはずだった「心臓」が第三であると言い、それ以外にも世界各地に聖体が仕込まれている事はカルマ騎士団のラナ副騎士長によって確認済みなので、新生ジフト軍の元にある聖体の総数は元々二つのみだったと考えられる。ネイピアでその片方がリクトたちによって回収されたように、何らかのイレギュラーが発生すれば、ウカノフは各地に仕込む前のものを以て補充を行うつもりだったのかもしれない。
その際、新たなそれの出所としての方便に用いる為、ウカノフは居もしない”作成者”という存在をイスラフェリオに語っていたのか──。
(……いや、待てよ)
「その”作成者”に──会った事は?」
リクトは、声を低めて尋ねる。果たしてイスラフェリオは、
「あるさ、無論な」
そう答えた。
完成図の見えてきていたジグソーパズルに、新たなピースが発見されたような気分になった。それがイオニアなどでない事は、言われるまでもない。彼やラオコーンら冒険者パーティーは、北方では顔の知れた有名人だった。ジフト戦役の際は、旧ジフト軍も彼らに協力を求めようとした程だ。”作成者”がイオニアであれば、イスラフェリオはすぐにその正体に気付いたはずだ。
表情は変えないように意識したつもりだった。しかし、動揺が顔に浮かぶ事は避けられなかったようだった。もしくは、血色の変化や発汗でそうと悟られたのかもしれない。イスラフェリオはリクトが息を呑むと、思いがけない反応を面白がるかのように片眉を上げた。
「我々が息を潜めている三年間にも、風聞は伝わって来た。五大騎士団が帰らずの地で、隕命君主を討ち滅ぼしたという事についてもな。”作成者”が──イスラフェリーの信奉者を名乗る男が、我々に接触して来たのはその三日後の事だった。変身術を使っていた可能性が高いから、正確にはまだ男か女かという事については判然としないがな。
彼──便宜上こう呼ぶが──は、かの地で死んだライガの魂を境界転生でこの世に呼び戻した、と言った。それが嘘でない証拠には、やがてペンタゴナ・パラスの保護する孤児の中に、ガラル・バングという名前の子供が現れるだろう、と。この時にはまだ根拠はなかったといえるが、実際にその後、『影』に王宮内を調査させる中でその子供は発見された。自信満々に言い切るだけの事はあったという訳だ……もっとも、帝連軍にすら発見されず三年もの間潜伏していた我々に接触して来た目的が、単なる悪戯であったとは思い難いがな。
彼は、私が密かに戦後派や各地に散った旧ジフト軍の残党に渡りをつけ、来るべき反撃の時の為に集めてきた戦力を以て新生ジフトの勃興を宣言するようにと促してきた。新国家に於いて、死霊化術を正式な学問体系として研究を解禁する事、ライガの死後七日目にそれを行う事で、帝連の民に隕命君主が再び戻って来るかもしれないという予感を抱かせるという事……たとえ実際にはライガが再び世界に災厄をもたらさなかったとしても、有史以来最強の死霊化者を旗印に祀り上げていればプロパガンダにはなる、と」
「その時にはまだ、復活した彼をお前たちの陣営に引き入れる為の術は──『灰』とやらを生み出す聖体は、この世に存在しなかった。作成の目途が立っていたのかどうかすら不明だ」
リクトは呟く。魔導具技師であったイオニアが死霊化者となったのは、ライガの死から一年後の事だった。
「『影』は、その頃から存在したからな。私がカヴァリエリで新生ジフト建国の宣言を出す二年前、ウカノフが戦後派として加わった時、彼は既に固有降霊術の毒化術と共にオリジナルの『影の部屋』を会得し、同じ魔術を編み出して共有した私兵たちを率いていた。当時から最重要機密として諜報に用いる為、他の者には存在を明かしてはいなかった」
イスラフェリオは言うと、ドミナシオンの切っ先を地面に突いた。
「『影の部屋』の真実を教えてやる。あの技は、特殊な空間を通じて集団が意思を共有するものだ。『影』に選ばれ、ウカノフからその魔術を刻まれた者は、精神に設けられた秘密の扉から彼の意思を自らに招き入れるようになる。彼の命令に逆らう事が出来なくなるのだ。
より強固な洗脳の手段である『灰』が発見されるまで、我々は復活したライガをこの術で陣営に引き入れるつもりだった。元から最重要機密としていた為、都合は良かった」
「………」
本当の事だろうか、と、リクトは思う。
イスラフェリオとしては、本気でそう信じているのかもしれない。だが、リクトは既に、『影』がウカノフによって任意に抜擢された者ではなく、死霊化術によって命を落とした者が何らかの手段によって生まれ変わったものである、という可能性を示唆されている。
こちらの沈黙をどのように解釈したのか、イスラフェリオは畳み掛けるように更に言葉を続けた。
「”作成者”に──その時はまだ”作成者”ではなかった訳だが──、ウカノフのこの降霊術が知られていたとは思えない。組織の中ですら私たちの間でしか共有されていない事柄だったのに、ましてや外部の人間に知る由があったはずはないからな。それが如何に、信奉者だったとしても。
当然、その男は具体的にライガを操る方法については語らなかった。『灰』に関しても、それから三年が過ぎてやっとその名が我々に知らされたくらいだったのだからな。再び我々が”作成者”に接触したのも、この最初の接触から三年が経った後の事だった。
私自身もそれまで、真にその男を信用しても良かったのか、腹を決めかねている部分があったのは否めない。なるほどガラル・バングという少年は実在した、年齢から考えて”作成者”が最初に渡りをつけてきた時にはまだ生まれていなかった蓋然性は高く、やはり彼が嘘偽りを述べていたとは思えない。まだその兆候は表れていなかったものの、魂を見ると確かに層状孤児でもあったらしい。
実際に『灰』の効能がデモンストレーションによって示されたのは、ごく最近になってからだ。死霊化術を無効化する、そして人を意のままに操る──それを示された上で、連絡も可能な状態とあれば、それで尚我々への協力が詐欺ではないかなどと疑う必要はないだろう」
「………」
リクトは沈黙を保っていた。
──その”作成者”が、あらかじめウカノフの仲間だったという事は考えられないだろうか?
ウカノフがここまでイスラフェリオを欺いている以上、彼が単にジフト再興を望む戦後派でない事は間違いない。では、”作成者”とは一体誰なのか。
単純に考えれば、孤児であったガラルを保護し、城に連れて来た人物という事になるのだろう。しかし、福祉事業の一環として行われているそれは、六年前から今まで途切れる事なく行われてきた政策であり、ガラル本人のように里子として各地の家庭に引き取られた者も居て新陳代謝が激しい。当時の記録など、残されているかも怪しいところだ。
その時、リクトは思わずあっと声を上げそうになった。
ネイピアの村で、ガラルが層状孤児ではないかという疑いが浮上し、自分がエロイス、ニースと共に調査に向かった時。自分たちが、彼が本当にそうなのか、またその場合彼に宿ったもう一つの魂がライガのものなのか、半信半疑で村に赴いたのと異なり、「蠍」たちはある種の確信を持って現場へと駆けつけ、隕命君主の魂を覚醒させた。
彼らは、イスラフェリオの言葉通りならば当時から層状孤児であると分かっていたガラルの引き取り先が、ネイピアのバング夫妻であるという事をあらかじめ知らされていたという事だ。
幾ら「影」が絶対の諜報術を持った者たちだったとしても、いつ里親が現れるか分からない子供を監視する為、六年間ずっと城に潜み続けられたとは思えない。ならば、あらかじめ城の中に居た誰かが件の”作成者”である、という結論には辿り着かないだろうか?
そこまで考えてから、リクトは、早まるな、と自らを叱咤した。
(まだ、そうと決まった訳じゃない。城の誰かが密かに死霊化術で殺害されて、そのまま『影』に転生して……それからウカノフの命令で、何事もなかったかのような顔で城に出入りしていた可能性だってあるじゃないか)
リクトは頭を振ると、沈黙を破った。
「全部、ウカノフが示し合わせてやっていた事かもしれない。何の為か、と聞かれても答えられないが……もしかすると、来るべき”作成者”との接触の為に、あらかじめ彼がお前の仲間になっていたのかもしれない」
「……余程、分断がお望みのようだな」
イスラフェリオは吐き捨てるように言い、「仮に」と続けた。
「仮にそうだったとすると、全体あの破戒僧正という男は、何者だという事になるのだ?」
「それは──」
言葉に詰まる。そればかりは、もっともな疑問だった。
犠牲者の魂は消滅するとばかり思われていた死霊化術の被害者を、「影」として使役する術を持っていた事。原理の分からない聖体をイオニアに作成させ、用途を理解していた事。そして、文献にもない、失われたはずの古代魔術──「プレーローマ」の効果を知り、イオニアに教えたという事。
彼はあまりにも、現在この世界で生きている人々の”常識”の範疇から逸脱しすぎていた。ごく一般の人間が、個人的な研究のみで一生のうちに自身に蓄積出来るようなものではない。
「実際のところ私は、あの男が何者であろうが構わぬ。貴様が何の意図を持って、私の彼に対する不信感を煽るような言葉を吐いているのかは知らん。が、軍内に不穏な動きがあるとして、私に自身の命を惜しませて投降させようという魂胆なのであれば無駄だと言っておこう。たかが一人の思惑でプラン全てをなかった事にする程、ジフト再興の大義は甘いものではないのだからな」
イスラフェリオの続けた言葉に、リクトは微かに顎を引いた。
自分も無論、そのような意図があって言った訳ではない。それでイスラフェリオに投降を促すつもりでも、彼に警告を発する事で来るべき災難から救おうというつもりもなかった。
彼が何処まで、ウカノフと「影」の繋がりについて知っているのか、知っていた場合、何処までの範囲の部下たちにそれを共有しているのか。或いは、誰までなら機密保持の為に命を奪う事もやむを得ないと考えているのか、確かめる事こそが目的だった。
その目的は、大まかには達成されたといえた。
正直、まだまだ疑問は解消されない。それどころか、一部に関しては更に膨れ上がってしまったと言っても過言ではなかった。
だが、残りはライガがウカノフ本人から聞き出す事になっていた事柄だ。
(ライガは、大丈夫だろうか?)
イスラフェリオから情報を引き出そうとしながらも、その事はずっと頭の片隅で渦巻き、拡大して思考に於ける割合を広げようとしていた。自らの焦燥感に対し、リクトは適切な処理を試みた。
──彼を助けに行く為に、今自分がせねばならない事。それは、眼前のイスラフェリオを可及的速やかに捕縛する事だ。




